191話 テオの悩み
カルとティナに最上級モンスターを渡した、その帰り道。
「――あの、アシュリーさん」
「ん、あれ? どしたのテオ」
一人で鍛錬中のアシュリーと鉢合わせたテオは、思わず彼女に声をかけていた。
「あの、ご相談したいことがあるんです」
「あたしに? 珍しいわね。シャラにはしたの?」
「いえ……その、シャラにはできない相談なんです」
少し後ろめたく思いながら言った言葉に、アシュリーは眉をひそめていた。
「ふーん。いいわ、込み入った内容になりそうだし、ちょっと場所変えましょうか」
「え? あ、いえ、鍛錬が終わった後でいいですよ」
「別に大丈夫だって。ちょうどそろそろ休憩にしようかなって思ってたとこだし」
と、アシュリーはニッと魅力的な笑顔でそう言い放ち、木剣を岩に立てかけた。
人気の少ない木陰に移動した二人。
さっそくこちらへ振り向いたアシュリーが、軽い感じで訊ねてくる。ふわりと、赤いサイドテールがその動きに釣られて美しく揺れた。
「それで、相談って?」
「その……『共鳴』のことで、ご相談したいんです。なにか、覚醒のコツとか無いかなって」
アシュリーは意外そうに首を傾げる。
「マナヤに相談した方がいいんじゃない? シャラに相談できないのは、まあわかるけど」
どう答えていいかわからず、テオは言葉に詰まる。
なんとなく、マナヤには相談しづらかった。同じ男として意地のようなものがあるのかもしれない。マナヤは誰に相談するでもなく、自力で覚醒することができたのだから。
「その……女性の視点で、僕に何が足りないのか知りたいんです」
だから、そう言い訳する。
「あー、あんた達が最近なんかぎこちなかったの、そういうことだったんだ。まあいいけどさ」
ぽりぽりと頭を掻いたアシュリーは、小さくため息を吐いた。
「最初に、二つだけ言っておくわね」
「二つ?」
「まず一つめ。あたしはシャラと違って、あんたを気遣える言い方はできないわよ」
「はい。むしろ、その方がいいです」
アシュリーは自分の思ったことをはっきりと言うタイプだ。そういう面が、今のテオにはありがたかった。
「そう。じゃあ二つめ。……別にあんた達はそのままでもいいんじゃないかなって、あたしは思うわよ」
「え?」
「ごめん、嫌味っぽく聞こえちゃったなら謝るけど。あんた達は今までのままで十分幸せそうだったからさ。無理に『共鳴』に覚醒する必要も無いんじゃないかなって」
と、少し申し訳なさそうに眉を下げながら微笑むアシュリー。本心で言っている、とテオは感じた。
「だからあんたは、あたしの言う通りにする必要なんて無いと思うわよ。それでも、聞きたい? あたしの意見」
「……それでも、聞きたいです」
「ん、わかった。じゃあ早速だけど、あんたシャラを甘やかしすぎなのよ」
本当に何の遠慮もなしにピシャリと言われ、一瞬テオは思考が停止してしまう。
「あ、甘やかしすぎ?」
「そうよ。シャラってさ、結構思いつめちゃうタイプじゃない? で、テオもあんまりそれを問い詰めない方だし」
アシュリーが何を言いたいのか、すぐに察する。
シャラは周りの皆を気遣ってか、悩みがあっても黙っていることが多い。彼女が両親を失った時もそうであったし、それ以降も悩みをテオに打ち明けてくれないことが多かった。
「あんたはさ、他人の感情が読めちゃうでしょ? だから、相手が嫌がってるって思ったらすぐに身を引くじゃない」
「それは……そう、ですね」
「でしょ? だからさ、シャラもそれに甘えて自分の悩みを隠し通しちゃうわけね」
と、腰に片手を当てながらアシュリーは肩をすくめた。
「多分あんたとしては、『あまり言いたくない』って雰囲気出してるシャラを気遣っているつもりなんでしょうけど」
「そう、です」
「それってさ。結局あんた達は、お互いのことを本当の意味で〝信じて〟はいないのよ」
テオの背筋が、寒気で凍り付いた。
「信じて、ない……僕も、シャラも?」
「ええ。正確に言うと、自分を曝け出したら〝嫌われる〟と思ってるんじゃない?」
図星を突かれ、体が震えてしまう。
テオは、シャラに嫌われたくない。だからシャラが嫌がりそうなことは、極力避けるように行動しているつもりだった。
それに、母からも言われたことだ。『女には、男に相談できないこともある』『シャラの判断を信じよう』と。
「あたしは、言いたいことは割とすぐ言っちゃうタイプなのよね」
「そう、ですね」
「でまあ、マナヤもその辺は似たようなものだからさ。自然と裏も無く言い合える関係になってるの」
テオは、コリィに訓練を付けていた時の様子を思い出す。
マナヤとアシュリーが口論のようなものを起こしかけていたが、すぐに笑いあっていた。なぜ深刻な喧嘩にならないのだろう、とテオはずっと気になっていたのだ。
「あたし達は、自分をそのまま曝け出しても別にいいって思ってる。今さらその程度じゃマナヤはあたしのことを嫌わない、そう信じてるから。……まああたしは、ブライトンの件でマナヤを一時嫌っちゃったことがあるからちょっと心が痛いんだけど」
「あ……」
「わかった? あんたがシャラに気遣ってるのって、〝シャラに嫌われる〟って疑っちゃってるからなのよ」
「……」
「マナヤがブライトンを殺したってことを黙ってた時も、そうよ。あたしやマナヤどころか、シャラにさえ言ってなかったみたいじゃない?」
「そ、それはあまり人に言うことじゃないと思って……」
「まあ、それがあんたの考え方よね。だから自分の中だけで抱え込んじゃう」
思わず、視線が下がっていってしまう。
けれどもアシュリーは、あくまで淡々と言葉を続けた。
「結局あんたの相手って、シャラである必要がないのよ」
「え……!?」
「だってあんた、誰にだってそういう感じで気を遣えるし、結局シャラ相手でも塞ぎこんじゃうんだもの」
「そ、れは……」
「あんたのことだから、シャラの想いに先に気づいちゃったんじゃない? だから、シャラがあんたのことを好きになったから、それに引きずられた。そういう可能性は?」
無意識に、両の拳を強く握りしめていた。心の中が、暗く冷えていくのがわかる。
(……僕は)
気づいては、いた。
いつしかシャラが、自分のことを異性と見ていることに。
シャラが愛しそうな目で自分を見つめてくるようになったから。
(僕は、それに引きずられたの……?)
それに応えようとして、そういう気持ちになったのだろうか。
シャラの気持ちに応えてあげないといけない、と思って。自分もシャラのことが好きなんだ、と思い込んで。
……この気持ちは、偽物だったのだろうか。
が、そこでアシュリーが急に明るめに声のトーンを変えた。
「まあでも、最初にも言ったけどさ。別にあんた達は、それでもいいんじゃない?」
「え?」
「あんた達の関係は、一般的には間違っちゃいないのよ。普通の夫婦として暮らす分には、それでも十分家庭円満になれるでしょうし」
我を出しすぎて喧嘩ばっかりしてる夫婦より健全だしね、と続けてニカッと歯を見せて笑うアシュリー。
「『共鳴』に覚醒したいんなら、さっきのがあたしのアドバイスよ。ある意味、あたしの経験則も入ってるからね」
「……」
「でも。あたしが言うのもなんだけどさ、そこに拘らなくてもいいんじゃない?」
「アシュリー、さん……」
「あんたの目的は、なに? 『共鳴』に覚醒すること?」
ハッとテオは顔を上げた。
「いいえ、違います」
はっきりと答える。
自分の目的、それは……
「召喚師の印象を、変えること。そして……」
「そして?」
「……シャラを。この村のみんなを、守ることです」
マナヤに頼るばかりではない。テオ自身の力で、大切なものを守れるようになる。それが自分の目的だったはずだ。
「だったら、そっちに集中してればいいのよ。自分達の目的をはき違えないコト」
人差し指を上に立てて、アシュリーがウインクした。
「今までの関係で巧くいってるなら、そのままで仲を深めなさい。そうすれば『共鳴』なんて後からついてくるわ。きっとね」
「……はい!」
「うん、よろしい」
と、柔らかい笑みに変わったアシュリーは、パンッと強く背を叩いてくる。思わず前にもんどりうってしまうテオ。
「じゃ、早くシャラのとこに帰ってあげなさい。あたしはまたちょっと師匠と話してくるわ」
「はい。ありがとうございました、アシュリーさん」
「いいのよ。しっかりやんなさい」
と言って、ヒラヒラと手を振りながらアシュリーは背を向ける。
「あんた達は、正式に夫婦になれてるんだから。あたし達の手に届かないものを、持ててるんだからね」
――!!!
思わず、彼女の背に手を伸ばす。
が、その前にアシュリーはさっさと駆け出し、テオの視界から消えてしまった。
……彼女の最後の言葉に、寂しさが。
そして、かすかな羨望が混じっていた。
***
「ただいま、シャラ」
「っ、お、おかえりテオ」
一人で帰宅したテオを、少し緊張した面持ちのシャラが出迎えてきた。
やはりどことなくギクシャクしている。そんなシャラの様子を、少し心配そうに見つめた。
「テ、テオ。その、今日の夕食、新年祭の時に作った新作料理なの」
「ああうん、ありがとうシャラ。あの料理、僕も好きだよ」
と、なるべくいつも通りに振舞えるように笑って見せるテオ。
しかしシャラは、さらに表情が陰ってしまう。
「……あの、テオ」
「なに?」
「本当に、あの料理、好きなの?」
「? うん、もちろんだよ。どうして?」
「本当に、本心で?」
じっと、まるでテオの本心を疑うかのような目でシャラが覗き込んでくる。
(……シャラ、もしかして)
その表情を見て、テオはすぐに気が付いた。
シャラはただ心配しているだけなのだろう。自分が、シャラに気遣って嫌いな食べ物まで『好き』と言っているのではないかと。
『それってさ。結局あんた達は、お互いのことを本当の意味で〝信じて〟はいないのよ』
先ほどのアシュリーの言葉が思い浮かんだ。
改めて思い返せば、自分はいつもシャラの言うことに同調することばかり考えていた。シャラにも、それを悟られてしまったのかもしれない。彼女もアシュリーかマナヤかに指摘されたのだろうか。
「シャラ、本心だよ。あの料理、ホントに美味しかったんだ」
「……ほ、ほんと?」
「そんなことで、嘘をつかないよ」
安心させるように、正面からそっと優しく彼女を抱き締めた。
「あ……」
「ごめんね。僕がシャラに気遣って、嘘を言ってるって思った?」
「そ、そんなことは……」
頭だけを少し離し、至近距離からお互いの顔を見つめ合う二人。
「シャラ。僕ね、焦ってたかもしれない」
「テオ?」
「早く『共鳴』に覚醒しなきゃって。マナヤとアシュリーさんみたいに、もっと以心伝心にならないとって。シャラもそうじゃない?」
びっくりしたように、目を見開くシャラ。やっぱり、と内心で苦笑したテオは、そっと指でシャラの頬を撫ぜる。
「シャラ。僕はシャラが何を言っても、何を主張しても、シャラのことを嫌ったりしないよ」
「……テオ」
「だから、さ。いつも通りでいよう?」
自分はまた、シャラを甘やかしているのかもしれない。
けれども、これが自分達だ。幼い頃からずっとやってきた、テオとシャラの関係なのだ。
シャラはまだ戸惑いがちに目を揺らしている。そんな彼女を安心させるように、こつんと額をぶつけ合った。
「ずっとギクシャクしてるの、イヤだよ。そんなんじゃ『共鳴』どころか、逆にシャラと離れていっちゃいそう」
「……うん。私も、イヤ、だった……」
「いつも通りにしてよ、シャラ。僕達は僕達のやり方で仲良くなっていけばいい。でしょ?」
ようやくシャラが安心した様子で、両目に涙を浮かべ始めた。
それをテオが、そっと指で拭う。
「さ、アシュリーさんが戻ってくる前に、夕飯の準備しよう? 僕も手伝うよ」
「うん。ありがとう、テオ」
お互いの笑顔を見て安心できる。そんな、いつもの関係が戻ってきた。
クスッと二人して噴き出してしまいながら、手を繋いで台所へと向かう。
「シャラ。僕、強くなるよ」
強くなれば、自分に自信を持てれば、きっと怖がらずに済む。シャラが離れていってしまう可能性を、考えずに済む。
「……うん。私も、強くなる」
そう返してきたシャラの目も、力強い光を宿していた。
その日の夕食。
関係が戻った二人は、アシュリーに散々からかわれることになった。さらに……
「マナヤのやつ、またシャラに自分の意見だけ押し付けたのね。あとで問い詰めてやんないと」
などと、冗談交じりにアシュリーが言っていたのを聞いて、シャラが困ったように眉を下げて微笑んでいた。
アシュリーの笑顔の、かすかな陰り。
それに気づいていたのは、やはりテオだけだった。




