145話 ランシックの資質
しばし後。
突然現れた貴族に平伏しようとする村人達を押しとめ、ランシックはさっそく『防衛機構』の解説を求めてきていた。
「ほほう! なるほど、これは『ピンサーゲート』の形ですね」
防衛機構の上に登り、一通りの構造を見下ろしたランシックはポンと手を叩く。
「ピンサーゲート、と言いますと……?」
「ああ、敵を迎え入れる入り口と通路を、このように左右の壁面で挟んでいる構造を言うのです」
建築士を統括している男の問いかけに、ランシックはそう解説する。
この防衛機構は、言うなれば『入り組んだ防壁内に敵モンスターを迎え入れ、どん詰まりになったモンスターを上から集中砲火する』という構造である。
あの横長の四角い出っ張り部分は、内部はコの字型の通路となっていた。通路の片方は防壁の外に通じており、モンスターがギリギリ一体入ってこれる幅の入り口にしてある。
その入り口から入り、垂直に二度曲がったその通路の先は、ただの行き止まりだ。
ランシックが、その行き止まりを指して問う。
「この行き止まりの部分に、猫機FEL-9を配置しておくのですか?」
「はい。モンスターをこの通路におびき寄せて、通り抜けようと四苦八苦している間に、弓術士や黒魔導師達が上から攻撃します」
構造の上端部分に取り付けられている壁は、防壁のてっぺんと同様に歯車の歯のような凸凹の突起が並んでいる。弓術士や黒魔導師達が、凸部分で敵射撃モンスターの攻撃から身を隠し、さらに凹部分の隙間から攻撃を発射できるようにしているのだ。『狭間胸壁』と呼ばれ、城壁の上などにもよく見られる構造である。
通路がコの字型に曲がっているのは、狭い範囲でモンスターに大回りをさせるため。人が防壁の上を通って構造の壁面上に移動できる造りになっており、そこから一方的に矢や攻撃魔法を射かけられる。
この通路に入り込んだモンスター達は、一方的に弓術士や黒魔導師らの攻撃を受け続ける。モンスターにとっての『死の回廊』ということだ。
「FEL-9に釣られて、モンスターは速やかにこの通路へとおびき寄せられます。モンスターが侵入してくる頻度はあがりますが、小規模ずつになります。村で待っていても、『間引き』ができるような状態になったのですよ」
建築士がランシックへと解説する。
モンスターは通常、人が多い場所へと集まるようにする習性がある。
が、それが障害物に加え、堀などもついて完全にガードされていると挙動が変わる。防壁を強引に破壊しようとしたり、あるいは逆に入る手段が無いと判断し寄ってこなかったりする。
この構造は、『侵入可能』なこの通路最奥に猫機FEL-9を配置し、村の近辺で出現したモンスターをあえて引き込む形にしてあるのだ。そうすることで、モンスターは発生次第この場所へと誘いこまれる。
海辺の開拓村が、海岸線にあえて防壁を造らないのと同じ理屈である。
しかもこの構造の場合、侵入通路から村の中には繋がっていない。なので、村の安全は確保されたままだ。
「ほうほう! で、具体的にはどのように運用されるのですか?」
「この防壁の裏側には、召喚師や弓術士、黒魔導師、建築士などが快適に待機できる施設を作ってあります。召喚師は、FEL-9を通路の行き止まりに配置しておくわけですね。モンスターが通路に入り込んできたら、弓術士や黒魔導師が上端に登って攻撃します」
「ふむ。しかし、攻撃はFEL-9に集中するのですよね。それが倒された後は厳しいのでは?」
「召喚師もFEL-9を延命したり防御用モンスターを囮に追加配置したりしながら、射撃モンスターや四大精霊などを使って攻撃に参加します。四大精霊なら、裏手の待機施設の中からでも通路内に攻撃できますから、事前に召喚しておくことも検討中です」
「なんと! この村の召喚師達は、四大精霊をお持ちなのですか!」
ランシックは本当に感心しているように、建築士の解説を聞いている。
この村の召喚師が四大精霊を持っているのは、村所属の召喚師の一人、カルのおかげだ。
彼は以前、スレシス村で発生した召喚師解放同盟との激突に参加した。その際、同盟の者達が出してきた四大精霊をたらふく封印したのだ。といってもウンディーネはいないので、サラマンダー、シルフ、ノームの三種をたくさん持っているというだけだが。
カルはその四大精霊を、この村の召喚師達に分配したのだ。だから村の召喚師達は、全員なんらかの四大精霊を所持している。
「いざという時には、建築士が通路の行き止まり部分を開いて、剣士を送り込むことができるようにもしています」
「なるほど。召喚モンスターを囮にして、剣士が厄介な敵を集中的に処理するのですね」
「その通りです。一応、誤って壁上の人員が内側に落下してしまった際の救助用も兼ねています」
行き止まりの壁の一部が、わざと薄く造られていた。石壁を操作できる建築士によって、いざとなったらそこを人が出入りすることができるようにするためである。
と、ここでランシックがふと首を傾げる。
「しかし、飛行モンスターや射撃モンスターにはどう対応するのです?」
「人がFEL-9と敵との直線上に立たないようにすれば問題ありません。結局、FEL-9が集中的に攻撃されますからね」
壁を飛び越えられる飛行モンスターはもちろん、射撃モンスターも壁越しに攻撃を仕掛けてくるものがいる。
が、狙われるのが猫機FEL-9であることには変わりない。立ち位置にさえ気をつければ、結局弓術士や黒魔導師などで一方的に攻撃し放題だ。
「なるほど、これは素晴らしい。最初から防御に優れた防壁があるわけですから、拓けた場所で行う『間引き』よりもずっと安全なのですね」
「はい。猫機FEL-9が敵を引き付ける仕組みや、モンスターの挙動。それらをマナヤさんから教わらなければ、この構造は思いつかなかったでしょう」
説明している建築士は、照れつつもどこか誇らしげだ。
ランシックの護衛をしている騎士達も、構造を興味深そうに眺めまわしている。
「ふむふむ。それなら、さらに胸壁に『出し狭間』をつけてはいかがです?」
「出し狭間、ですか?」
「ええ。壁面の真下にいる敵は、弓術士では攻撃しにくいでしょう? そのためにまず、持ち送り構造を使って胸壁を少し外側に突き出してですね……」
と、ランシック自身も持ち前の知識で、村の建築士に提案を出したりもしていた。
***
「ランシック様、ずいぶんと張り切っていますね。レヴィラさん」
ランシック達が防衛構造の上で議論を重ねているのを、テオとレヴィラが遠目に観察していた。
「ええ。ランシック様ご本人も建築士ですから、専門分野ゆえに興味をそそられているのでしょう」
相も変わらず、冷静な表情でその様子を見守っているレヴィラ。
そんな彼女の横顔を見たテオは、ずっと気になっていたことを訊ねてみた。
「……レヴィラさん、とてもランシック様のことを大切にしてらっしゃるんですね」
ふいにレヴィラが、意外そうな表情をしてテオを見つめ返してくる。
「そのように見えていたのでしょうか」
「はい。その、僕は昔から、そういうのがわかってしまうので」
いつも冷徹にツッコんでいるように見えて、レヴィラは意外にもランシックを全面的に信頼しているように見えたのだ。
ふ、と珍しくレヴィラが小さく微笑む。
「そうですか。確かに私は、幼少の頃からランシック様を知っておりますので」
「幼馴染だったのですか?」
自分とシャラがそうであったように、この二人も幼馴染だったのだろうか。そんな親近感を抱いて、そう訊ねてしまう。
「そう、ですね。私も、国を守る騎士の家系。幼き頃から、親の後を継ぎ、王族や貴族を守護することを目標としていました」
コリンス王国の上層部は、基本的に実力主義だ。アシュリーのように、一介の村出身でも騎士にスカウトされることがある。逆に親が騎士であっても、子が無能であれば騎士に任命されないということもあり得る。
王族や貴族にしても、重視されるのが政治能力というだけで実力主義に近い。生まれた子は英才教育を受け、無能な子はたとえ長子であろうと世継ぎにはなれない。
「私の場合は歳も近いランシック様がおられる、ヴェルノン家に仕えるのが一番だろう、と。そのため、物心ついたころからランシック様の御傍におりました」
少し、昔を懐かしがるような表情で空を見やるレヴィラ。
テオも顔が綻んでしまい、つい質問を重ねてしまう。
「じゃあランシック様は、昔からあんな愉快な方だったのですか?」
「いえ。成人の儀を受ける前のランシック様はもっと杓子定規で、典型的な貴族令息然とした方でした」
「……その、意外です、ね」
思わず、どもってしまう。
そんな厳格そうな人柄から、一体何があってあのようになってしまったのか。
「ランシック様が十歳のころから、ヴェルノン侯爵家お抱えの冒険者とお知り合いになったのです」
「お抱えの、冒険者?」
思わずテオが首を傾げると、レヴィラが解説してきてくれる。
「貴族はどの家でも、優秀な冒険者を囲っておくものです。国土各地の情報に精通し、各地の事情変化や風土の差異などに詳しいので」
この世界では、冒険者はむしろ『旅人』に近い。
身一つで、モンスター蔓延る森林を抜けねばならない。そのための実力こそ要求されるが、基本的に武力で評価されているわけではない。各地を自分の脚で回り、その情報を身をもって知っている者達こそが優秀な冒険者と評価される。
貴族がお抱えの冒険者を持つのは、情報源として有益だからだ。
駐屯地などから上がってくる、上っ面だけの情報とは違う。実際に冒険者達が自ら村人と共に暮らし、生活の実態を身をもって知っている。次に同じ土地に訪れた時、以前とは何がどう変わったかも詳しくわかる。その上、土地ごとの細かな作物量やモンスター出現頻度の違いなども把握している。
そういった『生きた情報』は、国全体を治める貴族としては喉から手が出るほど欲しいものなのだ。
「ランシック様は冒険者達からの話を聞いて、幼心に『外』の世界に興味を持ちました。貴族は、職務内容によっては一生王宮から出られませんので」
「……それ、で?」
「お抱えの冒険者達の中でも、黒魔導師の方と特に仲が良くなりました。その黒魔導師の方も彼を気に入り、色々と外の世界のことを話したそうです」
レヴィラの表情はあまり変わらない。が、テオにはわかった。彼女の目は、徐々に哀しみを帯びている。
「ただ十四歳で成人の儀を受け、ランシック様が建築士としての知識を学んでいたある日。その冒険者達が新たな旅へと出立したわずか数日後、彼らは戻ってきました。……黒魔導師の遺体と共に」
思わず、テオは息を呑んだ。悔しそうな顔で、レヴィラは目を閉じて話を続ける。
「彼らが向かっていた村、その手前でモンスターの急襲を受けたそうです。これまで以上に数が多かったらしく、その黒魔導師は同じチームの白魔導師を庇い、命を落としたのだと」
ぎゅ、とレヴィラが自身の右肘を左手で押さえた。
「彼から聞く旅の話を心待ちにしていたランシック様は……その遺体を前に、愕然としておりました」
「……お辛かったでしょうね」
「おそらく。ただ、持ち帰られた『モンスターの大群出現』という情報は、すぐに功を奏しました。王宮は即座に騎士団の派遣を決断。危うくスタンピードに発展し近隣の村を襲うところだったモンスターの群れは、無事討伐されました」
哀しみに、レヴィラが目を細めていた。涙を堪えているようにも見える。
「帰還した冒険者達は勲章を授かりましたが、ランシック様は素直に喜べませんでした。それでも、生き残った冒険者達は口をそろえて『名誉の戦死は、村や開拓村ではよくあることだ』と語ったのです」
「……確かに、その通りですね」
テオも良く知っていた。村の間引きや襲撃などで、命を落とす。この村でも、マナヤが来る前はよくあったことだ。
「その時、ランシック様は改めて実感したのです。王都の外では、凄まじい戦いが繰り広げられていることを。ぬくぬくと王都で暮らすことができているのは、冒険者達や村人達の、生死を賭けた戦いのおかげであると」
「だから……ランシック様は、村人達にもあのように好意的なんですね」
改めて、テオはランシックへと目線を向ける。
貴族でありながら、実に楽しそうに村人達と言葉を交わしている。彼なりに、村人達へ敬意を表しているのかもしれない。
「……あれ。でも、それでランシック様はあのように明るくいられるものなのですか?」
そんな体験をした後ならば、むしろより気を引き締めそうなものだ。
が、テオの質問を聞いたレヴィラは、小さく苦笑した。
「命を落とした黒魔導師の冒険者を弔った時、生き残った仲間の方々は、葬儀の後で大いに『笑っていた』のです」
「笑っていた……」
「はい。彼らが言うには――」
『あいつのおかげで拾った命なんだから、楽しめばいいのさ。天に昇ったあいつに、思いっきり生を謳歌してる姿を見せつけてやるんだ。そうすれば、あいつが救った命が幸せに生きているって名誉が、天のあいつにも伝わるだろうからな』
「――だ、そうです」
身一つで森を渡り歩く、命のやり取りも珍しくない冒険者目線での経験則なのかもしれない。
聞いて思わず、テオも目頭が熱くなるのがわかった。
ランシックは、その言葉を心に刻んだのだろう。だからこその、あのおどけた態度なのだ。
あなたが頑張ってくれたおかげで、あなたの分も人生を楽しんでいるぞ、と。年上の友人に、そう大声で伝えようとしている。
(僕は、父さんと母さんが死んで悲しんでばっかりだったのに)
自分は、またしても親不孝をしていたのかもしれない。涙が溢れそうになる目を、袖で拭いた。
「あの姿が、ランシック様なりの感謝の形なんですね」
「はい。私も、そう信じています」
と、うっすらながら、今日一番の笑みを見せるレヴィラ。
(……この人が、こんなに詳しくランシック様の状況を知っていたのは)
先ほど、レヴィラは幼少時からランシックお付きになるよう育てられたと言っていた。
ランシックが冒険者の死を知った時。もしかしたらレヴィラも、その場にいたのかもしれない。だからランシックの当時の苦しみを、一番に理解していたのではないか。
(思った以上に、お似合いの二人なのかもしれない)
なんとなく、この二人の結婚を応援したくなったテオであった。
「……うん。じゃあ、そろそろ行きます」
ようやく、覚悟が決まった。テオは、故郷であるセメイト村の中心部へと振り返る。
向かう先は、アーデライド孤児院長が働いている、この村の孤児院。
ブライトンの娘が、預けられた孤児院だ。
***
「お久しぶりです、テオ君。見違えましたね」
「お久しぶりです、アーデライドさん」
両親がシャラを引き取った時にもお世話になった、孤児院長。ウェーブのかかった、灰色に近くなってきた長髪をなびかせる妙齢の女性だ。
「アーデライド殿、お初にお目にかかります。王国直属騎士団、弓術士隊副隊長。レヴィラ・エステヴェズと申します」
「まあ、これは恐れ入ります。セメイト村の孤児院長を務めております、錬金術師のアーデライドです」
レヴィラが胸に手を当てて一礼すると、アーデライドも落ち着いた様子で同じ仕草を返した。騎士団の副隊長クラスを相手にしても、全く動じていない。学び舎で子ども達の教師役も務めているだけあって、所作も綺麗で流暢だった。
「それで、テオ君。何かお話があって、こちらにいらしたのですか?」
「……は、はい」
覚悟はしていたが、本題に入らねばならない。
今日は、テオが表に出られる三日目だ。明日には、マナヤに体を明け渡さねばならない。マナヤに知られず、ブライトンの娘のことを聞き出すチャンスは、もう今しかない。
テオは、緊張でカラカラになった喉で声を絞り出した。
「その……先日、ブライトンという男が、亡くなりました」
「っ!」
テオの言葉を聞いた瞬間、アーデライドが珍しく全身を硬直させるのがわかった。
彼女は、知っているのだ。テオは、その態度から確信を持ってしまった。
「ブライトンの娘さんが、こちらに預けられた、と聞いてます」
「……ええ」
「まだ、生きてらっしゃるのです、か?」
恐る恐る、震え声で訊ねる。
既にこの世の人でないなら、まだ気が楽だ。同名の人違い、で済む。
しかし、その娘がまだ生きているならば……
「……はい。彼女は、生きております」
「……ど、どなたなのでしょうか」
アーデライドの瞳にも、怯えが見て取れた。
本当に、アシュリーなのだろうか。何かの間違いではないか。
ばくばくと鳴る自身の心音すら、煩わしい。
「……」
しばしの沈黙の後、観念するようにアーデライドが息を吐いた。
「あの子には、謝らねばなりませんね。今までずっと、嘘をついていたことを」
「嘘……ですか?」
信じたくなかったことが、だんだんと真実味を帯びてきてしまう。緊張の中、問いかけた。
目を伏せていたアーデライドは、決意を固めたように顔を引き締め……ゆっくりと、答える。
「ブライトンの娘は……テオさんも良く知っている、アシュリーさんです」
「っ!」
自身の心臓が、止まったかと思った。




