200話 ジュカーナの勧誘
「――余の国、デルガド聖国では、『人々は皆平等である』という聖典の教えが広まっている」
場所を城内の豪勢な応接間に移し聖王ジュカーナが、そう説明を切り出す。
マナヤは、アシュリーやディロン、テナイア、シャラ、そしてランシックにヴェルノン侯爵と共に、二脚の木製ソファに並んで腰掛けていた。一方の聖王ジュカーナは、脚と背もたれに金箔が張られているソファに体を沈めつつ、対面のマナヤ達に語り掛けている。
「身分の上下に囚われてはならぬ。『クラス』の貴賤に囚われてはならぬ。人は生まれつき、皆同じように尊重されねばならん。それこそが、神が人間に望んだ姿であると伝わっているのだ」
「……はあ」
気の無い返事を返したマナヤを、横に座ったディロンが少し責めるように睨みつけてくる。大国の王に対する態度ではない、と言いたいのだろう。慌てて背筋を伸ばすマナヤ。
正直なところ、この聖王に『平等』を語られても胡散臭いとしか思えない。周りと比べても明らかに金をかけた、優雅な生活をしていそうな女王。そんな姿を前にすればそのような感想にもなる。
が、気にした様子もなく聖王ジュカーナは説明を続けていた。
「そのため余の国では、成人の儀において全『クラス』を平等に配分するよう指示している。当然、封印師もだ。だがマナヤよ、其方らの国でも〝召喚師〟は不当な扱いを受けておろう?」
「……それはまあ、はい」
「モンスターは人々の命を奪う、邪神の化身だ。そのようなものを召喚し操る『クラス』など、民衆が平等に扱うはずがない。ゆえに余はそれを『封印師』と改名し、モンスターを召喚することを禁じたのだ」
おおむね、事前にランシックとヴェルノン侯爵の親子から聞いた話と同じだ。
モンスターが邪神の化身というのは、おそらく聖王の推測に過ぎないのだろう。が、その認識で間違ってはいない。実際、神と対話したマナヤもそう聞かされた。
ずい、と聖王ジュカーナが上半身を乗り出してくる。
「なに、もとより封印師の主な職務は瘴気紋の封印にある。増加の一途を辿るモンスター襲撃の原因は、瘴気紋の封印不足によるものだ。それは『神託』でも確認が取れている」
「陛下、それは――」
「控えよ。案ずるな、この者達が『神託』の存在を知っていることは調べがついている」
神託、という言葉に聖王の側近と思しき者が口を挟もうとしていた。が、聖王は軽く手を払うような仕草でそれを受け流し、マナヤに向き直る。
「余は他国と違い、封印師を正当に扱う。封印師の割合を増やし、村や町に充分数を配備する。封印師は倒したモンスターの瘴気紋封印に専念してもらい、戦いそのものは他所の『クラス』に任せるのだ」
「……」
「不服そうだな、マナヤよ。自由な発言を許す、申してみよ」
見透かしたかのように、聖王ジュカーナが挑戦的な目を向けてくる。観念したマナヤは、おずおずと口を開いた。
「俺――自分は、モンスターを召喚して戦う術を伝えるために、この世界を訪れました」
「聞いている。余も其方の書いた『教本』とやらを受け取った」
ちらりと聖王ジュカーナが、ヴェルノン侯爵へと目を向ける。人差し指を額に置き、ヴェルノン侯爵が頭を垂れた。
どうやら彼が外交でこの国を訪れたのは、マナヤの教えをこの国にも伝えるためだったようだ。
「だが見たところ、其方の教えは封印師に過剰な負担を強いるものであるようだな。他『クラス』と比べても複雑な補助魔法の仕様。召喚獣配置と補助魔法持続時間の多角的管理。その他もろもろ枚挙にいとまがないが、極めつけは自ら負傷することでマナを回復する戦術だ」
「……ッ」
「封印師は『術師』だ。生命力こそ高いようだが、身体能力的には黒魔導師や白魔導師らと変わらぬ。そのような者たちを剣士と同等の最前線に立たせるなど、不憫であるとは思わぬか?」
術師、というのは、いわゆる魔法……マナでエネルギーを操る能力を使うクラスの総称だ。名称が『師』で終わるクラス、つまり黒魔導師、白魔導師、召喚師、そして錬金術師が該当する。総じて、本人の身体能力はクラス収得前とさして変わりない。召喚師の生命力向上は特殊な例外だ。
一方それ以外のクラス、つまり『士』で終わるクラスは『技士』と呼ばれる。技能、すなわち『マナで物体を動かす能力』を使う者達。剣士、建築士、弓術士の三種が該当し、それぞれ近接武器、岩、遠隔武器に力を込めて操作するクラスだ。マナ回復力で劣る分、クラスを得た時の身体能力向上が著しい。
「難しく考える必要は無いぞ、マナヤよ。余の国の方針ならば、全てが其方ら封印師に都合よくことが運ぶのだ。召喚を控えることで、封印にマナを回すことができる。封印師らも安全圏から、他の者たちに嫌われずに貢献することができる」
「……そうかも、しれませんが」
「封印師が差別されることがない、理想的な世の中だ。其方ら封印師にとって、大利こそあれど一害もない手法であろう?」
そう笑顔で告げる聖王ジュカーナに、マナヤは内心カッとなってしまう。
言いたいことは、わかる。だがマナヤは、召喚師が自身の価値を見出せず過小評価しているところを何度も見てきているのだ。戦場で封印だけ行うようなことをしていて、召喚師たちは本当に満足できるだろうか。
だからこそマナヤは、ヴェルノン侯爵からその話を聞いた時に思ったのだ。
この国の者達の目を醒ましてやりたい、と。
「――さて、これからの事だが」
マナヤが密かに歯ぎしりしていると、聖王ジュカーナが急に話題を変えた。
「申し出たとおり、其方らには南部地域へと向かって貰いたい。大峡谷からモンスター襲撃が絶えず、民が困っている」
「承知しております。ワタシがマナヤ殿らを連れて、前線へと向かいましょう」
聖王の言葉に、真っ先にランシックがそう提案した。
ギョッとヴェルノン侯爵が鋭くランシックへと振り返る。どうやら、ランシックの独断であるらしい。が、さすがに聖王の前であるからか叱責することもできないようだ。
「うむ。本日は皆も旅疲れしておろう、明日以降にそちらへ向かう馬車を手配する。其方らの働きを手伝う聖騎士もつけておこう」
「ありがとうございます、聖王陛下」
してやったり、という様子でランシックが指を額において会釈。しかめっ面のまま、ヴェルノン侯爵も同じ動作を行った。慌ててマナヤ達も続く。
満足そうに頷く聖王ジュカーナだが、そこで急に表情を引き締めた。
「ここだけの話だがな。件の大峡谷には、コリンス王国から捜索要請のあった『黒い神殿』の調査団を向かわせていた。我が国の優秀な聖騎士隊二十四名からなるのだが、彼らが未だ戻らぬ」
聖騎士、というのは、このデルガド聖国における王国直属騎士団のような存在であるらしい。
ランシックも深刻な表情に変わる。
「二十四名が、全員……神殿の捜索中に彼らに何かがあったと?」
「残念ながらその可能性が高いと余は見ている。峡谷の奥に溜まっていたモンスター達に殺められたか、あるいは其方らのいう『召喚師解放同盟』とやらの仕業か……」
二人の会話に、なるほどとマナヤは納得する。
この聖王は『召喚師解放同盟』の関与も疑っているのだろう。マナヤ達に声がかかったのも、それがあったためかもしれない。
「いずれにしても、モンスター襲撃が落ち着いたら、聖騎士隊の生存確認と捜索も頼みたいのだ。彼らの家族のためにも、早急にな」
そこまで語り、皆が会釈したのを確認した聖王。急に明るい声色になり、パンパンと手を叩く。
「よし。それでは皆、食堂に移られるがよい。歓迎の晩餐を用意してある」
と、応接間の扉が開く。やはり四角い布を無数に縫い合わせてできたような衣服を纏った、男女の使用人が姿を現した。案内役だろう。
全員で再び聖王に会釈すると、マナヤ達はソファから立ち上がり使用人らの後ろに続こうとした。
「――ああそう、その前にマナヤ。少し其方と個人的に話がしたい。人払いを」
背後から聖王ジュカーナがそう言い放った。
その途端、マナヤ側のみならず聖国側の側近や使用人らも顔色を変える。どうやらこれはこれで聖王の独断だったようだ。
「陛下、『神の御使い』様とはいえ、異国の者と護衛もつけず二人きりなど危険が――」
「何も危険はない。これは命令ぞ。時間はかけさせぬ」
窘めようとする側近を聖王ジュカーナが一喝。口を噤んだ側近は、使用人や護衛騎士らを連れて応接間を出ていく。
コリンス王国側の陣営も顔を見合わせつつ、不安そうにしながら使用人らに促され出ていった。
応接間には、聖王とマナヤのみが残る。
「さて、ようやく込み入った話ができるな。こうでもせねばこちらの誠意を示せぬ」
「自分に、なにか?」
したり顔になっている聖王を前に、マナヤは警戒心を隠そうともせずに問うた。もしかしたら、召喚を推進したいというマナヤの内心を読まれたのかもしれない。自分の頬に冷や汗が流れるのを感じる。
すると聖王は笑みを深め、再び上半身を乗り出してくる。
「マナヤ。其方、祖国を捨てて余の側近にならぬか?」
一瞬、相手が何を言っているかわからなかった。
(召喚ができない召喚師にゃ、封印しか価値はねえだろ。そんなやつを側近にするって、何考えてんだ?)
自分達の『共鳴』に期待されているのは、わかる。
しかしモンスターの召喚がこの国で禁じられている以上、『共鳴』に関してはマナヤはアシュリーの付属品に過ぎないはず。アシュリーが誘われるならともかく、なぜ自分なのか。
考え込むマナヤの沈黙をどう解釈したか、聖王ジュカーナは再び背もたれに体を預け、説明を始める。
「コリンス王国では、召喚師が冷遇されていると聞いた。間違いないな」
「……かつては、そうだったようですね。でも今は違います」
「其方の功績で、だな。だが王国は、はたして其方を正当に評価しておるかな?」
「自分が不当な評価を受けているとおっしゃるんですか?」
「聞くところによると其方、英雄などと呼ばれておきながら田舎に追いやられているそうではないか」
その物言いに、思わずマナヤは絶句する。図星を突いたとでも思ったのか、聖王が勢いづき始めた。
「余の国に来れば、封印師だからといって其方を田舎に隔離するような扱いはせぬ。『神の御使い』として尊重し、名誉ある豊かな暮らしを約束しよう。どうだ?」
――え?
頭の中で、テオが戸惑うような気配が伝わってくる。
それで我に返ったマナヤは、殺気だけは漏らさぬよう注意しながら聖王を見据えた。
「セメイト村に住んでいるのは、自分が望んだことです。故郷が好きで、その故郷を離れたくなかっただけですよ」
「それは本心か? それとも、王国にそう言わされておるのか?」
「本心です。コリンス王国は関係ありません。あっちには貴族の地位を与えるとか提案されましたが、辞退しました」
それを聞くと、聖王ジュカーナの顔色が変わった。マナヤの返答がそこまで意外だったのだろうか。
「其方の国では、貴族は王城内で居を構えることも許されていると聞く。華やかな生活を送れるのだぞ」
「その代わり自分は、貴族の責務とやらで自由に故郷に戻ることができなくなるんです。だったら貴族になんてならなくていい。王都での暮らしのために、故郷をほったらかしにしたくはなかったんですよ」
セメイト村には、仲間たちがいる。この世界の風習にいら立って当たり散らし、それでもなお暖かく自分を迎え入れてくれた村人達が。
何よりあそこには、両親が残してくれた家があるのだ。マナヤを受け入れ、最後にはテオの双子とも認めてくれたスコットとサマー。そんな彼らの生まれ育った家と村。どうしてもそこに残り、そこを守りたかった。
「余のデルガド聖国は、全ての国を取りまとめる中心国だ。其方が『神託の救世主』として動くのであれば、余の側近となることが一番の近道であるとは思わぬか?」
「召喚師が召喚できない国で側近やって、一体なんの意味があるっていうんです」
しかしマナヤはきっぱりと言い放つ。
憮然とする聖王ジュカーナを見て、確信を持った。この聖王は、『神託の救世主』という自分の立場が欲しいだけ。側近というエサに一番食いつきやすそうと思われただけなのだ、と。
「陛下。『神託の救世主』は、あくまでも俺に〝できること〟なだけなんですよ。……俺自身は、ただの『マナヤ・サマースコット』です」
この聖王は、マナヤを一人の人間として見る気がないのだ。
救世主という『立場』がマナヤの正体であると思っている。マナヤの希望や、マナヤのやりたいことに寄り添う気持ちがない。
だからこそマナヤは、アシュリーを、セメイト村の皆をこそ大事にしたい。ただの副人格である自分を、『流血の純潔』を失ってしまった自分を、それでも一介の人間とみなしてくれる皆を。
「……ふむ。だが其方がそう思っておっても、其方の『共鳴の番』殿はどうかな?」
「アシュリーのことですか。あいつも、自分の考えに賛同して故郷に残っているんです。本人に尋ねてみても構いませんが、きっとあいつもその申し出は断るでしょう。断言できますよ」
なおも食い下がる聖王に、マナヤは自信たっぷりにそう告げた。
聖王は、じっとマナヤの顔を見つめたあとにしかめっ面になる。
「……ならば、もう一人の其方にも尋ねたい。替わってはもらえぬか」
「もう一人?」
「其方は二重人格なのであろう。その体の持ち主、彼の意見も聞こうではないか」
テオのことだろう。
マナヤは頭の中で、そっとテオに問いかける。
(どうする、テオ)
――……うん。大丈夫、ちゃんと答えるよ。
(わかった。しっかりな)
実のところマナヤは、既にさっさと引っ込みたい気持ちでいっぱいだった。
勝手に自分の心を推し量り、餌をぶら下げて自分を引き込もうとする聖王。あまつさえ、自分の気に入っている故郷を田舎と馬鹿にする態度。彼女のそんな物言いに苛立ち、殺気を放ってしまいそうになるのを抑えるのに必死だったのだ。
そっと目を閉じたマナヤは、テオの背後へと回った。
「――初めまして、聖王陛下。テオ・サマースコットです」
「ほう。本当に二重人格なのだな。確かに先ほどまでとはまるで別人だ」
聖王が片眉を上げ、心底感心したかのように呟いていた。
マナヤの替わりに表に出てきたテオは、たどたどしく額に人差し指を当てて頭を垂れる。少し頭を下げすぎてしまったかもしれない。
「して、テオ。話は聞いていたか?」
「はい。聖王陛下、申し訳ございませんが僕も辞退いたします」
聖王ジュカーナの目をしっかりと見据え、はっきり答えるテオ。
ふう、と聖王は大きくため息を吐いた。
「もう一つの人格に遠慮しているのか? それとも、其方も本心で同意しているのか?」
「僕自身の本心です。そもそもセメイト村は僕の故郷です。その故郷を離れたくない気持ちは、マナヤにも負けません」
聖王は呆れたようにこめかみを手で押さえる。そして気だるげに呟くように言った。
「余の側近となれば、其方にも其方の妻にも、楽な生活を約束させてやれるのだがな」
「……シャラに確認をしたいなら、しても構いません。もしシャラがそれを望むと決断したなら、考えますよ」
――お、おいテオ!?
頭の中で、マナヤが焦ったように文句を言ってくる。
が、これもテオの本心だ。シャラが本気でそれを望むなら、テオはこの国に移住するのも悪くないと考えている。
聖王は顔を斜め下に向けたまま、視線だけをテオに向ける。威圧感も感じるその視線を、テオはぐっとこらえて真っすぐ見つめ返した。
こちらの覚悟を悟ったか、聖王ジュカーナはこめかみから手を外し、姿勢を正す。
「よかろう。ならば其方の言う通り、後ほどシャラにも確認してみるとしよう」
「はい。お手数をおかけします、聖王陛下」
「構わぬ。それでは、其方も食堂へ案内しよう」
パンパンと聖王が手を叩くと、扉が開いて別の使用人が現れた。
その使用人に促され、テオは扉をくぐる。完全に退室する前にちらりとだけ不機嫌そうな聖王を見つめた。
(すんなり引き下がってくれて、良かった)
王の権限で、無理やり従えさせられるようなことが無くて、とりあえずほっとするテオ。もっとも、シャラの決断次第ではあるが。
――おいテオ、お前本当にそれで良かったのか?
(あ、マナヤ。もちろんだよ、シャラが望むっていうなら――)
――そうじゃねえ……いや、それもあるけどよ。お前、俺が表に出てた時に反応してたじゃねーか。あいつに『豊かな暮らしを約束する』って言われた時に。
頭の中でマナヤがかけてくる言葉に、テオは思わず慌てる。
(ち、違う、それに惹かれたわけじゃないよ! ただ……)
――ただ?
(聖王様の言い方と態度に、ちょっと引っ掛かったんだ)
――言い方? 何のことだ?
(聖王様はさ。『余の国に来れば、封印師だからといって其方を田舎に隔離するような扱いはしない』って言ってたよね)
――ああ。それがどうした?
マナヤはどうやら気づいていなかったようだ。あの時の言葉に、引っ掛かるものがあったことに。
(聖王様、その前にはこうも言ってたでしょ? この国は封印師が差別されることはない、って)
――ああ、それが? 実際王国じゃ、召喚師は差別されたりしてたから仕方ねーだろ。
(そうじゃないんだよ。聖王様のあの言い方と表情が問題なんだ)
テオは、聖王のその時の表情から、感情を読み取っていた。
(聖王様……あの人自身が、召喚師を差別してる)
封印師など、蔑んで当然の存在。
そういった、封印師への侮蔑の感情をあからさまにしていたのだった。




