170話 今、できることを
時は遡り、アシュリーが集落を去った次の日の朝。
――マナヤ……大丈夫?
(問題ねえよ。いちいち確認してくんな)
頭の中でテオが不安そうに問いかけてくるのを、顔をしかめつつ一蹴するマナヤ。
シャラから、アシュリーが集落を去っていったことを聞いたためだ。
仕方がない、ともマナヤは諦めていた。
「あ、マナヤさん!」
と、そこへ緑髪の女性が駆け寄ってくる。
「……パトリシア、さん」
「大丈夫ですか? アシュリーさんのこと、残念でしたね」
小さく首を傾けるようにしながら、マナヤの顔を覗き込んでくる。
心配しているような言葉でありながら、口調は心なしか弾んでいるように聞こえた。
「仕方ねえとは思ってますから、大丈夫ですよ」
またか、と内心ため息を吐きながら答える。
テオやシャラ、果てにはディロン達ですらいちいち『大丈夫か』と訊いてくる。心配しているのはわかるが、こうも続くとさすがにうんざりしてきた。
視線を逸らしてすれ違おうとすると、くすっとパトリシアが小さく笑った。
「これからは、わたしがマナヤさんを支えますね。アシュリーさんの代わりに」
「――あ?」
頭の奥が、痺れるような感覚。
しんと心が冷え、マナヤの目が据わった。
「代わりってのは、どういう意味だ」
無表情になったマナヤが問いかける。そこへ「だって」とパトリシアが嬉しそうな笑顔を見せた。
「アシュリーさんは、マナヤさんから離れちゃいましたから。これで遠慮なく、わたしがマナヤさんの隣にいられま……っ!?」
彼女が言い終わる前に、マナヤはパトリシアの胸倉を乱暴に掴んでいた。かろうじて、息苦しくはさせない程度の加減はできた。
「ふざけんじゃねえぞ。アシュリーが居なくなったから、お前に乗り換えろってのか!?」
「え、あ、マナヤさ、ん……」
――マナヤ、落ち着いて!
(これが落ち着いていられるかよ!)
テオが止めてこようとするが、マナヤも限界だった。
怒りを通り越して頭の中が冷え、破壊的な衝動が胸の中にこみ上げた。
ぐいっと彼女の顔を引き寄せ、パトリシアを至近距離から睨みつける。自分の表情が、これ以上ないくらい険しくなっているのがわかった。
「いいか! 俺があいつの傍にいたのは、相手がアシュリーだったからだ! 代わりなんかいやしねえ!」
「あ、う……」
「俺があいつと別れたからって、勝手に後釜に座ろうとすんな! お前じゃ、あいつの役割は務まらねえよ!!」
パトリシアを突き飛ばしかねない勢いで、振り払う。
たたらを踏んだパトリシアは、怯えの表情でマナヤを見つめ返してきた。が、すぐに逆上したように喚き始める。
「ど、どうして! アシュリーさんはマナヤさんを捨てちゃったんですよ!」
「それがどうした」
しかし、顔を背けたマナヤは平然と答える。信じられないものを見る目で、パトリシアが見つめ返してきていた。
「捨てられるんなら、それも仕方ねえよ。だがな、たとえ俺の一方通行になろうが、俺の心の支えは今でもあいつなんだ」
「……っ」
「お前の勝手な考えで、人の心を勝手に推し量ろうとすんな」
そう吐き捨て、乱暴に足を踏み鳴らしながらその場を後にする。パトリシアが、後を追ってくる気配はなかった。
――アシュリーさんが戻ってくるって、信じてるの?
(違ぇよ。ただ……)
いまだ頭の奥が痺れるような静かな怒りを抱く中、マナヤはテオの言葉を一蹴。
(父親を殺した奴が、許せない。そういう気持ちは、俺にだってある)
ヴァスケスら召喚師解放同盟一味が、間接的に自分の両親を殺した。その相手を憎みたくなる気持ちは、痛いほどわかる。
同時に、完全に召喚師解放同盟だけの責任ではないことも。
自分が、スレシス村に同行したいなどと言いださなければ。
自分が、下手にテオの中に閉じこもったりなどしなければ。
自分が、殺されたりなどしなければ。
両親が生きていた未来も、あったかもしれない。
(頭の中じゃ、こいつ一人の責任じゃないって、わかることだってある)
ブライトンは、アシュリーが思っていたような『英雄』ではなかった。快楽のためだけに人を殺すような犯罪者だった。マナヤは、その犯罪者を殺しただけ。
父親の死は、マナヤ一人の責任ではない。けれど、そう割り切ることもできない。そんなアシュリーの心持ちも、わかってしまう。
(……今さら、俺があいつのそばにいる資格なんか、ねえよ。でも、それでもやれることはある)
――やれること?
(ああ。近くには居れないまでも、アシュリーを守る。あいつを狙うかもしれねえ召喚師解放同盟の奴らを、ぶっ潰す)
彼女の傍で守れない今、自分がアシュリーを守る術はそれしかない。
決意と共に、右拳を握りしめた。
(あいつが俺から離れていこうが、あいつの『流血の純潔』を守るために、俺はあいつを守る。そのために、戦い続ける)
頭の中で、テオが萎れるような気配がした。
――マナヤは、強いんだね。
(バカ言え、強いわけあるかよ)
おそらくテオは、自分がシャラに嫌われてしまったらどうしていたか、考えたのだろう。
けれどそんなテオの言葉を、マナヤは否定。
(俺がウジウジしてたって何も解決しねえし、周囲を苛立たせるだけだ。それを、身をもって知ってるだけだよ)
自分がテオの副人格に過ぎないと知って諦めた時。
そして、人殺しに手を染めてしまって塞ぎこんだ時。
結局あの時のマナヤは、周囲をやきもきさせ迷惑をかけただけだ。だから、そんな無意味なことはもうする気はない。
(今のアシュリーにとっちゃ、もうありがた迷惑かもしれねえが。それでも、俺は――)
広場まで歩きながら、頭の中で言葉を続けようとしたその時。
――ドウッ
「なに!?」
突如、遠くで救難信号が上がる音がした。
南の方角をみやると、そこに上がっているのは黄色い光の柱。
――ま、まさか、領都の方向!?
テオの焦り気味な意識を受けて、一気に背筋が凍る。
「アシュリーッ!」
彼女が向かっていった先。そこに救難信号が上がっている。
慌てて、集落の門へと走り出したマナヤだったが。
「――て、敵襲! 東方向から、モンスターの群れだ!」
と、木製の見張り塔から警告の叫び声が響いた。
「って、嘘だろ!? こんな時に!」
苛立ち紛れに拳を握りしめ、歯ぎしりする。
この集落は、モンスター出現が少ないゾーンにあったはず。たまに少数のモンスターが襲ってくるくらいで、大規模な襲撃など起こらなかったと聞いていたはずなのだが。
「――マナヤ、そこにいたか!」
「マナヤさん!」
そこへ、ディロンとテナイアもこちらに駆け付けてきた。
「クソッ、ディロンさん! 領都の方角が!」
「わかっている! だが、この集落を襲ってきた群れの規模確認が先だ!」
焦りを隠しきれないながら、冷静な判断を下そうとしているディロンにマナヤは噛みついた。
「な――領都は放っとけってのか!? ここの召喚師達はみんな、もうそこそこ戦えるはずだろ!」
「しかし群れの規模次第では、この集落が壊滅することになる! まずは早急に目先の問題を確認すべきだ! ――ナキア殿!」
互いに口論する時間も惜しいといった様子で焦れながらも、ディロンは駆け寄ってきた集落のまとめ役である女性ナキアを呼び止める。
「ディ、ディロン様! ここと領都で、同時に襲撃が!」
「まず、見張りの者から詳しい話を! どの程度のモンスターが襲ってきている!?」
「す、すぐに確認させます!」
パタパタと東の見張り塔へと駆けて行った。
そんなナキアと入れ違いに、今度はシャラが駆け寄ってくる。
「みなさん!」
「シャラ! 丁度良い、数はわかるか!?」
青褪めた表情のシャラに、ディロンが問いかける。彼女の手首に、敵の位置と数を把握できる『森林の守手』がはめられていた。
「はい! 数はおよそ八十、下級と中級が入り混じった野良モンスターの群れです!」
「耐性持ちの内訳は!?」
「ご、五十ほどが機械モンスターです! 火と雷が有効そうですけど……」
「半数以上が機械……こんな場所で」
シャラの報告に、ディロンは歯噛みする。
機械のモンスターは、冷気と闇撃に耐性を持ち、逆に炎と電撃が弱点であるものがほとんどだ。
が、場所がまずい。下手にディロンが火と雷の範囲魔法を使えば山火事になりかねない。
こちらの世界では、樹木の性質は可燃性で三種類に大別される。生木でも倒木でも燃えやすい木、生木ならば燃えにくいが切り倒されるとよく燃えてしまう木、生木と倒木いずれの状態でも燃えにくい木の三種だ。材木としての質もそれに左右される。
この地域は木材としても脆い、どの状態でも燃えやすい木ばかりが生えていた。だからこそ、この領地は林業を生業にすることもできなかったのだ。
「ディロンさんッ、あんた領都を見捨てる気――」
「落ち着いてください、マナヤさん」
領都を放置して話を勧めようとしている様子に激昂しそうになったマナヤを、テナイアが諭すように止めた。
「先ほどの救難信号は、黄色でした。準スタンピード級ですらありません。であれば、騎士達が駐在している領都がただちに陥落する可能性は低いと見てよいでしょう」
「ッ、そうはいったって!」
「集団の敵を排除する手段に乏しいこちらの方が、緊急度は上と考えるべきです。こちらを早急に対処し、それから領都を目指しても遅くはありません」
召喚獣も、対集団戦闘力が高いモンスターは火炎攻撃型が多い。手持ち召喚獣の種類が少ない者達は、なおさらだ。山火事を引き起こすリスクはディロンとさほど変わらない。
その理屈は、わかる。が、やはりマナヤは気持ちの整理がつかない。
(アシュリーが危ねえかもしれねえのに、見殺しにしろってのか!?)
もし万が一、巧妙に隠した召喚師解放同盟の襲撃であったとしたらどうするつもりなのか。アシュリーを死なせたくない。アシュリーに、人殺しを経験させたくもないのに。
思わず、殺気の篭った目でテナイアを睨んでしまった。が、すぐにテナイアが肩に手を置く。
「マナヤさん、呑まれかかっています。殺気を抑えてください」
「く……」
「集落の方が呼んだ召喚獣まで、マナヤさんに反応してしまいます。気を静めて」
やんわり諭そうとしてくるテナイアに、ビジョンが見える。
フロストドラゴンで、この集落ごとまとめて消し飛ばしてやりたい、と。
領都に駆け付けたい自分を留めようとする集落など、無くなってしまえ、と。
アシュリーを助けに行けなくなるくらいなら、こんな集落の者達などいらない。
――マナヤ、ごめん!
その時。
テオの声と共に、マナヤの意識は強引に沈められた。
***
マナヤを無理やり押し込めて表に出てきたテオは、集落の門から外に出て東側に陣取る。
「シャラ、お願い!」
「うん!」
掛け声に即座に反応したシャラは、二つの錬金装飾をテオの両手首に装着させた。
――【竜神の逆鱗】
――【森林の守手】
竜の召喚に必要なマナを削減する錬金装飾と、周囲の敵を察知できる錬金装飾だ。
以心伝心といった形で、望む錬金装飾をくれた背後のシャラに小さく頷きかけ、テオは正面に向き直る。
「【フロストドラゴン】、召喚!」
最前線でフロストドラゴンを召喚する。
集落の簡素な柵を背に、巨大な召喚紋がテオの目の前に出現した。
その召喚紋をくぐるように、青白い巨体が姿を現す。
象のような形をした四本脚の胴体から、長い首が上に突き出ている。その首の先には、巨体に反して小型な頭部が。
全身は堅固な甲殻に覆われており、その背からクリスタル状の翼が大きく広がった。
伝承系の最上級モンスター、フロストドラゴン。
白い雪景色に溶け込むような、氷の竜が集落を守るように立ちふさがった。
「し、白い竜……」
「マジで、最上級モンスターだ……!」
「す、すごい! これならなんとかなるかも!」
その雄姿に見惚れている召喚師達が、徐々に活気づきはじめる。
「一気に片付けます! 【時流加速】!」
テオの補助魔法を受け、フロストドラゴンの背後に時計盤を象った魔法陣が発生。針が回りながら、氷竜の体の中へと吸い込まれていく。
加速したフロストドラゴンが鎌首をもたげ、小さな頭部が口を開いた。
ちょうどその時、森の奥からモンスターが溢れだす。
「【行け】!」
テオの命令指示とともに、フロストドラゴンの口からブレスが吐き出される。
鋭い氷の刃が無数に含まれた、凶悪な吹雪のブレス。
モンスターを切り裂き、木々に突き刺さり、地面の雪を土ごとえぐり取っていく。ミノタウロスやコボルドなど、冷気にも斬撃にも耐性の無いモンスターは、近づくことすらできずに砕け、瘴気紋へと還っていった。
「テナイア!」
ディロンの掛け声を受け、テナイアがディロンに魔法をかける。
「【スペルアンプ】」
次の魔法一発を増幅する、白魔導師の呪文。
フロストドラゴンが息を吸い込み、口を開けたその瞬間にタイミングを合わせ――
「【ブラストナパーム】!」
巨大な青い爆炎が、敵陣を呑み込む。
前方の敵をまるごと呑み込み、燃え盛る業火。雪を消し飛ばし、木々に火が燃え移る。
――ヒュゴオオオオッ
が、直後フロストドラゴンの吹雪ブレスが同じ範囲を呑み込んだ。
燃え上がった火が一瞬で消し止められ、凍結し氷の刃だらけになった木々が次々とドミノ倒しのように倒れていく。
「【ブラストナパーム】!」
その吹雪ブレスが終わった直後、すぐさまディロンが火炎の爆発呪文で追撃。
フロストドラゴンの吹雪ブレスの合間を縫って、ディロンが火炎の範囲攻撃魔法を撃ちこむ。炎が森を焼きはじめた瞬間、それが氷と吹雪によって消しとめられる。
「す、すげえ!」
「どんどん敵が倒れていく!」
逆属性である、火炎の爆発呪文と氷のブレス。それを交互に受けたモンスター達は、ひとたまりもなく倒され、瘴気紋へと還っていった。
集落の東側にある森の木々が焼けた上に氷漬けとなり、焼け野原と氷原へと変貌していってしまう。
が、領都も何かが起こっている現状では、スピードが最優先だ。
――ほどなくして。
後には、凍結した木々と黒く煤けた地面、そして瘴気紋だけが残った。
「よし、それじゃあ皆さん、封印します! 手伝ってください!」
戦いの終幕代わりに、テオがそう声を張り上げる。
召喚師達が、歓喜に沸きながらぞろぞろと森の中へと入り込んでいった。
(こっちは、片付いた! あとは!)
が、テオ達は逆に顔を引き締め、領都の方へと向き直る。
これから領都の方へと向かわねばならない。そのために、森を犠牲にしてまで殲滅速度を優先したのだから。
――ドウッ
「……え?」
しかしちょうどその時、紫色の信号が上がった。
先ほど黄色い救難信号が上がっていた、王都の方向だ。
「あ、あれ? 解決した、の?」
鞄から人数分の『俊足の連環』を取り出して用意していたシャラが、拍子抜けしたように声を漏らす。
同じく駆けだそうとしていたディロンとテナイアも、困惑したように顔を見合わせていた。
「……守りの堅い領都で、それも黄色い救難信号だったからな。騎士達が本腰を上げれば、解決も問題なくできるだろう。アシュリーも活躍したのかもしれないな」
「ランシック様が連れてきた、マナヤさんに鍛えられた召喚師の騎士もいらっしゃるはずです。モンスターの襲撃も、なんとかしたのでしょうね」
無事解決できたならば、それに越したことは無い。そんな様子で、気が抜けたように二人して苦笑していた。
――ッ、クソ! おいテオ、どうなった!?
(あっ、ま、マナヤ?)
その時、意識の底に沈めていたマナヤが目を醒ます。
慌ててテオが頭の中で応対した。
(大丈夫。こっちも領都の方も、解決したよ)
――か、解決しただと?
(うん。ほら、あの『解決』の救難信号、見える?)
と、テオはマナヤに見せるように再び先ほどの信号を見上げる。
ちょうど、紫の光が薄れ、空に溶けていくところだった。
――そう、か。
マナヤが安堵する中。
その声色の中に含まれる、胸が締め付けられるような苦しさ。テオもそれを感じとっていた。
――口実、無くなっちまったんだな。




