175話 山奥の集落戦 夢物語
そうして、アシュリーが戻ってきた集落の方では……
「アシュリー、さん……?」
後方から、戸惑ったような声がかすかに届いた。
テオが振り向くと、破壊されきれずに残っていた柵から顔を出すようにして、パトリシアがこちらを覗き込んできている。
そちらにもチラリと目をやったアシュリーだが、すぐにテオに視線を戻す。
「テオ、よね。みんなはまだ無事?」
「あ、は、はい! アシュリーさんこそ、大丈夫なんですか?」
慌てて問い返す。
アシュリーは、父親をマナヤに殺されたと知ってしまって、ふさぎ込んでいたはずだ。
しかしアシュリーは、久々に見るような気がする屈託のない笑みを向けた。
「ええ。心配かけたわね、もう大丈夫よ。……シャラ」
そして、横へと視線を流す。テオもそちらへ目を向けると、柔らかく微笑んでいるシャラが目に入った。
「アシュリーさん。おかえりなさい」
「……うん、ただいま。ごめんねシャラ、あんたに謝んないと」
「ううん、いいんです。【キャスティング】」
少し曇った顔で謝罪するアシュリーに、シャラは首を振りながら三つの錬金装飾を放る。
――【俊足の連環】!
――【跳躍の宝玉】!
――【幻視の陽鏡】!
アシュリーの両手首についていた錬金装飾が、新しいものに交換される。
シャラの手に戻った、アシュリーがさきほどまで着けていた『俊足の連環』と『跳躍の宝玉』。この二つは、チャームが色を失いかけている。相当酷使したのだろう、マナが枯渇しかかっていたのだ。
自身の両手首についた新品を確認し、アシュリーもふわりと微笑む。
「ありがと。……テオ、マナヤは起きてる?」
「あっ、ええと、はい」
「そう。じゃ、あいつにも聞こえるように、あんたもよく聞いて」
すぐに顔を引き締めたアシュリーは、ダグロンらが吹き飛んでいった方向を油断なく見据えつつも、テオに叫びかけてきた。
「マナヤ! あんたは、あたしのお父さんを殺してなんかいない!」
とくん、と意識の裏でマナヤが震えるのがわかった。
なおもアシュリーは、確信をもったような声で話し続ける。
「あんたが殺したのは、あたしの全然知らない人! 快楽のために沢山の人を殺した、死んで当然の殺人鬼よ!」
そう言ってから、顔だけこちらを振り向く。凛々しい笑顔を浮かべて――
「あたしのお父さんは、今でも生きてる! ……ここに!」
自身の左胸を、そっと叩いていた。
「その、あたしの中の英雄が、こう言ってるわ!」
話を続けながら、真剣な顔に変わり訴えかけてきた。
「あたしがやるべきだったことを、全部代わりに背負ってやってくれた……」
彼女の瞳が、揺れる。
「あんたこそが、まぎれもない“英雄”だって!!」
――アシュリー。
その言葉に、もう一人の自分が歓喜の声を上げている。
心の中で、泣いている。
(……マナヤ)
テオの胸の中も、じんと熱くなった。
「……おしゃべりは終わりですか?」
そこへ、ようやく収まってきた土煙の中から声が届いてきた。
「ダグロン」
ディロンが油断なく構えながら、その赤髪オールバックの男を睨みつける。
ダグロンは傷だらけのフレアドラゴンの上に乗り、嘲笑するような表情でアシュリーを見下ろしていた。アシュリーが正面へ向き直り、その視線を正面から受け止める。
「とんだ茶番ですね。父親を殺した憎い仇を、安っぽい屁理屈で自分で誤魔化そうとするなど」
「……おあいにく様だけど、もうあたしはそんな言葉には惑わされない。二度とマナヤのことは疑わないって、決めたの」
テオに背を向けていても、アシュリーが不敵に笑っているのがわかった。
が、ダグロンも肩を震わせながら嘲笑い始める。
「くくく……欺瞞で自分を騙さなければ、正気を保っていられませんか。現実から目を背けるような輩は、これだから困りますね」
「なんですって?」
「その通りでしょう? 心を寄せた相手だからといって、父を殺した仇をそのように正当化しようとしている、卑怯な逃げ口上です」
徐々にダグロンの笑みが、狂気を帯び始める。
「結局貴方がたは、そういう綺麗ごとに逃げることしかできないのですよ。現実も真実も見ようとせず、夢ばかりを見ている!」
「くっ……!」
「だから貴方がたも、この集落でみっともなくあがいているのです! 私が取引をした、長の女を見なさい!」
アシュリーが睨みつけているダグロンは、ちらりと集落の方へと視線を送った。
「召喚師が、他『クラス』と手を取り合って生きるなど、不可能なのですよ! この国の領民とて、結局召喚師を見下したくてたまらないのです! だから貴方がたがここまで努力しても、あの女のように貴方を裏切るような者が現れる!」
彼が言っているのはおそらく、召喚師解放同盟と契約しマナヤの情報を流したナキアのことだろう。
「コリンス王国の者達とて、そうです! 召喚師との共存などと宣言しても、民がそれを守り続けることはない!」
「だが、コリンス王国は変わりつつある。マナヤとテオの教えにより、召喚師の心象は覆ってきている」
そこへダグロンの言葉を否定したのは、ディロン。
が、ダグロンはそちらへも充血した目を向けて哄笑した。
「くははははは! だから何だというのです! 貴方がたが変えてきたのは、たかだか二つか三つの村だけではありませんか!」
「……」
「それを、他全ての村でやり続けるというのですか? 何百とあるコリンス王国の村全てを、貴方がただけで回って? しかも、他の国々も? 何年、何十年、何百年かかれば可能でしょうかねえ!」
……マナヤがこの世界に現れてから、もうすぐ一年が経とうとしている。
この領を含めても、やっと四ヵ所を回ることができただけだ。
「よしんばできたとしても、本当に村の連中が召喚師と仲良しこよしをし続けるとお思いですか? これから先、未来永劫? これまでもずっと召喚師を忌み嫌い、見下し続けてきていた村人たちが!?」
「……っ」
「だから浅知恵だというのですよ、ディロン殿! 幻想ばかり見ていて、現実を直視していない! 状況を正確に理解もしていないから、そんな綺麗ごとが通ると楽観視しているのです!」
ダグロンは自分に酔うかのように、その場の全員を見下しながら吐き捨てた。
「貴方がたが掲げていることは、しょせんは夢物語! 現実を見ようとしない愚か者が見る、はかない夢なのですよ!」
「このっ――!」
アシュリーが歯ぎしりをする。
黙っていようと、思っていた。
自分が言い返したところで、何も変わるような相手ではないとわかっていた。
……けれども。
「――夢を見て、何が悪いんだ!!」
テオは、我慢できずにそう叫んでいた。
「テオ!?」
アシュリーが弾けるようにこちらを振り向く。
構わずテオは、ダグロンを睨みつけながら啖呵を切った。
「夢こそが、人の心を救う! 夢っていう理想や目標があるからこそ、人々は希望を持って生きていける! 僕はそれを、一番よく知っている!」
マナヤが現れてくれた時に、実感したことだ。
ずっと、召喚師は救われないんだと諦めていた。
シャラの重荷にしかならないのだと。
両親の負担にしかならないのだと。
召喚師になった自分には、夢も希望もないのだと。
そんな現実を……正面から叩き壊してくれたのは、マナヤだった。
「スレシス村の召喚師さん達だって、みんなと同じ美味しいご飯を食べられるようになった! コリィ君がいた開拓村の人達だって、召喚師の力で生活を救われることを知った! 僕も、セメイト村のみんなも、人並みの幸せをつかみ取れるようになれた! みんな、夢を諦めなくていいって、マナヤが教えてくれたからだ!」
召喚師だって、できるのだと。
人らしい生活を、望んでもいいのだと。
夢をみたって、いいのだと。
そう、彼が教えてくれた。
テオが忘れてしまっていた子供の頃の夢を、もう一度見させてくれた。
「だから、僕達はあがき続けているんだ! ゆっくりでも、一歩ずつでも! 夢物語を、現実にするために!!」
召喚師が皆と手を取り合い、協力し合って守る世界を。
マナヤが見せてくれた夢物語を――いつか、全世界で分かち合える日まで。
「……テオ」
潤んだ瞳で、シャラがこちらを見つめてきている。
アシュリーも茫然としたまま、こちらをじっと見つめてきている。
ディロンとテナイアも、目が醒めるような顔をしてこちらを。
……そして、示し合わせたように。
全員がダグロンへと視線を戻し、構え直した。
もう、何も疑わない瞳で。
「……やれやれ。学習しない愚か者とは、一番厄介な相手ですね」
先ほどまでの嗤いを消し去り、じっとテオを睨みつけるダグロン。
「致し方ありません。そんな夢物語をもう語れぬよう、喋れぬようにして差し上げましょう」
パチンと、指を弾いた。
途端に森の奥から、虎に跨った無数の腕を持つドゥルガーが駆けてくる。
――テオ。
その時、テオの中でマナヤが声をかけてくる。
もう、言葉は必要なかった。
(うん。……アシュリーさんと、仲直りしてね)
――へっ、余計なお世話だよ。……あとは任せな。
ゆっくりと、目を閉じて……
もう一度、意識を裏に回した。
***
「喋れないようにしてやるは、こっちの台詞だぜ。ダグロンとやら」
交替して早々、マナヤはダグロンへ氷のような視線を向けた。
「マナヤ!?」
「マナヤさん!」
ディロンとテナイアが振り返る。
出てきて大丈夫なのか、という目をしていた。
(ったく、この二人までまだ疑ってんのかよ)
この二人が言わんとしていることは、わかっている。
ダグロン相手に、マナヤが出てきて対抗手段はあるのかということだろう。
そこへ、当のダグロンが小さくため息を吐く音が聞こえた。
「また、人格交代ですか。慌ただしいことですが……今の台詞は、どういう意味でしょう?」
「そのままの意味だよ。もう、お前のその奇妙な手は食わねえ。俺たちの、勝ちだ」
顔をしかめるダグロンに、マナヤは今度は嘲るような笑みを向けた。
――マナヤ!
(ああ、大丈夫だ! 要領は分かった!)
テオの声に、心配するなと言わんばかりにそう返した。
要するに、ダグロンが視認できないように召喚獣を扱えば良いわけだ。
それならば、いくらでもやりようがある。
――あいつが妙な動きをしそうになったら、僕が合図するから!
(おう、そん時ぁ頼むぜ!)
感受性の強いテオは、表情の動きなどから相手の感情が読める。先ほど、ダグロンの企みをある程度読めているのも、その一環なのだろう。
頼もしい相棒の存在を胸に、マナヤは隣のパートナーにも目を向ける。
「……アシュリー」
「ごめんね、マナヤ。あたしはもう、あんたのことを信じぬくわ」
少し申し訳なさそうな、しかししっかりとした笑みを返してくるアシュリー。
久々に見る、殺しのビジョンを観ない相手。
自分の心が、一気に澄んでいくような気分になるのがわかる。
と、そこでアシュリーの笑みが、いつも通りの不敵な笑みへと変わった。
「さっ、行きましょ! マナヤ!」
「アシュリー?」
「あんたのことだから、どうせなんとかできるんでしょ?」
そこには、マナヤのことを微塵も疑っていない、全幅の期待を込めたアシュリーの目があった。
(お前は、信じてくれるのか)
ディロンもテナイアも、そしてパトリシアさえも。
ダグロン相手に、マナヤが太刀打ちすることはできないだろうと思われていた。
それでもアシュリーは、信じてくれた。期待してくれた。
マナヤならば、なんとかできると。
テオが対策をしていた所は、彼女は見ていないというのに。
それでもちゃんと、自分の尻を叩いてくれた。
ならば、自分の答えは決まっている。
「――当然だ!」
「さすが!」
示し合わせたようにアシュリーも答え、二人してキッとダグロンを睨みつけた。
「……ふふふ、威勢の良いことだ。今まで、私が待っていた理由も知らずに」
やや瞳に怒りを宿しながらも、再び嘲笑に戻ったダグロンが喉を鳴らしながら嗤う。
その言い分に、ダグロンが片眉を上げた。
「待っていた理由、だと?」
「――ディ、ディロンさん! あの人達が、集落の周りを取り囲んでます!」
「なに!?」
そこへ、『森林の守手』で位置を把握していたシャラが慌てて報告する。
「ククク……その通り。私が手出ししなかったのは、ただの時間稼ぎですよ。私のマナを回復させ、さらにその間に我々が集落を取り囲むために、ね」
ダグロンの余裕の笑みが深まる。
最上級モンスターを二体も召喚し、さらにいくつか補助魔法も使っていたダグロンだ。おそらくマナもかなり残り少なくなっていたのだろう。
そして、集落を取り囲んでいるということは……
「集落のやつらが、あぶねえ!」
慌てて集落の方へと目を戻すマナヤ。柵のあたりで佇んでいたパトリシアが、体をビクつかせ周囲を見回しながら震えていた。
「もう、手遅れですよ。貴方がたは、集落の者達を守れませ――」
「……守ってみせる」
と、ディロンが嘲笑するダグロンの言葉を遮った。ダグロンが憮然とする中、テナイアもディロンの隣に並んだ。
「我々の目の前で、これ以上人死には出させない」
「私達は、騎士として、人として、集落の方の未来を失わせはしません」
決意を込めた瞳で、ダグロンを見上げる二人。
「――必ず、守ってみせる!」
声を揃え、高らかに宣言した瞬間。
ディロンとテナイアの体から、虹色の光が漏れ出る。
「ディロンさん!? テナイアさん!」
「まさか……!」
シャラがその二人の様子に驚きの声を上げ、アシュリーは感嘆しつつ慄く。
ディロンとテナイアは、互いの手を取った。
「【共鳴】――【千里眼】!」
二人が声を揃えて、唱える。
その瞬間、一気に虹色の光が取り巻いた。二人の瞳も、虹色に染まる。
(あれが、『共鳴』か!?)
マナヤも、実際に二人が使う姿を直接目にするのは初めてだ。
ダグロンの黒い瘴気とは対照的な、神々しい虹色の光。暗がりの中、橙色の巨大な救難信号の光と混じり合い、金色の輝きと成す。
「【スペルアンプ】」
「【ウェイブスラスター】」
テナイアの魔法増幅を受けると同時に、ディロンが両腕を大きく横に広げながら魔法を放つ。
途端に、集落のあちこちから何かが激しくぶつかるような音がした。『ウェイブスラスター』とは、一定範囲内の敵を全て吹き飛ばす衝撃魔法だ。
「これが……あの、『共鳴』なんだ」
ダグロンへの警戒は続けながらも、アシュリーが虹色の光に見惚れるように呟いた。
かと思えば、ちらりとこちらへ視線を送りいたずらっ子のような笑顔を見せる。
「ねえマナヤ! あたし達もそろそろ『共鳴』使ってみない? そうね、あんたのモンスター専用の補助魔法を、あたしも受けられるっていう感じの力なんてどう?」
いつも通りの、アシュリーの軽口だ。
今までの自分達らしい関係が、やっと戻ってきた。
それを実感したマナヤは、じんと胸が熱くなる。
「……へっ、まだ目醒めてもねえうちから皮算用してるようじゃ、望み薄だな!」
「言うじゃない!」
だからいつも通りの軽口を返し、二人して不敵な笑みを交わし合う。
「ふん、例の力ですか。それならば!」
鼻を鳴らしたダグロンは、忌々しげに地上を睨む。その視線の先にいるのは、先ほど戻ってきたドゥルガーだ。
「【跳躍爆風】!」
ダグロンの呪文により、虎に跨った女性戦士の姿をしたドゥルガーが一気に上空へと跳び上がる。
それが向かう先は……集落の真ん中。
「【牛機VID-60】召喚! 【跳躍爆風】!」
すぐさまマナヤも紫色の牛型ロボットモンスター、牛機VID-60を召喚。即座に跳躍爆風で跳ばした。
――ガォンッ
宙を舞うドゥルガーに向かって跳んでいった牛機VID-60は、轟音を立てて空中で衝突し、その落下軌道を逸らす。
「ならば、そいつも私が――ッ!?」
その牛機VID-60を強奪すべく、そちらへ視線を向けようとしたダグロンが、目を見開く。
「まずは、ご挨拶っ!」
牛機VID-60をその体で隠すように、アシュリーが跳躍。
一直線にダグロンのもとへと飛び込んでいた。




