151話 フィルティング男爵領
「――ほうほう、なるほどなるほど。今この時期は、季節の初物が売れ筋なのですね!」
「ええ。ちょうど冬の作物が穫れ始める時期。こんな今だからこそ、我々商人は稼ぎ時なのです」
ランシックと、彼の隣に座った商人ウォースが談笑している。
最初はこの商人も、貴族の馬車に同席とあって緊張しきっていた。が、ランシックの気さくな態度を受け、すっかりリラックスしたようだ。
ちなみにウォースが連れていた者達は、元々の馬車に乗ってもらいこちらの馬車の後ろからついてきている。
「そして今は、まだ雪もさほど積もらず旅にもそう困りはしない時期。なので、今のうちに運べるだけの作物を運んでおきたいのです」
「初物ゆえに、高く売れると。では、初動の早さと量が肝心ですね!」
「その通りです。何よりも早さが重要ですね。後になればなるほど、初物が出回りすぎて値下がりします」
商人トークが異様に長く続き、ランシックの逆隣りに座っているアシュリーが可愛らしくあくびをしていた。
テオの右隣に移動したシャラも、それを見て苦笑している。
「……パトリシアさん、大丈夫?」
「は、はい、大丈夫です」
そっと、逆隣に座っているパトリシアに声をかける。
彼女もようやく慣れてきたとはいえ、やはり初対面の男性であるウォースには竦みあがってしまうようだ。
「ふむ。しかしウォース殿、フィルティング男爵領に特産は無いと聞いていますが」
「ええ、問題はそこなのですよ。人が集まる場所は商人にとって稼ぎどころですが、仕入れる品が無いのは困りものです。行きはともかく、帰りで稼ぐことができませんからね」
ランシックは矢継ぎ早にウォースに質問し続けている。そのおかげか、ウォースはパトリシアの方には視線を向けないし、その分パトリシアも多少は気が楽になっているようだ。
「――ああ、見えてきましたよ。あれがフィルティング男爵領の領都、エディーヌです」
と、そこで商人ウォースが窓の外に気づいて声を上げた。馬車の中の者達が、一斉に窓へと視線を移す。
馬車が向かっていく先にあるのは、ややくすんだ橙色の防壁。雪景色に鮮やかな橙が異様に目立って見える。その橙の防壁てっぺんにも、多少の雪が積もりつららを形成していた。
また、防壁の手前に橋がかかっている。どうやら、領都のすぐ側に割と大きな川が流れているようだ。
が、そこでウォースが少し顔を曇らせた。
「ですが、領に入るのであればお気をつけください。特に、テオさんは……」
「……召喚師を排斥している領、でしたね」
テオ自身が言ったその言葉に、ピクリとシャラの手が微かに震えるのがわかった。
「はい。まあ、お貴族様がご一緒なら、滅多なことにはならないと思いますが……」
と、ランシックの方へと顔を向けたウォースが続けた。そのランシックが頷いて、テオへと笑顔を向ける。
「そうですね。テオ君、我々は特務外交官権限でこの場に来ています。なので、貴方が領法で追い出されることはありません。そこはご安心ください」
「ありがとうございます、ランシック様」
「なぁに、お礼ならばマナヤ君ともども、ワタシの下で三ヶ月ほど働くという対価で返して頂ければよいのですよ! ツッコミ役として!」
「え、は、え……?」
雲行きが怪しくなってきた。が、ランシックはキラキラとした目でテオを見つめつつ、がしっと肩を掴んできた。
「ふっふっふ、覚悟してください。この機会に、テオ君とシャラさんのお二人にも夫婦マンザイの練習をしてもらって、それを参考に――」
――コンコン
「……うん? どうしました、レヴィラ」
「あれ、レヴィラさん?」
そこで唐突に、馬車の窓が叩かれる。ランシックが首を傾げる中、その窓際にいたアシュリーが窓を開いた。
「――ランシック様。何か無茶なことをなさろうとはしておりませんか」
「なんと! レヴィラ、貴女にはワタシの悪だくみがわかってしまうのですか! 素晴らしい以心伝心です!」
「悪だくみの自覚がおありなら自重してください」
「ですからワタシに死ねと!?」
おどけるように額を押さえてみせるランシック。呆れたように頭を振るレヴィラ。あたふたとしているウォース。
テオも、アシュリーやシャラと顔を見合わせながら戸惑うしかなかった。
***
門をくぐって領都に入ったテオ達は、そのまま領主邸へと案内された。防壁に囲まれた領都の中でも、ひときわ高い丘の上に築かれた屋敷だ。
防壁と同じく、橙色を至るところに使っている屋敷。壁面は橙と白の二色が主体となっているし、彫刻や城内の壁画も橙色を使っているものが多い。
「……」
「……?」
途中、領主に仕えていると思しき無言の騎士達とすれ違う。が、テオは何か彼らの表情に違和感を覚えた。
(この人達、なんだろう……怯えてる?)
表情を隠そうとしてはいるようだが、テオにはなんとなく伝わってしまった。
しかし彼らは、一体何を恐れているというのだろうか。領主が恐ろしい人物なのではないかと、少し身震いする。
やがて、使用人に導かれるまま奥の扉の前へと案内された。
「よくぞお越しになられた、コリンス王国のヴェルノン侯。私がフィルティング男爵現当主、クライグ。ナ・クライグ・フィルティングである」
と、応接間のような部屋へ案内されたテオ達は、領主の歓待を受けた。当主本人が自ら、恭しくお辞儀をしてくる。
クライグと名乗ったこの領主は、まだ若々しい。二十代前半に見えるランシックと同等か、なんならさらに若いように見える。
茶色に近い金髪を短く切りそろえ、前髪を簡素な髪留めで留めていた。礼服も橙色を基調としつつ、金刺繍や白なども取り入れた緻密なものだ。
(怖い……って、雰囲気じゃないけど)
威厳はそれなりに感じるが、恐ろしいというほどではない。
そんな領主の背後には、白髭を生やした側近らしい男が控えていた。歳は四十ほどだろうか。ピンと張った背筋と優雅な立ち振る舞いは、熟練の執事を思わせる。
「我がコリンス王国、ジャミソン・ヴェンジックス七世国王陛下の名代で参りました、ヴェルノン侯爵家が第一子、ランシック・ヴェルノンです。事前に通達があったとは存じますが、このたびはブライアーウッド王国のラルソナ・カッツェ・ブライアーウッド国王陛下より『特務外交官権限』を戴き、こうして調査に参った次第でございます」
先ほどまでのおちゃらけた様子はどこへやら。ランシックは引き締まった顔で胸に手を当て、すらすらと言葉を並べていく。
テオも彼に倣い、胸に手を当てて僅かに頭を垂れた状態で立っていた。アシュリーとシャラ、ディロン、レヴィラも同様にしている。パトリシアは、テナイアと共に馬車の中で待機してもらっていた。
「この寒空の中、長旅でお疲れだろう。客間を準備させた、そちらでゆるりと体を休められよ」
鷹揚に頷いたクライグ。
男爵である彼より、ランシックの家であるヴェルノン侯爵家の方が身分は上のはず。にもかかわらず、さして下手に出る気もないようだ。
他国の貴族だからか、ランシックが侯爵本人ではなく長男にすぎないためか。はたまた、特権を振りかざす特務外交官権限持ちを疎んでいるのか。
(……特務外交官権限を疎んでるのは、間違いない)
男爵の微妙な表情から、テオはそう結論付けた。
「フィルティング男爵。お気持ちはありがたいのですが、我々には早急に為すべきことがございます」
と、ランシックが胸に手を当てたままそう切り出す。男爵は怪訝そうに首を傾げた。
「早急に為すべきこと、とは?」
「ご存じの通り、コリンス王国が大陸安全保障条約のもとで要請しました、『黒い神殿』。我々は、その調査のためにこの地に参りました。まずは、男爵から正式に調査の許可を頂きたく」
「……なにゆえ、我々の領なのだ?」
と、男爵がその提案に難癖を示している。その返問に、ランシックは大げさに片眉を吊り上げていた。
「お言葉ですがフィルティング男爵、これはそちらの国の国王陛下が指示されたことでございます」
「それが解せぬというのだ。陛下は何を考えておられるのか……我が領にあらぬ疑いをかけると言われるのか」
そう言って頭を振る男爵。
話を聞いていたテオは、胸に手を当てたポーズのままハラハラとする。
(この領主様、国王陛下の決断に異論を……?)
確かにこの国は、王族が領主のやる事にとやかく口出しはしない、という方針であることは聞いた。しかしだからといって、いち男爵がこうも堂々と国王の決めたことに文句をつけて良いものなのだろうか。
すると、後方に立っていた白髭の側近が慌てたように小さい声で進言した。
「クライグ様。特務外交官権限をお持ちの御方に言われれば、こちらとしては出さざるを得ません」
「……そうか、そのようだな。致し方あるまい、調査許可を出す。書類をこちらに」
と、苦虫を噛み潰したような顔で指を弾いた。即座に、側近らしい男がこちらに向かって小さく一礼し、応接間から出ていく。
(なんだろう、この感じ……)
一連のやり取りに、テオは違和感を覚える。ざわざわと背筋が騒ぐ。
ただ、特務外交官権限のことを嫌っているというだけではない。そんな直感が走った。
そんな中、笑顔に戻ったランシックが恭しく頭を下げる。
「フィルティング男爵の寛大な采配に感謝を。ときに、一つお尋ねしても?」
「……権限を振りかざしておいて、寛大などとよく言う。して、なにか?」
「なにゆえ、『召喚師』の排斥を? そのあおりを受け、領内でモンスターの異常発生が頻発していることはご存じでしょうか?」
このランシックに問いに、今度は男爵が片眉を吊り上げる番だった。
「何を言われる。召喚師がモンスターの数を減らすなど、迷信であろう?」
男爵のこの返答に、思わず顔を跳ね上げてしまいそうになる。
(この人は、一体何を!?)
テオが必死に堪える間にも、ランシックは淡々とした様子で追及していた。
「迷信、と断言される理由はわかりかねますが……」
「召喚師を排した我が領内では、モンスターはむしろ減少の一途を辿っている。召喚師が何も寄与していない証拠だ」
「我々がこの地を訪れる際、領境でモンスター襲撃を受けた馬車に出くわしたとしても、でございますか?」
「何?」
と、男爵の声が若干上ずるように聞こえた。なおもランシックは止まらない。
「商人の間では、フィルティング男爵領は領都から離れた場所では逆にモンスター襲撃が増えている、との噂が広まっているそうです」
「……っ」
「領主お付きの騎士に奏上したと、その商人も仰っておりました。報告は届いておられますか?」
「し、知らぬ。そのような報告は聞いておらん! 聞いておれば、領民のためにもこの私が即刻対処している!」
にわかに声を荒げ、焦り出す男爵。
(……なんだろう、この感じ)
彼のその表情に、またしても違和感を覚えるテオ。
と、そこへ扉がノックされ、先ほどの側近が書類を手に応接間に戻ってきた。
「クライグ様、書面をお持ちしました」
「う、うむ。ところでカノイ」
「はい」
側近の名は、カノイというそうだ。書類を応接間の中央テーブルに置くと、声をかけてきた男爵へと向き直り、背筋を伸ばす。
「領都に出入りする商人から、言伝など無かったな? モンスター襲撃に関して」
「……クライグ様。その言伝ならば十日前にご報告いたしました。お忘れですか」
「な、なんだと?」
小さくため息を吐くように側近カノイに言われ、狼狽する男爵。カノイとランシックの顔を、戸惑った表情で交互に見やる。
カノイは、今度はランシックに向けて深々と頭を下げた。どうもこの国では、身分問わず事あるごとに頭を下げるのが習わしであるようだ。
「失礼いたしました。クライグ様はまだ当主になって日が浅く……」
「いえ、構いません。ワタシもいずれは、侯爵家の跡継ぎとなる身。当主の重責は、骨身に沁みております」
と、ランシックが上品な笑顔を浮かべた。
痛み入ります、と側近カノイは返し、男爵の背後へと回るとそっと彼に耳打ちする。
「クライグ様。この状況では素直に謝罪をされるか、お詫びとして情報提供を申し出るかすべきかと」
「そ、そうか。……では、ランシック殿。今回の詫びとして、一つそなたの望む情報を与える。それでいかがか」
と、冷や汗を浮かべながら男爵が提案してきた。
(情報を与えるも何も、特務外交官権限で聞きだせることじゃないのかな……?)
お詫びになるようなことではない、と内心テオはそう思うが、口には出さない。貴族同士の交渉事は、ランシックに任せるべきだろう。
「では、早速。排斥された召喚師、彼らが向かった先をお伺いしたいのですが」
ランシックのその問いに、テオにも緊張が走る。
領都や町から排除された召喚師の境遇は、もちろん心配だ。だが、今はさらに別の不安要素もある。
(この辺りに、召喚師解放同盟の拠点がある可能性が高い。となると……)
排斥された召喚師達が、既に召喚師解放同盟に取り込まれていてもおかしくはない。
「……召喚師がどこへ向かったのか、それは私が知るところではない。彼らを領都や町から出ていくよう命じただけで、行先までは指定しておらん」
しかし、男爵の返答は冷淡なものだった。ランシックは淡々と質問を重ねる。
「では、もうこの領地には居ないと?」
「知らぬ。しかし、この季節に召喚師だけで移動するのは困難であるし、そもそも目立つ。領の外に出ている可能性は低いとみるべきだろう」
それ以上のことは、わからないようだった。
***
その後、テオらはすぐに応接間から解放され、それぞれ寝泊まりできる客間を与えられた。
客間自体も、贅を尽くした作り。全土が商売で盛んとなっているこの国の、それも領主邸ともなれば、そのくらいは普通なようだ。
「ふむ。まあ、あんなところでしょう。概ね想定通りです」
と、客間のソファに腰掛けたランシックが、テオ達に向かって静かにそう呟く。領主との交渉結果のことだろう。
「あれで、想定通りなのですか? 領主様、ずいぶんとその、非協力的に見えましたけれど」
「いいんですよシャラさん。反感を抱かれるのは当然です。せっかく制定した領法を我々がかき乱し、国にも自身の領を疑われているという状況なのですからね」
不安そうなシャラに対し、ランシックは実に飄々としていた。
「なんだか、頼りない領主様でしたね。召喚師を軽視するのはもちろん、側近の人に仕事を全部やってもらってるみたいな……」
と、不審そうな表情でアシュリーが呟く。シャラも若干戸惑い気味に、同意するように頷いていた。
「こんなこと言うのも何ですけど、私もあの領主さんじゃ、領民の皆さんが不憫な気がします」
「……どう、だろう」
シャラのその発言を受けて、テオがぽつりと漏らす。それを聞きとがめたか、ランシックが興味深そうに身を乗り出した。
「ほほう? テオ君、それはどういうことでしょう?」
「あ、も、申し訳ありません。領主様が怪しいとか、皆さんの意見がおかしいと言っているわけでは――」
「構いません。それより、テオ君の意見を聞かせては頂けませんか」
どうやら咎められるわけではないらしい。
テオは少し引け腰ながらも、少しずつ説明し始める。
「なんというか、あの領主様の一連の態度。違和感があったんです」
「ふむ、違和感とは?」
「それがその、はっきりしないんです。何というか、感情と態度が一致してないというか……」
興味深げに問いかけるランシックだが、テオとしても感覚的なもので説明が難しい。
貴族や騎士の上層部など、表面を取り繕うような態度を取る者達も、テオは最近よく見るのでわかる。
あの領主の態度は、本音を隠して発言していたり、ど忘れをしている者の態度とは、どこか違うような気がしたのだ。具体的にどこが違うのかわからず、もやもやとする。
テオの説明に、他の皆が不思議そうにテオを見つめていた。
そんな中、ランシックは目をぱちくりとさせる。そして、急にぱっと華が咲くように笑顔が溢れた。
「テオ君! やはり貴方、マナヤ君と共にワタシに仕えませんか!」
「えっ!?」
「ランシック様!?」
テオのみならず、ディロンも目を剥く。
しかしランシックはテオの両肩をがっしりと掴み、馬車内での勧誘の続きをやるように揺さぶった。
「マナヤ君は異世界からの救世主な上、マンザイの先輩! そしてテオ君も、貴族同士の腹の探り合いに便利な素晴らしい才能をお持ちだ!」
「あ、ちょっ、ランシック様――」
「貴方がワタシのもとに来てくだされば、これほど心強いことはありません! 今からでも――」
「そこまでです、ランシック様」
その間に割って入り、ランシックをテオから引きはがしたのはレヴィラだ。
「テオ殿には、テオ殿の生き方があります。貴族の権限を駆使して、それを奪い取って良いものではありません」
「むむむ……わかってはいますがね。これほどの原石を前にして磨くことも許されないとは、なんともったいない……」
冷静なレヴィラに諭され、しぶしぶといった様子で引き下がるランシック。そして彼は、テオ達に向かって机の上で掌を小さく翻した。『退席して良し』の合図だ。
レヴィラはもう一度テオらの方を向き、胸に手を当てて一礼するコリンス王国式の礼をとった。
「失礼しました。皆さまも長旅にお疲れでしょうから、それぞれの部屋でお休みください」
「え、えっと、はい」
テオが、アシュリーやシャラと顔を見合わせつつ、席を立った。




