169話 還
「……」
ランシックの部屋を飛び出したアシュリーは、夜中の町を一人歩いていた。
冬の冷たい空気が、彼女のサイドテールをなびかせる。それでも、顔を上げる気にはなれず、地面に視線を合わせたまま、どこへともなくゆっくりと歩き続けた。
思い起こすのは、先ほどまで聞き込みしていた領民の話。
『ブライトン? ……ええ、あの男は私の従姉妹一家を皆殺しにしたのよ。どうして、あの子達が死になきゃいけなかったのかしら……』
『亡き父は、ブライトンの凶行から私達を救うために、命を落とした。嗤いながら父を惨殺していたあの男の表情……今でも、許せる気がせんよ』
『あの男はかつて、儂の妹を……すまん。お前を守ってやれなくて、本当にすまん……』
ブライトンのことを、誰に聞いても同じだ。
出てくる言葉は、その男への恨み言ばかり。
自分の父親が、一体何をしていたのか。
どれだけの人間を、不幸にしていたのか。
平和に過ごしていた人々を、どれだけ苦しめていたのか。
遠慮のない言葉を叩きつけられ、アシュリーの胸は痛むばかりだった。
(……言えなかった。まさかその男が、あたしの父親だなんて)
あからさまな、ブライトンへの嫌悪。
それを見せつけられたアシュリーは、今さら彼の娘だなどと告白することはできなかった。
英雄だと、持ち上げてくれた領民達。
その手のひらが、返されてしまいそうで。
その憎悪の対象が、アシュリー自身にも及んでしまいそうで。
(何やってたんだろ、あたし……)
自分の父親の正体、それを初めてテオ達から説明された時。
アシュリーは、実感が湧いていなかった。
英雄と崇めていた父が、ただの重罪人であったこと。
どれだけの人々を苦しめていた存在だったのか、アシュリーは信じたくなかったから。
頭では理解していたつもりで、感情は理解することを拒否していた。
だから、父の英雄像を捨てきることができず……
ブライトンを殺したという、マナヤへの憎悪だけが募っていた。
けれども。
(あたしに、マナヤを責める資格、無いじゃない……)
領民から聞いて、理解せざるを得なくなった。
アシュリーの父親は、ただの犯罪者だったと。
皆から憎悪を向けられる、罪深し者であったと。
自分だって、そんな輩の娘であるとなど、言い出すことができなかったのに。
自分こそ、マナヤよりもずっと罪深いじゃないか。
本来ならば、アシュリーが責任をもって止めるべき男であったブライトンを……
マナヤは、自分の『流血の純潔』を捨ててまで、倒した。
あのような、苦しい思いまでして。
攫われたコリィを救うために。意図していなかったとはいえ、パトリシアをも救うために。
そして、ブライトンに殺された数々の者達の命を、贖うために。
『では、アシュリーさんはそれでよろしいのですか?』
先ほどランシックに言われた言葉が、脳裏によみがえる。
『貴女は、殺人鬼の娘だった。それを貴女は受け入れるのですか?』
ずきり、と胸の痛みが増す。
受け入れたくなど、ない。
ブライトンの正体を、心から知った今ならば、特に。
『貴女の夢は、英雄のお父君に追いつくことだった。ならば、貴女をそう育てた父親は殺人鬼ブライトンではなく、「英雄ブライトン」です』
(そんなこと、言ったって)
けれど、そんなことは無責任ではないのか。
父のしでかしたことを、自分もどうにか贖わなければならないのではないか。
責任から目を逸らして、本当にいいのだろうか。
(……あれ)
ふと、既視感に囚われた。
ランシックの台詞。あれと似たような言葉を、つい最近聞いた覚えがある。
『アシュリーさんは、本当にそれでいいんですか?』
『アシュリーさんのお父さんは、英雄だったはずです』
「!」
思い出した。
召喚師の集落を出る前の、シャラの言葉だ。
(……シャラ)
あの時、アシュリーはその言葉に激昂してしまった。
今さら蒸し返すな。父は英雄ではないともう言われたのだから、これ以上逆なでするな。
そう感じて、酷いことをシャラに言ってしまった。
(あれは、ああいう意味だったんだ)
ランシックと同じことを、シャラも言おうとしたのだろう。
英雄の父を目指したいなら、目指してもいいんだと。
重罪人を父と信じたくないなら、信じなくてもいいんだと。
「……っ」
俯いたまま、ぎゅ、と両拳を握りしめる。
「――お、おい? あんた、大丈夫か?」
そこへ、側面から男性の声がする。
顔を上げそちらへ向くと、ややウェーブがかった金色の短髪を持った男性が、心配そうにこちらを見ていた。歳はアシュリーと同じくらいだろうか。背丈も、自分よりもほんの少しだけ高い。
(マナヤと、同じ髪色……)
茫然と、そんなことを考える。
が、当のその男性は、アシュリーの顔を見てハッと息を呑んでいた。
「あ、アシュリーさん!? ここ、こんなところで、何を!? 奇遇ですね!」
と、ほのかに頬を染め、若干裏返り気味な声で話しかけてくる。
(……?)
なにか、落胆している自分がいた。
ただ単に、マナヤと髪が似ているからとか、マナヤが来てくれたと勘違いしたとかではない。
理由がわからず、内心首を傾げるアシュリー。
「あの、大丈夫ですかアシュリーさん? その、何か気分でも?」
「あ……いえ、問題ないわ。心配かけたわね」
自分を心配してくる男へ、なんとか気丈に笑顔を見せ安心させる。
ほおっと安堵の息を吐いた男は、唐突に顔を引き締めてアシュリーに歩み寄ってきた。
「その、アシュリーさん」
ゆっくりとした動作で、彼はそっとアシュリーの右手を取る。
その手を、男はそっと自身の両手で包み込んできた。
「先ほどのアシュリーさんの雄姿に……惚れました。俺の、嫁になってはもらえませんか」
緊張の面持ちで、そうアシュリーに求婚してくる。
こちらの国でも、求婚の作法は同じなようだ。
「……!」
その時。
アシュリーは、先ほど落胆した感情の正体に、ようやく気が付いた。
(……マナヤ!)
ぎゅ、と空いた自身の左手で服の端を握りしめる。
――ドウッ
「えっ!?」
「な、なんだ!?」
その時、突然背後から救難信号の音がする。
慌ててそちらへと向き直った。目の前の男も、思わず包んでいた両手を解いて同じ方向へ振り返る。
(あ、紫……解決、か)
おそらく、何かの合図だったのだろう。すぐに警戒を解き、踏み出しかけた足を止める。
――チャラッ
「?」
その時、自分の懐から何か音がした。羽織っている防寒用のコート、そのポケットからだ。
このポケットには、特に何も入れていなかったはずだが。
「な、なんだ人騒がせな……あ、あの? アシュリーさん?」
「……」
安堵し再び手を取ろうとした男を放置し、アシュリーはポケットの中身を探って取り出す。
そこから出てきたのは……
(……『俊足の連環』に、『跳躍の宝玉』?)
リングがいくつも連なったチャームがついたブレスレットと、玉を抱えた兎のようなチャームがついたブレスレット。
足を速くする錬金装飾と、ジャンプ力を大きく高める錬金装飾だ。
(もしかして、あの時?)
昨晩、アシュリーが召喚師の集落を飛び出した時。
去り際に、何かの光が自分の後をついてきたような気がした。あの時は、気のせいかと思ったのだが。
錬金術師の、『キャスティング』。
錬金装飾を離れた場所へと送る、錬金術師の魔法だったのだろう。
――いつでも、戻ってきていいんですよ――
受け入れるように、優しく両腕を広げながら……
そう、暖かい笑顔で告げるシャラの姿が、見えた気がした。
「……っ!」
ぎゅ、とその錬金装飾二つを握りしめる。
「あ、あのアシュリーさん。さきほどの続きですが――」
「ごめんなさい!」
改めて手を差し出そうとしてきた男を、アシュリーは謝罪して遮る。
「え? へ……?」
「あたし、もう心に決めた人がいるから! あなたの気持ちには応えられないわ!」
そう言って、アシュリーは彼の傍らを全速力で走り抜ける。
目指すは、北の門。森を抜けた先にある、召喚師の集落。
マナヤのいる、あの集落へ。
「ごめんね、ありがとう! 使わせてもらうね、シャラ!」
アシュリーは、二つの錬金装飾を両手の手首に装着する。
――【俊足の連環】
――【跳躍の宝玉】
途端に、体が一気に軽くなる。
思いっきり地を蹴ったアシュリーは、門の上をひとっ跳びで飛び越えた。
(そうだったんだ。あたしが、マナヤのことを好きになったのは……!)
森の中を跳び、駆け抜けながらアシュリーは心の中で独り言ちる。
自分の父親を殺したマナヤのことを、憎もうとする気持ちを捨てられなくて。
だから、マナヤへの恋心を偽物だと考えようとしていた。
自分がマナヤのことを好きになったのは、シャラの言葉のせい。
そんなふうに、自分に言い訳をしていた。
けれど、そうではなかった。
シャラの言葉なんて、関係がない。
(セメイト村でも、何度か求婚されたことがあった。でも!)
成人の儀を受け、村に戻ってきたアシュリーは、すでに随一の剣士としての腕前を持っていた。
本格的にヴィダの指導を受けてからは、さらにそれが伸びていく。
いつしか、ヴィダ以外にアシュリーに勝てそうな村人は、居なくなっていた。
そのためか、アシュリーと年代の近い者達は、男女問わずアシュリーを尊敬するようになった。成人の儀の前までは、もっと気楽な感じで会話していた者達も、皆含めて。
『おっアシュリー! 今度また、模擬戦やろうぜ!』
そんな風に話しかけてきていた、アシュリーと同年代の村人。
それが、アシュリーが力をつけてきた後は……
『凄かったッスね、アシュリーさん! 今度、稽古つけてくれませんか!』
目上のように扱われて、悪い気がしなかったわけではない。
頑張った自分の実力が認められたようで、誇らしくすらあった。英雄と呼ばれた父親に近づけたようで、嬉しかった。
けれども、そんな男たちに求婚されても、何故か受け入れる気になれなかった。
今なら、その理由がわかる。
皆、アシュリーに遠慮するように話しかけてくる。まるで、常にアシュリーの後ろを歩いてこようとするような。
誰しもが、自分の隣ではなく、後ろをついてくる。
そんな者達に求婚されても、受ける気になれなかった。
そんな者と、生涯を共にできる気がしなかった。
(海辺の開拓村で出会った、コリィのお兄さんのデレック。彼も、そうだった)
『なんだ、そっちの人達は生魚がダメなんだ? だらしねー』
最初に会った時は、そんな風に接していた彼。
けれどアシュリーが召喚獣を投げる指導をするようになった後は……
『は、はい! あのアシュリーさん、ありがとうございました!』
『も、もしよかったら、うちで暮らしませんか!』
仲が良かった友人も、軽口を叩きあえるような者達も皆、アシュリーを目上のように見るようになっていく。
(みんな、みんな……あたしの隣から、離れていく)
……そんな中。
一人だけ、例外が現れた。
『お前にまで遠慮されちまったら、俺はどうすりゃいいんだよ?』
アシュリー自身も、心の奥底でずっと言いたかった言葉だった。
一度この世界から去ってしまったと思っていて、それでも戻ってきてくれた彼。
そんな彼が、気を遣おうとする自分に対して言ってきた、あの言葉。
離れていかないで。
あたしの後ろを歩かないで。
誰か……あたしの『隣』を、一緒に歩いて。
自分と気持ちを同じくする人に、アシュリーはようやく出会えた。
どんなにアシュリーが自身の力を見せつけても、軽口を叩き続けられる相手。
自分よりも年下でありながら、自分よりもスケールの大きなことを平然と行う召喚師。
それでも、アシュリーの前でも後ろでもなく、『隣』を選び続けてくれた人。
(だから、あたしはマナヤのことが……!)
自分の気持ちは……シャラに焚きつけられてなど、いなかった。
(マナヤ、あんたに、謝りに行くから! だから……!)
もう、二度と彼を疑わない。
だから、もう一度、あなたの傍にいさせてください。
ひたすらに、ひたむきに、アシュリーは集落へと駆け続けた。
――ドウッ
「えっ!?」
そんな中、視線の先に橙色の救難信号が上がる。
ちょうど、マナヤ達がいるはずの集落がある場所だ。
「マナヤ!!」
さらに加速する赤い疾風。
丘を一気に跳び越え、太い木の枝を足場に木々の間を駆け抜ける。
――今、戻るわ! マナヤ!!




