141話 残された復讐心 VASQUEZ 1
あれはもう、何年前だっただろうか。
自分が十五の時。王都で召喚師として任命された一年後、この村に戻ってきた日。
『ヴァ、ヴァスケス! お前、よりにもよって召喚師に!?』
『と、父さん……』
『い、嫌、どうして! 召喚師がいる家なんて、爪はじきにされるじゃないの!』
『母さん……そん、な……』
一年ぶりの故郷。一年ぶりの実家。
けれども、帰宅した私を待っていたのは、恐怖と侮蔑の感情が篭った両親の顔だった。同じく姉も、私を化け物でも見るような目で見つめてくる。
わかっては、いた。
この村の気質を考えれば、召喚師となって戻った自分が、どのような扱いを受けるか。
村にいた召喚師達も、この村ではこういう扱いを受けていたのを、かつて目の当たりにしたことがあった。
……けれども。
いざ自分がなってしまった時、期待してしまった。
自分の家族だけは、そうはならないのではないか。
家族を愛し愛され、絆を結んできた自分ならば、きっと、と。
だが待っていたのは、残酷な現実。
『と、父さん? こんな森奥で、何を……危ないんじゃ?』
『……ヴァスケス。悪いが、お前はもう家には帰れない』
村に帰って、半年後。
家の中でも隔離されていた私は、夜中に父に起こされ、森の奥まで連れてこられた。
『せめてもの情けだ。私直々には殺さん。だが、村に帰ってくることは許さん』
『と、父さん……嘘、だよね……?』
『嘘なものか! お前にわかるのか、あの日から私達が村人から、どんな目で見られてきたか!』
すがるように問いかけるが、父は引き攣った顔で憎悪の目を向けてきた。
『召喚師がいる家だからと、畑仕事の参加は断られ、それを理由に食料もまともに貰えん! そのくせ、間引きには今まで以上に私や家族が駆り出される!』
『とう、さん……』
『そして肝心のお前は、召喚師だからロクな戦力にすらならん! モンスターを従える忌まわしいクラスになっておいて、他者に庇われねばまるで役に立たん! そんなお前が、私達一家の脚まで引っ張るというのか!』
『ごめ、なさ……』
『こんな生活は、もううんざりだ! お前さえ居なくなれば、別の子どもが新たな召喚師に選ばれれば、私達は解放される!』
優しかったはずの、父が。
成人の儀を受けるまでは、仲良く笑い合っていた家族が。
私の死を、望んでいる。
そして、父は腰の剣を引き抜き……
私の脚を、斬りつけた。
『うわああああっ!』
右太ももが、大きく斬り裂かれる。熱いような感覚の後に、強烈な痛みが走る。
『……さらばだ、ヴァスケス』
『とう、さん……おいて、いかないで……』
『モンスターを操れるのだろう? 野良モンスターでも、手懐けたらどうだ』
そう言って、父は村の方向へと去っていった。
私は足を裂かれ、まともに歩くこともできない。
月明りも雲に陰り、不気味な虫の音、かすかな葉の擦れ音だけが響く森の中。
私は、家族に死を望まれ、置き去りにされた。
『……憐れな。しょせん連中は、モンスターにも劣る外道らか』
そんな私を拾ってくれたのは、銀髪を逆立てた男。
モンスターが蔓延るはずの森の中で、平気な顔で歩み寄ってきた、私の救世主だった。
『診せろ。……急所は外れている。手当をすれば、おそらく後遺症も残るまい』
『あな、たは……?』
『私はトルーマン。お前と同じ、召喚師だ』
召喚師。
私と同じ、忌み嫌われた『クラス』の者。
『家族に裏切られたか。彼らが、憎いか?』
『……』
『復讐を望むなら、私が手を貸そう。お前を不当に追い出した村の者達を、必ず滅してみせよう』
片や、血が繋がり、十数年付き添ったにも関わらず、召喚師と知り簡単に私を捨てた者達。
片や、血の繋がりも無く、召喚師と知ってもなお、手厚く迎えてくれた救世主。
――私が、彼に傾倒するのに、時間は必要なかった。
『ぐ、あ……ヴァ、ヴァスケス、お前はァ……ッ』
二十日ほど経った日。
トルーマン様は、私との約束を違えることなく……
私を鍛え育て、そして家族の復讐を果たしてくれた。
『父、さん』
『や、やはり召喚師など、人殺しの化け物と変わらんではないか! 私がお前を捨てたのは、何も間違っていなかったではないか!』
召喚モンスターによって、炎に包まれる、私の故郷。
久々に見た、父。トルーマン様が喚んだヘルハウンドに脚を裂かれ、血を這いずりながら、私の姿を見つめ返してくる。
まだ、少しだけ期待していた。
時が経てば、今からでも父は、私を捨てたことを後悔してくれるのではないかと。
そんな『夢』を、私はこの時まで見続けていた。
『見たか、ヴァスケス。これが、他クラスの本質だ。絆など、召喚師になったというだけで簡単に捨てられる』
『……トルーマン、さま……』
『さあ、仕上げだ。ヴァスケス、お前のモンスターで、家族に復讐を果たせ』
ぎゅ、と目をきつく瞑りながら、ミノタウロスを召喚する。目の前を這いずる父が、絶望の表情を浮かべる。
けれどミノタウロスは、一向に動こうとしない。
『父さん……』
まだ、私の中には戸惑いがあった。
私に、家族を殺すことは、できない。血も涙もないモンスターと同類になる決心が、つかない。
『――こ、この、化け物!』
けれども、父は這いずったまま、剣を引き抜く。
そして……殺意の篭った目で、私を睨み据える。
その視線に、私が怯えた時……
ミノタウロスが、斧を振り下ろした。
モンスターは、召喚主へ向けられた殺意に反応する。
父が、私へ『殺意』を向けたことで、ミノタウロスは父を『殺すべき敵』とみなしたのだ。
私自身が、父に殺意を持っておらずとも。
そうして、その時。
私の中で、大事にしていた一線が、粉々に砕けた。
『……ヴァスケス。これで目が醒めたか。お前の父親は、明確にお前を殺そうとしたのだ。血の繋がった子である、お前を』
『はい』
『お前は、洗礼を受けた。……さあ、共に行くぞヴァスケス。お前のような苦しみを負う者を、これ以上増やしてはならない』
『トルーマン様の、仰せのままに』
もう私は、『夢』を見ない。
召喚師と、他クラスが手を取り合う夢など――
決して、現実にはならない。
***
「……う」
意識が、かすかに浮上する。
じくじくと痛み、強烈な疲労感に苛まれる全身。そのせいで、瞼を開けることすら、難しい。
「目が醒めたか」
何者かの、声が聞こえる。男の声。ぼやける視界の隅に、銀色の髪のようなものが映る。
――トルーマン様?
先刻までの夢。トルーマン様が私に言った台詞と被り、朦朧とする頭でそう考える。
「自分の名前を、言えるか?」
同じ男の声が、再び響く。銀色の髪の男が、私に顔を近づけてくる。
――違う。この声は、トルーマン様ではない。
しかし、警戒しようにも意識がまだぼやけ、全身の痛みに体を動かすことができない。
この灼けつくような痛みには、覚えがある。打撲傷や火傷の傷口が化膿し、治るのが遅くなっている時の感覚そのものだ。
なんとか、声をかけてくる男の顔を確認する。ようやく、焦点があってきた。
黒、銀、赤の三色を基調とした服は、騎士の制服。当然ながら、トルーマン様とはまったくの別人だ。
反射的に身構えてしまいそうになるが、なんとか動揺を抑え込んだ。
この騎士は、まだ殺意のある目を向けてこない。こちらを探っているように見えた。ならば、この状況で敵対するのは早計だ。
どうやら私は、石造りの小屋のようなものの中に居るらしい。かすかに、潮の香りが鼻に届く。
「――騎士さん、あの人はどうだい?」
と、そこへ若い少年の声がした。木製の扉が開き、黒髪の少年が部屋に入ってくる。
すると銀髪の騎士は、それを慌てて押し留めるように動く。
「デレック君、危険だ。彼が目を醒ました、下がっていなさい」
「え? じゃあこの人、召喚師解放同盟ってのの一人なのか?」
「い、いや、わからん。だが、我々の騎士服を見ても落ち着いているように見える」
「じゃ、どこかから逃げてきた一般の召喚師なんじゃねーんですか? 包帯取り換えるから、入れて下さいよ」
と、籠いっぱいに入った包帯を抱え、立ちふさがる騎士を押しのけるように少年が覗き込んでくる。
「あ、大丈夫っすか? 名前、わかります?」
「……」
咄嗟になんと言って良いかわからず、表情を動かすのも億劫で、無言のまま少年の顔を見つめ返す。
彼の青い服に、太く白いラインが入っているのがわかった。あの服装は、見覚えがある。マナヤがやってきたという、開拓村の普段着だ。
ではここは、あの開拓村の中ということか。そしてなぜか、私は手厚く看護されているらしい。
「まったく、冗談じゃねーや。召喚師解放同盟とかいうのの可能性があるってだけで、白魔導師の治療を受けられないなんて」
少年が籠を置き、騎士にあてつけるように愚痴を言い出した。
「仕方がなかろう。事実、連中との激しい戦闘があったばかりなのだ。その怪我も、その時のものかもしれんのだぞ」
「だから普通の召喚師だったらどうするんすか! ちょっと前みたいに、また召喚師を排斥する気じゃないでしょーね!? マナヤさんの教え、忘れたとは言わせませんよ!」
「い、いやだから、そういうわけでは……」
文句で畳みかける少年に対して、銀髪の騎士はたじたじとしている。
……私は、彼らに拾われたのか。
マナヤにしてやられ、採石場の階段から突き落とされ、シルフの電撃を浴びせられ続けた。あの後、朦朧とする意識の中、私を庇って運んでくれた部下がいたことを覚えている。
それが、こうやって開拓村の者達に介抱されている。
他の者達は?
トルーマン様は、どうなったのだ。私達は、またしてもマナヤに敗北したのか?
この状況下で、下手に騒ぎ立てるのは危険だ。私もまだ、本調子ではない。今はまだ、とぼけたフリをして情報収集に努めるべきだ。
突然、歩み寄ってきた黒髪の少年に、腕を持ち上げられた。
「すいません、ちょっと痛むかもしれないっすよ」
「う、ぐ……!」
包帯だらけの腕から鋭い痛みが伝わる。思わず、呻いてしまった。
なんとか声を押し殺す間、少年は少しもたつきながらも、古い包帯を取り外していく。
「大丈夫っすか? 自分が誰だか、わかります?」
「……わから、ない」
辛うじて動く口で、とぼけてみせた。
「あー、仕方ないっすかね……すいません、包帯しかできなくて」
「い、や……ありが、とう」
なんとか優しい笑みになるように心掛け、唇に無理やり弧を描く。
「きみ、は」
「え、何? オレですか?」
「なぜ、私を、助けた……?」
一般の召喚師と勘違いをしているようなのは、わかる。
だが、彼は腕の筋肉の付き方などから推測するに、おそらくは『剣士』だ。召喚師であるとわかる自分に、ここまで親切にする理由がわからない。
「あー、やっぱり元の村で蔑まれたクチっすか」
「……」
「オレはね、そういうのが昔っから大っ嫌いなんすよ」
包帯を取り換えながら、少年は顔をしかめた。
 




