142話 残された復讐心 VASQUEZ 2
腕の包帯を取り去った少年は、私に新しい包帯を巻きつけながら語り始めた。
「昔、オレには伯母さんがいたんです。母さんのお姉さんらしくて、召喚師でした」
「……」
「伯母さんはオレにも優しかったけど、父さんも母さんも伯母さんを嫌ってました。小さい頃、オレはそれがどうしてなのか、よくわからなかった」
小さく舌打ちしながらも、少年は話を続ける。
「父さんと母さんから、召喚師は危ないんだ、化け物なんだって言われて。オレからすりゃ、伯母さんは危なくも怖くもなかったから、どういうことなのかわからなかった」
「……」
「それでも伯母さんに近づこうとしたら、父さんと母さんに叱られた。だからオレは、伯母さんの所には行かなくなった。……寂しかったけどさ」
ぎゅ、と拳を握りしめるような音が聞こえる。
苦労して視線を下げると、少年が拳を額に押し当て、きつく目を瞑っていた。
「けどさ、ある日、海から村にモンスターの襲撃が来たんだ」
そう言って、じろりと後方の騎士を睨むように見つめる少年。騎士は、少しバツが悪そうな顔をして俯いていた。
「あの時、騎士サン達は他のモンスターを抑え込むのに精いっぱいで、オレの目の前にモンスターが迫ってきて……そしたら、伯母さんが目の前に飛び出して、オレを庇ってくれた」
「!」
「伯母さんはモンスターを召喚して戦って、オレを守ってくれた。けど、騎士サン達は伯母さんを助けてくれなくて……その戦いで、伯母さんは亡くなった」
私が寝かされている寝具に、少年が悔しそうに拳を叩きつけた。
「そんな伯母さんの亡骸を前にして、亡骸の引き取りすらしようとしない父さんと母さんに、オレは言ってやったんだよ! 『こんな優しい伯母さんを、これでも嫌う父さんたちは一体なんだったんだ! 本当の化け物は、一体どっちなんだよ!』ってな!!」
……そうか。
この少年は、良くも悪くも純粋だったのだ。
召喚師の先入観が薄い幼少期に、優しい身近な召喚師を見て、何が本質なのかを身をもって感じていたのだろう。
「……父さんと母さんは、打ちひしがれた顔になって、その後泣いてたよ。悔やむくらいなら、最初っから差別なんかするなってんだ」
ごしごしと、少年が袖で目元を拭う。背後の騎士は、神妙そうな顔で俯いていた。
「でも、あれから父さんと母さんは、ちゃんと反省したみたいなんだ。村に所属してる他の召喚師たちを、気遣うようになった。……時間はかかったけど、それを見てオレも、両親を今度こそ信じる気になったのさ」
そして、赤くなった目でこちらをまっすぐに見つめてくる。
「だからさ、オレは召喚師だからって無条件に悪い奴だなんて、思わない。召喚師だって報われるべきなんだ、って信じてるんだ」
……このような人間も、いるのか。
私の家族に、この少年のような者が、一人でもいれば……
私も、人を捨てずに生きることができていただろうか。
「オレ、さ。四年前、コリィって弟ができたんだ。うちの両親が引き取った養子だけど。学園から実習に来たんだけど、召喚師になったんだぜ、コリィのやつ」
「……そう、か」
「一緒に、マナヤさんって人がやってきてさ」
「!」
まともに動かぬ体で、よかった。
マナヤの名を聞いて、思わず表情が変わってしまいそうになるところだった。
「昔のオレは、家族を説得するので精一杯だったけど。マナヤさんは、この村みんなを立派に説得してくれたんだぜ。歳はオレと変わらなそうなのに、すげーよな」
「……この村に、いるのか?」
「いや、ちょっと前にコリィ達を連れて、王都に帰っていっちまった。村を挙げて盛大に送り出したよ。あいつ、学園の講師なんだってさ。やっぱプロは違うんだな」
そこで、ふと気づいたように私を見つめてくる。
「あー、この村にいる召喚師達はさ、みんなマナヤさんから教えを受けたんだ。良かったら、あんたも勉強してったらどうだい? 頼めば教えてくれると思うぜ」
「……考えて、おく」
「ま、とりあえず今は回復に努めててよ。……さっさと白魔導師さんの治療を受けられればいいんだけどな」
と、またしても少年は騎士をじろりと睨みつける。ふう、と騎士がため息をつくのがわかった。
「……検討は、しておく。もう用事は済んだだろう。早く帰りなさい」
「ったく……じゃ、また来るよ、にーさん」
少年は、汚れた包帯を籠にまとめ、扉を開けて去っていく。
それと同時に、こちらをちらりと一瞥した騎士が、同じくその扉をくぐっていき、閉めた。
……今ならば、誰も私を監視していない。
「……【狼機K-9】召喚、【光学迷彩】」
この隙になんとか腕を横に伸ばし、そっと狼機K-9を召喚する。即座に、モンスターを一時的に透明化させる魔法、光学迷彩をかけた。
(視点変更)
そして、透明化した狼機K-9に視点を移す。視覚のみならず、聴覚もこの狼型の機械モンスターへと移った。
その状態で、狼機K-9の待機位置を扉のすぐ後ろへと指定。
〈目が醒めたのか。どうだ〉
〈リラックスしきってるように見えるぞ。仮に敵だとして、捕虜にされてこうも落ち着いていられるものなのか?〉
狼機K-9を通して、扉越しに先ほどの騎士と、もう一人の男との会話が聞こえる。おそらく、この小屋の外で見張りをしている別の騎士だろう。
やはりこの騎士達は、私の顔を知らないのか。
〈だとすると一般召喚師の可能性が高そうだが……怪しげな者を見つけたら全員、という命令だからな。もうしばらく監視を続けろ〉
〈ああ。……まったく、こんな時にアロマ村長代理も、国の騎士様方もいないなんてな〉
〈仕方がないだろう。カランの裁判へ証言しに行っているんだ。彼らももうじき帰ってくるだろうさ〉
騙しきれたと、油断はできないか。
私の顔を知る騎士達が戻ってくれば、おそらく私は処断される。とぼけたふりをして、この村に留まるのは不可能だろう。
チャンスを見つけて、逃げ出さなければ。
騎士達の会話が終わる。すぐに狼機K-9を送還させ、目を閉じた。再び扉が開き、騎士が入ってくるのが気配でわかる。
同時に、ふわりと芳しい香りが広がった。
「おい、起きているか?」
「……はい」
さきほどの騎士に声をかけられる。少し警戒しつつも、素直に目を開けた。
「食事だ。一応、消化に良いものを用意した。食べられるか?」
「……はい、感謝いたします」
「自分で食べられそうか?」
と、騎士が私の体を起こそうとしてくる。
全身の痛みに顔をしかめつつ、騎士に支えられ上体だけ起き上がることができた。なんとか腕を動かし、スプーンを掴む。
寝具の脇に置かれた器には、変わった香りのするスープが置いてあった。具材はおそらくエタリアと、細かく刻まれた魚肉と野菜。苦労して腕を動かし、スープを掬い上げて口へと運ぶ。
……美味い。
魚の臭みは多少感じるが、十分に味も出ている。コリコリとした変わった食感の野菜も、歯ごたえが心地よい。
ふいに、視界がゆがむ。
ぽろりと、自分の頬から雫が滴るのがわかった。
これほどしっかりとした、味の効いた料理を食べるのは、いつぶりだろうか。
家族と……両親や姉と、まだ仲良く暮らしていた頃。錬金術師が錬成した『塩』などをたっぷりと使った料理を、何不自由なく食べることができていた、あの頃以来か。
他のクラスと比べ、『召喚師』には生産能力に関わる力が欠落している。
狩りをしたくとも、召喚獣が獲物となる動物を攻撃することはない。モンスターは本能的に、人間しか襲わないようにできているからだ。
トルーマン様と共に、召喚師解放同盟を率いていた時。
食事は、苦労して罠を作って仕留めた獣の肉と、野草をごった煮にしただけのスープ。塩や調味料の類は、たまに村を襲った時に奪ったものしか使えず、我々からすれば貴重品だ。
エタリアなどの穀物も、やはり村の備蓄を奪う時くらいにしか食べられない。煮炊き自体も素人仕事なので、お世辞にも美味い料理とはいえない。
このような……美味な味わいの料理など、しばらくありつけなかった。
***
「……」
夜、皆が寝静まっている。
居眠りするような微かないびきの音が聞こえる中、慎重に目を開いた。
淡く光る魔道具の中、椅子に座った騎士が眠りこけてしまっている。昼間、私が抵抗もせずじっとし続けていたので、気が抜けたのだろう。
今しか、逃げ出す時はない。
音を立てぬよう、そっと毛布をどけ、ゆっくりと寝具から降りる。幸い、騎士は起きる気配がない。
――この騎士ノ喉元を、ナイト・クラブで切り裂イてしまエ――
眠りこける騎士の姿に、一瞬そのような幻影が見える。
だが、この騎士をここで殺しても、騒ぎになるだけだ。下手に殺意を漏らせば、村の弓術士らに悟られる。
今は、確実に村から抜け出すことを考えなければ。
軽く頭を振って、気を取り直す。
先ほどの毛布を持ち上げ、それを掲げる。その毛布を虚空に被せるようにし、その中に手を差し入れた。
「【猫機FEL-9】召喚」
召喚紋の光は、なんとか毛布で誤魔化せたようだ。見張りの騎士は、いまだ眠りこけている。
猫機FEL-9を、痛む両腕でなんとか抱え、持ち上げた。そのまま締め切られた窓、その木製の雨戸を慎重に押し開ける。
……窓の外には、誰もいない。
この雨戸自体は、人が出られるほどは開かないようだ。だが、猫機FEL-9ならば出られる。痛みに耐えながら、猫機FEL-9を窓の外へと投げ出した。砂の地面に、静かな音を立てて着地する。
そして先ほどと同様、光学迷彩をかけて透明化。視点変更をし、その状態で小屋の表へと慎重に移動させる。
……どうやら、表の見張りも眠りこけているようだ。
今ならば、正面の扉から出られる。音を立てないようにしなければ……
……ここがいい。
この位置ならば村人の家屋から離れていて、防壁も少し低めだ。防壁に所々ある見張り塔の中間にあたるので、暗闇に紛れればなんとか見つからずに済むかもしれない。
「【ゲンブ】召喚」
人気がないのを確認して、壁に向かってリクガメ型のモンスターを召喚。痛みに耐えつつ、なんとかその上によじ登った。
「……」
……しかし。
この村にギリギリまで留まるのも、悪くないのか。
暖かな食事を与えてくれた、人らしい当たり前の接し方をしてくれた、この村に……
いや、駄目だ。
この場所にいては、ぬるま湯に浸かっていたら、私は復讐心を忘れてしまう。私は他の召喚師達に顔向けができない。国の者らに殺され、無念のまま散っていった同胞たちに。
「……【跳躍爆風】」
軽い破裂音と共に、ゲンブが私を乗せたまま跳び上がる。
防壁を飛び越え、森の中へと突っ込んでいった。
「ぐっ……【反重力床】」
木の枝が次々と体に当たり激痛が走るも、なんとかゲンブに反重力床を使用。地面スレスレでふんわりと減速し、軟らかく着地した。
……なんとか、見張りの弓術士たちには気づかれずに済んだようだ。
事前に確認した地形から考えて、王都の方角はここから右手側のはず。ふらつく足を懸命に動かし、森の中を歩きだす。
「――ヴァスケス様? ヴァスケス様ですね!」
「っ!? その声……シェラドか」
聞き覚えのある声。その方角へ視線を向けると、暗闇でよく見えないが男性のシルエットが浮かんだ。
「防壁をゲンブで飛び越えてきた人影を見て、もしやと思いました。お体が……ご無事でしたか」
「なんとか、な」
その人影が、ふらつく私の体を支える。そのまま私の腕を掴み、自身の肩に回してくれた。
シェラド。召喚師解放同盟の中で、私を最も慕ってくれた部下の一人だ。あの時の戦いでは、ディロンら騎士隊の足止めに参加していたはず。
「助かる。……私が気を失ってから、何があった?」
「……」
肩を借りて歩きながら問いかける。が、シェラドは悲痛な雰囲気の沈黙で返した。
まさか。
村の少年の話では、マナヤは堂々と村から去っていったと聞く。つまり、敗走したのは我々の方だったということだ。それでは……
「……トルーマン様が、マナヤに討たれました」
「!」
――トルーマン様が!?
「ま、まさか……」
「あの赤毛の剣士が放った攻撃で総崩れになり、フロストドラゴンで一網打尽にされたそうです」
おのれ、マナヤめ……ッ!
「申し訳ございません、ヴァスケス様。ダグロン様は撤退を命じたのですが、私はトルーマン様やヴァスケス様のことが気になり、一人この場に残りました」
「……騎士隊の連中には、見つからなかったのか」
「辛うじて。……ヴァスケス様の遺体は確認されなかった、と騎士隊の会話を盗み聞きました。なのでもしやと思い、この周辺で捜索していたのです」
「……そうか」
が、そこでふと気になった。
「あの戦いから、何日経った?」
「……十二日」
十二日間、倒れたままで私は生きていたのか。召喚師の生命力に感謝せねばなるまい。
「……ダグロンが撤退を命じたと言ったな。我々は、まだ全滅してはいないのだな」
「はい。おそらくブライアーウッド王国で、ダグロン様が組織を再編成しているかと。……見せしめに、マナヤの故郷を襲おうと言っていた部隊もいましたが」
「こうしては、おれん。我々も、すぐに合流しなければ」
歯ぎしりをしながら、私の心が憎悪に染まっていくのがわかる。
「この開拓村は、放置されるのですか?」
「構うな。我々が目を向けるべきは、マナヤだけだ」
曲がりなりにも、この村は私の命を救った。そのような相手を滅ぼせば、我々は蛮族と変わらん。
それよりも、最初に倒せなばならぬ相手がいる。
マナヤが、トルーマン様を。
私にとっては、本当の父のような方を。
……マナヤ。貴様だけは必ず、私が殺してやる。
「……そのためには、人心を掴まねばならんか」
同時に、頭が冷静になる。
今までのやり方では、駄目だ。
あの開拓村の連中は、『クラス』問わず全員がマナヤに心酔している様子だった。あの調子で広められては、我々の方針に賛同してくれる召喚師は、いずれ現れなくなるだろう。我々の計画が本当に総崩れになる。
今までよりも、心と技術に優れた兵を。皆が羨むような、魅力溢れる戦士を。
使命感と忠誠心のある人員を育てなければなるまい。
「先を急ぐぞ、シェラド」
「ヴァスケス様。お気持ちはわかりますが、まずは安全な場所でお休みを。私が使っている隠れ家があります」
「……そう、だな」
この体では、急ぐに急げまい。まずは、体力を戻さねば。
「滋養のある肉を用意してあります。存分にお召し上がり、力をつけてください」
「……滋養のある肉、か」
思わず、胸が締め付けられる。
……あの村の、料理。
懐かしい温もりを感じるような、あの味を思い出してしまった今、私は……
「ヴァスケス様?」
「いや、何でもない。感謝する」
……忘れねば。
私はすでに、人間を捨てた身。他『クラス』との生活など、思い出してはならない――




