162話 川岸の遭遇戦 急変
商人ウォースに運搬テストの協力をしてもらった、三日後の昼。
「【跳躍爆風】!」
パトリシアが、自身が乗っているゲンブを跳躍爆風で川下に向かって滑らせた。
滑らかにウェーブがかった緑髪を靡かせながら、川の流れをじっと真剣に見つめている。快晴の日をめいっぱい浴びている川面はキラキラと煌めき、この季節にしては暖かく爽やかな雰囲気を醸し出していた。
「……こっち! 【跳躍爆風】!」
川がカーブにかかった所で、まだ滑り終わらぬゲンブに再び跳躍爆風を発動。
角度を変えて発動したその跳躍爆風で、ゲンブは曲がる川の流れに沿ってスムーズに滑っていった。
「素直に巧いな、パトリシアさんよ」
パトリシアの後ろに同乗していたマナヤが、思わず感嘆混じりに褒める。
マナヤは今、パトリシアと共に『モンスターを使った運搬』の訓練を行っていた。
商人ウォースによって運搬業が現実味を帯びてきた今、急ピッチで川を伝っての移動を練習する必要があった。パトリシア以外の、あの集落に居た召喚師達も同じ練習をやらせている。
「ふふっ。マナヤさんが手放しに褒めてくださるのって、初めてですね」
前を見据えたまま、実に嬉しそうに言うパトリシア。いつだったかの、常に怯えていた彼女の姿が嘘のように活き活きとしている。
「まぁな。まさかパトリシアさんに、こういう才能があったとはあったとは」
川のカーブに合わせて、ゲンブの慣性を感覚的に計算しながら滑らかに移動させているパトリシア。そんな彼女の手並みを見れば、さすがのマナヤも舌を巻かざるを得ない。先に練習ができていたはずのマナヤやテオよりも、ずっと巧い。パトリシアにセンスがあった、ということか。
「自分が、こんなスピードで自由に動き回れるのが、すっごく楽しいんです」
パッと一瞬だけこちらに振り返ってそう言ったパトリシアの表情は、とても朗らかで爽快だ。
ずっとブライトンによって囚われの身だった彼女。どんな表情をして対応すれば良いか、迷ってしまう。
「っと、まただいぶ川幅が広がってきてるんだな、この辺は」
少し胸が痛くなったマナヤは、ごまかすように周囲を見回して言った。
「そうですね。さっきからどんどん広くなってます。その分、流れも遅めですね」
地形も割と平坦になっているためか。先ほどから川の流れが遅くなり、そして反比例するように川幅はどんどん横に広くなっていた。
この辺りは既に、川幅が十メートルほどはありそうだ。対照的に水深はどんどん浅瀬になっていっている。
「――あ、マナヤさん! 今、わたしとあなたで二人きりですよね!」
などと、今さらなことを言いだしながらこちらへと妖艶に振り返る。そんな仕草にマナヤは、あからさまに顔をしかめた。
「おい、約束を忘れてないでしょうね」
「いいじゃないですか、求婚してるわけじゃないんですから」
と、わざとらしく体を後方へずらし、マナヤへとすり寄ってくる。
「あのな、あんたが真面目にやるっていうから、二人での練習を許したんですよ」
「今ならアシュリーさんだって見てませんし、こんな時くらい、ね?」
「よし、俺ちょっと今すぐテオと交替して――」
「ま、待って待って! もう、なんでそんな意地悪するんですか!」
切り札を持ち出して、ようやくパトリシアは膨れっ面ながらマナヤから離れて前方に集中する。
こうやって召喚師のみでの移動を練習しているのは、安全確認のためだ。
モンスターに載せる荷の量によっては、護衛を同乗させることができないかもしれない。それでも運用できるかどうか、試験する必要があった。
「……あれ? あの、マナヤさん」
「あ? 今度は何を企んでるんで?」
「ち、違いますって! アレです、何か向こうから上ってきます」
パトリシアが跳躍爆風の連射を中断し、前方を指さす。
そちらに視線を向けると、川下の方から銀色の何かが川を上ってこちらに近づいてくるのが見えた。
「ありゃ、野良のナイト・クラブか? パトリシアさん、対応できるな?」
「えっと……マナヤさん。あのナイト・クラブ、誰かが乗ってます」
「なんだと? 俺達と同じことをやってる奴が?」
パトリシアの指摘に、もう一度前方から近づいてくるナイト・クラブへと目を凝らす。
確かに、人影がナイト・クラブの上に乗っていた。今自分達が乗っているゲンブと同様、瘴気を纏っていない。跳躍爆風で川面を滑らせるように移動しているのも同じようだ。
(この辺りは、領境が近い……他領の召喚師がこの移動法を思い付いたか、あるいは)
嫌な予感がする。
険しい顔でその人影を睨みつけながら、パトリシアにそっと囁いた。
「パトリシアさん、俺をその辺の岸に下ろして、集落に戻れ」
「え? で、でもマナヤさん?」
「急げ! もしかしたら、あいつは――」
モンスターに乗る、などという発想が出せる相手は、限られる。
この国で、そんなことを思いつくような存在が居るとすれば、一つ。丁度この国にやってきているという情報が入っている、あの組織だけだ。
「……! 貴様、マナヤァッ!!」
「ヴァスケス!」
人影の顔が見えるほど近づいてきたナイト・クラブ。その背には、召喚師解放同盟の一員『ヴァスケス』が乗っていた。
唐突といえば、あまりにも唐突。一瞬にして、空気が緊迫する。
「ちっ! パトリシアさん、とにかく早く戻れ!」
「で、でもマナヤさん!?」
「お前を守ってる余裕は無ぇ、邪魔だ!」
戸惑うパトリシアを叱り飛ばす。
少なくとも、ここに来るまでの間には誰も出会わなかった。同じ道を通れば、他の敵に鉢合わせはしないだろう。仮に鉢合わせてしまっても、パトリシアの跳躍爆風の腕なら振り切れるはずだ。
それより、ヴァスケスにパトリシアを人質に取られる方が厄介なことになる。
ひらりと、強引にゲンブから飛び降りて左の岸に着地するマナヤ。
逡巡していたパトリシアだったが、殺気に満ちたマナヤの横顔を見て覚悟を決めたらしい。上流の方を向き、跳躍爆風で川を一気に上っていった。
――マナヤ、気をつけて!
(大丈夫だ! お前は、無関係な奴が現れて俺がそいつを攻撃しちまいそうになったら、すぐ俺を止めてくれ!)
――うん!
頭の中で話しかけてくるテオに、そう頼む。
今のマナヤでは、戦いの最中で敵味方を選別する余裕が持てないかもしれない。もし無関係の通行人が現れたら、テオに止めてもらわねばならない。
テオの存在に安心感を抱きつつも、すぐにヴァスケスへと意識を集中する。
(……勝負開始!)
頭を、戦闘モードに切り替える。
先ほどまでの、和やかな雰囲気が一変。殺気の飛び交う戦場の雰囲気へと化した。
「こんな所で、貴様と出会うとはな。マナヤ」
「……【スター・ヴァンパイア】召喚!」
十数メートルほど離れた位置で、ナイト・クラブを岸に着けたヴァスケス。そんな彼を睨みつけながら、すぐさまマナヤは召喚紋を目の前に展開。
冒涜系の上級モンスター、スター・ヴァンパイア。透明で姿は見えないが、今しがた召喚されこの場に佇んでいるはずだ。
ヴァスケスは、青く長い前髪の隙間から殺気の篭った目で睨みつけてきた。
「貴様と戦うのはまだ時期尚早かとも思ったが、出会ってしまったならば是非もない! トルーマン様の仇、取らせてもらう!」
「こっちの台詞だ! 生きてやがったってんなら、今度こそ覚悟しやがれ! 父さんと母さんの仇、最後の一人まで取ってやらぁ! 【戻れ】!」
互いに啖呵を切り合い、マナヤは一旦スター・ヴァンパイアに『戻れ』と命じる。そして、ヴァスケスの方へ向かってマナヤ自身が突撃していった。ナイト・クラブを無視し、ヴァスケスを直接叩きに行くためだ。
「甘い! 【鎚機SLOG-333】召喚!」
しかしヴァスケスは手をかざし、巨大な召喚紋を展開。
その中から、巨大な樽のような金属製の胴体、その下部に車輪が生え、上端には半球の頭部を持つロボットが現れた。
機甲系の最上級モンスター、鎚機SLOG-333である。
それを見て取ったマナヤは一旦足を止めた。
「【グルーン・スラッグ】召喚! 【行け】!」
そして、人間より二回り大きい巨大なナメクジを召喚。
冒涜系の中級モンスター、『月桂の蛞蝓』。ぶよぶよとした肉体で打撃を受け付けず、強酸で攻撃できるモンスターだ。
ずるずると、雪が少し被っている黒い地面を這っていくグルーン・スラッグ。
一方ヴァスケスの鎚機SLOG-333は、鈍い振動音を立てる。
胴体にくっつけていた三つの巨大な鉄槌を、宙に浮かべた。攻撃体勢だ。
「【電撃獣与】!」
途端、ヴァスケスが呪文を唱える。
鎚機SLOG-333の三つの鉄槌に強烈な電撃が纏う。
鉄槌三つが、鈍い音を立てながら一気にグルーン・スラッグへと飛び掛かった。
「……」
電撃防御で対応できるタイミング。
が、マナヤはあえてそれをスルーし、立ち向かうグルーン・スラッグを見送る。
守らなかったのが予想外だったのか、ヴァスケスが片眉を吊り上げた。
――バヂヂヂィッ
一気に飛来した鉄槌が、三つ全てグルーン・スラッグに同時に直撃。
打撃自体は軟らかく受け止めたが、電撃は防げない。
グルーン・スラッグの肉体が一気に焦げる。
「【電撃防御】!」
そこでようやくマナヤは電撃防御でグルーン・スラッグを守る。
水色の防御膜が巨大ナメクジの全身を取り巻いた。
直後、グルーン・スラッグが頭部の触手から吐き出された強酸。
それが、鎚機SLOG-333の全身を僅かに溶かす。
想定していたと言わんばかりに、ヴァスケスが鎚機SLOG-333へ手をかざした。
「ふん、ならば【精神獣――」
「【スター・ヴァンパイア】、【行け】!」
「なに!?」
しかし既に、マナヤはヴァスケスのナイト・クラブの元へとたどり着いていた。
ヴァスケスが瞠目。スター・ヴァンパイアの透明化が解除され醜悪な体を晒す。
「【火炎獣与】!」
その瞬間、マナヤはスター・ヴァンパイアが振り下ろそうとした鉤爪に炎を纏わせた。
紅い火炎が取り巻きながらナイト・クラブの甲羅を襲う鉤爪。
ナイト・クラブの強固が甲羅を、炎の鉤爪が焼き斬った。
飛び散る青い鮮血が、スター・ヴァンパイア全身に生えたウツボのような突起に吸い込まれていく。
「ちっ! 【火炎防御】」
舌打ちしたヴァスケス。
ナイト・クラブは捨て置き、炎を防御する補助魔法を使う。
鎚機SLOG-333を橙色の光膜が取り巻いた。
どうせナイト・クラブを守ろうとしたところで、スター・ヴァンパイアに押し切られる。そう判断し、次にスター・ヴァンパイアが襲うであろう鎚機SLOG-333の保身を優先したのだろう。残り少ないマナの使いどころをわきまえたのだ。
(やっぱりコイツ、判断は良い)
マナヤは殺気を迸らせた目で、しかし頭は冷静にヴァスケスの判断力を分析。
もともとヴァスケスは、マナヤから見ても召喚師解放同盟中で最も召喚戦に長けていた。今、それにさらに磨きがかかっているように見える。まるで、ゲーム時代の対人戦のようだ。
スター・ヴァンパイアの鉤爪数撃で、ヴァスケスのナイト・クラブは倒され消滅。
「……【戻れ】」
ヴァスケスは後退しながら、鎚機SLOG-333を自身の元へと引き寄せる。
車輪が動き、鎚機SLOG-333の巨体が高速で後退していった。
グルーン・スラッグが置き去りになる。
(さては、こいつ)
その動きから、マナヤはヴァスケスの狙いが読めた。
鎚機SLOG-333でスター・ヴァンパイアを直接叩くつもりだ。
目指しているのは、透明化しているスター・ヴァンパイアがいるであろう地点。
そこへ、ヴァスケスが到達した瞬間。
「【行け】!」
ヴァスケスは、改めて鎚機SLOG-333に攻撃命令を下しなおす。
……が。
「な、何!?」
ヴァスケスが狼狽える。
鎚機SLOG-333がスター・ヴァンパイアへ向かわなかったからだ。
反転し、先ほどのグルーン・スラッグへ向かって突撃してしまった。
(狙いは悪くなかったよ。だが、経験が足りねえ)
マナヤは心の中でひとりごちる。
確かにモンスターは、原則として一番近い敵を狙うようになっている。が、グルーン・スラッグは電撃を帯びた鉄鎚の攻撃を受け、HPが減っていた。
距離の差が僅差の場合、モンスターはHPが低い方の敵を優先的に狙うようになる。HPが低ければ低いほど、そちらへと吸い寄せられてしまいやすい。
先ほどマナヤは、そのためにグルーン・スラッグへの防御魔法を遅らせたのだ。グルーン・スラッグのHPをあえて減らしておき、盾にし続けるために。
(これでこっちは、スター・ヴァンパイアとグルーン・スラッグの二体がかりだ)
鎚機SLOG-333は、打撃耐性を持つグルーン・スラッグばかり殴ろうとするだろう。スター・ヴァンパイアの安全を確保しつつ、二対一に持ち込める。
「く……【精神獣与】」
ヴァスケスは精神獣与を鎚機SLOG-333に。
電撃を纏っていた三つの鉄槌が、黒いエネルギーに上書きされる。精神攻撃力が付加され、先ほどまで纏っていた電撃の威力も精神攻撃力へと変換されたのだ。電撃獣与と精神獣与のコンボである。
強烈になった黒いエネルギーを纏う鉄鎚が、巨大ナメクジを直撃。
グルーン・スラッグは自身のマナを一撃でゼロにされ、崩れ落ちる。
そのまま、宙に溶けるように消滅していった。
しかし、マナヤはほくそ笑む。
「かかったな! 【精神防御】!」
すぐさま、スター・ヴァンパイアに精神攻撃を防御する補助魔法をかけた。
今、鎚機SLOG-333は『打撃+精神攻撃』という攻撃属性となっている。スター・ヴァンパイアに精神攻撃耐性を与えてしまえば、打撃攻撃成分だけ警戒すれば良い。
しかも今、鎚機SLOG-333はグルーン・スラッグの強酸を浴びたせいで斬撃に弱くなっている。機械由来の斬撃耐性を失い、スター・ヴァンパイアの攻撃が完全に通る状態だ。一方スター・ヴァンパイアは、『亜空』という特殊な肉体を持ち、物理攻撃全般に二十五パーセントの耐性がある。優位がこちらに傾いた。
「――かかったな」
しかし、今度はヴァスケスがほくそ笑む番だった。
突然目を閉じ、そして高らかに叫ぶ。
「【リミットブレイク】!」
「なっ!?」
思わず目を見開いたマナヤは、慌てて飛び退いて距離を取った。
次の瞬間、閃光と共に放出される強烈な電撃。
鉄鎚をスター・ヴァンパイアに叩きつけようとしていた鎚機SLOG-333が、周囲に放電したのだ。
「ぎ……ッ!」
咄嗟に飛び退いたマナヤだが、電撃をいくばくか食らってしまう。
至近距離で食らわなかっただけマシだが、全身が痺れ、皮膚が焼かれた。
(ぐッ、俺のスター・ヴァンパイアも……!)
そしてマナヤのスター・ヴァンパイアも、電撃に焼かれその体が崩れかけていた。
スター・ヴァンパイアは元々、電撃には耐性がある。が、精神防御をかけたことにより、電撃耐性は精神耐性に反転していた。電撃は逆に弱点属性となってしまっている。
(こいつ、どうしてリミットブレイクを知ってやがる!?)
リミットブレイク。
物理攻撃を行うタイプの最上級モンスターが持つ、特殊な攻撃法だ。攻撃モーション中に、召喚師がその最上級モンスターへ視点変更し、『リミットブレイク』と念じることで発動する。
鎚機SLOG-333の場合は、周囲への放電。絶大な威力を持つ電撃を一定範囲内にばらまくことができる。
(確かに一度、テオがヴァスケスらの前でリミットブレイクを披露したことはあったが……!)
自分が『流血の純潔』を散らし、表に出ることを拒否していた間の戦いでのことだ。
しかしあの時、テオはそれを発声はしていなかった。ヴァスケスが『リミットブレイク』という発動キーワードを知るはずがない。
そう、マナヤが書いた教本を読むでもしない限りは。
(……まさか、こいつ!)
しかし訝しんでいる暇はない。
幸い、ダメージを受けたことでマナも回復している。
瞬間的にマナヤは、自分の立ち位置と状況から作戦を立案。
懐を探り、目当ての錬金装飾を握り込む。
「【魔命転換】!」
まずは、スター・ヴァンパイアの治癒。
魔命転換、『亜空』モンスターを治癒出来る魔法だ。
「悪あがきを! 【秩序獣与】」
ヴァスケスは、鎚機SLOG-333に神聖属性の攻撃力を付加。
青白い神聖な光が、宙に浮く三つの鉄槌を取り巻いた。
(いいぞ、そのままマナを消費しろ)
狙い通りだ。
スター・ヴァンパイアの炎を纏った鉤爪が一閃。
鎚機SLOG-333の金属の身体を、赤い軌跡が引き裂く。
が、火炎ダメージは先ほどヴァスケスがかけた火炎防御で無効化されている。
そして、鎚機SLOG-333の次撃。
神聖な光と黒いエネルギーを同時に纏った三つの鉄槌が、スター・ヴァンパイアへと飛来し――
「【次元固化】!」
瞬間、マナヤがスター・ヴァンパイアに手をかざす。
星の精の醜悪な肉体が、円錐状の黄色い障壁に閉じ込められた。
スター・ヴァンパイアの動きが止まり、三つの鉄槌はその障壁に弾かれる。
モンスターを一時的に攻撃不可かつ移動不可にする代わりに、無敵化する魔法だ。
「だが、今度は逃さん!」
それを確認したヴァスケスは、マナヤを睨み据えて叫ぶ。
今、マナヤを守ってくれるモンスターは、いない。
鎚機SLOG-333が、車輪から土煙を上げてマナヤへ迫る。
「っ!」
その時、マナヤは握り込んでいた錬金装飾を左手首に装着。
そのブレスレットについている、玉を抱えた兎のようなチャームが光った。
――【跳躍の宝玉】
「だあッ!」
一気に地を蹴り、幅十メートルほどの川を跳び越える。
大きく宙を舞い、反対側の岸へと着地した。
途端に、鎚機SLOG-333がたたらを踏む。
機械モンスターである鎚機SLOG-333は、水に入れない。無理に入るとショートして機能不全に陥るためだ。
「逃がさんと言ったはずだ! 【跳躍爆風】!」
が、ヴァスケスはすぐさま鎚機SLOG-333を跳ばす。
宙を舞った鎚機SLOG-333は川を跳び越えた。
マナヤのいる反対側の岸へと轟音を立てて着地。
周囲に積もった雪を舞いあげる。
「――せいッ!」
しかしマナヤは、再び跳躍。
「な、にっ!?」
驚くヴァスケスが、自身の元へと戻ってくるマナヤを目で追う。
「想定通りの動きをしてくれてありがとよ」
もとの場所に舞い戻ってきたマナヤは、不敵な笑みで改めてヴァスケスと対峙。
「馬鹿正直に、鎚機SLOG-333とやり合う必要なんか無ぇからな」
川を背にするような形でほくそ笑むマナヤ。その背後では、川の対岸で鎚機SLOG-333が右往左往している。
機械モンスターは、水に触れることができない。川を渡ることができず、マナヤを追えずにいるのだ。
(召喚戦は、敵のモンスターを倒すことが目的じゃねえ。召喚師さえ倒してちまえばそれで良い)
敵モンスターを封じ込めてしまえれば、苦労してまで倒す意味などない。あちらの世界でマナヤがプレイしていた『サモナーズ・コロセウム』でもそうだった。
「チッ、この――」
「おおっと、そうはいくかよ! 【ショ・ゴス】召喚ッ!」
慌てて川を渡ろうとするヴァスケスの行く手を遮るような形で、マナヤは川を背にして手をかざす。
召喚紋の中から現れたのは、直径三メートルほどの巨大な黒い肉の塊。真っ黒な細胞が無数に集まったかのような醜悪な塊が、じゅくじゅくと気味の悪い音を立てながら蠢いている。
冒涜系の上級モンスター、奉仕種族。
周囲にマナを削る精神攻撃を放つモンスターだ。
「く、おのれ……ッ」
ヴァスケスは慌てて後退する。
彼はおそらく、鎚機SLOG-333に補助魔法をかけに行こうとしたのだろう。
補助魔法『反重力床』ならば、鎚機SLOG-333を地面から少し浮遊させ、水の上を低空飛行するような形で渡らせることができる。
が、マナヤのショ・ゴスが居るとなると、迂闊に川岸に近づけない。
召喚師が精神攻撃を受け、マナを削られてしまえば即刻負けに繋がる。しかもショ・ゴスの攻撃には、マナを持続的に削る『魔叫』という状態異常まで付加されている。
す、とマナヤがショ・ゴスへ手をかざした。
ビクリとヴァスケスが身を震わせ、反射的に後退しようとするが踏みとどまる。
今すぐ、ショ・ゴスを跳躍爆風でヴァスケスの方向へ跳ばしても良い。
が、この距離ではヴァスケスを跳び越え、背後に着地してしまうだろう。そうなれば、前方が空いたヴァスケスに川を渡られ、鎚機SLOG-333に魔法をかけられてしまう。
ヴァスケス自身も、それがわかっているから前進も後退もできない。
が、とっさに最良の位置取りをしたのは流石というべきか。ショ・ゴスの攻撃の射程外で、しかし跳躍爆風で接敵されもしない絶妙な位置だ。
「……ッ」
「おっと、【戻れ】」
ヴァスケスが横へと回り込もうとする
しかしその動きを、マナヤも川を背に一定の距離を保ったまま追従。
ショ・ゴスも近くへと寄せ、いつでも跳躍爆風で跳ばせるように牽制する。
ヴァスケスが歯噛みし、無駄だと悟って足を止めた。
それに伴い、マナヤもショ・ゴスを【待て】命令に切り替える。
相手の動きに注意を払いながらも、マナヤは問いを投げかけた。
「今のうちに、一つ聞いとくぞ。お前、リミットブレイクのことをどこで知った?」
「……」
「お前、俺の教本を読んだな? でなけりゃリミットブレイクってキーワードを知ってるはずがねえ」
以前の反応から考えても、リミットブレイクの存在を彼らは知らなかったはず。キーワードを知らぬ以上、簡単に発見できるとも思えない。
「答えろ。いつ、どこで俺の教本を読んだ?」
「……ふん」
ヴァスケスは、脂汗を流しながらも鼻を鳴らす。答える気はないということか。
「……ま、いいさ。どの道、もう関係ねえよ」
すう、とマナヤが目を細めながら言う。
もう、中級モンスター召喚か上位の補助魔法を使えるだけのマナは回復した。ヴァスケスが何をしようが、もう詰みだ。
「召喚、ッ!?」
マナヤが召喚しようとした、その時。
視界の隅に青いものが映り、咄嗟にショ・ゴスの背後に回る。
――直後、稲妻が落ちた。
「くっ!」
閃光に思わず目を腕で覆うマナヤ。
ショ・ゴスが稲妻の直撃を受け、その真っ黒い身体がぐらりと崩れかける。
「なんだ、これは……」
ヴァスケスも茫然としている。
しかしすぐに、マナヤとヴァスケスは雷が飛んできた方向……上空へと視線を向けた。
凄まじい風圧が二人の間を駆け抜け、何かが空中で彼らの頭上を横切る。
南西の空から飛来してきたのは、翼を広げた巨大な紺碧のシルエット。
遠目だが、翌長は十数メートルほどか。蝙蝠のような、しかしエメラルド色に煌めく膜翼を大きく羽ばたかせ、空を舞ってまっすぐこちらへと飛んでくる。
翼の持ち主は、首が長く前足が小さい蜥蜴のような姿。その全身は青空よりも深い青一色で、太く長い尻尾を揺らしながら空中でバランスを取っている。
頭部はワニのようでもあったが、目の後ろから生えている短い円錐状の角が二本。
「――サンダードラゴン!?」
ゲームでも見覚えのあるシルエットに、マナヤが瞠目する。
伝承系の最上級モンスター、四竜の一角である『サンダードラゴン』。
唯一空を飛べる竜であり、その口から凶悪な威力の稲妻を吐くことができる。他の竜のように範囲攻撃はできないが、そのぶん稲妻のブレスは距離に関わらず凄まじい破壊力を誇る。
そして、あの空飛ぶ雷竜は、瘴気を纏っていない。
召喚獣だ。




