192話 ヴェルノン侯爵の訪問
数日後の午後。
マナヤが『間引き』から帰還し集会所へ向かっていると……
「……ん? シャラ?」
道中の訓練場にシャラの姿が見えた。全身のいたる所に木製の防具を着込んでいる。
「あれ、テナイアさんもいるわね」
隣を歩くアシュリーもそちらに目をやり、意外そうに目をぱちくりさせている。
シャラは木製の六尺棒のようなものを持ち、構えていた。彼女の対面では、同じ棒を持ったテナイアが立っている。どちらも正眼の構え……すなわち、腰あたりに棒を持ち先端を相手の目へ向けていた。
「――はっ!」
テナイアが気合を放ち一気に間を詰める。
すり足で地面上を滑るように進んだテナイアは、棒をシャラへ突き出した。
シャラはそれを、側面へと弾いて逸らす。
が、テナイアは弾かれた勢いを利用し棒を反転。
さらにそのまま、シャラの足元へと屈みこんだ。
棒の逆端をシャラの両脚の間に差し込み、そのまま彼女の背中側へと回り込む。
足払いのような形となり、シャラはバランスを崩して倒れ込んでしまった。
立ち上がったテナイアが、すぐさま彼女を左腕で抱えるように支える。
「大丈夫ですか?」
「は、はい」
テナイアの問いかけに、シャラは何が起きたかわからず恥ずかしそうにしながらも返事をした。自分の足で立ちあがり、ほおっと感嘆。
「急にテナイアさんが視界から消えて、気づいたら転んでました。すごいですね」
「コリンス王国直属騎士団で教導している杖術です。白魔導師も、いざとなれば自ら戦わねばなりませんからね」
テナイアは小さく微笑みながら、そう解説している。
「他にも、カウンターを中心に戦う構えなどもあります。シャラさん、まだ続けられますか?」
「はい、もちろん」
二人が距離を空けて、再び向かい合い構える。
「今度は、シャラさんの方から攻めてきてください」
そう言うとテナイアは突然、棒の先端を下に降ろす。
その端を、前方の地面へ接地させた。逆側の端は自分の肩の上あたりで握り込んでいる。
シャラが訝しむように眉をひそめた。
マナヤも少しアシュリーから剣術の手ほどきを受けたことがあるので、わかる。剣術にしろ杖術にしろ、先端を相手の目に向けて構えるのが基本だ。にも関わらず、テナイアは明らかに上半身に隙を晒している。
やや戸惑いつつも、すり足で一気に間を詰めたシャラ。
テナイアの肩口めがけて棒を突き出す。
が、その瞬間テナイアの杖が地面から跳ね上がった。
肩の高さに構えていた後ろの手を腰へと引き寄せたのだろう。前方の手を支点にして、地面に着いていた方の先端を一瞬にしてシャラの胸の高さまで持ち上げたのだ。
シャラは、突然跳ね上がった棒の先端へと自ら突っ込んでいく形になる。
「あぐっ」
その先端がシャラの胸元に直撃。
幸い木製の胸当てがあったので大事には至らなかったようだ。が、かなりの衝撃を受けたらしい。
「申し訳ありません、大丈夫ですか?」
呻いて屈みこんでしまうシャラに、テナイアがすぐ駆け寄った。
手から白い光を放ち、シャラの胸元の上にかざす。治癒魔法だろう。
「は、はい。ありがとうございます。急に胸を打たれてびっくりしました」
「『採掘者の構え』といいます。相手が接近戦を仕掛けてきた際に、相手の勢いを利用してカウンターを放つための構えですね」
すぐに痛みが引いたらしいシャラに、テナイアがそう解説した。
「遠距離戦を仕掛けられた場合のための、『門塔の構え』というものもあります。こちらもいずれ、お教えしましょう」
「はい」
真剣な表情で頷くシャラに、テナイアは満足げだ。
(シャラのやつ、テナイアに稽古をつけてもらってるのか)
おおよその経緯をそう察して、少し感心する。
テナイアが思った以上に動けるというのもそうだが、シャラがあそこまで真剣に対人戦の訓練を積もうとしている。それがマナヤにとっても驚きだった。
「――召喚師解放同盟との戦いで、シャラも思う所があったみたいね」
「あ?」
隣で興味深そうに観察していたアシュリーの呟きに、マナヤが振り返る。
アシュリーはシャラたちから視線を外さぬまま続けた。
「自分だけロクに戦えなかったことが、悔しかったんじゃないかしら。だから、今度こそ役に立とうとしてるんでしょうね」
「そうは言ってもよ、もう召喚師解放同盟はほぼ壊滅したんだぞ?」
「まだヴァスケスと、もう一人ってのが残ってるんでしょ? 少なくとも」
そこでようやくアシュリーがこちらへ視線を戻す。微笑んでいるが、どこかぎこちない。
「……それにさ。あんたがその、『流血の純潔』をなくしちゃった時とか」
「アシュリー?」
「召喚師じゃない人とも、戦ったんでしょ? だから対人戦を覚えたいってのは、あたしもよくわかるの。また同じようなことがあった時、手助けしたいって思うからね」
ズキリとマナヤの心が痛む。
アシュリーがそれを察してか、表情をやらわげた。
「だからシャラもシャラなりに、強くなりたいのよ。あんたやテオの力になるためにね」
「……そう、か」
「それに、テオだって頑張ってるらしいじゃない」
「まあな」
マナヤは少し苦々しく笑いながら、先日のことを思い出す。
急にテオが、マナヤにもっと踏み込んだ『討論』をしたいと申し出てきたのだ。焦り、というよりは、覚悟の篭った彼の向上心に、マナヤにも火が付いた。
それ以来マナヤとテオは夕食後の時間を使って、二人して頭の中で戦術討論を行っていた。
マナヤも、テオの上達ぶりには舌を巻いた。異世界でゲーム『サモナーズ・コロセウム』の戦術を教えてくれた史也と討論していた時。その時とさほど変わらないレベルまで、テオも上達していたからだ。
「テオもシャラも、自分達らしいやり方で強くなろうとしてるんだな」
「でしょうね。だからマナヤ、あんまり自分だけの意見を押し付けるんじゃないわよ?」
「わ、わかってるっての」
しどろもどろになりながら、マナヤはジト目で睨んでくるアシュリーから顔を逸らす。
先日、テオはシャラと仲直りしたらしい。思いつめていたシャラを、テオが慰めたのだと聞いた。アシュリーがテオに、その辺りをフォローしてくれたらしい。それで二人は、とりあえず肩の力が抜けたように見える。
あの二人は、あの二人なりのペースでやっていけば良いのだろう。
(……あいつらは、すでに結婚できてんだからな)
そう考えた時、胸の中に小さなしこりを感じた。
ふう、と一つ深呼吸をして再びシャラの訓練を見据える。
しかし、隣のアシュリーが急にそわそわし出したのに気づいた。
「……うー、なんだかうずいててきちゃった。マナヤ、あたしちょっと混ざってくるわね」
「は? お、おいアシュリー?」
「あたしもテナイアさんと腕試ししてみたくなっちゃって」
いたずらっ子のような表情で舌を出したアシュリーは、シャラとテナイアのもとへと駆け出そうとする。
その時。
「――ああ、えーと、マナヤ君のほうですか! こちらに居たのですね」
どこかで聞き覚えのある、バリトンボイス。
そちらへ振り向くと、予想通りの銀髪の男性が。
「あ、えーと、ランシック……様? レヴィラさんも」
「ランシック様、レヴィラさん。お久しぶりですね」
マナヤとアシュリーが返事をすると、少し困ったような表情でその男性が苦笑いした。
茶色を基調とした貴族礼服を纏った、顔の整った青年。歳は二十代前半といったところか。
ランシック・ヴェルノン。ここコリンス王国に所属するヴェルノン侯爵家、その長男だ。マナヤのパトロンを名乗り出て、他貴族家のしがらみからマナヤらを保護してくれる約束を取り付けた相手である。
彼の傍らには、騎士服を纏い大弓を背負った黒髪ポニーテールの女性が控えていた。スレンダーなこの女性騎士は、レヴィラ・エステヴェズ。コリンス王国直属騎士団、弓術士隊の副隊長。ランシックの護衛であり、また彼の正妻筆頭候補であるそうだ。
その二人の後方には、ぞろぞろと護衛騎士らしい者達が立ち並んでいる。その中には、ランシックよりも立派そうな礼服を纏った壮年男性の姿もあった。
先頭に立っているランシックの笑顔は、いまだぎこちない。
「……? ランシック様、いつもの勢いはどうしたんで?」
やけにおとなしいランシックの様子に、マナヤは思わず首を傾げつつそう訊ねてしまう。
この貴族令息はウザいくらいのハイテンションと奇行を振りまくような人物だったはずだ。初対面時も、岩で作られた大波に乗って女装姿で騒がしく登場したものだ。この村に彼が初めて訪れた時も同様である。
それが今日は、まるで借りてきた犬のように大人しい。
するとランシックはギョッと顔を強張らせた。そしてそんな様子を後方から伺っていた、より立派な礼服を着た壮年男性が一歩進み出てくる。
「――ほう。『いつもの勢い』、か」
ランシックと同じ銀髪を持つその男性は、険しい顔つきでランシックを見下ろしていた。
「ランシック。お前はやはり、この者達に対しても貴族の長子らしからぬ言動を繰り返していたということか」
「いやいや父上! 村人と接する以上は、むやみに相手を畏縮させない努力も必要でしょう!」
そんな彼に睨まれているランシックは、笑顔を浮かべつつもダラダラと冷や汗をかいている。
(父上……ランシックの父親……って、侯爵様ご本人!?)
マナヤは、瞬間的にアシュリーと顔を見合わせる。慌てて頭を垂れて胸元に右拳を置いた。
ふう、と深いため息をつく音が前方から聞こえてくる。そして、先ほどの男性と思しき気配が歩み寄ってきた。
「失礼。マナヤ・サマースコット殿、そしてアシュリー殿だな」
「は、はい。自分がマナヤ・サマースコットです」
「アシュリーと申します」
歩み寄ってきた男性、ヴェルノン侯爵の問いに、マナヤもアシュリーも自らの名を名乗りつつさらに深く頭を下げた。
「そう畏まらなくともよい。申し遅れたが、ヴェルノン侯爵家の現当主、スレージス・ヴェルノンだ」
「は、初めまして侯爵閣下。ご挨拶が遅れまして、たいへん申し訳なく……」
緊張したまま、なんとかそれだけ声を振り絞るマナヤ。
コリンス王国の貴族家とは、王城で一通り挨拶を交わしたことがある。家名を貰ったあとの披露宴で。
しかし、ヴェルノン侯爵との挨拶は初めてだった。当時、侯爵は外交のために王国の外に出ていたと聞いている。マナヤ達がブライアーウッド王国から帰国してからも、すぐまたセメイト村へ帰ったので顔を合わせていなかった。
「頭を上げられよ、マナヤ殿。アシュリー殿もだ。むしろ挨拶が遅れ私の方こそ大変失礼した。ランシックのやつも貴殿らにも迷惑をかけたのではないか?」
「い、いえ、迷惑というほどでは……」
ヴェルノン侯爵の厳かな雰囲気に呑まれつつも、マナヤはなんとか顔を上げた。
ランシックの父親というだけあって、顔に刻まれた皺を無視すればずいぶんとランシックと似ている。もっとも、纏っている雰囲気自体はまるで別物だが。
「そうですよ! マナヤ君にはせいぜい、『マンザイ』のツッコミ役を頼んでいただけにすぎません!」
などと、懲りずにランシックが堂々と声を張り上げている。隣のレヴィラがこめかみを手で押さえているのが見えた。
ヴェルノン侯爵は後方へ振り返り、ギロリとランシックを睨みつける。
「それが貴族家嫡男のすることではないと言っている! 王国の政治を司る者として、少しは真面目な対応を心がけたらどうだ!」
「そこに手抜きはしておりませんよ! ワタシはマナヤ君たちと打ち解けるために、ちょっとばかりハメを外したにすぎません!」
「あれが『ちょっとばかりのハメ外し』で済むものか! おのれ、これで功績だけは積み上げおって、下手に廃嫡もできん!」
ランシックと口論しつつ、ヴェルノン侯爵は恨みがましげに頭を抱えた。予想はしていたが、彼も父親としてだいぶ苦労をしているようだ。
そこへ、レヴィラが無表情のまま一歩進み出てきた。
「侯爵様。ランシック様の言動に関しては、我が兄の影響も大きいでしょう。大変申し訳ございません」
「……貴女が謝られる必要はなかろう、レヴィラ殿。兄君の件は、私としても申し訳なく思っている」
ヴェルノン侯爵は、悲痛な表情でレヴィラを見つめている。後方のランシックも、悲しげに目を閉じていた。
(『兄君』? レヴィラさんの兄に、何かあったのか?)
雰囲気に呑まれて、マナヤは質問することができない。
が、すぐにヴェルノン侯爵は顔を引き締める。こちらの方へと向かってくる女性二人に目を移していた。
「ヴェルノン侯爵閣下、お久しぶりです」
「久しいな、テナイア殿。息災なようで何よりだ。そちらは、察するに……」
すぐに胸に手を当て一礼してくるテナイアに声をかけ、ヴェルノン侯爵は彼女の隣で同じく頭を垂れているシャラへと視線を向ける。
「は、初めまして。シャラ・サマースコットです」
「やはりか。ヴェルノン侯爵家の現当主、スレージス・ヴェルノンだ。愚息が世話になった……というより迷惑をかけた」
と、再びヴェルノン侯爵がランシックを横目で睨みつける。
「父上! 貴族らしい振舞いを主張しておきながら、長子の醜聞を吹聴して回るのはいかがなものかと!」
「黙れ。ドラ息子一人ろくに叱りつけることもできぬ家系などと思われれば、それこそ恥の上塗りだ」
ムッとした様子のランシックを、ヴェルノン侯爵はそうぴしゃりと撥ね退ける。そして改めてマナヤの方へと振り向いた。
「すまない、話が脱線したな。マナヤ殿、我が息子がパトロンを引き受けたとのことで、遅ればせながら当主である私も挨拶に来た」
「は、はい」
「まずは感謝をしておきたい。君がランシックと共にブライアーウッド王国に大きな『貸し』を作ってくれたことを」
「貸し、ですか?」
何のことかわからず、マナヤが思わず問いかける。すると、一つ頷いたヴェルノン侯爵が説明してくれた。
商売と流通を売りにしているブライアーウッド王国。領地の生産物と流通経路こそが『力』になるかの国では、王室は権威を失いかけていた。王宮の直轄領が大したことがないからだ。
そして、召喚師解放同盟がブライアーウッド王国に被害を出している時。王室は、その同盟が暴れている地に目を付けた。勝手に召喚師を排斥しはじめた、フィルティング男爵領だ。
黒い神殿の調査報告もロクに上げて来なかったが、王室としてはあまり強く催促することもできない。だから何か理由をつけて内情を探りたかった。
そこで、マナヤ達を利用しようとしたということだ。
召喚師解放同盟がコリンス王国で生まれた組織であるということで、コリンス王国に責を問う。同盟に連勝していると噂のマナヤを指名し、そのフィルティング男爵領に送り込んだのだ。
マナヤのパトロンとなっているのが、コリンス王国で外交を担当しているヴェルノン侯爵家の者であるというのも好都合だった。王室の権威を見せつけるという意味も込めて、ランシックに特務外交官権限を付けることができた。そうすれば、マナヤらの行動は表面上は『王室の指示によるもの』ということにできる。
召喚師解放同盟を撃退し、フィルティング男爵領の暴走を防ぐ。それだけあればブライアーウッド王国としては充分だったはずだった。
が、マナヤ達は想像以上の成果を上げた。フィルティング男爵領内で、召喚獣を使った流通経路の開拓。国土のほぼ全域を高速で移動することができるというものだ。川を使ったこの移動法は、大国全体を支える広大な事業となる。
そしてこの流通経路を編み出した功績は、表向きにはマナヤらに特務外交官権限を与えた『王室』のものとなったらしい。この流通業を王室主導とすることで、失いかけていた王室の権威が回復に転じたのだ。
テオが発見した流通業が、ブライアーウッド王国の王室を救った。
「……ブライアーウッド王国は俺達を体よく利用するつもりで、逆にコリンス王国に大きな借りを作ってしまったってわけッスか」
「その通りだ。実質的に交渉を担当した、我がヴェルノン家も大いに功績を挙げることができた。……君達『神託の救世主』のおかげでな」
マナヤの確認に頷いて応じたヴェルノン侯爵は、最後の一文だけ声をひそめた。『神託の救世主』、というより『神託』のことは、一応一般人には秘匿されているからだろう。
「おかげで今後、ブライアーウッド王国との国家間交渉で大いに有利に立てる。なので君達には感謝したかった」
そう告げると、ヴェルノン侯爵は威厳を感じる笑みを浮かべた。頼もしげな、しかし決して人を見下していない魅力的な笑みだ。
マナヤは、アシュリーやシャラと共に恐縮してしまう。
「今後も、君達とは良い関係を続けたい。よろしく頼む」
「は、はい。こちらこそ」
「それからもう一つ……いや、二つか。まず、ブライアーウッド王国からきみ宛に手紙を預かっている」
と、ヴェルノン侯爵はランシックの後方へと視線を向ける。
その中から騎士が一人進み出て、マナヤに一通の封筒を手渡してきた。
「ええと、これは?」
「かの王国に移り住んだ、パトリシアという者からだ。領主を通してこちらに送達された」
ヴェルノン侯爵の返答に、三人は一斉にその手紙へ視線を移す。
パトリシアは、殺人鬼集団である『ブライトン一味』に捕らえられていた召喚師だ。その一味をマナヤが壊滅させた後、パトリシアは救出された。その背景があって、彼女はマナヤに心を寄せていた。
その関係でしばらくマナヤと同行していたのだが、ブライアーウッド王国で色々あってそちらに移住することとなったのだ。
「パトリシア……さんは、元気でやってるんで?」
「そう聞いている。手紙を読んで確認してみるといい」
ヴェルノン侯爵に訊ねると、彼はまた小さく笑みを浮かべた。
マナヤも封筒に視線を落とし、それを開けて手紙を広げる。シャラとアシュリーも、肩越しに手紙を覗き込んできた。
手紙を読んだ限りでは、元気にやっているようだ。召喚獣を使った運搬に最も長けていた彼女は、流通業の中心人物となったと。領主にも重用されているようだ。
「……そうか。跳躍爆風の運搬で、大活躍してんだな」
感慨深くなったマナヤは、そっと晴やかな青空を見上げた。




