167話 領都の異変
「ふむ、では領都の商人達は乗り気なのですね?」
朝食を摂り終えたばかりの、領都の早朝。
ランシックが、割り当てられた部屋でレヴィラの報告を聞き、そう確認を取った。
「はい。ウォース殿がかなりの収益を上げたこと、そしてそれが領主家から出した公的な仕事の提案であったことなどから、ならば我もと名乗り出てくる商人が増えてきております」
レヴィラの返答に満足するランシック。
例の、川を使った召喚獣速達の件だ。
ウォースが初物の商品運搬を見事成功させ、北の領で一足先に初物を売りさばいた件は一気に領内に広まった。割れやすい酒瓶を見事守り切って運んだこと、とんでもない速さで品を運ぶことができたことから、商人達はこぞって速達を取り入れようとしてきている。召喚獣は怖いが、この新事業に乗り遅れることの方がもっと怖いという者達が多いのだ。
「少しずつですが、召喚師の印象も改善されつつありますからね」
ちらりと、ベッドに放り出された平民服を見やったランシックは、笑顔でそう独り言ちる。
時折お忍びで領都に降りた際、岩人形を使った人形劇で召喚師の活躍、そして封印の重要性を演じていた。その甲斐あってか、召喚師を排斥して本当に良かったのかと、疑問の声を上げる平民が増えてきている。
召喚師の排斥を領法に定めたこの領だが、ランシックの人形劇を領法違反で取り締まることはできなかった。『芸術』という枠に入るランシックの劇は、領法の別項目『芸術による表現の自由』で保護されていたためだ。芸術を領の新たな産業として深めようとしているこの領の方針、そこから生まれた領法の裏をかいたのである。
そうでなくとも、特務外交官権限を持っているランシックならば、強引に押し通すこともできるのだが。
「――も、申し上げます!」
そこへ、焦ったような声の側仕えが扉の向こうから報告してきた。
緊迫感に満ちたその声に、ランシックは顔を引き締め問いかける。
「何がありました?」
「北東方面より、この領都に向かってモンスターの群れが!」
「何ですって!?」
思わず音を立てて椅子から立ち上がるランシック。
直後、ドウッという音が外から響いた。窓から外を見ると、黄色の救難信号が北東の空に上がっている。
「すぐに、領主に取次ぎを!」
ランシックはすぐさまダナに命じた。
***
「男爵様、領の騎士達は!?」
領主であるクライグ・フィルティング男爵と面会したランシックは、すぐさま男爵に尋ねる。
「き、騎士達は全員、カノイの付き添いで不在だ! そなたが預けてくれた騎士達も全員連れて!」
しかしは青い顔でそう答えた。
領内の別の町を視察するため、側近であるカノイに名代として向かわせたらしい。領の騎士達を全て連れて行ったそうだ。
(各方面に散っているワタシの騎士達も、そうすぐには戻ってこれない!)
例の『黒い神殿』を捜索するため、領の各地に散らせていたのだ。
歯噛みするランシックだが、今さら悔いても意味はない。
「領民達はどの程度戦えます!?」
「わ、私が領民に戦わせたことなどあるはずがなかろう! 領民を守るのは騎士達の務めだ!」
その騎士達がいないというのに、とランシックは男爵を内心罵る。
「やむをえません、我々だけでも防衛に出ます! レヴィラ、ダナ、貴女がたもお願いしますよ!」
ランシックがそう宣言し壁にかけたコートを羽織る。するとレヴィラも、報告に来たダナも愕然とする。
男爵も冷や汗をかきながら、思わず椅子から音を立てて立ち上がった。
「ラ、ランシック殿! まさか貴公自身が戦場に出ると!?」
「当然です。ワタシとて、最低限の戦い方くらいは心得ています」
慌てたように男爵が問いかけるも、ランシックは平然と答え出口へと体を向ける。
我に返った側仕えのダナも慌ててランシックを止めに入った。
「お、お待ちを! ランシック様は貴族です、万一命を落とされでもしたら!」
「この領都が陥落すれば、どの道ワタシの命もありません。であれば、ワタシも出る以外の選択肢は無いではありませんか」
その返答に、ダナも二の句が継げない。
貴族というのは、幼少の頃から政治について英才教育を受ける存在だ。騎士達や村人達と違い政治のプロフェッショナルとして育つ貴族は、存在そのものが貴重で死すことは許されない。ゆえにレヴィラやダナの心配はわかる。
が、今は状況が逼迫している。戦力になれる者が出なければ、どのみち先は無い。
唯一他に助かる方法があるとすれば、ランシックがこの領都から逃げ出すこと。しかし、ランシックにとってそれは選択肢ではない。
「仕方がありません、御供しましょう」
「れ、レヴィラ様!?」
溜め息と共にそう告げたレヴィラに、ダナは信じられないものを見るように振り返る。
が、レヴィラはダナへと目を向け毅然と言い放った。
「我々が、この命に代えてもランシック様をお護りすれば良い。それだけのことです」
その返答に、青い顔をしていたダナも覚悟を決めたように唇を引き結んだ。
が、そこへニカッと華が咲くようなランシックの笑顔が飛び込んでくる。
「命に代えられては困りますよ! 全員で、生きて帰ること。これは命令です!」
そんなランシックを、男爵は眩しそうに凝視していた。
***
北東の防壁、その上端部。
「せいッ!」
現着したランシックは、防壁へと詰め寄ってくるモンスター達の前に横長の岩壁を立ち昇らせた。
亜麻色の石でできた壁により、黒い瘴気を纏っているモンスター達の侵攻が防がれる。
「ふっ!」
空中を飛んで岩壁を越えてくるモンスター達は、レヴィラが矢で一体一体撃ち落していた。
「【イフィシェントアタック】」
そのレヴィラを、白魔導師であるダナが適宜物理攻撃の増幅魔法でサポート。
マナ温存のため、レヴィラの素の攻撃一発では倒せない敵を狙う時、その時だけピンポイントに矢の威力を高めている。
「ぐ……こ、この!」
地面に手を着いたまま脂汗をかいているランシックは、岩壁を抑えきることができずに苦悶の声を上げる。
びしびしと岩壁にヒビが入り、ほどなくして轟音を立てて穴が空く。モンスターが岩壁を攻撃して破壊したのだ。
その瞬間、集中が途切れ崩れ落ちてしまうランシック。同時に、岩壁全体がガラガラと崩れていった。
(やはり、ワタシではこの強度が限界……!)
元々戦いが専門でないランシックは、岩の制御も精密さと操作性が売りである。岩の硬度を高めることは専門外だった。
「ランシック様、空の敵はあらかた片付きました。壁を『例の形状』に」
敵の感知も行いながら、レヴィラはランシックへそう報告。飛行モンスターの数が少ないのは幸いだった。
ランシックが再び集中を始めながら、問いかける。
「どうにかできそうですか、レヴィラ」
「少なくとも、今をしのぐことはなんとか。今我々が立っているこの防壁は最終防衛ラインです、到達させるわけにはまいりません」
と、レヴィラは自分達の足元を靴のかかとでコツコツと叩いた。
村や町の防壁は、建築士が時間をかけて硬度と持続時間を大幅に引き延ばしたもの。しかし、あまりメンテナンスがされていないらしいこの防壁は、ところどころにヒビが入っている。この防壁の耐久力に期待するのは危険だ。
「信じますよ、レヴィラ。……では、いきます!」
ニヤリと笑ったランシックが、再び足元に両手を着く。すると先ほど同様、迫りくるモンスター達の前に再び岩壁が立った。
しかし、先ほどと違い中央部分、ランシックらの正面にあたる部分に縦長の隙間ができている。中級までのモンスターが一体、ギリギリ通り抜けることができそうな程度の幅だ。
「ダナ」
「はい、レヴィラ様。【イフィシェントアタック】」
レヴィラの合図に合わせ、ダナが物理攻撃の増幅魔法をレヴィラに。
それを受けたレヴィラは弓を引き絞り、矢にオーラが集まっていく。
――1st――
――2nd――
「【マッシヴブレイク】」
岩壁の隙間を狙って、レヴィラが矢を放った。
矢の威力と攻撃範囲を高める技能『マッシヴアロー』と、矢の徹甲力を上げ敵を吹き飛ばす効果もつく『ブレイクアロー』の同時発動だ。
モンスターが今にも溢れださんとしている、岩壁の隙間。
矢は、その真ん中に狙いたがわず飛び込んでいった。
炸裂した瞬間、それは先頭のモンスターを貫通。さらにその後方にも詰まっていたモンスター達をも貫き、後方へ吹き飛ばしていく。
だが、押し返せたのはその一列だけだ。
側方から穴を埋めるようにぞろぞろとモンスターが隙間に押し寄せる。
「ダナ、次を」
「は、はい! 【イフィシェントアタック】」
「【マッシヴブレイク】」
が、すぐさまレヴィラが矢をつがえ、ダナの増幅魔法を受けて再び複合技能を放つ。
押し寄せたモンスターの列が、またしても押し返された。
セメイト村で開発された防衛機構、その構造から着想を得た戦術である。
モンスターが一体だけ通れる隙間を用意すれば、モンスターは岩壁の破壊よりも隙間を目指すことを優先する。そうして隙間で渋滞を起こしたモンスター達を、レヴィラの強力な矢で倒し、押し返す。その繰り返しだ。
「ぐ……」
「ランシック様! こちらを」
足元に手を着いたまま苦悶の表情で呻くランシックに、ダナが近寄って彼の手首にブレスレットをはめた。
――【魔力の御守】
「……ふう、少し楽になりました。ありがとうございます、ダナ」
「いえ」
笑顔を見せたランシックに安堵の息を漏らし、すぐにレヴィラの援護に戻っていくダナ。
貴族であるランシックは、貴重な錬金装飾も多く抱えている。そのため、こういったマナ回復用の錬金装飾もそこそこストックがあった。
「しかしこれでは、モンスターの瘴気紋が……」
が、岩壁の隙間に視線を戻し歯噛みするランシック。
「致し方がありません。後々厄介なことになるやもしれませんが、召喚師がこの場にいない今、押し返すのが先決です」
それを聞きとがめたレヴィラが、矢を構えながらそう主張。
野良モンスターが倒れた時、瘴気紋がその場に残る。
瘴気紋は一定時間経過後に瘴気に戻り、いずれ再び凝固しモンスターとして再発生する。そのため、瘴気紋を放置すると後々モンスターが軍団で復活し、スタンピードに発展する可能性がある。
そのために召喚師の『封印』が必要なのだが、肝心の召喚師がこの場にいない。
「――あ、あの! 騎士様、お貴族様!」
突如、領都の中から声が届く。
振り向くと、町の中からランシックらを心配そうに見上げている領民たちの姿が見えた。
「わ、私達は、助かるのですか!?」
「領主様も他の騎士様がたもおらずに、モンスターを抑えきれるのでしょうか!?」
「ど、どうか我々をお守りください!」
領民たちが不安そうに、祈るような気持ちでランシックへと訴えかけてくる。
そんな彼らの姿を見て、ランシックはムラムラと気持ちを抑えられなくなった。
「はっはっは! 御心配には及びませんよ皆さん! ワタシがついています!」
と、大声で高らかに哄笑してみせた。戸惑うようにランシックを見上げる領民たち。
途端に、民主らの前の地面が盛り上がり、ボコボコと人の形を象る。
岩でできたそれは……
フリフリのドレスで着飾った、ランシックの姿をしていた。
「ワタシの名はランシック・ヴェルノン! 趣味はカオス、特技はモンスター襲撃時であろうと笑いを取りにいくことです!」
領民たちがフリーズする中、ランシックの馬鹿笑いだけが響き渡る。
「ランシック様、この非常時に無駄にマナを消耗されませんよう」
「はっはっは、この程度余裕です! 皆さんを勇気づけるのも貴族の務めですよ!」
「であれば、せめて勇気づけられそうな勇壮な像を作るべきでは? 笑いを取れるかどうかも怪しい像を建てるのも問題では」
「なるほど! そういう考え方もありますね!」
冷静なレヴィラのツッコミが入り、夫婦漫才が始まる。
くすくすと、そこで初めて子供たちが笑いを漏らす声が聞こえた。
「……ふふふ、これは意地でも耐え抜かねばならなくなりましたね」
「ランシック様がマナを無駄遣いしなければ、もう少し余裕があったのですが?」
「民衆の笑顔こそ、最高の心の燃料ですよ!」
脂汗を浮かべつつ、さらに気合を入れて岩壁を維持するランシック。
そんなランシックの背後で、小さく唇に弧を描いたレヴィラが、再び矢をつがえた。
その時。
「――【ラクシャーサ】!」
突然、モンスター達の群れの中から響く爆音。
慌ててそちらを仰ぎ見ると、岩壁の向こう側から雪混じりの粉塵が立ち上ってくるのが見えた。さらに、何かがモンスター達を薙ぎ倒していく音が断続的に響いてくる。
直後、奥から岩壁の頂上へと赤い人影が跳びあがり、その上に着地していた。
「アシュリー殿!」
いち早くその人影の正体を見抜いたレヴィラ。
弾けるように、ランシックもその人影に目を凝らす。赤いサイドテールが風に靡き、得物を構えた女剣士がこちらへと振り返っていた。
「……【ライジング・フラップ】!」
アシュリーもこちらに気づいたか、岩壁頂上からこちらの防壁へと飛び移ってくる。
たん、とすぐ近くの胸壁の上に鮮やかに舞い降りた。
「ランシック様、状況は!?」
「アシュリーさん! 助かりました、今こちら三人だけで凌いでおりまして!」
真剣な表情で訊ねてくるアシュリーを、華が咲いたような笑顔で歓迎するランシック。
その間も、岩壁の隙間から漏れ出てくるモンスターを処理していたレヴィラ。彼女もあまり表情が動かないながら、僅かに安堵の息をついているのがわかる。
「!」
ふと後方を見たアシュリーは、防壁裏の領民たちがこちらを見上げているのに気づいたようだ。
モンスターの襲撃に不安な表情をしている者達。
アシュリーはニッと笑顔を浮かべ、剣を頭上に掲げてみせる。
その様子を不思議そうに見上げる領民たちだが、援軍とわかったか心なしか彼らの表情が和らいでいた。
「……ランシック様、レヴィラさん、ダナさん。援護をお願いします」
「アシュリーさん?」
不思議そうに問い返したランシックに、アシュリーはいたずらっ子のような顔で不敵な笑みを向けてきた。
「あの防壁の隙間。あそこから、外へ向かって細めの放射状に防壁を変形できますか?」
「放射状?」
「はい。私の技で、そこに集まったモンスターを一網打尽にします」
そう言うと、アシュリーはその場で剣を後方に構えた。ランシックが顔を引き締め、再び気合を込める。
「いいでしょう! どこでストップすれば良いか、教えてください!」
ランシックが言い放つと、彼は目を瞑る。同時に、ボコボコと岩壁が手前に移動を始めた。
正面にある隙間のあたりの壁は、手前に。その隙間から離れた位置にある壁は、ほとんど不動に。
「【マッシヴアロー】」
その間、隙間から漏れ出てくるモンスター達はレヴィラの矢で処理される。
やがて、隙間を中心としてV字状に岩壁が展開された状態になった。
「もう少し細くできますか!」
「ええ!」
アシュリーの注文に、ランシックはすぐさま対応。
V字状に展開された防壁が、さらに縦長に細くなる。
「……それでOKです! 行きますよ!」
アシュリーの合図で、防壁が停止。
そして後方に構えた剣に、オーラが集まっていく。
――1st――
――2nd――
――3rd――
「【イフィシェントアタック】」
ダナが気を利かせて、アシュリーに物理攻撃の増幅魔法をかける。
ニッと笑顔を深めたアシュリーは、僅かに頭を落として前かがみになった。
「【ライジング・ラクシャーサ】!!」
途端に、風圧と共にアシュリーの姿が消える。
一瞬にして岩壁の隙間へと飛び込み、そこで剣を下から真上へと振り上げた。
――轟音と共に、衝撃波が発生。
集まったモンスター達が、V字の岩壁をなぞって放射状に放たれていく衝撃波に巻き込まれた。
「ぐ、ううううっ」
ランシックが苦悶を表情を浮かべる。
アシュリーの剣圧に岩壁が負けぬよう、気合を入れて硬化させているのだ。
「か、はっ」
が、限界がきてその場で尻餅をついてしまうランシック。
途端に、がらがらとV字状になった岩壁が崩れていく。
しかし崩れた岩壁の向こうには、もう何も残ってはいなかった。
「……やりましたね、アシュリーさん!」
「いえ、まだです!」
ふらふらのランシックが歓喜の声を上げ眼下のアシュリーを見下ろすが、彼女はいまだ油断なく前方を見据えていた。
しかしそこに残っているのは、瘴気紋だけのはず。
「ランシック様、この場に召喚師はいますか!?」
と、下からアシュリーがこちらを見上げて声を張り上げてきた。
言葉に詰まり、レヴィラを見やるランシック。そのレヴィラも、油断なくモンスターが倒されたその地を見据えていた。
「『スカルガード』が残っているのです、ランシック様」
レヴィラのその指摘に、ハッとしたランシックは慌てて視線を前方に戻す。
数ある瘴気紋の中から、いくつかが不気味に点滅を始めていた。
スカルガードは、伝承系の下級モンスター。攻撃力はともかく耐久力は大したことが無い。倒すだけならば、それほど問題はない相手だ。
ただしスカルガードは、倒されても三十秒で勝手に全快状態で復活してしまう特性がある。瘴気紋を召喚師が封印しない限り、撃退することはできない。
「……今この場に、召喚師はいません!」
「く……!」
やむなくそう報告すると、遠目にアシュリーが歯噛みしているのがわかった。
ふと、彼女がこの場に来ていることから思い立つ。
「テオ君やマナヤ君は!? 一緒ではないのですか!?」
「……すみません、あたし一人です!」
どこかバツの悪そうな様子で、正面へ剣を構えながらそう叫び返してきた。
何かあったのだろうか。そう直観するが、今はそれどころではない。
瘴気紋のいくつかが宙に浮かび上がり、スカルガード達が復活する。
「……! 【ライジング・アサルト】」
と、何か思いついたかアシュリーがこちらへと跳んでくる。
「――ランシック様! 岩で大穴をふさぐことはできますか!?」
ランシック達がいる防壁の上に跳んでくるや否や、そう問いかけてきた。




