140話 剣士隊長との模擬戦
王宮の、騎士団修練場。
そこで、頑丈な木剣を構えたアシュリー。そして巨大な模擬剣を構えた、ごく短い茶髪の女性騎士が対峙していた。
「――始め」
審判代わりの騎士が、掛け声を発する。
途端、アシュリーは全身をバネのように使い、一瞬にして間合いを詰めた。
「はああっ!」
「せいっ」
裂帛の気合を発し、剣を突き出すアシュリー。
対する茶髪の女性騎士は、巨剣の根元を肩に担いだ。
そこを支点にして、一気にそれを振り回す。
女性騎士が手にしている、木製の巨剣。彼女自身の身長ほどもある巨大な剣だが、まるで『骨組みだけ』の剣だ。
巨大な刀身には、言うなれば『田』の漢字を縦に連ねたかのごとく、大きく穴がボコボコと空いていた。刀身の中央に、一本の棒が刀身全体の支柱のごとく真っすぐ走っている。その中央の支えから垂直に何本かの棒が刀身の外縁部へと伸び、刀身全体が歪まぬよう固定していた。
「やっ」
アシュリーの突きは切り払われる。
直後女性騎士は、両手で握っていたグリップから片手を外す。
離した手で、骨組みのような刀身の支柱を握った。
リーチが短くなり、巨大な刀身の小回りが良くなる。
得物の大きさに見合わぬ、素早い動きで斬り返し。
「くうっ」
アシュリーは慌てて、スウェーバックして避ける。
が、女性騎士は一歩踏み込み、刀身の支柱から手を放した。
グリップを握っている右手一本で、巨剣を支える形だ。短くなっていたリーチが、再び一気に伸びる。
その状態で、アシュリーを追うように一気に刀身を突き出す。
「――【スワローフラップ】!」
たまらずアシュリーは、技能を発動。バランスが崩れた状態から、物理法則を無視して手にした剣が翻る。
女性騎士の巨剣を逆方向から弾き返した。
「甘い」
が、女性騎士は弾かれた刀身の支柱を、再び左手で握る。
そこから、またしても素早く巨剣を左肩に担いだ。
「【スワローフラップ】」
そのまま、前進しつつ体をねじる。
その回転を利用して肩ごと巨剣をアシュリーに叩きつける。
木材同士がぶつかる、軽い音。
アシュリーの木剣があっさりと弾き飛ばされた。
「そこまで」
審判の騎士が声を上げる。
その時には、巨大な木剣がアシュリーの喉元に突きつけられた状態だった。
「……驚きました、アイシニア剣士隊長。そんな大剣、そこまで精密に振り回せるなんて」
目の前の女性騎士に向かい、アシュリーが感嘆する。
「いや、君もなかなかのものだった。この剣を手にした私に、ここまでスワローフラップを出し惜しみさせたのだからな」
ニッ、と男前な笑みを浮かべた茶髪の女性剣士は、そうアシュリーを褒める。
この女性剣士の名は、アイシニア・コルベット。
コリンス王国直属騎士団、剣士隊の隊長を務めている女騎士だ。事実上、騎士団長を除けばこの国最強の剣士である。
アシュリーがこれまでの功績に対する報酬として、王国直属騎士団との訓練権を得た。
彼女は、さっそくそれを使って憧れの剣士隊長に模擬戦を申し込んだのだ。
ちなみに、アシュリー以外の者達……すなわち、テオ、シャラ、マナヤらは、今セメイト村へ行っている。ヴェルノン侯爵家のランシック・ヴェルノンに連れられ、セメイト村が開発したという機構の視察に向かっているのだ。
アシュリーのみ、アイシニア剣士隊長との訓練に日を合わせるため、後から向かうことになっていた。
(それに、今はあの人と顔を合わせたくないし)
と、緑のウェーブがかった長髪の女性を思い浮かべ、眉を下げる。
言うまでもなく、パトリシアの事だ。思い出して思わず、心臓が締め付けられるのがわかった。
同室ではないとはいえ、マナヤが表に出てくる日は、彼にくっついていた。一ヶ月の間だけなのだから、と過剰なスキンシップを求めていたのだ。胸をマナヤの腕に押し付けたり、必要以上に顔を近づけたりと、やりたい放題。
アシュリー自身も彼女の境遇、そして『この人には一ヶ月しかないのだから』と目を瞑りはした。が、向こうは遠慮なしにマナヤに引っ付くし、テオに交替している時はその時で空気が重くなる。はっきり言ってアシュリーは彼女が苦手だった。
唯一の救いは、パトリシアが過剰なスキンシップをしてきた時、マナヤ自身がはっきりと拒絶しているという点か。
こういう時は、体を動かして気を紛らわせるに限る。気を取り直し、木剣を拾って再び初期位置に戻った。
「先にスワローフラップを使っちゃうと、やっぱりダメなんですね」
「そうだな。スワローフラップは、我々剣士の基本にして奥義。どのタイミングで切るかが腕の見せ所となる」
アイシニアがアシュリーの言葉に同意し、解説しながら自らも構え直した。
慣性や物理法則を無視して剣を動かせるようになる『スワローフラップ』は、連続攻撃にも隙のカバーにも使える、まさに剣士の代名詞とも言える『技能』である。
ただし一度使うと、体勢が完全に整うまで再使用できない『ここぞの切り札』でもある。先ほどの一戦も、お互いがスワローフラップを温存し合う我慢比べだった。
とはいえ、アシュリーは先ほどからアイシニア剣士隊長に振り回されっぱなしだ。
アイシニアの愛用武器は、この骨組みだけのような大剣。これは訓練用の木製品だが、本物はちゃんと鋼で、同じ形に作られているらしい。
脅威なのはそのリーチと重量だけではない。骨組みのような部分を、槍やハルバードの軸のようにグリップとして使えるようになっている。そうすることで、大剣とは思えぬ変幻自在な小回りの良さを発揮しているのだ。
実際、懐に飛び込もうとしたアシュリーは、これで至近距離にあっさり対応された。刀身の穴空き部分にアシュリーの剣を絡めとることで、剣を手放させたりといった芸当までしてみせた。
その他、アイシニアはこの大剣を『肩に担ぐ』ような形で振り回すことが多かった。
重量軽減のため骨組みのような剣として作ってあるのだが、それでもスピードが足りない時はある。そんな時、刀身の根元、刃の無い『リカッソ』と呼ばれる部位を肩に乗せるのだ。そうやって肩を支点とし、そのまま体ごと捩じる。それによって、リーチと引き換えに振り回す速度を加速できる。
この大剣は、刃の無いリカッソ部分が緩やかなカーブで内側に凹んでいた。そうすることで肩に乗せやすく、そして振り回しやすくもしてあるのだろう。
「始め」
再び、審判役の声がかかる。
(まともにやってちゃ、まるで歯が立たない)
ただでさえ、威力とリーチで負けている。その上、器用な振り回しでスピードが追いつかれていては、通常サイズの剣で戦っているアシュリーでは太刀打ちできない。
すっ、とアシュリーは正面を向いたまま木剣の先端を後方へ向け、腰のあたりで構える。
「ほう」
それを見たアイシニア剣士隊長は目を細めた。
小さく深呼吸したアシュリーは、木製の刀身にオーラを籠める。
――1st――
――2nd――
無発声での、技能の発動。
複数の技能を重ねる際には必須技術だが、その分調整が難しい。集中しなければ『定められた方向と角度』にしか攻撃しなくなるためだ。
「……面白い。ならばこちらも、それなりの技を見せねばな」
そう言ったアイシニアは、自身の大剣を同じく後方に向け構えた。しかし、構える高さはアシュリーよりも高く、肩の位置だ。
そこに、複数の『技能』を重ねるオーラが纏わりついていく。横に跳ねている短い茶髪が、オーラに煽られてパタパタとはためいた。
(やっぱり、剣士隊長も使えるんだ。でも、やるしかない)
アシュリーは顎から汗を滴らせながらも、最後の技能を重ねる。
――3rd――
「【ライジング・ラクシャーサ】!!」
疾風のように一気に飛び出し、下から剣を跳ね上げるアシュリー。
一瞬にして間を詰め、まだ大剣を構えっぱなしのアイシニア目掛け木剣の刀身が走る。
……が。
「――【ホライズン・ラクシャーサ】!」
アイシニアが、一瞬にして大剣を横に振りぬく。
アシュリーの、下から真上に掬い上げるような斬撃。
そして、アイシニアの横から水平に叩きつけるような斬撃。
二つの斬撃が、十字に激突した。
「――く、うぅっ」
直後、互いの刀身から発生した剣圧がぶつかり合う。
暴風のように吹き荒れる衝撃波。
地に足がついていないアシュリーはふわりと空中に押し戻された。
(相殺、された!)
なんとか着地し、体勢を整えようと考えたその時。
「【スワローフラップ】」
「えっ!」
アイシニア剣士隊長の大剣が、一瞬にして翻った。
肩に担ぐようにして、上段から大剣が真下に振り下ろされる。
手にした剣を叩き落とされ、自身もそれに引き落とされ膝から地に叩きつけられるアシュリー。
慌てて顔を上げた時には、大剣の先端が眼前に突きつけられていた。右眼球の少し下だ。
「そこまで」
審判役の声で、アイシニア剣士隊長は大剣を引いてアシュリーを助け起こす。
「た、隊長、今のどうして? まだスワローフラップが使えるなんて……」
動揺しているアシュリーが問いかける。
アイシニアが放ったあの一撃は、アシュリーのライジング・ラクシャーサを相殺してみせた。スワローフラップが組み込まれた技であれば、放った直後にまたスワローフラップを使えるはずがない。
「当然だ。先ほどの私の技、スワローフラップは入っていないからな」
「どう、やって……?」
事も無げに答えるアイシニア剣士隊長に、アシュリーは困惑するしかない。
あの一撃は、どう考えても『ラクシャーサ』含め三つの技能を同時発動したものだ。スワローフラップを挟まずに、どうやって重ねているというのか。
すると、アイシニアが惚れ惚れするような凛々しい顔で笑った。
「私が重ねたのは、『ライジング・アサルト』『ドロップ・エアレイド』『ラクシャーサ』の三つだ」
「ドロップ・エアレイドを!?」
原理は、わからないでもない。
ライジング・アサルトは、上方へと跳び上がる技。本来は飛行モンスターを斬るための技能だ。アシュリーは、これに『スワローフラップ』を重ねることで、任意の方向へ飛び出せるようにしている。
が、アイシニアは代わりに『空中から一気に落下する』技である『ドロップ・エアレイド』を重ねたのだ。上に跳び上がるライジング・アサルトと、下へ降下するドロップ・エアレイド。この二つを重ねて上下移動を打ち消し合い、水平に攻撃したのだろう。
「でも、地上でドロップ・エアレイドが使えるなんて……」
思わずそう呟き、なんとか起き上がるアシュリー。
ドロップ・エアレイドは、原則として空中に跳び上がった時にしか使えない。ライジング・アサルトで空中へ跳び上がった後、ドロップ・エアレイドで着地しつつ大打撃を敵に叩き込むのが定番のコンボだ。
「なに、地上でも使えるよう訓練したに過ぎんさ」
「そんな簡単に!?」
あっけらと語るアイシニア剣士隊長に、アシュリーは目を剥く。それをアイシニアは、からからと笑い飛ばしてみせた。
「技能を複数同時発動する時も、同じことなのだ。要は、いかに自分を騙せるか、だよ」
「自分を、騙す……」
反芻するように呟く。
確かに技能を同時発動することも、本来は技能の仕様外の使い方だ。アシュリーらは、それを『自分を騙して』使っているに過ぎない。
「もっと言えば、自分を騙した上でどこまで『騙されている自分自身を信じる』ことができるか、ということでもあるな」
そうアイシニアは付け加える。
その気になればできる、と自分を騙す力。そこに更に、騙されている自分自身を信じ抜き、絶対にできると信じて疑わない力も必要になってくるということだ。
はぁ、とアシュリーは俯いてため息をついた。
「悔しいなぁ、苦労して会得した師匠の大技なのに……」
このライジング・ラクシャーサは、アシュリーの師である『ヴィダ』という女性剣士から教わったものだ。
しかしこの技の難点は、先ほどのようにスワローフラップで隙をカバーできないこと。アイシニア剣士隊長の技は、その弱点を見事克服している上位互換のように見えた。
が、そこへ当のアイシニア剣士隊長が眉を顰める。
「何を言っている。その技は、可能性の塊ではないか」
「え?」
彼女の物言いに、思わずアシュリーが顔を上げた。
「私のホライズン・ラクシャーサは上下移動を相殺しているがゆえに、常に水平方向にしか打てん。君が真正面から突っ込んできてくれたからこそ、カウンターを合わせられたのだ」
「あ……」
「対して君のライジング・ラクシャーサは、スワローフラップの効果でどんな位置からでも、どんな方向へも一瞬にして攻撃を放てる。咄嗟の時に一気に突っ込み、仲間を救うには最適の技だ。君の師が、それを切り札にしていた理由がよくわかる」
この言葉を聞いて、アシュリーの心が暖かくなった。
(……師匠)
守るための剣。アシュリーが最初に見た、英雄の形。
彼女が師事した女剣士は、やはり偉大だったのだ。
「君の敗因は、馬鹿正直に真正面からその技を使ってしまったことだ」
続いたアイシニア剣士隊長の指摘に、気を取り直したアシュリーが頷く。
「意外なタイミングで、意外な角度から打ち込めば良かったんですね」
「そうだ。高速の激戦中に死角から斬り込んだり、背を見せた状態から突然放ったり。モンスター戦では、味方を避けて敵だけに当てられる角度を正確に狙ったり。それは、そういう技なのだ」
「……でも、やっぱりあたしもその『ホライズン・ラクシャーサ』使ってみたいです」
と、アイシニア剣士隊長が持つ大剣を見据える。
ライジング・ラクシャーサと同等の威力を持ち、直後にスワローフラップも使うことができる技。それを会得できれば、さらにアシュリーは戦術の幅が広がるはず。
「まあ、私の技を盗むのも、悪くは無いが」
アイシニアはしかし、そこで顔を引き締める。
「君は、君自身の技を磨くことも考えるべきだろう」
「……あたし自身の、技?」
こてん、と首を傾げて問いかけるアシュリーに、アイシニアが頷く。
「三つの技能を重ねる技術は、それこそ無数の組み合わせがある。師や私の後追いをするだけではなく、君自身の組み合わせを作るのも選択肢だ」
(あたし自身の、技)
――何が、できるだろうか。
悩みかけるアシュリーを前に、アイシニア剣士隊長はおもむろに大剣を肩に担ぐ。
「しかしまあ、見事だったぞアシュリー。君の腕は正直、うちの副隊長と比べても遜色がない。歩兵戦に限れば、だがな」
「光栄です。まあ……あたしは、馬に乗って戦ったことはありませんから」
アシュリーが苦笑いで返した。
騎士の本領は、騎馬に乗った状態での戦いだ。
彼女ら剣士は、身体能力の高さゆえに馬よりも早く走ることも不可能ではない。が、それでは他『クラス』の者達が追いつけなくなる。
集団行動を旨とする騎士は、そのために皆、馬に騎乗している。そうすることで足並みを揃え、あらゆる地域へ全員で駆け付けることができるようにしているのだ。
そして、地上で戦うのと騎馬に乗った状態で戦うのとでは、勝手が全く違う。
アイシニアが大剣を愛用するのも、騎乗状態での戦いを想定してのことだ。騎馬の上では、リーチのある武器を振るうことが望ましい。
「あの日、君をスカウトした私の目は確かだったようだ。今からでも、うちに来ないか?」
と、アイシニア剣士隊長が手を差し伸べてくる。
アシュリーがセレスティ学園を卒業した時、王国直属騎士団からのスカウトを受けた。その時アシュリーに声をかけてきたのが、他ならぬアイシニア剣士隊長その人だったのだ。
しかしアシュリーは、その手を見下ろして頭を振る。
「魅力的なお誘いですけど……あたしは、やっぱり今のままがいいんです」
「そうか、残念だ。君ならば、立派な騎士になったろうに」
本当に残念そうな顔をして、アイシニア剣士隊長が手を引っ込める。
「だが、ならばなぜ私との模擬戦を望んだ? それ以上強くなろうとする理由があるのか?」
「当然です。召喚師解放同盟との戦いだってあります」
ぐ、とアシュリーは自身の拳を握りしめる。
「それに、あたしは追いつかなきゃいけません。英雄の、父に」
と、握りしめた拳を天へと突きあげた。
雲一つない晴天の空を仰ぎ、アシュリーは改めて決意を固める。
(そう。目指すべき、あたしの英雄――)
会ったことすらない、顔も知らない自分の父に思いを馳せる。
唯一知っているのは、孤児院長から教わった、父の名前だけ。
(――あたしの、お父さん。英雄『ブライトン』!)




