182話 戻る者と残る者
ダグロンを仕留めた戦いの後。
ランシックが連れてきた騎士隊の者達が後始末をして、マナヤ、アシュリー、ディロン、テナイアの四人は集落で泥のように眠った。
シャラとパトリシア、そしてレヴィラがその四人を看護。
召喚師解放同盟の遺体が確認されたが、ヴァスケスのものは存在しなかった。
ヴァスケスの仲間と思われる『シェラド』という男に関しては、人相を知っている者がいなかったため確認がとれていない。
二日ほど集落で養生したマナヤ達は、その後領都へと降りていった。集落の召喚師達も全員引き連れて。
領都に到着した時、領主が門前で自ら出迎えにきていてド肝を抜かれたのだが。
「我が領を危機から救い……また、私に代わって召喚師達に手を差し伸べてくれたこと、感謝する」
そう言って、領主が堂々とマナヤ達に頭を下げてきた。その様子に領民たちが目を丸くしていたことも、強く印象に残っている。
領民たちは召喚師達のことを歓迎してくれた。対応が変わったことで召喚師達も戸惑い気味ではあったが、全員嬉しそうにはにかんでいたので問題ないだろう。
召喚師を排斥する領法は、近日中にでも改定されるらしい。本当ならば即座にでも変えたいそうだが、一朝一夕で改訂できるものでもないそうだ。
「お疲れさまでした、マナヤ君、皆さん。無事に解決したようですね」
領主邸に通されたマナヤ達をランシックが労ってくる。少し複雑な気持ちになって、マナヤは頭を掻いた。
「はい。領都の人達、随分俺達への対応が良くなっているように見えましたが……」
「ええ。皆さんもやはり召喚師の大事さをよくわかって頂けたようです。アシュリーさんが領都を守ったのがあったことと、その場に召喚師が居なくて苦労したことが良い薬になったのだろうと思われます」
そう言って、ニコニコとアシュリーにも目を向ける。
「あた――わたしは、そこまで大したことしてないです。召喚師の印象だって、勝手に変わってたじゃないですか」
アシュリーも照れ臭そうに少し頬を染めながら、目を逸らす。
くすりと、珍しくレヴィラが笑いを漏らしていた。
そんな中、ランシックの表情がふいに曇る。
「領都まで帰ってきてくださったところ、申し訳ありませんが……ディロン殿にテナイア殿。やはりヴァスケスは近郊には居ないのですね?」
「はい。我々の『共鳴』でかなり広範囲まで確認しましたが、発見できませんでしたので」
ディロンが代表して答え、テナイアも申し訳なさそうに眉を下げていた。
二人は回復し次第、すぐに『共鳴』を発動してヴァスケスの位置を探ったそうだ。先の戦いでコツを掴んだのか、自在に『共鳴』を発動できるようになったらしい。『発動に必要なのは、考えの方向性を完全に一致させることだ』、と言っていた。
「そのようですね。父上……ヴェルノン侯爵から通達がありまして。ヴァスケスがコリンス王国へ戻ってくる可能性を考慮し、ワタシ達はすぐに帰国せよと」
と、ランシックは自室の机に置いてあった赤い石板をチラリと見やる。
何かと思ったが、どうやら通信用の魔道具のようなものであるらしい。
「ヴァスケスがこの国に潜伏していても、もう構わないと?」
「懸念はお察ししますよ、ディロン殿。ですが、スレシス村で召喚師解放同盟に誘われていた者達の証言から、もうあの組織はほぼほぼ壊滅したと考えていいそうです」
ディロンが眉をひそめながら訊ね、ランシックもやや浮かない顔ながらそう応じる。
海沿いの開拓村での戦いで見つかった遺体、そしてここの集落で確認された遺体……合わせれば、推定された召喚師解放同盟の人数を越える数となったのだという。
また、どうやら別の領地で召喚師達が逃げ延びてきたらしい。
報告によると、彼らは召喚師解放同盟に囚われ無理やり従わされていたそうだ。その者達は召喚師解放同盟の動向などを知っている可能性があるとのことで、ブライアーウッド王国の王都へと護送されると。
「なので、ブライアーウッド王国が提示してきた条件、つまり召喚師解放同盟の事実上の撃退はなされたと判断して良いと。帰国の道すがら、この国の王都へ寄って国王陛下に判断を仰ぎますが、おそらく我々は帰国が認められるでしょうね」
そこまで説明すると、ランシックはマナヤへと視線を移した。
「それにマナヤ君、まだ本年度の新成人の教育期間は終了していません。マナヤ君には、残った時間で召喚師候補生達に最後のスパートをかけていただきたいのです」
「ああ、なるほど。確かに、モール教官にまかせっきりでしたからね」
はたと思い出し、マナヤはポンと手を叩く。
この国に来たのは、召喚師解放同盟の対処のためにブライアーウッド王国に呼び出されたからだ。召喚師候補生達に指導する仕事は、一時的に元々の教官であるモールに任せてきた。
彼女も今では十分教官をこなせるくらい、マナヤの教えに馴染んでいる。なので何とかなるとは思われるが、できれば最後くらいはちゃんとマナヤ自身で最後の面倒をみてやりたい。
ランシックが笑顔を作り、改めて切り出す。
「そんなわけで、明後日にでもこの領を発つことになります。最後までここの召喚師の面倒を見れないのは心苦しいですが……」
「差し当たっては、問題ないでしょう。基本的なことはテオがこっちの召喚師達に教えましたし、教本も写させてあります。召喚獣を使った運搬法も、あいつら自身が結構頑張って工夫してましたし」
マナヤはそれなりに自信をもって答える。
テオと協力し、マナヤに反感を持ってはいたろうがテオをうまく信用させることができた。そのおかげで指導は捗り、戦術討論なども問題なくできるようになっている。召喚獣による運搬法に至っては、もはや自分達より彼らの方が上手いかもしれない。
「……あの、ランシック様」
「うん? どうしました、パトリシアさん」
と、そこでパトリシアが豊かな緑髪を揺らしながら顔を上げる。ランシックが不思議そうに問い返すと、決意を秘めた視線が返ってきた。
「わたしだけ、こちらの国に残ることは許されますか」
「えっ、パトリシアさん?」
彼女の提案にシャラが驚いて振り向いていた。
そんなシャラに向かって、パトリシアは少し寂しそうに微笑む。
「こう見えてもわたし、召喚獣を使った運搬なら巧くなったんです。マナヤさんも認めてくれた、この才能……この国で、活かしたいんです」
「本当によろしいのですかパトリシアさん。貴女は、確か……」
そこへ心配そうなテナイアが口を挟んできた。ちらりとマナヤへ目を向けている。
パトリシアがこの国までついてきたのは、マナヤから離れたくなかったという理由であったはずだ。この国に残るということは、マナヤから離れるということに他ならない。
やや憂いた表情ながらも、パトリシアははっきりとテナイアを見つめ返した。
「はい。わたし、気づいたんです。わたしはマナヤさんに依存してただけなんだって。マナヤさんの邪魔をすることしか……マナヤさんに甘えてばかりで、支えることはできてなかったんだって」
「……」
少し胸が痛みつつも、なんと言って良いかわからず黙りこくるマナヤ。
けれどパトリシアは、マナヤの方は見ずにランシックの方へ向き直った。
「ランシック様。わたしがこの国に移住することは可能ですか」
「ええ。手続きはワタシが済ませておきます。……本当に良いのですか?」
「はい」
ランシックの最後の確認に、パトリシアは迷いなく頷いていた。
じっと彼女の表情を見つめていたランシックだが、しばし後にふっと微笑む。
「決意は固いようですね。わかりました。この国の召喚師達をよろしくお願いします。パトリシアさん」
「はい、頑張ります。……すみません、ちょっと準備してきますね」
そう言ったパトリシアは、慌てたように胸に手を当てて一礼する。
何かを察したか、ランシックはくるりとパトリシアの目の前で手のひらを翻した。『退室して良し』の合図だ。
それを見たパトリシアはそさくさ部屋から出ていく。彼女の目が、少し潤んでいるように見えた。
「……そうそう、アシュリーさん。心の整理はついたようですね?」
「あっ、は、はい。ご迷惑をおかけしました」
と、慌てたようにアシュリーがランシックへと振り返る。
「何のことだ? アシュリー」
「あー……その、ブライトンのことでね」
マナヤが問いかけると、アシュリーが少しバツが悪そうにそう答える。
思わずマナヤも息を呑んだ。
「あー、その、悪ぃ」
「ううん、大丈夫だって」
思わず謝るマナヤに、アシュリーはひらひらと手のひらを振っている。気にするな、ということだろう。
「ただ……ちょっと、ショックだったかな」
「ショック?」
少し表情を曇らせ目を逸らすアシュリーに、マナヤは心配になって問いかける。
すると彼女は、寂しげな表情で思いを馳せるように語り始めた。
「孤児院長さん……アーデライドさんは、あたしに嘘、ついてたんだよね」
「……」
「そりゃ、あたしがちっちゃい頃の間は仕方ないとは思うけど。……もっと早く本当のこと言って欲しかったな。孤児院長さんのこと、信じてたのに」
セメイト村の孤児院長、アーデライド。
子供たちの教師代わりであるということもあり、とても誠実な女性だった。彼女を母親代わりに仰いできたアシュリーには、彼女に嘘をつかれ続けてきていたことがショックだったのかもしれない。
――マナヤ。ちょっとだけ、いいかな?
(テオ?)
と、テオが替わってほしそうな気配を見せる。
何かあるのだろうと察したマナヤは、目を閉じて意識を裏に回した。
「――それは違います、アシュリーさん」
「え……テオ?」
表情と口調が変わったことに気づき、アシュリーがテオの方を見つめてくる。
「アーデライドさんはアシュリーさんのために、本当のことを言えなかったんです。少なくとも、ブライトンが捕縛されるか、討伐されるまでは」
「え……な、なに? どういうこと? だって結局、嘘をついて……」
テオの説明に、アシュリーは混乱したように口ごもる。
「……なるほど、『連座制』か。そうだな、テオ?」
そこへディロンが気づいたように顔を上げた。テオがこくりと頷く。
「え? 連座制……?」
なおも戸惑うアシュリーに、今度はテナイアが口を開いた。
「アシュリーさん。海辺の開拓村の元村長補佐であるカランさんと、彼女の妹レズリーさんのことを覚えていますか」
「え……えっと、はい」
「カランさんがマナヤさんの情報を、召喚師解放同盟の者に漏らした。その罪を、監督責任を負うはずの立場にいるレズリーさんが止めなかったことで、連座される可能性がありましたね」
戸惑いつつ頷くアシュリーに、テナイアが説明を続ける。
テオも思い出していた。初めてランシックに会う時、ディロンとテナイアが少し遅れて現れたのは、その裁判のためだった。
「罪を犯した者の親族は、それを止めようとする努力をせねばならない。それがコリンス王国の国法です」
「え……じゃ、じゃあテナイアさん、もしかしてあたしが……?」
「はい。ブライトンの、その……実の娘であるアシュリーさんは、ブライトンの罪で連座される可能性が、一応はありました。もしアシュリーさんが、自身の親が大罪人であると知っていたとしたらですが」
テナイアが目を伏せながら言った言葉に、アシュリーは顔を青褪めさせる。
つまりアシュリーの本当の父親が何者か、彼女自身が知っていたとしたら。アシュリーも捕まっていた可能性があったということだ。
と、そこで慌てたようにシャラが口を挟んでくる。
「ま、待ってください! アシュリーさんの立場じゃ、ブライトンを止めることなんてできないのでは!?」
「その通りだ。たとえ親族が罪を犯していたことを知っていたとしても、状況を鑑みて当人が『止めることができない』場合は免責される。だが……」
それに対して解説してきたのは、ディロンだ。テナイアと顔を見合わせつつも説明を続ける。
「我がコリンス王国の国法で定められているのだ。それを止めることができる状況に無かった、ということを裁判で証明するための必須事項が」
「必須事項……ですか?」
シャラが茫然としながら問いかける。
アシュリーはほぼずっとセメイト村にいたのだ。ブライトンを止めに行くことができる立場でないのは、明らかではないか。
しかし、そこで再びテナイアが説明を継ぐ。
「はい。止めることができる状況に居なかったということを、『同じ町あるいは村で暮らす者達複数から、証言を取らねばならない』……そう定められています」
同じ村、そして複数という言葉を聞いて、シャラがハッと気づいたように口元に手を当てる。
テナイアが頷き、悲しそうに目を伏せた。
「セメイト村の方々に証言して貰うため、裁判に出廷してもらう必要があります」
「証言させる過程で、セメイト村の村人たち複数名に知られてしまう。アシュリーの本当の父親が一体何者なのかを……な」
そうディロンが説明を替わり、二人の言葉を聞いてアシュリーとシャラは絶句していた。
「……アーデライドさんは、それを知っていたらしいんです。だからブライトンの本当の正体を、アシュリーさんに知られるわけにはいかなかったんだって」
テオは心を痛めつつ、そう告げた。
アーデライドから、テオは直接そう聞いたのだった。だから彼女は仕方なく嘘を吐き続けた。
アシュリーの本当の父親が、殺人鬼だった。それを村人に知られてしまったら、アシュリーが村人からどのような扱いを受けるかわかったものではない。現にアシュリーの母親は、ブライトンの子を身籠っていると知られ、村を追われたのだと聞く。
そのような扱いをされることを恐れ、アーデライドは彼女に真相をあえて伝えなかったのだ。アシュリーを悪意から守り続けるために。
「アーデライド、さん……」
アシュリーが湿った声でつぶやく。
俯いた彼女の肩が、震えていた。
***
二日後の早朝。
準備が整い、この領都を離れる時が来た。
「シャラ、忘れ物はない?」
「うん、大丈夫だよテオ。そもそも私達、こっちの領都にはあんまり滞在してなかったもんね」
テオが、荷物を馬車に乗せながらシャラに訊ねる。少し寂しそうに微笑みながら、シャラはテオに自分の荷物も預けた。
「いやはや、心残りが無いとは言えませんが、かなりの収獲を得て帰れますね!」
と、旅支度を終えたランシックが、領都の門前広場で馬車の傍らに立っている。
この国、この領地を訪れた時の馬車で帰国するのだ。
「ず、随分とご機嫌ですね。ランシック様」
テオは、思いのほかテンションの高いランシックに戸惑いつつ問いかける。
すると待ってましたと言わんばかりにランシックの目が光った。
「それはもちろん! 何しろこの領地の方々に、セメイト村が開発した例の防衛機構の試験運用を頼むことができましたからね!」
「え? あの、それってこの国に漏らしちゃっていいことなんですか?」
びっくりしながら再度問いかけるテオ。
この国に、コリンス王国の強みとなる情報を渡してしまったことになる。それなのにランシックはなぜこうも嬉しそうなのか。
「もちろんですとも! 例の防衛機構を使って、どの程度モンスターの襲撃をコントロールできるか。どの程度、街道の安全を確保できるか。そういった実験をこの国に押し付けられるのですからね!」
「お、押し付ける?」
「ええ。いきなり我が国に導入するには、あの防衛機構はまだ実証実験不足なのです。本来ならば少しずつ実験を繰り返し、安全が確保できるか仔細に確認せねばなりません」
そこまで言ったところで、テオもランシックの言わんとしていることがわかった。
「えっと……つまり、その実験をこちらの国に丸投げする、ということですか?」
「ふっふっふ。この領地での問題を解決した見返りとして、防衛機構の実験結果の報告、ならびに応用・改善点などのデータも詳細を逐一報告してもらう、という契約が結べたのです」
ランシックが黒い笑みを浮かべ、くつくつと喉を鳴らす。
「頑固な我が国の上層貴族達をどう説得するか悩んでいましたが。馬車による流通が盛んなこの国で実証データが取れれば、素晴らしい説得材料になります。一気に手間が省けますよ」
「あ、あははは……」
どうやらランシックも、中々苦労人であったようだ。
と、乾いた笑いを浮かべるテオとシャラの前に、ぞろぞろと人の列が近づいてくる。
「あ、あなたがたは……」
「お久しぶりです、テオさん」
そこに現れたのは、件の集落にいた召喚師達だ。
指導者であったナキアのみ見当たらないが、それ以外の全員がこの場に揃っている。ナキアは召喚師解放同盟に手を貸した疑いで、領主邸に拘束されてしまっているらしい。
「改めて感謝します、テオさん。あなたがたのおかげで、自分達はこの国で暮らしていける自信がつきました」
「召喚獣を使った、わたしたちだけの仕事よ! これで、もう肩身の狭い思いをしなくてすみます!」
「商人の方々が、思ったより私達に友好的でした。これなら今後、誇りをもって生きて行けます」
口々に、明るい顔になって感謝の言葉を述べてくる。
「いえ、皆さんの頑張りのたまものですよ。お役に立てて光栄です」
「とんでもありませんよ、テオさん。ありがとうございます。……そして、シャラさん。我々のために色々手を尽くしてくれて、ありがとうございました」
「あ、いえ。お役に立てて良かったです」
テオに続いて、シャラにも頭を下げてくる。
恥ずかしそうにはにかみながらも、シャラも彼らに応じていた。
「テオ、シャラ、準備は? ……あ、あなた達」
「あっ、アシュリーさん! アシュリーさんにも、お世話になりました!」
と、そこへ赤いサイドテールを揺らしながらアシュリーも歩み寄ってくる。
彼女の姿を見つけた召喚師達が、アシュリーにもわらわらと群がっていった。
「……良かったね、テオ」
「うん」
元気よく、アシュリーにも笑顔で感謝を告げてくる召喚師達。
血色の良い晴やかな顔になっている彼らの姿に、テオとシャラは感慨にふけりながら寄り添い合った。
「あの、アシュリーさん」
「あ、うん……あ」
と、押し寄せてくる召喚師達の中から、アシュリーの前に進み出てきた者がいる。
「お世話になりました、アシュリーさん」
「……パトリシアさん」
パトリシアが彼女と向き合う。その様子をテオも見つめた。
「今まで、ごめんなさい」
「な、何も謝らなくても」
突然謝ってきたパトリシアに、アシュリーが慌てる。けれどもパトリシアは首を横に振った。
「いいえ、わたしが自分のことしか考えていない我侭のせいで、アシュリーさんを傷つけちゃいました」
「……そんな」
「わたしは、相応しくなかった。それが、わかりましたから」
そう言ってパトリシアは、アシュリーをまっすぐ見つめながら、こう続けた。
「マナヤさんのこと、お願いします」
「……うん。ごめんね、パトリシアさん」
少し目を伏せながら頷くアシュリー。
ふわりと儚く微笑んだパトリシアは、踵を返し……
「……テオさん、シャラさん」
テオ達の前に、歩み寄ってきた。
「……パトリシアさん。本当に、この国に残るんですね」
様々な色が縫い込まれた華やかな服。この領地の者達が着ているものと同じ様式のそれを着こなしているパトリシアの姿を見て、本当にこの国の一員になるのだと実感。テオは少し表情を曇らせる。
「はい。マナヤさんに迷惑はかけられませんし……それに」
「それに……?」
「元々わたし、コリンス王国にはあんまり良い思い出、ありませんでしたから。……ブライトンに囚われの身になって、あちこち連れまわされた記憶しか」
ずきりとテオの心が痛む。
(そっか……こっちの国に来てからの方が、明るくなったもんね。パトリシアさん)
この国に来て、苦しい思い出を思い出さずに済むようになって。
その上自分自身の才能まで見つけて、彼女は本当の生き甲斐を知ったのだろう。
「ですから、わたしはもう大丈夫です。この国なら……わたしらしく生きていけると思いますから」
「パトリシアさん……」
シャラも、少し哀しそうな目で彼女を見つめる。なんだかんだ、長い事同じ時を過ごしたのだ。
そんなシャラを憂う目で少しの間見つめたパトリシアは、再びテオに向き直る。
「……テオさん、最後にお願いがあるんです」
「マナヤに替わればいいんですね?」
テオが言い当てると、パトリシアが驚いたように目を見開いて見つめ返してきた。
彼女の表情から、テオもなんとなく察したのだ。今日からテオが主に表に出てくる日番になっていたのだが、こういう時には構わないだろう。
「……はい、お願いします」
そう、こくりと頷いてくる。
今の彼女ならば、もう問題は起こらないだろう。そう判断したテオは小さく微笑み、そして目を閉じた。
――
「……パトリシア、さん」
「マナヤさん」
表に出てきたマナヤが、パトリシアを戸惑いがちに見つめる。
目を細めた彼女は意を決したように口を開いた。
「最後に、思い出を作らせてください」
そう言って、そっとマナヤの手を取る。
抵抗もせずに自分の手を差し出すと、パトリシアは……両手でマナヤの右手を包み込んだ。
(……求婚)
彼女と初めて顔を合わせた時は、厄介ごととしか思っていなかった。
このようなことをされたら、振り払ってやろうとすら思っていた。
けれども……
「……悪ぃ」
マナヤは優しく、そっと左手でパトリシアの手を……引きはがした。
求婚は受けられない。そういう意思表示だ。
パトリシアもわかっていたのだろう。涙を目に溜めながらも、晴やかな表情をしていた。
「……ありがとう、わたしの最後の未練を、払ってくれて」
頬に雫を伝わせながらも。パトリシアは笑顔を向けた。
「さようなら、マナヤさん。……大好きでした」
涙に声を震わせながらパトリシアが見送る中……
マナヤ達は、馬車に乗り込んだ。




