173話 領都 真実の追及
アシュリーが、ランシックの部屋を飛び出していった後。
その夜のうちに、ランシックは領主の応接間に一人で訪れた。レヴィラもダナも、地割れの監視に回っていて今はいない。
「このような夜分遅くに、申し訳ございません。男爵様」
「いや、構わぬ。なにぶんそなたは、我が領の民を救ってくれたのだからな」
ぺこりとブライアーウッド王国流の例を取り、クライグ・フィルティング男爵へ頭を下げるランシック。
対面のソファに腰掛けた男爵は、鷹揚に頷いた。そのソファの背後には、側近のカノイも立っている。
「それで、危急のご用向きとは?」
そう切り出した男爵に、ランシックは愛想笑いを消して正面から彼の目を見据える。
「今回の用件は、他でもありません。この領地を危機に陥れんとした、不届き者を摘発しに参りました」
そう告げると、男爵と側近の表情に緊張が走る。
「ま、待て! 私の采配ミスで、この領を危険に陥れたことは認めよう! しかし、摘発などと!」
「お、お考え直しくださいランシック様! 領主様はこれでも、領民たちのことを案じてらっしゃるのです!」
男爵も側近も、大慌てで弁明してくる。
が、ランシックはすっと手のひらを向け、それを遮った。
「まあ、落ち着いてください。ワタシが摘発したいのは、男爵様ではございません」
「な、なに?」
それを聞いて、男爵が戸惑っている。
考える時間を与えず、ランシックは微笑を浮かべながら畳みかけた。
「クライグ・フィルティング男爵様。貴方を陰で操っている、本当の黒幕……ワタシは、その方を摘発しにまいりました」
「陰で、操っている……?」
何を言っているのかわからない、といった様子で男爵が茫然としている。
す、とランシックは視線を斜め上へと流した。
「――そうでございましょう? 側近の、カノイ殿」
「な……っ!」
ランシックが見上げる、彼の左斜め後方に控えたカノイ。男爵も弾けるようにそちらへと振り向いた。
一方のカノイは、堅い表情で唇を引き結んでいる。
緊張の中、カノイが冷ややかな目でゆっくり口を開いた。
「私が男爵様を操った、と?」
「ええ、その通りです。それは、貴方の態度からも明らかでございました」
その冷淡な視線を真っ向から受け止め、なおも微笑を維持したままランシックは平然と語った。
「ちょ、ちょっと待てランシック殿!」
「何でしょう? 男爵様」
「よりによってカノイが、私を操っただと!? カノイはあくまで相談役、私は操られてなどおらん!」
「本当に、そうでしょうか?」
焦るような男爵に、ランシックはただ淡々と問い返す。
「だ、第一、私をどう操るというのだ! 彼は常々、私が迷った時に選択肢を助言している!」
「ほう、選択肢を……」
「そうだ! 私はその選択肢から、自らの意志で選んできた! 最終的な決断は、常に私が下してきたのだぞ!」
どもりながらも畳みかけてくる男爵の目には、僅かな希望と、なけなしのプライドが見て取れた。
(自分が男爵として、責任者としての行動をとっている。そう信じたいのでしょうね)
まさにそこを、側近のカノイに付け入られたのだ。
ランシックは表情を変えぬまま、平然とそれに問い返す。
「カノイ殿が男爵様に選択肢を提示したところは、ワタシも幾度となく拝見してまいりました」
「そ、そうであろう! ならば――」
「しかし、それこそが疑問だったのですよ。なぜ、たった二つしか選択肢を提示していなかったのでしょう?」
「な、なに?」
男爵の声が裏返る。
完全に黙したままのカノイへと視線を移したランシックは、なおも追及を続けた。
「我々がこの領に訪れた初日のこと、ワタシもよく覚えておりますよ。領境で馬車がモンスターに襲撃された件を、ワタシが追及したあの時です。カノイ殿、貴方は男爵様に『素直に謝罪をされるか、お詫びとして情報提供を申し出るかすべき』という選択肢を提示しておりました」
「……」
「本来、あの状況で真っ先に為すべき事とは、早急な事実確認です。本当に馬車が襲撃されたのか裏を取り、事実であれば対策を考える。それこそが、領主として正しい初動であったはずです」
それを、外交官であるランシックの目の前で直ちに行うことこそが、本当に誠実な対応であり為政者としてのパフォーマンスであるはずだった。
謝罪をしたところで、何かが解決するわけでもない。詫びとして情報提供をしたとて同じだ。
選択肢は、二つだけではない。何を最優先で行うべきなのか総合すれば、カノイがあの時提示した選択肢はどちらも悪手だった。
「カノイ殿。貴方は、まだ年若い領主に助言をするふりをしていた。選択肢を提示しそれを選ばせることで、男爵様が自身の判断で決断をしたように錯覚させたのです」
「……」
「どちらの選択肢を選んでも、結局カノイ殿にとって好都合なことになる。貴方は、男爵様をそのように誘導していた」
説明を聞く中、男爵は信じられないようにカノイを見上げていた。
(まあ実際には、選択肢を出しておきながら『実質一択』というものもあったようですがね)
召喚獣を使った運搬業を、男爵に提案した時のことだ。
迷う男爵に対し、カノイは『条件付きで受け入れるか、きっぱり断るかすべき』という二択を提示した。が、『条件付き』などと言われても、領主として日が浅いクライグには、条件を自ら考えだすことなどその場でできるはずがない。
条件付き、などと言われて男爵は無意識にその選択肢を避けた。実質、断る方を選ぶよう誘導した二択だったのだ。
再びランシックは男爵へと視線を戻す。
「そも、馬車がモンスターの襲撃を受けた件。男爵様は、商人から奏上されたとは『聞いていない』仰っておりましたが……」
「そ、それは私の落ち度だ! カノイの報告をすっかり忘れ――」
「本当に、カノイ殿からその件で報告を受けましたか? 男爵様」
笑顔を消し去り真剣に男爵を見つめる。その視線を受け、男爵は言葉を詰まらせた。
「し、しかし、カノイからの報告を聞き逃したことは、恥ずかしながら一度や二度ではなく……」
「貴方が信頼を置くカノイ殿からそう言われ、男爵様もそれを信じたのでしょう。ですが、本当にカノイ殿は報告をしていらっしゃったのでしょうか?」
「……ま、まさか」
男爵の顔色が青くなる。
(そう。男爵の異常なカノイ殿への依存は、そこから始まっていた)
あの時、馬車襲撃の件で『そんな報告は受けていない』と語った男爵の態度は、とても度忘れによるものには見えなかった。
『聞いておれば、領民のためにもこの私が即刻対処している!』
そう答えた男爵の言葉は、本心にしか聞こえなかった。
彼は、心から領民のことを案じている。もし本当にあのような報告を受けていたのであれば、忘れるはずがない。
カノイは最初から、報告などしていなかったのだろう。
そして後から問題が派生する都度、カノイは『報告はしました』と断言。幾度となく、そういった行為を繰り返してきた。それにより男爵は、不出来な自分が報告を聞き流したと錯覚し、ますます自信を失くす。
そうして、『優秀な』カノイの判断にどんどん依存する傀儡当主の出来上がりだ。
「カノイ殿は男爵様を裏切り、あえて領民を危険に晒すよう、男爵様を誘導していたのです。そうですね?」
カノイは無表情のまま黙している。
が、そこへ男爵が慌てて口を挟んだ。
「し、しかし! カノイは、父上がこの領を治めていた頃から我が家に仕えている忠臣だ! この領を危機に陥れるような真似をするはずがない! そうだろう、カノイ!?」
「……その通りでございます。私が、自身が仕えるこの領を滅ぼすような真似をするはずがありません」
淡々とそう答えたカノイに、男爵はほっと安堵の息を吐く。
確かに、普通に考えればその通りだ。
男爵の側近ならば、俸給も相当のものだろう。自らその機会を失くすような真似をするとは、考えにくい。
普通ならば、だが。
「失礼ながらカノイ殿。特務外交官権限を用い、貴方の過去を調べさせていただきました」
「ら、ランシック殿……?」
カノイを見据えながら説明を始めるランシックの言葉に、男爵は戸惑いを隠せない。
が、それを黙殺してランシックは説明を続けた。
「シャタグニー男爵家。フィルティング男爵家に領主権が移る前に、この領地を治めていた貴族家の名です」
「……」
「領民たちから異常な高税を取り立て、かつ王家への収支報告を誤魔化し差分を着手していた貴族家。……カノイ殿、貴方は元々、このシャタグニー男爵家の家臣だったそうですね」
収支報告を誤魔化す以上、その手続きを行う家臣たちの手綱も握っておかねばならない。
領主の家臣も巻き込み、着手した金を彼らにも分け与えることで共犯とする。つまりは、家臣たちも美味しい思いをしたのだ。
「しかし、フィルティング男爵の前当主様……つまりクライグ様、貴方のお父上がそれを摘発された」
「……そ、そう聞いてはいるが」
問われた男爵、クライグ・フィルティング男爵が、震えながらも頷く。
ランシックも首肯でそれを返し、再びカノイを問い詰める。
「どのような手を使ったかは、ワタシの知るところではありません。しかしカノイ殿、貴方は王室の摘発からひとり、難を逃れた。そして、自身の贅沢な暮らしを潰したフィルティング男爵家に恨みを抱いた」
「……」
「そのために、貴方はあえてフィルティング男爵家に仕えることにしたのです。内部からフィルティング男爵家を潰すために……そしてゆくゆくは、領民から搾取する贅沢な暮らしを取り戻すために」
前当主がこの領地を治めていた間は、善政を敷くのに全力を尽くしていたフィルティング男爵を欺くことはできなかったのだろう。
しかし、前当主が突然亡き者となり、まだ学の浅い嫡子クライグが当主となった。彼を支えるため、という名目で、カノイはここぞとばかりに動き始めたのだ。
「この領地を密かに滅ぼし、その責を現領主であるクライグ様、貴方に押し付けようとしたのです」
あえて現当主のクライグに悪政を敷かせ、それを理由にフィルティング男爵家を取り潰す。
カノイ自身はその悪政を暴いた者として評価を受け、あわよくば王家から新興の貴族家の当主として任命されることを狙って。かつてシャタグニー男爵家が取り潰され、その悪事を暴いたフィルティング男爵が領地を与えられたように。
(召喚師を排斥するような領法を作ったのも、そのためだったのでしょうね。モンスターを封印する召喚師がいなくなれば、いずれ領地はモンスターによって滅ぼされる)
召喚師解放同盟が、ちょうどこの領内で暴れ出したこと。その影響で、召喚師がおらずとも領都近郊のモンスターが減ったこと。偶然ではあったが、これらも彼にとっては都合が良かった。
領都周辺のモンスターが減っても、領境のモンスターは増える一方。あとは待っているだけで、勝手にスタンピードが発生し領地は滅びることになる。
すべて、召喚師を排斥してしまった『クライグの責任』として。
「スタンピードが発生し領都が滅んだとあらば、さすがに王室とて王国直属騎士団を動かし対処せざるをえません。かくして、さしたる苦労もなくカノイ殿はこの地をモンスターから奪還し、しかる後に男爵位を得る」
「……」
「か、カノイ……」
押し黙るカノイを、縋るような目で男爵が見上げていた。
が、カノイは急に肩を震わせながら嗤いはじめた。
「……くくくく。出自まで知られてしまいましたか。どうやら、これまでのようですね」
「カノイ!?」
男爵の顔が絶望に染まる。
しかし、そんな彼を見下すようにカノイは侮蔑の視線を向けた。
「クライグ様。貴方のお父上の死に顔は、実に無様でございましたよ」
「な――」
「白魔導師達に用を押し付けて外出させ、しかる後に毒を盛る……慎重だったあの方らしくない、あっけない最期でございました」
「か、カノイ! 貴様、まさか父上を!!」
思い切り立ち上がり、やや目尻に涙を浮かべながら睨みつける男爵。
そんな二人を、ランシックは冷ややかに見つめていた。
「やはり、先代の急死も貴方のしわざだったのですね。カノイ殿」
「ええ。長かった、実に長かったのです。あと少しで、私はかつての生活を取り戻せるはずだったというのに」
と、やや狂気に染まった目で天井を見つめるカノイ。
そんな彼の表情に、男爵であるクライグも一気に憎悪に顔を染めた。
「カノイ! 貴様、生きていられると思うな! 領法で貴様を裁き、父上の仇を取ってくれる!」
「ほう、貴方にできますか? クライグ様」
「騎士達よ! 父上を殺した重罪人を捕らえよ!!」
クライグはやや湿った叫び声で騎士達を呼ぶ。
ほどなくして、バタバタと廊下から足音が近づき、勢いよく扉が開かれた。この領に所属している騎士達が駆け付けたのだ。
「お前たち! カノイがランシック殿の前で罪を自供した! ひっとらえろ!」
「ふふふ、そうはいきませんよクライグ様。……やれ」
騎士達に命じるクライグに対し、まだ目は充血気味ながら冷静そうな声色でカノイが手を振る。
その瞬間、剣士のクラスを持つ騎士達が抜刀し、クライグとランシックにその切っ先を向けた。クライグが顔色を青くする。
「な、何のつもりだお前たち!? 剣を向ける先を間違えておろう!」
「……申し訳ありません、男爵様。我々は、こうするしかないのです」
喚く男爵に、戦闘の騎士は切っ先を吐きつけながらも苦渋の顔でそう声を絞り出した。他の騎士達も、一様に同じような顔をしている。
「クライグ様、無駄な抵抗はならさぬよう。騎士達は、最初から私の指揮下にあるのです」
「な……カノイ! 貴様、今度は一体何をした!?」
余裕の笑みを浮かべるカノイに向かって、クライグは怒りと恐怖の入り混じった引き攣った顔で睨みつける。
「……人質、ですね?」
そこへ、ランシックが剣を突きつけられつつもゆっくりとソファから身を起こした。閉じた目をゆっくり開き、カノイと騎士達を睥睨する。
「くくく……ご名答です、ランシック殿。この騎士達にも家族がいる、ですがその者らの命は私が握っておりましてね」
「ほう? この領都に捕らえているのですね」
「ええ。ご安心を、騎士達を操るためにも、彼らは生かしておりますよ」
「カ、カノイ! 貴様、そこまで堕ちたか!」
くつくつと嗤いながらネタばらしをするカノイと、それをあくまで冷静に応対するランシック。
その二人の会話を遮り、泣き叫ぶようにクライグはがなる。カタカタと、騎士達の剣先も震えていた。
そして、そんな皆の様子を可笑しそうに眺めるカノイ。
「クライグ様。貴方は、ランシック殿に自らの不出来を指摘され、乱心を起こし彼を亡き者にするのです」
「な、何を……!」
「特務外交官権限をお持ちのランシック殿を殺害した罪で、貴方は騎士達に斬られた。それを統括した私は、晴れて貴族の地位を手に入れる……そういう筋書きにしましょうか」
どうやらカノイは、この場でクライグもランシックも仕留める腹積もりを固めたようだ。
だがランシックは、そこでふっと笑みを浮かべる。
「この領都内に、人質を捕らえている……言質はとりましたよ」
「おや? まさかランシック殿、この状況で逃げおおせられるおつもりですか? 今の貴方は、好都合にも護衛騎士がいない。貴方おひとりでどうにかできるとは思えませんが」
カノイは一瞬眉をひそめるが、すぐ思い出したように余裕の笑みを取り戻す。
そう、普段ならばランシックの傍で護衛している弓術士隊副隊長のレヴィラは、地割れでの作業に加わっておりここにはいない。今、ランシックは完全に無防備だ。
が、ランシックはニッと歯を見せ、異様なほど明るい笑顔を向けた。
「なあに! 要は時間稼ぎをすれば良いだけです! 何も問題はないではありませんか!」
「……ふふふ、随分と余裕ではありませんか。ここは木造の四階、建築士である貴方もここでは岩を操れませんよ」
カノイが嘲笑しながらランシックを見下す。
貴族家の館は、基本的に土台以外は木造だ。四階のここは地面も離れており、建築士の岩を操る能力は及ばない。
だが、あくまでランシックは朗らかに宣言する。
「はっはっは、このランシック・ヴェルノンを舐めてもらっては困ります。その程度、想定済みですよ」
「……やれやれ。その憎たらしい笑顔、いつまで保ちますかな」
ごう、とカノイが掲げた手のひらの上に、炎の槍が形成される。
「【フレイムスピア】」
そして、差し出した手の動きに従い、炎の槍が一直線にランシックに飛んでいく。
……が。
「ふんっ!」
突然、ランシックの袖元から何かが飛び出した。
青が混じった真っ白いその何かが、炎の槍を受け止める。ぼしゅ、と音を立てて炎の槍は掻き消えた。
「なんですって?」
カノイも思わず声を漏らした。
いつの間にか、ランシックの右腕に白い岩の盾が形成されていた。青い筋のような、不思議な紋様が岩の中に混じっている。その青い文様は、城壁とそれに舞い降りんとする猛禽の姿を象っていた。ヴェルノン侯爵家の紋章だ。
ニヤリと、ランシックが笑った。




