139話 捕虜にされていた召喚師
テオ、シャラ、アシュリーがセレスティ学園での指導を続けている中。
ある日、三人はテナイアに呼びだされた。
「テナイアさん、話というのは……?」
テオが代表するように、呼びだされた学園中央塔の一室でテナイアに問いかける。
やや小さめなテーブルに向かって座っているテナイア。その隣には、滑らかにウェーブのかかった緑の長髪を持つ女性が、白いワンピース姿で腰掛けていた。
歳はシャラと同程度か、少し下くらいだろうか。顔に若干のそばかすが見られるが、海のように青い瞳と透き通るような白い肌を持ち、どこか妖艶な雰囲気を纏わせている。
が、妙におどおどしており自信無さげな雰囲気でもあった。良く見れば頬がこけており血色も悪い。随分とやつれているようだ。
「こんにちは。まずは、かけてください」
テナイアに仕草で椅子を勧められ、三人は彼の正面に置かれた三脚の椅子にそれぞれ座る。ビクリ、と緑髪の女性が身をすくめる。
(……怖がられてる?)
その表情から、テオはその女性が異常なまでの『恐怖』を抱いているのを感じ取った。
「紹介しましょう。彼女はパトリシアというそうです。あの開拓村でマナヤさんが壊滅させた、殺人集団に捕らえられていた召喚師です」
「召喚師、ですか?」
ちらり、とシャラが気遣うように緑髪の女性へ視線を向ける。怯えた表情のまま、パトリシアという女性は目をきつく閉じた。
「殺人集団が、どうして召喚師を捕らえていたんです?」
アシュリーが問いかけると、テナイアは表情を歪める。珍しく、怒りを微かに内包した顔だ。
「あの集団は、女性の召喚師を必ず一人は捕縛して連れていたそうです。倒しても復活する野良の『スカルガード』を処理するための要員であったと」
伝承系のモンスターであるスカルガード。下級モンスターであり倒すのも簡単ではあるが、倒してから三十秒で勝手に復活してしまう。
その復活を封じることができるのが、召喚師の『封印』だ。
(『女性』の召喚師、か)
その意味を予想し、テオは彼女を怯えさせないよう、わざと視線を外す。
おそらく、スカルガード処理だけではなかったのだろう。殺人集団とはいえ、男の集まり。殺人欲求とは別の欲望、その捌け口となっていたのは想像に難くない。
「王都で保護していたのですが、見ての通りどこに居ても落ち着かないらしく……」
と、テナイアが横のパトリシアへと視線を移した。
女性の視線ですら落ち着かないのか、パトリシアはテナイアからわずかに顔を背け、身をすくめながら更にきつく目を瞑っている。
「結局、あの時パトリシアさんを救った、マナヤさんにお会いしたいと」
「マナヤがパトリシアさんを、救った?」
続いたテナイアの言葉に、小さく首を傾げるテオ。
あの時、マナヤを通して見ていた限りでは、マナヤはコリィ以外の全員を皆殺しにしていた。彼女の姿は見ていないはずだ。
「彼女は、あの洞窟の奥に捕らえられていました。後ほど私達騎士隊が検分した際に保護したのです。あの集団がマナヤさんの手で壊滅したため、マナヤさんに感謝していると」
そこまでテナイアの説明が続いた所で、恐る恐るといった様子でパトリシアが顔を上げる。まだかすかに震える頭で、テオをまっすぐに見据えてきた。
「……あなたが、マナヤさん、です、か?」
「え? えっと……」
思わず困惑する。左右に座っているシャラとアシュリーも動揺しつつ、顔を見合わせた後でテナイアに注目した。
「大丈夫です。二重人格のことは、彼女もご存じです」
テナイアが察したように頷いた。
二重人格のこと『は』、と気付かれにくいよう強調していた。すなわち、マナヤを『異世界人』だと説明しているということだろう。
「わかりました。今、替わりますね」
す、と目を閉じて、心の中でマナヤに呼び掛ける。
再びテオが目を開いた時。
(……ッ)
替わったマナヤは、周囲の人間に『殺しのビジョン』を幻視してしまう。
即座に、横目でチラリとアシュリーを見やった。真っすぐ見つめ返してくれる青い瞳、殺しのビジョンが見えないいつも通りの彼女の姿に、すぐ落ち着きを取り戻す。
「……ふう。これで、いいのか? パトリシアさん、だったか」
「マナヤ、さん?」
「ああ、俺がマナヤだ」
名乗った途端、パトリシアはポロポロと大粒の涙を零し始める。
「へっ? あ、ちょっ、大丈――」
「ありがとう、ございました……っ!」
半ば泣き崩れるような形で、右手を胸に当て頭を下げてくる。落ち着かないマナヤの隣で、シャラとアシュリーも複雑そうな顔をしていた。
パトリシアは嗚咽をあげながらも、おもむろに立ち上がったマナヤ達の側へと回り込んでくる。その動きを頭で追うマナヤ達だが、パトリシアはマナヤとアシュリーの間に後方から割って入り、そこに跪いた。
「わたしは、あなたに救われました。なんとお礼を言っていいか……!」
「ちょっ、おい……!」
涙ぐんだ目でマナヤをの顔を覗き込んでくる。先ほどまでの怯えようは何だったのか、随分と積極的だ。
助けを求めるように、周囲を見回すマナヤ。が、アシュリーもシャラも、戸惑うように顔を見合わせるばかり。
「と、とにかく、立ち上がってくれ。俺は大したことはしてねえよ。現にあん時ゃ、あんたにゃ気づかずに立ち去っちまったんだぞ俺は」
「わかって、います。それでも……わたしは、あなたに一番感謝したい」
と、マナヤの手を取る。
思わず振り払ってしまいそうになったが、とっさに思いとどまった。相手の手を自身の両手で包み込むのは、求婚の作法。その際に手を振り払うことは、この世界では『絶交宣言』のようなものであり、大変失礼だからだ。
が、彼女は別にマナヤの手を両手で包み込んではこなかった。片手で、マナヤの右手指先を掴むような形だ。
内心大慌てになって、心の中でテオに問いかける。
(お、おいテオ。これって、こっちの世界じゃ何かの作法か?)
――う、ううん、これだけなら何も。でもこの人、多分召喚師以外の人が怖いんだと思う。
(召喚師以外が、怖い?)
テオの物良いに、マナヤは促すように問い直した。
――テナイアさんにすらも、怖がってる感じだった。ほら、この人が囚われてたのって、あの殺人鬼集団だったでしょ?
(! ……そういうこと、か)
召喚師であるからと連れ去られ、慰み者にされた。そのため、女性だろうと召喚師でない者を信用できないのかもしれない。
そんな中、マナヤは召喚師である上に、彼女を救った事実上の救世主でもある。
感受性の強いテオでなくとも、わかる。このパトリシアという女性は、マナヤに惹かれている。
(けどよ。女からの感謝が、ここまで嬉しくねえのは初めてだな)
そも、あの日はマナヤが『人間でなくなった日』。元よりあまり良い思い出ではないし、感謝されて良い気分になる出来事でもない。
しかも……
「……」
視線を動かすと、アシュリーがどこか辛そうな顔で戸惑っているのが見えた。
「パトリシアさん。とにかく、こちらの席へ戻って下さい」
そこへ、テナイアが助け舟を出すように話しかけた。
パトリシアは戸惑いつつ、名残惜しむようにそっとマナヤから手を放した。ビクビクしながらも、ゆっくりと先ほどの席へ戻っていく。それを確認したテナイアが、彼女を直視しないようにしながら優しく語り掛けた。
「パトリシアさん。大丈夫そうですか?」
「は、はい。この方なら」
マナヤの方をちらちらと見ながら、そう答えるパトリシア。
ふう、とテナイアがため息を吐いた。
「……マナヤさん。申し訳ありませんが、彼女をしばらくお願いできませんか」
「は?」
テナイアからの提案に、思わず声色がきつくなってしまうマナヤ。
パトリシアは一瞬怖がるようにビクリと震えたが、すぐに顔を上げて懇願するように語り掛けてくる。
「マ、マナヤさんのお邪魔はしません! ただ、あなたの近くに居させてもらいたいだけなんです!」
「ちょっと待てよ! 大体、俺は――」
元より、この体はシャラと結婚している。自分がアシュリーに求婚しなかったのは、それがあったためだ。そんな状況下でまた別の女を近くに置くなど、正気の沙汰ではない。
何より、アシュリーを不安にさせるような真似はしたくなかった。
「救出してから、こちらで保護してきたのですが」
そこへ、テナイアが憐れむようにパトリシアを見下ろす。
「パトリシアさんは、誰にも心を開こうとしなかったのです。食事もろくに摂らず、心身ともに回復の兆候もなく、人に怯え続けていました」
疲れたような表情で眉を下げながら、マナヤへと向き直る。
「マナヤさん、貴方が初めてなのです。彼女が、怖れ以外の感情を抱いた相手は」
「……」
「我々王国としても、不当に虐げられた民は保護する義務があります。彼女を無碍にはできません」
神の存在が確認されている、この世界。信仰も広がっており、『人は人らしく生きる資格がある』という教義が浸透していた。だからこそ貧民にも食わせる義務が貴族達や騎士団にはあり、パトリシアのような被害者を救う責務を負う。
もっとも、村によっては例外が俗説のように広まっていることもある。主な被害に遭っているのは、『モンスターを操る者は人ではない』と見られることが多い召喚師だ。
マナヤとて、パトリシアを憐れに感じないわけではない。
彼女の境遇を考えれば、蔑ろにするわけにもいかない。が、だからといって自分にどうにかできるとも思えなかった。
「他の召喚師は、ダメだったんですか? そもそもそういうのは、テオの方が専門なんスけど」
「わ、わたしは、マナヤさんがいいです!」
再び目をきつく瞑って、強調するように叫んでくるパトリシア。それに助け舟を出すようにテナイアが口を開いた。
「騎士隊の召喚師も彼女に紹介してはみました。ですが、男女問わず怖れを感じてしまっている様子だったのです」
「な、なんで?」
「いざという時に、助けてくれないかもしれない。そういう印象が拭えないそうです。一般の村に所属している召喚師は内向的ですから」
これまで、一般の召喚師は『互いに深くは関わらない』というスタンスを通していた。マナヤが来たばかりの頃のセメイト村がそうだったように、召喚師はどうせ同胞を助けることはできないから、という諦観があるからだ。
「んなこと言ったってよ……」
と、救いを求めるようにシャラとアシュリーを交互に見やる。どちらも複雑そうではあったが……
「仕方ない、かもしれません」
「そう、ね。この人の境遇を思えば、断るわけにもいかないわ」
「うおいッ!?」
肝心の二人に容認され、思わずマナヤは声が裏返る。アシュリーは改めて、真剣そうな表情でマナヤを見つめ返してきた。
「召喚師を救うのがあんたの使命だって、言ってたじゃないの。この人だって、召喚師よ?」
「う……」
「あたしも同じ女として、酷い目に遭わされた人をほっとけないわ」
アシュリーには女性目線で、男に襲われた女性に対して力になりたいという気持ちがあるのかもしれない。後押しされる形になったパトリシアは、祈るような仕草でマナヤを見つめ続けている。
(おい、テオ。お前はいいのか?)
――この人が可哀そうだとは思うから、うん、僕もそれがいいと思う。そばにいるだけ、なんでしょ?
(この野郎、他人事だと思いやがって……)
――ひ、他人事とは言わないけど。一応、同じ身体だし……
他人事というより、別人格事と言うべきなのだろうか。
もっとも、まなやとてこの状況で放置するというのも気が引ける。それに一つ、気になることもある。
観念して、マナヤは大きくため息を吐いた。
「わかった。けどな、三つほど条件がある」
「じょ、条件、ですか?」
マナヤの言葉に、震え声で訊ねてくる。
「聞いてるとは思うが、俺はこの体の持ち主である『テオ』の意識と同居してる」
「は、はい」
「テオはこっちのシャラと結婚してるから、四十六時中、俺が表に出てくるわけにゃいかねえ。いいな?」
ここ最近、どちらの人格が主体となって過ごすか、三日置きに交替するように取り決めておいた。
テオとシャラ、マナヤとアシュリーが、お互い気兼ねなく時間を過ごすことができるようにという配慮である。
「わ、わかりました」
「二つ目。……テナイアさん、どの程度の期間を見込めば『改善』されるんでしょう?」
視線を横に移動させ、テナイアへと向いて問いかけた。
「統計上ですが、最短で一ヶ月というところでしょう」
「じゃあ、とりあえず俺が付き合うのは一ヶ月間だ。それ以上は、テナイアさんの指示を仰げ」
「……はい」
しゅんとした様子で、パトリシアが小声になった。なおもマナヤは続ける。
「そして、最後の一つ」
この最後の条件が一番肝心だ。
そっと自分の手を、右隣りのアシュリーの手に沿える。
「結婚はできてねえが、俺自身はこっちのアシュリーに、心を捧げてるんだ」
「……っ」
「念のためにはっきり言っとくぞ。……俺達の邪魔は、するな。それが最後の条件だ」
「……は、はい」
ここまで言えば、さすがに察しているだろう。パトリシアは、しおらしく俯いてしまった。
「それでは、決まりですね。マナヤさん、申し訳ありませんがよろしくお願いします」
テナイアがそう言って立ち上がる。
「テオさん達が使っている部屋の向かいが、空いていたはずです。宿に連絡を取って、準備をさせましょう」
さすがに部屋まで同じにするわけではなかったらしい。内心、胸を撫でおろす。
「マナヤさん、それにシャラさんとアシュリーさんも。何かありましたらすぐ、私にご連絡ください」
「は、はい」
「ありがとうございます、テナイアさん」
と、パトリシアを除く全員が立ち上がった。シャラとアシュリーは、気遣うように微笑みながらパトリシアへとゆっくり歩み寄る。
「……テナイアさん」
「どうされましたか、マナヤさん」
その隙にマナヤは、小声でテナイアに『気になっていた事』を問いかけた。パトリシアらには聞こえぬように。
「彼女が、召喚師解放同盟からのハニートラップ的な何かである、という可能性は?」
「彼女の言葉や感情に、嘘の兆候はありませんでした」
即座に答えが返ってくる。テナイアもその可能性は考慮済みだったらしい。
「彼女の故郷が壊滅した時期と位置を考えても、連れ去られる前に召喚師解放同盟と接触していた可能性は、極めて低いかと」
「ッ……あいつの故郷、滅んでるんスか」
「四年前にあの殺人鬼集団、ブライトン一味と仮称しますが、その者達によって滅ぼされました。彼女が、唯一の生き残りです」
パトリシアの見た目から推測して、四年前ならばおそらく召喚師になりたての頃だろう。その頃から、村が滅ぼされブライトン一味に良いように使われてきたということか。
ますます、突き放しにくくなった。
「はぁ。……仕方ありませんね」
「マナヤさんには苦労をかけますが、どうかよろしくお願いします」
テナイアが、意味深な流し目をしてくる。油断はせぬように、といった雰囲気だ。
(……万が一、召喚師解放同盟に関わっていそうなら、すぐに対処しろってことか)
怪しいことには、違いない。しかし現状では、災難に巻き込まれた一般人の可能性の方が高い。見捨てるわけにもいかないだろう。
面倒なことになった、とマナヤは頭を抱えた。
***
パトリシアがテナイアに連れられ、宿を移しに行った後。
「マナヤ」
「アシュリー?」
テオに替わろうとした所で、アシュリーに呼び止められた。シャラは、パトリシアのために生活用の錬金装飾を取りに行っており、ここにはマナヤとアシュリーの二人だけだ。
「ホントに、良かったのかよ。突っぱねてもよかったんだぞ?」
と、アシュリーの顔を見て即座にそう言い放つ。
不安そうな表情を、隠しもしていなかったからだ。
「そんなわけにも、いかないでしょ。酷い目にあった人なんだから」
そう言いつつも、アシュリーは気まずそうに視線を逸らした。
「大丈夫だ」
「えっ……ま、マナヤ?」
ふわ、と正面からアシュリーを優しく抱きしめる。
「言ったろ。俺が傍にいて欲しいのは、お前だけだ」
「……ん。信じてる」
少し湿った声で、アシュリーが耳元で囁いた。
「それにね、嬉しかったんだ」
「あ?」
アシュリーが体を離し、満面の笑顔になってマナヤを見つめてくる。
「あたしに、『心を捧げてる』んだっけ?」
「ッ!?」
「キザだけど、なかなか素敵なセリフだったわよ? あんたもそんなセリフが言えるのね」
今更ながら恥ずかしくなり、赤面してしまうマナヤ。くすくすとアシュリーがからかうように笑ってくる。
――え、えと、ごめんマナヤ。さっさと引っ込んでおけばよかった……
(てっ、テオ!?)
気まずそうに、頭の中に響く声。テオの存在をすっかり忘れていた。
「マナヤ?」
様子がおかしいことに気づいたか、こてんと首を傾げてくるアシュリー。
「……テオに、見られてる」
「あー。……ふふっ、いいじゃない。見せつけてやりましょ」
「お、おい!?」
すると、アシュリーはマナヤの頬を両手で包むようにして、目を覗き込んでくる。
「テオ、聞こえてるー? 『心を捧げてる』って言われるの、結構良いわよ? あんたもシャラに言ってあげなさい」
「ちょっ、アシュリー!?」
先ほどまでの、不安そうな表情はどこへやら。
屈託のない笑顔を見せ、いつも通りの調子を取り戻したアシュリーに安心しつつ、マナヤは照れ隠しに頬の手を引きはがした。




