194話 親の心 1
「――そっか。パトリシアさん、ちゃんと立ち直れてるのね」
孤児院の応接間にて、隣に座ったアシュリーが手紙を覗き込んできながら微笑む。マナヤも少し複雑な気持ちになりつつ、ふたたび広げた手紙に目を落とした。
テーブルを挟んで向かいに座っているヴェルノン侯爵も頷く。
「うむ。有能な人材が他国へ流れていってしまったのは残念だが、わが国に運河として使えるほどの河川はそう無いからな」
そう言ってカップを取り上げ、出されたお茶を一口。すると少し意外そうにカップの中身を見つめた。
「ほう? ずいぶんと香り高い茶だ。この村の特産か?」
「あ、ありがとうございます。リニエの葉とピナの葉を干して煎じたものです」
「そうか。ピナの葉以外にも価値あるものがこの村にはあるのだな。良い交易地になりそうだ」
その茶を持ってきたシャラが、恐縮したように答えてマナヤの逆隣に座る。
リニエの葉というのは、緑茶に似た味のする茶葉だ。そのままでは香りが薄いので、ピナの葉で香りをつけ足しているらしい。
「――はっはっは、どうです父上! この村を見出したのワタシの目は確かだったでしょう!」
そこへ、孤児院の表玄関が開く。そこからテンションの高いバリトンボイスが届いてきた。
「特産品を見出したわけではなかろう、ランシッ――」
が、振り向いたヴェルノン侯爵の言葉が途切れ、硬直。マナヤ達も思わずフリーズしていた。
そこにいたのは、呆れ顔で入室してきたレヴィラ。そしてその彼女に首根っこを掴まれて引きずられてきたのは、なにか布袋を背負ったランシック。
彼はやけに丈の短いスカートのメイド服を着こんでいた。胸元も大きく開いており、女性が着ればどう見ても『あっち側』の職業の者のようにも見えただろう。この世界で、そんな商売が成り立っているのかマナヤにはわからないが。
しかしながら、ランシックは男だ。化粧もしておらず体型を隠そうともしていない状態で、そのような女装姿は違和感しかない。
「……レヴィラ殿。何があった?」
こめかみを押さえながらヴェルノン侯爵が訊ねる。レヴィラは護衛としてこの孤児院前で見張りをしていたはずだ。
「申し訳ありません侯爵様。見知った気配を感じたかと思えば、ランシック様がこの格好で村の子供たちと遊んでおりまして……」
「この服を活用した踊りの振り付けを忘れたので、カンペを取りに来ました! グエッ」
全く悪びれないランシックが奥の部屋まで歩こうとして、レヴィラに改めて首根っこを引っ張られ止められる。
と、なにかバラバラと物品が零れ落ちた。彼が背負っていた布袋が滑り落ち、中身がばら撒かれたのだ。
毛皮をリースのようなリング状に巻き、そこに色鮮やかな野鳥の羽根をつけた壁飾り。娯楽の一環として女性が作ることが多い、このセメイト村独特のインテリアだ。色合いやサイズなどバリエーション豊富なそれが散らばる。
一つ拾い上げたレヴィラが目を細めた。
「……ランシック様、これは?」
「お子さんの面倒を見たことへのお礼として、保護者の方々が余ったものをくださいまして!」
そこで、ついにというか当然というか、ヴェルノン侯爵が雷を落とした。
「貴様、恥という概念をどこに忘れてきた! 行く先々で遊びほうけおって!」
「保護者さまがたに『人生がんばるんだよ』と励まされたくらいには忘れてきましたね! スレシス村を訪れた時も同じ反応をされました!」
「ならば少しは弁えんか! そもそも貴様、奥の部屋でおとなしくしているはずではなかったか!?」
「窓から脱出しました! せっかく仕入れたこの服、誰にも着てもらえず見てくださる人もおらず寂しかったので! レヴィラも着てくれませんし――」
「もういい貴様は黙っていろ! すまんがレヴィラ殿、こやつを着替えさせて監視しておいてもらえぬか!」
目の前で親子喧嘩を始めるヴェルノン一家。ようやくフリーズから復帰したマナヤ達は、この場に居て良いものかわからず互いに顔を見合わせる。
ズルズルとレヴィラに引きずられ、奥の部屋へと消えていくランシック。その様子を見届けたヴェルノン侯爵は大きくため息を吐いた。
「……見苦しいところをお見せした。まったくあの馬鹿は、監視が無ければすぐこれだ」
「ええと、他の村とかでも同じことを?」
「ああ。我々も先日まで、テオ殿とマナヤ殿の功績を確認しに村々を回ったのだ。息子はその度にあの調子でな……」
「その、心中お察しします」
「すまんなマナヤ殿。……あやつがあの体たらくなものだから、レヴィラ殿以外に婚約者が見つからんのだ。貴族の務めだというのに」
とうとう愚痴りはじめる侯爵。その内容に引っ掛かったのか、シャラがおずおずと口を開く。
「あ、あの侯爵様、ランシック様のことで質問しても?」
「なにか、シャラ殿」
「レヴィラさん、ランシック様の『正妻』候補だと聞きました。それはつまり、側妻も取られるのですか?」
この世界では、一般人が二股をかけることは好ましくないとされている。だからこそ、マナヤはアシュリーに求婚することができなかったのだ。少しだけアシュリーの表情が曇っているのがわかって、マナヤの心が痛む。
侯爵は淡々とシャラの問いに答え始めた。
「そうだ。シャラ殿をはじめとした一般の村人には理解されにくい概念やもしれんが、我が国の貴族家には必要なことだ」
「と、いいますと……?」
「貴族家には、国営に携わるための権力が与えられている。だが、権力を持った人間は私欲に溺れることも多い」
そこまで言うと、ヴェルノン侯爵は苦虫を嚙み潰したような表情になった。
「そのために貴族家の者は、幼少の頃から英才教育を施される。国家のため、民のためにその身を尽くせる高潔な精神性を叩き込まれるのだ」
「それが、側妻とどういう……?」
「権力に溺れぬよう、家の跡継ぎとなる者は厳選せねばならん。少しでも優秀な、より精神性に優れた者を選別する必要がある。ゆえになるべく多くの世継ぎ候補を……すなわち、多くの子を作らねばならん。そのための側妻なのだが……」
そこでふと、ヴェルノン侯爵の説明が途切れる。その視線は、複雑そうな表情をしているアシュリーに向いていた。
「何か懸念でも? アシュリーどの」
「え? あ、いえ、ランシック様は精神性の点では問題なさそうだなと思っただけです」
アシュリーの答えに、マナヤも思い出す。
前に彼女に聞いたことがあった。アシュリーの実父を殺したマナヤの元に戻ってくる気になったのは、ランシックに諭されたからだと。
するとヴェルノン侯爵は、一泊置いて破顔する。
「そうだな。私も、あやつの心根は認めている。知恵も行動力も弟妹らと比べて群を抜いている。ゆえに軽々しく跡継ぎ候補から外すことができんのだ。あやつが側妻を娶る気にさえなれば……」
やはり父親として、ランシックのことを認めてはいるようだ。
しかしこの口ぶりだと、ランシック自身は側妻を娶る気がないということだろう。レヴィラに操を立てているのだろうか。
ヴェルノン侯爵の視線がシャラに戻る。まだ浮かない顔をしている彼女に、侯爵は促すように問うた。
「まだ納得できんか、シャラ殿」
「いえ、その……一人のお嫁さんが、たくさんの子どもを産むのではダメなのでしょうか」
「シャラ殿。君も女性ならばわかるはずだ」
「え?」
「たった一人の妻が、十数人もの子を産む。どれだけ負担がかかると思う?」
あっ、とシャラが気づき息を呑んでいた。
言われてみれば、母親に異常な負担を強いる話だ。初子の出産でさえ体力的・精神的に大ごとである。一年に一人生んだとして、十年以上も子作りと幼子の面倒を見続けることになるのだから。
ヴェルノン侯爵も大きくため息を吐いていた。
「私とて、レヴィラ殿一人にそれほどの負担を強いるのは忍びない。だからこそ、ランシックには側妻を娶ってほしい」
重苦しい雰囲気が場に満ちる。
ヴェルノン侯爵は、ただ貴族家の都合だけで語っているわけではなかった。彼もレヴィラを将来の義娘として気に入っており、彼なりに気遣っている。
その時、表玄関の外から声が聞こえてくる。数名の者達が集まって口論しているかのような声。子どもの声ではない、大人のものだ。
「騒がしいな。なにごとだ?」
「あ、ええっと。ちょっと見てきます」
顔をしかめたヴェルノン侯爵の様子に、アシュリーが慌てて玄関へと向かう。マナヤとシャラも同じく立ち上がって後に続いた。
扉まで近づくと、口論している者達のなかに聞き慣れた声が混じっているのがわかる。
(ディロンさんと、テナイアさん? あの二人が口論するなんて、珍しいな)
むしろあの二人ならば、口論を止める側に立っていそうなものだ。
アシュリーが扉を開くと、孤児院の門前で六人の男女が集まって口論していた。
「――せめて、もっと密に連絡を取らんかディロン! 立派になったかと思えば、このような田舎でお守りをしているとは……!」
「父上! お言葉ですが、この村はいまや召喚師の未来を担う重要拠点でもあるのです! 滅多な発言は控えていただきたい!」
「そうは言ってもディロン。その子どもたちの相手を、わざわざ貴方がする必要はないでしょう?」
「母上まで……」
ディロンが口論している相手は、共に灰が混じり始めた黒髪を持つ壮年の男女。共に貴族にもそう劣らぬ礼服を纏っている。ディロンの両親だろうか。
対して、テナイア。
「お父様、お母様。ご心配をおかけしたことは謝罪いたしますが、この村やサマースコット家の方々まで疎まれるのは、私としても見過ごせません」
「テナイア、私はお前のためを思って言っているのだ。お前自身の命を差し出してまで、このようなところで」
「そうですよテナイア。せっかく白魔導師隊長様が貴女を見出してくださったのに……」
こちらも両親との口論となっているらしい。父親の方はプラチナブロンドの短髪、母親は赤髪で少し毛先が内向きにカールしているセミロングだ。やや長めのローブのような礼服を纏っている。
ディロン側と比べれば、こちらの一家は幾分か声が抑えめだ。
「ええと、あの。ディロンさん、テナイアさん?」
アシュリーが少し引け腰気味ながらも、とりあえず声をかける。すると、全員が一斉にこちらへと向いた。




