137話 貴族家の晩餐会
日も落ちてきたので、詳しい話の前に、とマナヤらはランシックの屋敷で晩餐を共にすることになった。
「なんか、他人に手を洗われるのってむず痒いわね」
マナヤの左隣で、使用人にされるがままのアシュリーが呟く。シャラに至っては、恐縮しきってしまってガチガチになっている。
彼らは今、食堂の入り口で並んでいた。入り口に置かれた受付のような長テーブル、そこで待機している水の錬金装飾を構えた使用人に手を洗われているのだ。洗われた後は、その奥に控えた使用人がタオルのような布で、丁寧に手を拭いていく。
貴族の晩餐では、このように使用人に自分の手を洗わせるのが普通であるらしい。
順番に手を洗われたところで、ようやく食堂へと足を踏み入れる。
「……おお」
目の前に現れたのは、まさに絵に描いたような晩餐会の食堂。
縦長のテーブルに人数分の椅子。白いクロスが被せられたテーブル上にはカトラリーと取り皿が並べられ、テーブルの中央には燭台の代わりとなる光の魔道具が設置されている。上に伸びた棒の先端に取り付けられた、菱形の石が発光しているという魔道具だ。
既に料理はテーブルの上に用意されているらしく、ドーム状の金属蓋……クロッシュが被せられた皿も多数置かれている。一つ一つは小さ目だが、随分と料理皿の数が多い。
皆、それぞれが使用人に指定の席へ導かれる。
「ん? なんだこりゃ、取り皿じゃなくてパンか?」
テーブルに向かって座ったマナヤは、各席の前に置かれた取り皿のように見えたものが、全く違うものであることに気づく。
随分と大きな取り皿に見えていたそれは、平べったいパン生地のようなものだ。直径は五十cmほどあろう、丸くて薄いパンが水平に半分にカットされ、切り口を上にして置かれている。厚みは二cmほどだろうか。おそらく元々は四cmほどの厚みがある巨大なパンを、半分に切ったのだろう。それが、皿もなしに直にテーブルに置かれている。
(こっちの世界のパンも、エタリアからできてるんだっけか)
こちらの世界では、エタリアという小粒の穀物が主に食されている。脱穀しただけのものを、そのまま炊いても十分美味しく食べられる。そのため、パンのように粉にして焼く必要はあまり無い。マナヤがこちらのパンを初めて見たのも、この王都に来てからだ。
「貴族屋敷と王城における晩餐会の特徴だ。そのパンを取り皿のように使って料理を食する」
対面に座ったディロンが、シャラやアシュリーにも聞かせるように解説。
ちょうどそこへ、ランシックとレヴィラも入ってくる。ランシックは正面の上座に座り、レヴィラはその右隣、ディロンの左隣に腰掛けた。
部屋の最奥、上座にランシック。
向かってテーブルの右側に座っているのは、奥から順にレヴィラ、ディロン、テナイア。向かって左に席が用意されたのは、奥からマナヤ、シャラ、アシュリーの順だ。使用人らは、各席の背後に一人ずつ立って待機している。
「揃いましたね。――天陽の恵みと大地の実りに感謝します」
と、両手を祈るように握り、軽く俯く。ディロンらも同じ仕草をするのを見て、マナヤらも慌てて続いた。
食前に祈る文化は、どの世界にもあるということだろう。
「――それでは、いただきましょうか。皆さん、ワタシの前だからとマナーを気にする必要はありません。遠慮なく召し上がってください」
と、顔を上げたランシックを合図に、控えていた使用人たちが代わる代わるクロッシュを取り上げていく。
「あっ、炎包みステーキ!」
その中で一際目立つ料理を見て、アシュリーが思わずといった様子で声を上げていた。すっかり見慣れた、燃え盛る塊が皿の一つに鎮座していたからだ。同時に、芳しいピナの香りもふわっと広がる。
炎包みステーキ、セメイト村の名物料理である。
「セメイト村の方々と聞いていましたからね。特別に用意させましたよ」
ニコニコとそう語るランシックは、満足げだ。
その他の料理も、マナヤから見ても豪勢なものだった。
スライスし何らかのソースと刻んだ野菜でソテーした獣肉が、ピラミッド状に積み重ねられているもの。やや黄色い色がついたスープには色とりどりの具材が入っており、その具材一つ一つが綺麗なキューブ状に切り揃えられている。上からたっぷりとソースがかけられた星型のタルトのようなものもあれば、赤いソースのかかったロウソクを横に倒したような白い棒状の料理もあった。透き通ったレタスのようなものが、薔薇状に盛りつけられている美しいサラダもある。シンプルにロールパンのようなものが載っている皿もあった。
料理は全て、各種類のものが各席からすぐ手が届くよう並べられているようだ。随分と料理皿が多いように見えたはずである。
「あ、炎包みステーキはもう一口分に切り分けられているんですね」
さっそく炎包みステーキを取ったシャラが、その一切れをフォークで取り上げてふっと炎を吹き消し、そのまま口に運んでいる。
取り皿代わりのパンが焦げてしまわないかとマナヤも心配していたが、杞憂だったようだ。
「汁気のある料理が多いな」
炎包みステーキは別として、全体的に何らかのソースだかドレッシングだかが盛りつけられている料理が多い。そのソースも妙にサラサラで、思っていたほどトロミがなかった。
(ああなるほど、だからパンが取り皿代わりなのか)
さっそくパンの上に盛り付けたマナヤが納得する。盛り付けた料理にかかっていたソース、それがパンの上に置かれた瞬間にパン生地へと吸い込まれたのだ。
取り皿の上が汁びたしにならないように、という配慮なのだろう。ガチガチに堅いパンというわけではないが、意外と生地がしっかりしている。置いた食材をナイフで切り分けるのも苦労しない。
(……へぇ)
ピラミッド状に積み上げられていた肉料理をさっそく食べてみたマナヤは、少し感心する。
基本的な味付けは、相変わらず単純なもの。しかし香辛料の種類がずいぶんと豊富だ。豊かな香りが口の中に広がり、単純なはずの味を随分と彩っている。
いくつかの料理を食べ比べてみたが、香辛料の配分もそれぞれ違っているようだ。ミントに近いスッとする風味が強いものもあれば、ガツンとボリュームのある力強い香りの料理もある。シャラやアシュリーも美味しく頂いているようで、料理を口に運ぶ彼女らの顔は幸せそうだ。
そして、味付けが濃い目なソースが味をうまく支えていた。ソースの種類も料理ごとに違う。ナッツをすりおろして液に混ぜたような濃厚なソースもあれば、果汁を多少煮詰めたような爽やかなソースもある。いくつかの料理を三角食べすれば、マナヤも全く味に飽きを感じない。
結構油分を感じるソースが多いが、大部分はパンが吸い取ってくれる。そのためか、ギトギトとしつこい感じは舌に残らない。
「皿代わりにしているそのパンは、食べないでくださいね」
汁を吸った部分をカトラリーでつっついていたマナヤを見咎め、ランシックがくぎを刺した。
疑問を投げかけるようにランシックを見返すと、クスリと笑って改めて解説してくる。
「そのパンは、取り分けた料理の汁を吸わせるためだけのもの。安物であり味も良くありません。我々が食べるパンは、こちらに盛られている方です」
と、自身の近くに置かれている、ロールパンのようなものがどっさりと盛りつけられている皿を手のひらで示してきた。
「食べないパンを、わざわざ用意しているんですか?」
シャラが表情を曇らせている。
自給自足している一介の村の出であり錬金術師でもある彼女は、食料の大切さを誰よりも理解しているからだ。
「シャラさん。このパンは、貧困民に下げ渡されるのです」
「テナイアさん?」
それに答えたのは、テナイアだ。疑問符を浮かべるシャラに、今度はディロンも口を開く。
「王都には、職にあぶれた者が多数存在する。成人の儀で王都へ来たはいいものの、モンスターと戦うことに怖れを抱き王都に残った者達が大半だ」
「王都に残る権利自体は、皆に平等に与えられます。しかし結局王都でも職に就けず、食べる物にも困る者はいるのです。このパンは、そういった者達の生きる糧になるのですよ」
ディロンの説明を、再びテナイアが引き継いだ。
「……せめて、美味しいパンにしてあげることはできなかったのでしょうか」
と、やや憂いた表情でシャラが顔を伏せる。
先ほどランシックから、このパンは美味しくないと聞いたからだ。
「哀しいかな人というのは、欲求が満たされると怠ける生き物でしてね」
同じく目を伏せたランシックが、カトラリーを置いて静かに語り始めた。皆が彼に注目する。
「不味いパンを出すのは、貧困民に働く意欲を持たせるためでもあるのですよ。いつか立派に働いてちゃんとしたパンを食べてやる、と奮起して頂きたいのです。そうでなくとも、我が国は財政が苦しいですからね」
確かに、働きもせずに美味しい食べ物まで無料でもらえるならば、誰も職探しに本腰を入れようとなどしないだろう。それこそ、しっかりと働いて税を納めている者達に失礼だ。
(……ん、財政が苦しい?)
そういえば、とこの世界の事情を思い出す。
村や開拓村は、モンスターを間引くことを条件に、税が免除されている。そのため国営の費用は、王都とそこに隣接する『町』の税収、そして隣接国との通商で賄っているらしい。人口に対して、国の予算が逼迫しているのだ。
にも関わらず、いざとなれば町や駐屯地から村へと、騎士隊が救援に来る。先日、実習で赴いたあの海岸沿いの開拓村など、食糧事情が苦しかったがために食糧の配給までされたほどだ。税を取っていない村相手に、ずいぶんと対応が手厚い。
「それに、このパンはエタリアの籾殻や、細かく挽いて良く焼いた獣の内臓肉などが混ぜ込まれています。味が悪い分、これだけを食べていても健康に生きていけるほど、滋養はあるのですよ。料理のソースを吸った部分であれば、味も多少改善されますからね」
明るく振舞うように笑顔に変わったランシックの説明を聞いて、「そういうこと、か」と呟いたアシュリー。彼女はあえてソースをあまり切らず、汁だくのまま取り皿のパンへとよそる。
それを見て、顔を上げたシャラも唇を引き結び、同じように料理を取り分けた。
「さて、ちょうどいい話題になりましたし、食べながらで良いので聞いてください」
と、ランシックが再びカトラリーを取り上げつつも話し始めた。楽しそうな笑みから突然、真剣そうな表情へと変わる。
(なんだ?)
ただならぬ雰囲気に、思わず手が止まるマナヤ。ランシックの顔が整っているのもあって、真面目な顔になると凄みがある。シャラとアシュリーも、にわかに背筋を伸ばすのがわかった。
重苦しくなった空気の中、ゆっくりとランシックが口を開く。
「……皆さん、普段どのようなものを食されていますか? 特に、そちらのお嬢さんがたお二人は」
「えっ?」
「あ、あたし達ですか?」
突然話を振られたシャラとアシュリーが、困惑の声を上げた。
直後、やたらと重苦しそうな声で、ゆっくりとランシックが口を開く。
「見ての通り、うちのレヴィラはこう、お胸が少々残念でしてね」
「はい?」
「!?」
真剣そうな目でくだらないことを言うランシックに対し、アシュリーの目は点に。シャラも完全にフリーズしていた。
そんな二人の様子に構わず、ランシックは一層顔を引き締め、ぐいっと身を乗り出した。
「――なので、何を食べればそのようにスクスクと育つのか、ぜひご教授願いたい!」
「マジ面で訊くことじゃないッスよね!?」
盛大なセクハラ発言に、思わず全力でツッコんでしまうマナヤ。
先ほどの重苦しい空気は一体何だったのか。そして、仮にも当のレヴィラ本人まで居る場で一体何を言い出すのか。
はぁ、とレヴィラがため息を吐く音がマナヤの耳に届く。思わずぎょっとしてそちらへと振り返る、が。
「……ランシック様。彼女らにも私にも、色々と無礼ではありませんか」
「何を仰います、大事なことじゃないですか! レヴィラの名誉がかかっているのですよ!」
「その質問をしたことで、今まさに私に不名誉が降りかかっているのですが」
「なるほど! そういう考え方もありますね!」
(いや、笑顔で言い訳してる場合か! つかレヴィラさんももっと怒らなくていいのか!?)
レヴィラは思ったよりずっと冷静そうで、ランシックも飄々とした態度を崩さない。思わずマナヤの頬に冷や汗が伝った。この空気でこれだけ暢気でいられるランシックの態度が、マナヤには信じらない。
まさか、こちらの世界では軽く流せるような文化だとでも言うのか。顔を赤くして胸元を押さえているシャラや、ジト目になっているアシュリーの様子を見る限り、それはなさそうだが。
「失礼、では今度こそ真面目に話しましょう」
こほん、とランシックがわざとらしく咳ばらいをする。傍らのガラス製ワイングラスを、音もなく取り上げた。




