196話 ヴァスケスとシェラド
「無事か、シェラド」
「っ……問題、ありません。ご迷惑をおかけしました、ヴァスケス様」
オレンジ色の岩肌に囲まれる中、様々な色合いの緑が斑に混ざりあっているローブを纏った二人。
黒髪で極めて短い短髪の男が脚を負傷しており、さらに背にもひどい火傷を負っていた。青髪の男はそれを手当てしている。止血ができる粉薬を脚の傷口にかけ、その上から包帯代わりに布を巻きつけていった。背中にも炎症を抑える薬を塗っていく。ブライアーウッド王国で町から奪い取った薬の残りだ。
「迷惑なものか。お前が囮になってくれたからこそ、確実にあれを倒せたのだ」
青髪の男――ヴァスケスは、安堵のため息を吐きながらそう告げた。黒髪の男シェラドは、申し訳なさそうに目を伏せる。
ヴァスケスにとって、今となっては唯一残った同志であるシェラド。彼は心底、シェラドの無事に胸を撫でおろしていた。
彼らは今、デルガド聖国南部の大峡谷の奥深くにいる。ヴァスケスはここで『黒い神殿』を探しつつ、シェラドと共に対召喚師戦の訓練にも励んでいた。
(とはいえ、まさかフロストドラゴンとサンダードラゴンに襲われるとは思わなかった)
シェラドの手当てを一通り終え、息を吐いたヴァスケスは背後へと振り向く。
その先では、まだ融けきっていない無数の氷の刃が岩盤に突き立っていた。
ヴァスケスとシェラドの模擬戦中、突然二人はフロストドラゴンの奇襲を受けたのである。
互いの召喚獣が真っ先に気づいてくれたので、なんとか攻撃を受ける前に気づくことができた。その場でなんとか対処をし、封印することができたのだ。
が、すぐに今度はサンダードラゴンの襲撃を受けた。
安心し無防備になったシェラドが稲妻に打たれ、倒れ込んでしまったのである。ただでさえ模擬戦で無数の裂傷があったシェラドは、全身に大火傷をも負った。なんとか命を繋ぐことができたのは、召喚師由来の生命力のたまものだ。
「……しかし、やりましたねヴァスケス様」
「シェラド?」
「フロストドラゴンとサンダードラゴン。二種もの最上級モンスターが手に入りました」
痛みにやや脂汗を滲ませつつも、シェラドが気丈に笑った。
「ダグロンとマナヤの戦いの最中に、ダグロン様から最上級モンスターをいくつか封印し奪ったのでしょう?」
「ああ。フレアドラゴンにサンダードラゴン。ドゥルガー、鎚機SLOG-333、ワイアーム、ダーク・ヤング。計六種もの最上級をな。SLOG-333とサンダードラゴンはどちらもすでに二体目か」
アシュリーという女剣士が、四種の最上級モンスターをまとめて倒した後。ダグロンが死んでしまう前に、ヴァスケスはそれらをすかさず封印しておいたのだ。
「これで、最上級モンスターはほぼ揃ったのでしょう。シャドウサーペント以外は、全て入手できたのです」
痛みに顔をしかめながらも、シェラドが嬉しそうに語る。
彼の言う通り、今ヴァスケスはほぼ全てのモンスターを召喚可能な状態となっている。持っていないのは、黒い水龍『シャドウサーペント』だけだ。
一通り手当が終わり、ヴァスケスが一息つく。
シェラドがゆっくりと身を起こしながら、周囲を見渡した。
「たしか神殿はこの辺りにあるということでしたね、ヴァスケス様」
「ああ。トルーマン様が残した手記に記してあった。『核』がここの大陸にある神殿の位置を教えたのだと聞いたが」
ヴァスケスが懐の手記を意識する。コリンス王国とブライアーウッド王国の境目にあった仮拠点内に保管されていたものだ。
「ダグロンが死んだ後、奴が持っていた『核』らしい光がこの方角へ飛んでいった。この大峡谷内にあるという神殿に向かった可能性が高い」
「しかしなぜ、『核』は勝手に飛んでいってしまうのでしょう。トルーマン様が亡くなった際も、あの方が持っていた核が同様に飛来していったと聞きましたが」
「わからん。それを確かめるためにも、神殿へ急がねばならんな。……マナヤも、おそらくこちらに向かっているはずだ」
ヴァスケスの顔が憎悪に染まる。
この国を訪れる道中、『神の御使い』がこの国へ派遣されてくるという噂を耳にした。おそらく、マナヤ達のことだ。
「ですが、今のヴァスケス様ならばマナヤにも十分勝てましょう」
「……」
「マナヤはシャドウサーペントを持っているやもしれませんが、ヴァスケス様は奴には無い鎚機SLOG-333をお持ちです。モンスターの質でいえばヴァスケス様の方が有利でしょう」
「……そう、だな」
勢いづくシェラドの言葉に、ヴァスケスは顔を逸らしつつそっけなく答えた。
「ヴァスケス様? なにがご心配事でも?」
「……」
シェラドの言うことは、間違っているわけではない。
召喚師の補助魔法サポートを受けること前提であれば、鎚機SLOG-333は最上級モンスターの中でも最強格だ。それは、マナヤが執筆したという教本にも書かれていた。
対するシャドウサーペントは、闇撃のブレスこそ脅威だが機械モンスターに闇撃は効かない。それに『獣与』魔法で様々な属性を追加できる鎚機SLOG-333の方が融通が利く。獣与魔法は物理攻撃型のモンスターにしかかけられないからだ。
以前にマナヤと戦った時は、地形を逆手に取られ失態を晒した。が、もう二度と同じ間違いをするつもりはない。
しかし、ヴァスケスの心を騒がせているのはその事ではなかった。
「シェラド。マナヤが……いや、もう一つの人格、テオといったか」
「はい」
「奴が言った言葉を覚えているか」
問いかければ、シェラドも神妙な顔つきになる。
『――夢を見て、何が悪いんだ!!』
『夢こそが、人の心を救う! 夢っていう理想や目標があるからこそ、人々は希望を持って生きていける!』
『だから、僕達はあがき続けているんだ! ゆっくりでも、一歩ずつでも! 夢物語を、現実にするために!!』
ダグロンとテオらが対峙した際、テオが叫んでいた言葉だ。
「シェラド。我々の理想は、我々が願っていた夢は、正しいのか?」
「……それは」
「召喚師と他『クラス』の者達が共存などできない。だからこそ、召喚師だけの理想的な世の中を作る。それこそが我々の目指すべき理想であると、そのトルーマン様の信念をずっと信じてきた」
ヴァスケスは、テオのあの言葉を聞いて衝撃を受けた。
テオは、諦めていなかった。
召喚師と他『クラス』の共存。トルーマンやヴァスケスらが棄てたその大前提を、テオは諦めずに拘り続けた。
(そういう思想を持っていた者は、召喚師でない者にもいた)
ヴァスケスは思いを馳せる。
コリンス王国の、海辺の開拓村。そこに住んでいた剣士の少年に、ヴァスケスは手厚く看護された。
そして、こう言われたのだ。
『だからさ、オレは召喚師だからって無条件に悪い奴だなんて、思わない。召喚師だって報われるべきなんだ、って信じてるんだ』
ヴァスケスは、思う。
召喚師と他『クラス』の共存を、自分達は早々に諦めていたのではないか。
もしかしたら、自分達の考え方は……
ただの『逃げ』だったのではないか。
「それに、あの『核』だ」
こちらを見上げてくるシェラドに対し、ヴァスケスは真上の青空を見やる。
「トルーマン様は、仰っていた。『核』に人の魂を吸わせることで、召喚師は自らも戦う力を得る。完全な存在になれると」
「……」
「だがシェラド。あの『核』に頼ることは、本当に……召喚師のために、世界のためになると思うか?」
今までもずっと、心のどこかで引っ掛かっていたことだ。
あの結晶の禍々しさ。人の魂を吸うという特性。人に瘴気を纏わせ、凶悪な戦闘能力を与える力。
しかも『核』の力を、通常以上に引き出すことができる者達もいた。だが、そんな者達のことを思い返せば……
(瘴気を纏う戦闘能力を通常以上に引き出した、ジェルク)
まずは召喚師解放同盟の最初の拠点。そのスレシス村近郊にて勧誘した、『ジェルク』という男だ。
召喚師自身の身体能力を高め、瘴気のバリアを張るという『核』の能力。彼はその能力を、普通よりも遥かに高い出力で発揮することができていた。これまでの実験ではありえない速度で『核』の力を消費していったのだ。
だからこそあの時、ヴァスケスは慌てて祭壇から『核』を抜き、ジェルクの能力を止めた。彼が『核』の力を吸い出し尽くしてしまう前に。
(モンスターを意のままに操る能力を発揮した、ダグロン)
そして、ダグロン。彼は、『核』を通してあらゆるモンスターを手足のように使役する能力を得ていた。
少なくともヴァスケスは確認していなかった、未知の『核』の能力。それをダグロンは引き出していた。
「『核』の力を、通常以上に引き出せる者達は……外道ばかりだ」
ジェルクは使命よりも苛立ちを他者にぶつけることを優先し、他者をねじ伏せようとすることを好む男だった。
ダグロンは、他者を精神的にいたぶることを好んでいた。村人を必要以上に苦しめ、救いに来た騎士団を陥れることを是としていた。マナヤらとの戦いでも、彼らの仲を引っ掻き回しアシュリーが離反することを促していたほどだ。
「そんな『核』の力に頼って、我々は本当に世界を正すことなどできるのか?」
理想的な世の中。野良モンスターを確実に封印し、平和な世界を作る。
あの邪悪な『核』に頼るようなやり方で、本当にそれを実現できるのだろうか。
トルーマンは、召喚師解放同盟は、『核』の邪悪な意思によって唆されていただけなのではないか?
「しかし、ヴァスケス様。トルーマン様は……」
「わかっている」
ヴァスケスの腕を掴むシェラドの表情は、憎しみに満ちていた。ヴァスケスもそれを見下ろし、同じ表情になる。
トルーマンは、自分達にとって父親も同然だった。
親に捨てられ、家族に捨てられ、村に捨てられた。ヴァスケスもシェラドも、そしてかつての召喚師解放同盟の中心人物らも、ほとんどがそういう境遇の者達。そんなヴァスケスらを、皆を救ってきたのは、まぎれもなくトルーマンだったのだ。
そのトルーマンを、マナヤは殺した。
「トルーマン様の仇を討つ。そのために、マナヤを殺す。それは変わらん」
「……ヴァスケス様」
「だが、我々は真実を知りたい。我々がやってきたこととは、何だったのか。『核』に頼って力をつけることは、正しかったのか。それを突き止めたい」
それを伝えると、シェラドも力強い瞳を向けてくる。
「それは私も同じです、ヴァスケス様」
「シェラド?」
「今でもトルーマン様には感謝しておりますし、マナヤのことは憎い。ですが、『核』によって我々の行動が歪められていた可能性は私も考えていました」
「我々が、召喚師解放同盟を追われた時か」
「はい。欲に溺れ、『核』の力に溺れ……それが正しい姿であるとは、思えなくなりました」
ぎり、とシェラドは自らの右拳を強く握りしめていた。その拳に掴まれているヴァスケスの服も、わずかに引っ張られる。
「私達は、見極めねばなりません。これまでの行いの、どこまでが正しかったのか。これまで為してきたことに、どのような意味があったのか」
「そう。それが我々の責任だ。我々がやってきたことの行く末を、見届けねばならん」
ヴァスケスは、自身の服を掴んでいるシェラドの拳にそっと手を当てる。
「そのために――」
自然と、二人の言葉が重なっていた。
「――真実を知りたい」
――ピチュ……ン
「!」
頭の中に、波紋が広がるような感覚。
まるで心の中の静かな池に、雫が一つ滴り落ちたかのような。
そしてそれが波紋を広げ、その波紋をシェラドと共有しているかのような。
「これ、は……ヴァスケス様」
「まさか」
二人は、自分の両手を見つめる。
その両腕に、自分達の体に、虹色のオーラが揺らめいていた。
(まさか、私達が……)
シェラドと目を合わせる。
互いに頷き合い、心の中に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。
「【共鳴】」
二人の虹色のオーラが、輝きを増す。
――【真実の瞳】




