193話 パトリシアの仕事
徐々に雪解けとなり、日差しが暖かくなってきたブライアーウッド王国。
「【跳躍爆風】!」
フィルティング男爵領の北部山岳地帯を流れる川で、パトリシアは呪文を唱えた。
彼女が乗っているリクガメのような中級モンスター『ゲンブ』が、川を上流へ向かって滑るように移動していく。緑色の豊かな髪を靡かせながら、パトリシアは川の流れ、ゲンブの移動方向などを緻密に計算していた。
この場にいるゲンブは、彼女が乗っている個体だけではない。何体ものゲンブが、川の流れに沿って数珠つなぎに一列となっていた。
最後尾のゲンブに乗っているパトリシアが、跳躍爆風をかける。そのたびに、最後尾のゲンブに押されて一列となったゲンブ達が一斉に川を上っていた。
ゲンブ達の上には、騎士隊を含め複数の人間がしゃがみこむように乗っている。パトリシアはこの者達を運ぶよう、領主から依頼を受けたのだ。
「【跳躍爆風】! そろそろ、近場です!」
何度目か数える気にもならない跳躍爆風の後、パトリシアは前方のゲンブらに乗せている騎士達に向かって叫ぶ。
この川を幹流との合流地点まで上れば、もう目的地の近くだ。
ここブライアーウッド王国では、モンスター運搬によって各国の物資を集める物流拠点が造られつつあった。
フィルティング男爵領の北部には、この国で最も高い山岳がある。そこから湧き出てくる清水が川をつくり、この国のほぼ全土に渡って支流が張り巡らされている。これを利用し、モンスターを使って物流を整えるのだ。
川の源泉地点を集積地とすることで決定。そこに大規模な倉庫を建築し、そこで王国内の物流すべてを管理する施設をも建てる予定となっていた。途中にある大きな滝も、その景観を利用し娯楽施設として運用できないか検討されているところだ。
かつて排斥された召喚師が集まって作られた集落も再開発された。今ではそこも、管理施設を造るための中継地点として重宝されている。
ただ一介の男爵領にすぎないこの領地だけでは、さすがに施設の建造すべてを行うことはできない。かつての召喚師解放同盟の襲撃で滅んでしまっている村もあり、人手が不足しているのだ。
そのため、王族とその直轄地から人員を派遣してもらっている。王族主導という名目を保つため、表向きは〝この領が王室の依頼を受けて国家事業に協力する〟という体裁になっていた。
ただ、今パトリシアが騎士達を連れて移動しているのは、開発のためではない。
「――ふう、助かったぞパトリシア。先行していた騎馬部隊よりも早く目的地に到着するとは」
「い、いえ、恐れ入ります領主さま」
「すまぬが、帰りもそなたに頼みたい。そなたの召喚獣運搬は揺れも極端に少なく、実に快適だ」
目的の幹流までたどり着いた一行。
パトリシアは、同行していた領主に称賛されていた。
「それでは、こちらです領主様」
「うむ」
全員岸に上がったところで、ここからは案内役の騎士が先導していく。左右を護衛騎士に囲まれながら領主が続き、パトリシアもおずおずとその後ろをついていった。
これから向かう場所は、パトリシアも事前に地図で一度確認しただけだ。実際に目にするのは今日が初めてになる。
「ここが、かの召喚師解放同盟が拠点代わりにしていたという『黒い神殿』か」
すぐにその地に辿り着き、領主が目をしばたたかせて拓けた場を見渡す。
突然木々が少なくなり、荒地が露出し草が生えている気配すらもない。命の息吹を感じないその場には、遺跡のような黒い壁が立ち並んでいた。どころどころ、やはり真っ黒な柱や門らしいものもある。
壁も柱も、全てになにか禍々しい幾何学模様が彫りこまれていた。模様がある部分だけ奇妙に緑色の光がゆっくり点滅している。パトリシアもその紋様を見つめるだけで怖気が立つ。
コリンス王国からの報告によれば、この紋様はただの装飾ではないらしい。何か術的作用を伴う回路のようなものであるそうだ。
領主が明滅する壁を見て、露骨に顔をしかめる。
「……この光、不気味なものだ」
「コリンス王国のものと形状は酷似していますが、このように紋様が光ってはいなかったとのことです」
「むう……それで、問題の祭壇というものは?」
「こちらに」
と、解析に努めているらしい黒魔導師の騎士が、神殿中央の台座を指さした。領主が頷き、一向はそちらへとゆっくり歩を進めていく。
近くまでくると、その台座にもまた複雑な幾何学模様がびっしりと刻まれているのがわかった。
台座の上は平らではなく、中央に向かって曲面状に凹んでいる。その中央にはさらに小さな穴が空いていた。穴は深く、底には光が届かないので見えない。
黒魔導師騎士と、難しい顔をした領主がそれを覗き込んでいる。
「コリンス王国からの情報によれば、この穴に『核』と呼ばれる結晶を置いて使用すると推測されると」
「『核』か。それはどのようなものなのだ?」
「不規則な多角形の、黒い鉱物でできた拳大の結晶だそうです」
「ふむ……では、連中がその『核』とやらをここに設置して、何らかの目的を果たしているのか」
「おそらく。召喚師自身の身体能力を『核』によって増幅する、という機能があるそうですが、どうもそれだけではないとのことで」
顎に手を当てて考え込む領主に、黒魔導師騎士が補足する。さらにその騎士は空を見上げ、次に南西へと目を向けた。
「マナヤが召喚師解放同盟と決戦した後、『核』らしい光が南西の方角へと飛んでいったと聞きました」
その光ならば、かつてパトリシアも木々の間から確認した。流星のようなものが、救難信号に似たような音を立てながら夜空を飛んでいたのだ。
だが「ちょっと待て」と領主が口を挟む。
「飛んでいっただと? それがその『核』であると、なぜ断定できる」
「マナヤが以前も、同様の現象を見たのだそうです。コリンス王国で召喚師解放同盟の当時の首魁を倒した後、核が西へと飛翔していったのだと。そして気配もその時のものに酷似していたとのことで」
騎士が地図を広げ、領主もそれを覗き込む。
「マナヤが召喚師解放同盟と戦った、コリンス王国の開拓村とは……ここか」
「一つ目は、そこから西にまっすぐ。また二つ目は、我が領のこの位置から南西へ直進。それらの線の交差点は……」
領主と黒魔導師騎士とで、それぞれ簡易的に指でその動きを追う。マナヤが目撃したという、二つの『核』それぞれが飛んでいった先をなぞっているのだ。
二人の指が重なった先は……
「……デルガド聖国の、大峡谷か」
大陸の西半分、その大半を支配下に置いている大国『デルガド聖国』。
その南側一帯に塗り潰されている、オレンジ色の区域。岩とわずかな渓流によって作られた、広大な峡谷がある地点だ。
***
「――すまないなパトリシア殿。先行部隊が辿り着くまで待たせてしまって」
「い、いえ、構いません。多少遅れが出たところであまり変わりませんから」
領主の護衛騎士に労われたパトリシアが、いまだ少し怯えながらもそう返答する。日が暮れるまではまだまだ時間がある。暗くなり始める前には戻れるだろう。
今、パトリシアと領主らは川岸で足止めを食らっていた。
理由は先行部隊だ。パトリシアが領主らを連れてゲンブでここに輸送する前、騎馬隊が先行して森からこの『黒い神殿』がある場所へと向かったはずだった。この『黒い神殿』から押収する必要があるかもしれない物品を運搬するための騎馬隊だ。
それが、今になってもなお到着しない。
――ドウッ
「えっ、救難信号!?」
その時、聞き覚えのある声と共に南方から光の柱が立ち昇った。色は黄色。
騎士達の何名かが、すぐさまその方向目指して木々の奥へと駆けていく。川の流れる方向ではないので、徒歩でいくしかない。
「襲撃を受けたのか! パトリシア殿、すまないが――」
「は、はい! わたしも同行します!」
領主の護衛騎士に目くばせされ、パトリシアも駆けていく騎士達に混じって同じの方向へと向かった。さすがに護衛騎士達は領主から離れるわけにはいかない。
数名の騎士達に追い抜かれながらも駆けていく。
ほどなくしてパトリシアは、前方が騒がしくなっているのに気づいた。交戦音だ。
斜面と間隔の狭い木々に囲まれた獣道を抜けていくと……
「――え、援軍か! グ……すまない、助かった」
ようやく見えてくると、先行部隊と思しき騎馬隊が野良モンスターの襲撃を受けていた。援軍の白魔導師から治療を受け、上半身を起こしたその騎士。どうやら黒魔導師のようで、騎馬服は黒い紋章が編み込まれている。
ふと草むらがかき分けられる音がして、パトリシアが振り向く。
(あっ)
右の茂みから姿を現したのは、一頭の馬。
全身が白に近い薄茶色の美しい毛並み。たてがみに至っては純白で、人間のものと比べれば非常に大きな瞳を瞬かせている。
そのつぶらな瞳と、パトリシアとの目が合った。
(……キレイ)
と、そんな感想を抱いてしまうパトリシア。人間、特に男はまだ苦手だが、動物ならば親近感がわく。
「ご主人様とはぐれちゃったの?」
声をかけながら、その馬へと駆け寄ろうとする。背には鞍がつけられているので、先行部隊の騎馬だろうか。
「ア、アルゴ! そこに居たのか!」
と、前方から声が。そちらへ目を向けると、先ほど治療を受けていた黒魔導師の騎士が目を輝かせている。どうやら彼の騎馬であったようだ。
……が。
「――く、このっ! ……あっ!」
さらに森の奥で、ギィンと鈍い金属音が響く。そして、風切り音と共に何かがその薄茶色の馬へと飛んできた。
鉄の球体……砲機WH-33Lから放たれた砲弾だ。野良の砲機WH-33Lが撃ったものを前線の騎士が剣で弾いて、こちらに飛ばしてしまったのか。
「あぶないっ!」
ほぼ反射的に、パトリシアは薄茶色の馬の前に立ちはだかる。飛んでくる弾に素早く両手を突き出した。
「【ケンタウロス】召喚!」
彼女の手の前に、大きな召喚紋が出現。馬めがけて飛んできた砲弾は、その召喚紋にぶつかって止められた。
召喚紋を盾として使う技術。マナヤから教わった、ここぞというときのテクニックだ。
その後、召喚紋から改めて半人半馬が弓を携えて姿を現す。伝承系の中級モンスター『ケンタウロス』。頻繁に出現するモンスターであり、四大精霊と並んで最長の攻撃射程を持つ便利な召喚獣だ。
「【火炎獣与】!」
さらにパトリシアは、ケンタウロスに向かって呪文を唱える。
ケンタウロスの弓が炎に包まれ、弦が引き絞られる。
虚空から矢が現れ勝手につがえられた。弓の炎が、その矢にも移る。
ケンタウロスがそのまま、炎の矢を射ち放った。
前方の砲機WH-33Lを射抜き、炎が纏わりついてその動きを止める。
火炎獣与は炎攻撃の追加と共に、機械モンスターの動きを一瞬止める効果もある。パトリシアはその効果を援護に使ったのだ。
「す、すまないそこの召喚師殿、助かった!」
馬の主と思しき黒魔導師が、まだ立ち上がれないながら礼を言ってくる。
気にしなくて良い、と返事をしようとしたパトリシアだったが。
「……えっ?」
その時、ケンタウロスが右方向へ矢を放った。敵がその方向にいるということだ。
すぐさまそちらへと両手を向ける。かすかに、聞き覚えのある羽ばたき音が耳に届いた。木々の間から、緑と紫の色が入り混じった陰らしいものが見え隠れしている。
(やっぱりバフォメット・モス! しかも、二体!)
特徴的な羽音、そして遠目だがその色合いからモンスターの正体と数を見抜いた。マナヤから実物を見せられたことがあるので、パトリシアにも判別ができる。
位置を考えると、あの二体はまっすぐこちらへ向かってくるだろう。
(だめだ、ここで戦ったらこの子が!)
思わず傍らの馬を見上げる。
野良モンスターは、原則として人間にしか攻撃して来ない。この場にいては、この毛並みが美しい馬まで毒鱗粉の攻撃に巻き込んでしまう。
「――【ゲンブ】召喚!」
意を決したパトリシアは、馬の目の前にゲンブを召喚。
「そこの子! お願い乗って、早く!」
「お、おい君! アルゴに一体なにを!?」
パトリシアは、必死になって馬の手綱を引っ張ってゲンブの上に乗せようとする。馬の主である黒魔導師騎士がそれを見て、横たわったまま仰天していた。
しかしパトリシアの必死さが伝わったか、あるいは本能的に危機を察したのか。馬はさして抵抗もせず、素直にゲンブの広い甲羅の上へと乗り上げる。
パトリシアの額に、焦りで汗が浮かぶ。もうすぐバフォメット・モスの射程圏内だ。
「しっかり踏ん張っててね! 【跳躍爆風】っ!」
自身もゲンブの甲羅に乗り上げつつ、跳躍爆風を使った。
ゲンブが、馬とパトリシアを乗せたまま後方へと大ジャンプ。
その真下を、紫色の鱗粉が通り過ぎる。間一髪だった。
いきなり空中に放り出された一人と一頭。
バランスを崩した馬が驚いたように暴れ、大きく嘶く。
「お願い、じっとして! 大丈夫だから!」
パトリシアは必死の形相で、馬の首元にしがみつくような形で抑え込む。
なんとか馬は、ゲンブから落下せずに踏ん張った。さすがは軍馬だ。
跳び上がったゲンブは、やがて落下に転じる。
「【反重力床】!」
すぐさまパトリシアは、ゲンブに浮遊魔法をかけた。
高速で地面に落下していくゲンブだが、地上付近へと迫ったところで急に減速。まるでクッションでもあるかのように、地面から少し浮いた状態で止まった。
ほおっとパトリシアがため息を吐く。馬も安全を察したか、ゆっくりとゲンブの甲羅から降りた。
「ごめんね、驚かせちゃって。大丈夫だった?」
たてがみを撫でながら、馬に話しかけるパトリシア。
しかし、ハッとまた前方の木々の奥へと目をやった。まだ戦いは終わっていない。
「あなたはここで待ってて! いい!?」
その指示を理解したかのように、馬は嘶いて両前足を振り上げる。
笑顔を浮かべたパトリシアは、すぐさま森の中へと駆け戻っていった。
それからほどなくして、野良モンスターの殲滅が終わる。
「【封印】。……これで全部でしょうか?」
「ああ、よくやってくれた。君が残したケンタウロスもいい囮になってくれたよ。被害を抑えることができた」
パトリシアが最後の瘴気紋を封印し、騎士へと訊ねる。笑顔の騎士が笑いかけてくるが、まだ少し怯え気味のパトリシアは笑顔が引きつってしまった。
騎士が離れていくと、大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「……あら?」
と、後方から馬の蹄音が聞こえる。振り向くと、先ほどの薄茶色の馬がパトリシアへと歩み寄ってきていた。
「ダメじゃない、待っててって言ったでしょ?」
唇を尖らせながら、パトリシアも馬へとパタパタと駆け寄る。
首の横あたりをそっと撫でてやると、嬉しそうに顔を寄せてきた。パトリシアも思わず顔が綻び、その馬の肩あたりに寄り添う。
「――アルゴ! 無事だったか!」
「ひっ」
と、そこへ黒魔導師騎士の声。
パトリシアは思わずその場から飛び退いてしまう。
が、騎士の方はまったく意に介さず真っすぐに馬の傍らへと駆け寄った。
馬を愛でるように撫で続けるその騎士の表情は、とても嬉しそうだ。馬も甘えるように、騎士の肩に自身の頭を乗せている。
「良かった、お前が無事で良かった、心配したんだぞ! そ、そうだ。そこの召喚師殿、アルゴを守ってくれて感謝する!」
突然騎士から話しかけられたパトリシアだが、彼が近寄っては来なかったので落ち着いて返事をする。
「えっ? あ、いえ、お気になさらず。……あの、怒ってないんですか」
「怒る? なぜだ」
「いえ、その。わたし、勝手にあなたの馬を乗せて跳んじゃって……」
「ああ、見ていたよ。確かに正気を疑ったが、バフォメット・モスからアルゴを守るためだったのだろう? 跳んだあとに鱗粉がその場を通り過ぎて、肝を冷やしたよ。本当にありがとう」
馬を撫でながら、満面の笑顔で感謝の言葉を述べてくる。
が、ふと表情を曇らせ、不安そうに瞳を揺らしながらパトリシアを見つめてきた。
「しかし……なぜ、体まで張ってこの子を助けてくれたのだ?」
「え? どういうことですか」
「いやその、失礼だが。まさか召喚師が、その身を挺してまで庇ってくれるとは思っていなかったものでな。それも、馬を助けるために」
バツが悪そうに眉を下げながら目を逸らす黒魔導師騎士。召喚師への偏見が捨てられずにいたことを悔やんでいるのだろうか。
本当に申し訳なさそうにしているその表情に、パトリシアはクスッと笑みをこぼしてしまった。
「なぜ、と言われましても。わたしのせいで、その子が危険に晒されたようなものですし……」
「いや、バフォメット・モスはともかく、最初の砲弾は明らかに我々の落ち度だ。それを君は身を挺して庇ってくれた」
「そ、それはその。まあしいて言えば……その子がとても綺麗だったから、でしょうか?」
「そう! そうなんだ! この子は美人だろう!?」
と、興奮したようにパトリシアへと歩み寄ってくる。
「えっ、あ、あの!?」
「見てくれ、この毛並み、あの美しい瞳! 胸、肩、お尻にかけての筋肉のラインとしなやかさ! 領主様が自分の騎馬にと差し出してくれた馬たちの中から、この子に一目惚れしてね! 試しに乗ってみたら相性もピッタリで、一も二も無くこの子を選んだんだ! それ以来この子は、私の離れがたい相棒だよ!」
まるで恋する乙女のような目で、酔ったふうに語り始める黒魔導師騎士。
詰め寄られた形になったパトリシアだったが、不思議と嫌悪感はなかった。馬に惚れ込んでいるこの男の様子に、無意識に安心したのかもしれない。
しかしそこで、ハッと我に返った黒騎士がすぐに咳払いして距離を離す。
「し、失礼、つい興奮してしまった。アルゴの愛らしさをわかってくれる者が、周りにいなくてな……」
「いえ、大丈夫ですよ。アルゴっていうんですね、その子」
――かわいい人。
なぜか、その黒魔導師騎士にそのような印象を抱いてしまった。これまでの男のように、無遠慮にパトリシアの胸元へ視線を注ぐような真似をしてこない。それも良かったのだろう。
「とにかく、アルゴを救ってくれて感謝する。謝礼は金銭が良いか? それとも物資だろうか?」
顔を引き締めた黒魔導師騎士が、真剣に訊ねてくる。パトリシアは少し考え込んでしまった。
今のパトリシアは商人と運搬業の契約を結んだことで、さほどお金には困っていない。それに今日の領主からの仕事も報酬金が出るはずだ。
「……それでは、時々アルゴちゃんに会いに行ってもいいでしょうか?」
「うん? もちろん貴女ならば大歓迎だ。そんな謝礼でいいのか?」
「はい。わたしもその子のこと、気に入っちゃいましたから」
パトリシアの笑みに、騎士も魅力的な笑顔を返してくる。お互いにクスッと笑い合ったあと、騎士はポンと優しくアルゴの鞍をたたく。
「そうだ。それならば、ここでアルゴに乗ってみるかい? この子も満更でもなさそうだしな」
「あ、いえ。素敵な申し出ですけど、わたしはゲンブで皆を送り迎えしなければいけないので……」
「ああ、きみが噂の召喚師だったのか。モンスター運搬を得意としているという、あの」
騎士が手綱を引きながら、川の方へと歩いていく。パトリシアも、その横に並んで歩きながら雑談を続けた。
人と接するのも、もうだいぶ慣れてきたつもりだ。けれどパトリシアにとって、ここまで嫌悪感を感じない男性はマナヤ以来かもしれない。
(……そうだ、マナヤさんに手紙を書こう)
件の『黒い神殿』の報告がてら、今日の出来事を書こう。自分は前に進めていると。無事に過ごしていると。今ならば下手な未練に囚われず、素直な気持ちでマナヤに手紙を書けるかもしれない。
いつもよりも爽やかな気分を味わいながら、二人と一頭は川岸へと向かった。




