133話 召喚師の模擬戦
コリンス王国の王都、ヴァルディオン。
その中にある、七本の塔からなる純白のセレスティ学園、その中庭の一つ。
召喚師に割り当てられた中庭で、二人の人物が少し離れて対峙していた。
「――【ヴァルキリー】、召喚!」
「【スター・ヴァンパイア】召喚」
戦乙女を召喚した方は、赤髪に近い短い茶髪を揺らしている、王国直属騎士団に所属する召喚師。
一方、星の精を召喚した方は、ややウェーブがかった金髪の少年。その鋭い目つきは、より一層険しい。瞳からは、強烈な殺気すら感じられた。
「【行け】」
両者が、各々のモンスターを突撃させる。
まずは、召喚師の騎士が喚んだヴァルキリー。全身を白銀の甲冑で覆った見目麗しい女騎士のような上級モンスターが、赤いケープを靡かせ、土煙を上げながら突撃する。マナヤが喚んだ上級モンスター『スター・ヴァンパイア』は、透明で目には見えない。が、同じくヴァルキリー目掛けて高速接近していったはずだ。
戦乙女は全く躊躇せず、何の意思も宿していない虚ろな瞳で虚空を睨みつけ、長槍を振りかざしていた。ヴァルキリーは、透明化しているモンスターをも知覚できる能力がある。
「【電撃獣与】」
マナヤはその瞬間、ヴァルキリーの視線の先へと手をかざし呪文を唱えた。何もないはずの虚空に、バチバチと電撃が何かにまとわりつくように煌めく。
「【電撃防御】!」
やや冷や汗をかきながらも、騎士がすぐさまヴァルキリーに手をかざす。青白い光膜がヴァルキリーの周りを取り巻いた。
直後、先ほど電撃が発生した場所から、宙に浮かんだ醜悪な肉の塊が出現する。ピンク色のその肉塊は、全身いたるところにウツボのような突起が無数に生えている。足らしいものは見当たらず、しかし体頂部から二本の触手が生えていた。その触手の先についている、鋭い鉤爪。
普段は透明化しているスター・ヴァンパイア。攻撃時にだけ姿を現す星の精、その真の姿だ。
スター・ヴァンパイアの方が、初動が早い。二本の触手を振り上げる。
「【精神獣与】」
その瞬間を見計らい、マナヤが補助魔法をかける。電撃に覆われたスター・ヴァンパイアの触手が、電撃を覆い尽くすように黒いエネルギーを纏う。
スター・ヴァンパイアの触手が振り下ろされ、その先端についた鉤爪がヴァルキリーを切り裂かんとする。鉤爪そのものは、全身甲冑に阻まれた。が、鉤爪を覆っている黒いエネルギーは防げない。
戦乙女の全身から、暗い虹色の光が飛沫のように飛び散る。血の代わりに放散されたその光は、ヴァルキリーのMPが削られた証。スター・ヴァンパイアの鉤爪に付与された、精神攻撃の影響だ。
「くっ、【秩序獣与】!」
しかし対峙する騎士は、精神攻撃を防ぐ魔法ではなく、ヴァルキリーの長槍に神聖属性の付与を行うことを選んだ。
騎士は知っている。先ほど、ヴァルキリーに電撃防御をかけた今、精神攻撃を防ぐ防御魔法をかけても意味がない。電撃と精神攻撃は逆属性。電撃を防ぐ魔法と、精神攻撃を防ぐ魔法は両立できない。
ヴァルキリーの長槍が突き出される。スター・ヴァンパイアの体に長槍が突き立ち、神聖な光がその肉塊を焦がした。
秩序獣与には、『聖痕』という特殊効果が伴う。スター・ヴァンパイアのような、『亜空』という特殊な肉体を持つモンスターへ持続ダメージを与える効果だ。いわば、スター・ヴァンパイアへの特効効果。
「【精神防御】」
対するマナヤは、スター・ヴァンパイアに精神攻撃を防ぐ防御魔法をかけた。
対峙している騎士が、表情を曇らせる。彼の動揺がマナヤにもわかった。神聖属性の攻撃に対して、精神攻撃を防御する魔法で対抗することなど、できないはず。おそらくそれを訝しんでいるのだろう。
ヴァルキリーの神聖な長槍が、スター・ヴァンパイアの肉体を崩していく。一方でスター・ヴァンパイアも、ヴァルキリーの甲冑に爪を立てる度、ヴァルキリーのマナを削り取っていく。
互いにノーガードでの殴り合い。しかし『聖痕』効果の分、ヴァルキリーの攻撃の方が勝っている。
「【魔命転換】」
マナヤは、崩れかけたスター・ヴァンパイアへ呪文を唱えた。甲高い音と共に、スター・ヴァンパイアの全身が治っていく。
魔命転換、『亜空』モンスターを治癒することができる、唯一の魔法だ。
「そこだ! 【精神獣……ッ!?」
チャンスと見た騎士だが、慌てて精神獣与を中断した。
(やっと気づいたみてぇだな)
マナヤは、殺気の篭った目で騎士を見つめながらほくそ笑む。
「そ、それならば! 【時流加速】!」
焦った騎士だが、すぐさま時流加速に切り替える。途端、ヴァルキリーの攻撃速度が加速。治ったスター・ヴァンパイアの全身を、あっという間に再びボロボロにしていく。
「【魔命転換】。詰みだ」
再び、マナヤの治癒魔法でスター・ヴァンパイアの傷が治っていく。ヴァルキリーは構わず、加速状態のまま更に槍を突き出し続けた。が、もう時間切れだ。
――バシュウ
何度目かのスター・ヴァンパイアの爪を受けて、ヴァルキリーは消滅。精神攻撃を食らいすぎて、ヴァルキリーのMPが尽きたのだ。
スター・ヴァンパイアの姿が、再び透明化する。
「ひっ――」
騎士の表情が、恐怖一色に染まった。スター・ヴァンパイアは、攻撃する瞬間まで目に見えない。どこから自分へと襲い掛かってくるか、わからない。思わずたたらを踏み、尻餅をついてしまう。
「――【送還】っ!」
突然、マナヤの表情が和らいだ。手をかざして、透明なスター・ヴァンパイアを送還する。空間の裂け目のようなものが開き、見えないスター・ヴァンパイアが収納されていった。
「あ、あの! 大丈夫ですか!?」
すっかり目つきが穏やかになった、金髪の少年がおどおどと騎士に近づいた。
「あ……て、テオさんですか。はい、問題ありません」
手を差し伸べられた騎士が、テオの手を掴んで立ち上がる。額の冷や汗を、もう片方の手でぐっと拭っていた。
「良かった……あ、すみません。またマナヤに替わりますね」
「え? あ、はい」
ほっとしたテオが、目を閉じる。やや困惑気味な騎士は、また目つきが鋭く変わっていく少年の姿を、興味深げに見下ろした。
「――ッ」
交替するや否や、マナヤは胸を押さえて俯く。今いる中庭の片隅に視線を送った後、何度か深呼吸を繰り返した。
騎士がやや不安げにマナヤを見つめてくる。
「――ふ、う。悪ぃなテオ。さてと、どうでしたか」
しばし後、目を開いた『マナヤ』がその騎士を見上げながら不敵に笑う。その瞳には、もう先ほどのような殺気は無い。
そんな彼を前に、騎士は改まって背筋を伸ばした。
「……なぜ、あそこで精神防御を使ったのかと思っていたのですが。先読みをしていたのですね」
「そういうことッス。まあでも、こっちの魔命転換に対して、あなたも即座に精神獣与を合わせようとしてましたね。上達と言っていいんじゃないですか」
亜空モンスターを治癒する魔法、魔命転換。その弱点は、この魔法が『モンスターのMP』までも消費してしまうという点だ。
そもそもこの魔法は、モンスターのMPをHPへと変換するというもの。そのため、使用直後にはモンスターのマナが極端に減った状態になる。
例に取れば、スター・ヴァンパイアは最大HP400、最大MP300である。敵の攻撃によってスター・ヴァンパイアが残HP100まで追い詰められた時に、魔命転換をかけたとする。すると、MP300からギリギリまでMPを変換しHP290を回復。HP390、MP10という状態になる。
この瞬間、スター・ヴァンパイアのなけなしのMP10を削り切ってしまえば、HPがどれだけ余っていようと倒してしまうことが可能だ。
しかしマナヤはそれを読んでいた。だからこそ、事前に精神防御をかけておいた。
精神攻撃を防御できる状態にしておけば、敵が精神獣与を使っても、スター・ヴァンパイアが精神攻撃を受けることはない。魔命転換の弱点をカバーできる。
あとは、スター・ヴァンパイアがヴァルキリーのMPをゼロにして倒れるまで、魔命転換で耐えればいい。モンスターのMPを回復する手段は、存在しない。
が、騎士がふと気づいたように問いかける。
「しかし、魔命転換を連発できたのは? あれは、使用直後にモンスターのマナが減ってしまって、連発しても治癒効果は薄くなってしまうと言っていませんでしたか?」
先ほどのスター・ヴァンパイアの例であれば、一度魔命転換をかけてHP390、MP10という状態になった場合、即座に二度目の魔命転換をかけてもHPはほとんど回復しない。MPがほとんど残っていないからだ。
モンスターのMPは召喚師と同じ速度、一秒で10点のペースで回復する。が、つまりは間隔を十秒空けたとしても、二度目の魔命転換はせいぜい100点ほどしかHP回復できないはず。
が、マナヤは良く気づいた、と言わんばかりに笑みを見せた。
「一緒に教えませんでしたっけ? 精神防御状態では、モンスターは原則としてマナが減らないんですよ」
そう、精神防御と魔命転換のコンボは、そちらこそが真骨頂だ。
精神防御は、かけるとモンスターのMPが減らなくなる。精神攻撃に限らず、魔命転換の副作用であるMP減少効果をも無効化できてしまう。先ほどのスター・ヴァンパイアを例にすれば、何度魔命転換をかけてもスター・ヴァンパイアのMPは300のままだったのだ。
つまり、精神防御状態ならば、魔命転換の治癒効果を最大限に発揮しつづけられる。
「……最初から、私が精神獣与を合わせる意味などなかったではありませんか」
騎士が、ため息を吐きながら恨みがましく見つめてきた。
あの時マナヤが魔命転換を使った直後、精神防御がついていたスター・ヴァンパイアのMPは、全く減っていなかったということ。
騎士が精神獣与を合わせようとしたことを、先ほど『上達』と言っていたのは、一体何だったのか。そんな表情を見せる。
「いえ、結果的には無意味でしたが、反射的に魔法を使えるようになったことが重要なんスよ。先日までは、瞬間的に補助魔法を合わせることなんて、できなかったでしょう?」
「それはまあ、確かに……」
「あとは、その精度を上げていく訓練です。補助魔法合戦は、瞬間的な判断力勝負ですからね」
「補助魔法合戦、ですか……たしかにこれは、魔法合戦ですね」
マナヤの解説を聞いて、ようやく得心がいったという様子で考え込む騎士。
召喚師同士の戦いというのは、魔法合戦のようなもの。そう、マナヤは彼らに教えていた。実際こうやって戦ってみて、それを実感したのだろう。様々な補助魔法の応酬、そしてそれらの相性や弱点などを反射的に突かなければならない。だから召喚師は、『魔物使い』というより、『魔法使い』なのだ。
唸りながら、騎士が再びマナヤに問いかける。
「あの場合、私はどう動くのが正解だったのでしょう? 対処のしようがないように見えましたが」
「最初から、ヴァルキリーと一緒に『狼機K-9』か『牛機VID-60』かを出しておくべきだったでしょうね。俺は、スター・ヴァンパイアに電撃獣与と精神獣与のコンボを使ってたでしょう? 機械モンスターなら、そのコンボを封じれますからね」
電撃獣与と精神獣与を同時にかけた場合、電撃攻撃力が全て精神攻撃力に変換される。そのため、スター・ヴァンパイアの攻撃が精神攻撃一色に染まっている。モンスターのMPを回復する魔法は無いから、そのまま当たればヴァルキリーがMP切れで倒れるのは時間の問題だ。
しかし、元からMPが無い機械モンスターなら問題ない。たとえ電撃防御をかけようが、精神攻撃を受けることはない。機械モンスターへのHPダメージ自体は、『応急修理』で治癒できる。
「機械モンスターで俺のスター・ヴァンパイアの攻撃を受け止める。その間に、秩序獣与付きのヴァルキリーがスター・ヴァンパイアを削る。あとは機械モンスターの治癒に専念しておけばいい」
「……ちなみに、もし私がそうしていたら、マナヤさんはどう動いていましたか?」
「こっちも『グルーン・スラッグ』を出すのが定石ですね。グルーン・スラッグであなたの機械モンスターを受け止め、それを即刻倒せるようにしておくんです」
月桂の蛞蝓の強酸による攻撃には、敵の斬撃防御力を落とす効果がある。機械モンスターに一発でも攻撃を当てれば、スター・ヴァンパイアの鉤爪による攻撃を通しやすくできるわけだ。
同時にグルーン・スラッグは、ぶよぶよとした体でヴァルキリーの槍によるダメージをある程度は軽減できる。『魔獣治癒』でグルーン・スラッグを治癒し、延命するすることもできる。
「その先は、モンスターの操作技術勝負ですよ。『戻れ』命令なんかも細かく使って、モンスターの位置取りをするんです」
「具体的には……?」
「俺は、グルーン・スラッグがヴァルキリーと機械モンスターの両方に攻撃を当てられるように操作する。あなたは機械モンスターとヴァルキリーを巧く操って、こっちのグルーン・スラッグを機械モンスターだけに押し付け、ヴァルキリーの甲冑が溶けないようにする。そういう操作合戦に繋がります」
「……奥が深いですね」
「モンスターのヘイト管理も関わってきますからね。モンスターは距離が一番近い敵、あるいは残りHPが一番低い敵を狙うように動きます。なので、モンスターのHP調整なんかも必要になってくるでしょう」
先は長そうです、と騎士が頭を抱える。マナヤは苦笑しながら、騎士をフォローすることにした。
「なに、今のとこ、召喚師解放同盟にここまでできる奴は居ませんよ。あれだけ動ければ、とりあえず上出来です」
「確かに……私も、今まで聞いた戦い方だけでも初耳なことばかりです。何も教わっていない召喚師解放同盟よりは、今の私の方が……?」
「ええ。確実にあなたの方が強いでしょうね」
多少は心が軽くなったのだろう。ようやく騎士の表情から、焦りが薄れたように見える。
「とりあえず今日の模擬戦は、これくらいにしておきましょうか。お疲れさまでした」
「ええ。また明日、よろしくお願いします。マナヤさん」
***
「おつかれ、マナヤ」
「アシュリー」
中庭の出口まできたところで、赤髪の少女が声をかけてきた。左肩のあたりで髪を束ね、サイドテールにしている。
彼女には、先ほどの騎士との模擬戦を見守ってもらっていた。もしも、騎士のモンスターがマナヤに攻撃を浴びせようとしてきたら、それに割って入って止める役割だ。
「ストッパー役、ありがとな。助かったよ」
「ええ。ま、そんなわけで、あんたはこっちね」
「お、おい?」
礼を言うマナヤに、アシュリーは仄かな笑顔のまま腕を強引に引っ張ってきた。半ば引きずられるように、アシュリーは塔の中へとマナヤを連れ込む。
「な、何なんだよ急に」
当の中央あたりにある、螺旋階段。
人気のないその踊り場まで連れてこられたマナヤは、そこでようやくアシュリーに問い質した。
「まったくもう」
するとアシュリーは、小さくため息をついてマナヤの顔を覗き込み、両手でマナヤの顔を挟むようにそっと両頬に手を当てた。
「あ、アシュリー?」
「テオ、聞こえる? 悪いんだけど、ちょーっと席を外しててもらえるかしら」
――うん、了解。マナヤをよろしくね、アシュリーさん――
(お、おいテオ!?)
急速に、マナヤの頭の中からテオの意識が沈んでいくのがわかった。
「どう? テオは」
「……あいつは、寝た。つーか、何なんだよ強引に」
どぎまぎしながら、なおも問い詰めるマナヤ。しかしアシュリーは、呆れたような表情でため息を吐いた。
「あんたね、もう自分でもわかってんでしょ。そんな顔しといて、『何なんだよ』じゃないわよ」
「……」
「自分を後回しにするとこは、相変わらずなんだから」
アシュリーが困ったような、けれども慈愛に満ちた目で、マナヤの瞳を覗き込んでくる。
そして、そっとマナヤの頭を引き寄せ、自分の肩の上へと押しつけた。
「こ、今回は大丈夫だ。慣れてきたから、そこまででもねぇよ」
「ダメよ。こういうのは、頻繁すぎるくらいが丁度いいの。テナイアさんにも、そう教わったんだから」
慌てて離れようとするマナヤを、アシュリーが半ば力任せに、自分の肩口に押し付け続けた。
こうされることは、初めてではない。
あえて『殺気を撒き散らす』度に、ささくれ立つ心。その都度、こうやってアシュリーが抱きしめてくれていた。
召喚師同士の模擬戦は、原則としてできない。
召喚獣は、殺意を向けた相手、もしくは殺意を向けてきた相手にしか、攻撃しようとしないからだ。本気で殺そうとするレベルの敵意を対戦相手に向けなければ、模擬戦の一つもできない。
しかし、『流血の純潔』を失った今のマナヤは、誰に対しても殺意を向けることができてしまう。それ自体は、簡単だ。常日頃から見ている、『殺しのビジョン』に身を委ねれば良いだけ。自分がそうすることで、その殺意に反応し対戦相手の召喚獣がマナヤと戦うようになる。それで、模擬戦を行うのだ。
召喚師解放同盟との戦いに備え、王国直属騎士団の召喚師達を鍛えておく必要がある。だから、この訓練法に踏み切った。
同じことを、召喚師候補生であるコリィ達相手にもやっている。野良モンスターを相手にする状況を再現するため、マナヤ側は補助魔法を使わない、という制限下で。
だが、『殺しのビジョン』に身を委ねることは、マナヤの心を思いっきり蝕んだ。
殺意を剥きだしにすることで、自分の人間性がなくなっていくような感覚を覚えたからだ。ゲームと違う、というのもある。が、やはり人殺しを知ってしまったことで、タガが外れやすくなっているのが大きい。
それを、アシュリーが傍に来て落ち着かせてくれるようになった。テナイアの提案だったらしい。
そして今日も、マナヤの状態を察して、アシュリーがそっと抱きしめてくれている。模擬戦の後で、マナヤが自分自身の殺気に参っている表情を察して。
「大丈夫? ……それとも、あたしにも、視える?」
「……いや、視えねぇ」
殺しのビジョンのことだ。
マナヤが一番信頼していたのが、アシュリーだったからだろう。彼女に対してだけは、マナヤも『殺しのビジョン』が見えない。
だからこそ、アシュリーの傍にいる時だけは、今まで通りの感覚でいられた。それが、自分の心の支え。
「ホント、こんなになってまで、どうして模擬戦なんて続けてるのよ」
「……俺の今の状態を、役立てられる何かが欲しかったんだよ」
人殺しを経験してしまい、人間でなくなってしまった。そんな自分の側面にも、『役立てられることがある』と証明がしたかった。この経験が無駄なものではないと思いたかった。
「悪ぃな、アシュリー。お前と……テオにも、感謝だな」
この模擬戦を行うようになって、すぐに問題が見えた。安全確保面だ。
一歩間違えれば、本当の殺し合いになる。そのレベルの殺意を、急速に引っ込めることは通常できない。
最初は、送還や次元固化を直前で使うことで、寸止めをすれば良いと考えていた。だが実際にやってみると、これがかなりきつい。
マナヤの腕前の問題ではない。意識の問題だ。
殺すレベルの殺意を、常に放ち続ける。それによって、本当に相手を『殺すべき相手』であると錯覚し、歯止めが利かなくなりそうになった。寸止めしなくても良い、などという悪魔の囁きが聞こえてくるような気さえした。
いつ、その囁きに呑まれてしまうかわからない。たかが模擬戦で、本当に相手を殺しかねない綱渡りの意識に、マナヤは早々にギブアップしかけた。
しかし、マナヤにはテオがいた。
模擬戦の間、テオが常にマナヤの動向に目を光らせる。マナヤのモンスターが模擬戦相手を本当に攻撃しそうになった時には、咄嗟にテオが表に出て止める。そうすることで、安定して寸止めができるようになった。
もっとも、一度テオが表に出て寸止めしてくれた後、マナヤの人格に戻ると負担がある。殺意がまだ残っている状態のマナヤへと急に人格交替することで、テオの体が感情についていかないからだ。心臓の動きと感情が一致せず、呼吸困難になりかかることもあった。
「こんなになるくらいだから、召喚師の模擬戦が普通できねぇのも当然、か」
アシュリーの肩に額を押し付けている状態のまま、ぽつりと呟く。
常に、殺意を持たないもう一人の自分……テオが、寸止めを担当してくれる。だからこそ、自分の殺意に呑まれずに済んでいる。
こういう二重人格でもなければ、召喚師が模擬戦などできないだろう。犠牲が出る事を覚悟の上でならば、話は別だろうが。
「実際に戦ってるのが、召喚獣だもんね。いざって時に、モンスターが勝手に動いちゃう可能性があるのね」
「ああ。だから、俺に……俺達になら、できる」
人格を交替することで、殺意を急速に出したり引っ込めたりできる。だから、模擬戦が殺し合いにならずに済む。
そうでなければ、モンスターが勢いあまって対戦相手を勝手に殺してしまう可能性があっただろう。
「いいけど、さ。あんた自身のことも、ちゃんと省みなさいよ」
「わかってる。……ありがとな、アシュリー」
ポンポンと、アシュリーが自分の頭を優しく撫でてくる。
「って、おい。子ども扱いすんな」
「いいじゃない。あんただって前、セメイト村であたしを子ども扱いしかけたでしょ」
それに身を委ねつつも、悪態を吐くマナヤ。それを、くすくすとからかうように笑いながらアシュリーがいなした。
彼女が言っているのは、おそらくスコットとサマーの葬儀があった時のことだ。
「あ、あん時は背中を叩いてやっただけだろ」
ようやく顔を上げたマナヤが、意地悪そうに笑っているアシュリーを睨みつける。
「似たようなもんじゃないの」
「なら今度、お前に何かあった時には、俺もお前の頭を撫でてやる」
「それはお断りよ」
「おい、不公平だろうが」
軽口を叩ける余裕もできてきた。互いに、小さく笑いを漏らす。
「……あたしの頭を撫でていいのは、お父さんだけなんだから」
「あ? 何か言ったか?」
「別に? さっ、そろそろ行きましょ。シャラも待ちくたびれてるわ」
微笑みながら、アシュリーが階段を登っていった。




