186話 セメイト村の新年祭
その日のセメイト村は、賑わっていた。
周囲を畑や牧場に囲まれた、中央広場。以前よりも一回り大きくなったその広場の中央には、大きなかがり火が焚かれている。
そのかがり火を取り囲むようにして、何組もの男女が歌を口ずさみながら華やかに踊っていた。中には男女ではなく、女性同士で踊っている姿も何組か見られる。
(俺がこの世界に来てから、もう一年以上経ったのか)
ややウェーブがかった金髪が、かがり火の明かりを受けて煌めいている。
その金髪の持ち主である少年……二重人格の片割れであるマナヤは、感慨にふけりながらベンチに腰かけている。手にした陶器のような杯をあおり、爽やかな果実水を嚥下した。
――そうだね。僕達も、もう十七歳になったんだなぁ。
(テオ)
マナヤの頭の中に、自分の声が響く。マナヤ自身のものより、少し柔らかみがあって落ち着きのある声だ。
(やっぱりお前も出てきたらどうだ? せっかく年に一度の新年祭じゃねーか)
――それ、さっきも聞いたよマナヤ。何度目?
くすくすと、自分の声が笑う雰囲気が伝わってくる。
マナヤのもう一つの人格……というより、元々の人格。テオだ。
今日は新年祭。
この世界の人間達は、この日を境に一つ歳を取るという数え方をしているようだ。春が一年の初めになる、というのはこの世界でも同じであるらしい。
そしてこの日は、新成人が村に戻ってくる日でもある。成人の儀で『クラス』を収得し、一年に渡る王都の学園での授業を終えた者たちが帰ってくるのだ。そのためセメイト村では、この日は村人全員が集まり宴を開く習わしになっている。帰ってきた家族達を歓迎し、家族が揃った喜びを分かち合う日でもあるわけだ。
「マナヤさん、まだこんなところにいたんですね」
と、そこへ優しげな女性の声が響いてくる。
テオやマナヤと同じような色をした、セミロングの髪を揺らしながら可愛らしい女性が歩み寄ってきている。その顔には困ったような微笑が浮かんでいた。
「せっかくのお祭りなんですから、マナヤさんも一緒に踊ってきてください。待ってる人、いるじゃないですか」
「……シャラ」
と、マナヤを立たせようとその女性が、少し屈んでこちらへ手を差し伸べてくる。テオの伴侶であるシャラだ。
――うわあ、やっぱりシャラ、その服装がすっごく似合ってるなあ。
マナヤがシャラを見上げたところで、頭の中でテオが見惚れるような声で呟いてきていた。テオがそういった感想を漏らすのは、今日何度目だろうか。
シャラは、いつもの赤茶色ブレザーに白のハーフパンツという服装ではなく、もっと華やかな衣装を纏っていた。
やや薄めの青い光沢のある生地に、タンポポのような花柄の金刺繍パターンが鮮やかに縫い込まれている布。ゆったりとしたそんな布を体に巻き付けたような、インド衣装を思わせる服。金髪のシャラと金刺繍が合い、さらにそれらが赤いかがり火に照らされてより一層キラキラと瞬いているように見える。
押し黙っているマナヤに、シャラが少し屈んだまま表情を曇らせる。
「あの、マナヤさん」
「ん? あぁ悪ぃ。どうした?」
「その……テオはちゃんと、いますよね」
「ああ居るぞ。替わるか?」
「い、いえ。マナヤさんのままでいてください。そういう約束ですし」
少し慌てたように手をふるシャラ。
妙に安堵したように見えるのは、気のせいだろうか。
「そうか? ああそうだ、テオが『その服似合ってる』ってよ。また」
「あ……ふふっ。ありがとうって伝えてください」
テオの呟きをそのまま伝えると、シャラは照れるでもなく、けれども満面の笑みでそう返してきた。このやり取りも、既に今日何度も繰り返されている。
飽きるでもなく、伝える度に笑うシャラは本当にうれしそうだ。自信作だから、というのもあるのだろうが。
「スレシス村の衣装、だったっけか。すげえ再現度だな」
と、体を起こして直立したシャラを見上げたマナヤが、呟くように確認する。
スレシス村とは、マナヤがここセメイト村以外で初めて訪れた村だ。その村ではこういう服が広まっていた。ダチョウに似た、色鮮やかな鳥の羽根を使って作られているらしい。
それを、錬金術師であるシャラが自作したのだ。布を織ったり衣類を作ったりするのも錬金術師の仕事である。
こくりとシャラが頷いた。
「はい。私達が留守中に、ケイティが手紙を残してくれてたみたいで。約束してたこの服の作り方が書かれてたんです」
「ケイティ?」
「マナヤさんは憶えていませんか? あっ、そういえばあの村にいた間って、ほとんどテオだったんでしたね」
どこかで聞いたような名にマナヤが首を傾げると、シャラが少し困ったような表情をする。
(確か、えっと……悪ぃテオ、ちょっと記憶を覗かせてもらっていいか?)
――あ、うん。どうぞ。
喉元まで出かかっているのだが思い出せず、マナヤは頭の中でテオに記憶を覗く許可を貰った。
自分のものではない記憶を、探ろうとして……
(……あ?)
――どうしたの、マナヤ?
(いや、お前の記憶が全然見れないんだけどよ。拒絶してねーよな、テオ?)
――え? いや、してないよ。別に隠したいことでもないし……
なぜか、テオの記憶を探ることができない。今までは、意識的に頭の中を探ればテオの記憶を見ることができていたのだが。
(そういや、いつからだ? ここしばらくテオの記憶を全然探ってなかったが)
マナヤはテオの記憶を探るのは、なるべく控えるようにしていた。ふとした拍子に、テオとシャラの思い出まで覗き見てしまいそうになるのが後ろめたかったからだ。
思えば、前にテオの記憶を覗こうとしたのはいつだっただろう。
「――ケイティは私と同い年の子で、私と同じ錬金術師です。学園で一緒に勉強してて、当時は私と同じように戦闘用の錬金装飾が作れなかったから、その繋がりで仲良くなったんですよ」
訝しむマナヤに気づかず、シャラが隣に座って説明してきた。
「ああ、思い出した。そういや、スレシス村についた直後に挨拶に来た子がそうだったよな?」
マナヤは一旦記憶の問題を横に置いて、ようやく思い出した茶色い短髪の少女のことをシャラに確認する。
彼女は手を合わせるように叩き、顔を輝かせた。
「思い出したんですね! そうです、ケイティの妹のティナちゃんも、召喚師としての戦い方を教わったんですよ。テオから」
「あー……その子の妹が召喚師、だったのか? 悪ぃ、そこは全然覚えてねえ」
「無理もないと思いますよ。たぶんスレシス村の召喚師を集めた時くらいしか、マナヤさんが顔を合わせる機会は無かったでしょうし」
スレシス村の召喚師の事を思うと少し心が痛い。あの時、スレシス村の召喚師に対してやたら上から目線で指導を押し付けようとしていたのを思い出すからだ。
今思えば、あの時の自分は身勝手極まる。
「その服、なかなか好評みてーだな」
だからマナヤは、少しごまかすようにそう切り出した。視線をかがり火の先へと移すと、シャラと同じような衣装を纏った踊り手が数組見られる。
彼女もそちらへと視線を移し、ほおっとため息を吐く。
「はい。私も最初見た時は、この衣装に見惚れちゃいましたから。素材もいっぱいあったので、たくさん作っちゃいました」
スレシス村の衣装を纏った者達以外も、踊り手はみな華やかな色の服を纏っている。
昨年よりもずっと華やかになった衣装が多いからか、はたまたモンスターの襲撃に怯えずに済むようになったからか。今年の新年祭は皆、本当に楽しそうだ。
つい最近この村に、美しく手入れも簡単な布が大量に差し入れされた。送り主はランシック・ヴェルノンという、この国に所属している貴族家の長男だ。
それらの布は、村の錬金術師らの手で煌びやかな衣装へと形を変えた。
(召喚師のやつらも、一緒に楽しんでる)
踊り手の中には、マナヤが指導したこの村所属の召喚師達も見られる。
もはや偏見を受けることなく、こういう祭も何の気兼ねも無く楽しめる。自分が伝えた知識とテオの優しさ、そしてここの村人の大らかさの賜物だ。胸に熱いものがこみ上げてきたマナヤは、少しだけ鼻をすする。
「――ああ! やっぱりこんなところに居た! もー、探したのよ」
そこへ、快活な女性の声が響いてくる。
聞き慣れたその声に、少し安堵のため息を吐きながら振り返ったマナヤは――
「ちょっ、ア、アシュリー!? おまっ……!」
想像通りの、サイドテールを垂らした赤毛の少女。そのアシュリーの服装を見て、思わずマナヤは慌ててしまう。
当のアシュリーは、いたずらっ子のような笑顔を浮かべながらこちらへと駆け寄ってきた。
「ふふーん、どう? こういう時にはすごく楽よね、この服」
と、両手を頭の後ろに当て、しなを作るように上体を反らしている。
アシュリーは青を基調とした、ぴっちりとした薄手の服を着ていた。
かがり火の紅い光にも負けない、深い海のような美しい青の半袖。その中央に太く白いラインが縦に一本入っている。肩口が露出し、胸元も結構大きく開いていて豊かな谷間を惜しげも無く見せつけていた。下にはいている水色のボトムスも、アシュリーのすらりとした脚のラインを強調している。
かつてマナヤ達が、王都の学園に通う召喚師候補生達と共に実習訓練へと向かった先。その海辺の開拓村で着られていた服だ。漁のため村人が水に潜ることも少なくなかったからか、水の抵抗をあまり受けない形に作られているらしい。
「い、いやだからってなんでその服なんだよ! つーか、持って帰ってきたのか!?」
「えーだって、マナヤあたしがこの服着てるの気に入ってたでしょ? それにほら、すごく踊りやすいのよ?」
笑いながらアシュリーは、片脚立ちになってそのままくるりと回ってみせた。彼女の胸が揺れると共に半袖の裾もふわりと舞い、ちらりとお腹あたりの白い肌が見えてしまう。
思わずマナヤは彼女から目を逸らした。が、すぐにその視界にアシュリーの顔がぴょこんと飛び込んでくる。
「ほらほらマナヤ、そんなところで枯れてないで、一緒に踊ろ? 去年の新年祭の時はテオが表に出てたから、今年はアンタの番なんでしょ?」
「ってアシュリー!? ちょっ、引っ張んな!」
「シャラ、マナヤを借りてくけどいいわよね?」
なかば無理やりマナヤの手を取って引っ張りながら、アシュリーはシャラの方を向いて確認を取る。
「はい。むしろ、マナヤさんのことをお願いします。このままだとずっと遠慮してそうですし」
「任せといて。じゃあマナヤ、行くわよ!」
シャラが楽しそうな笑顔で返したのを確認すると、アシュリーはさらに強引にマナヤをかがり火の近くまで引っ張っていく。
――ふふっ。じゃあマナヤ、僕も引っ込んでおくね。二人っきりで楽しんで。
(お、おいテオ!?)
と、頭の中からテオの意識が閉じるのがわかった。
そうこうするうちに、どんどんかがり火に引っ張られてしまうマナヤ。周囲の者達も、微笑ましげにそれを見守っている。
「い、いやだから待てって! 俺は踊り方なんて知らねーぞ!?」
「別に形式なんてないんだから自由でいいのよ。雰囲気を楽しみなさい!」
抵抗虚しく、マナヤはニッと歯を見せて笑うアシュリーに引っ張られていく。踊り手たちの中へと。
「だから! お前なんでそこまで強引に――」
「いいじゃない。むしろどうしてそこまで嫌がるのよ」
踊り手たちの中で、アシュリーはくるりとこちらへ振り向く。
してやったり、という彼女の笑顔があると思っていたのだが……
「……あたし達、結婚はできないんだから。このくらいしてくれたって、いいじゃない」
……眉は下がり、瞳が潤んでかがり火の明かりを映し出していた。
パチパチという薪が燃える音、若干の焦げ臭さが混じった炎の匂い、そして赤い炎の熱。それらを背に、さらに鮮やかな赤い髪の少女が、儚げに微笑んでいる。
「……アシュリー」
心臓が跳ね、胸が締め付けられた。
周囲の夫婦が楽しげに舞う中、マナヤとアシュリーだけが浮いている。周りの動きが朧げにしか感じなくなる中、目の前の少女だけ、輪郭がくっきりと浮かび上がる。
自分達だけ、世界から切り離されているような……
そんな、不思議な孤独感を味わった。
――ガラッ
薪が崩れかける音で我に返る。
「……踊るか、アシュリー」
「ええ、ちゃんとついてきてよ」
笑顔が、ぎこちなくなってしまったかもしれない。
けれどもアシュリーは満面の笑顔になって、元気よくマナヤの両手を取ってくれた。




