131話 果たされた約束
――数日後。
実習訓練期間を終えて、テオ達は召喚師候補生達を連れ、王都に戻ることになった。
駐在の騎士達を含め、開拓村の住民ほぼ全員が集まった中央広場。その人だかりの中央で相対している、二人の人物。
「本当にいいの? コリィ君」
テオが、目の前のコリィに問いかける。
「はい。今のボクには、扱いきれませんから」
困惑気味のテオに対し、コリィはむしろ晴やかな顔すらしていた。
彼が数日前に封印した『シャドウサーペント』。コリィは、それをテオとマナヤに譲り渡したいと申し出てきたのだ。
コリィの家族も、笑顔でそれを見守っている。村人達がコリィを見る目も、穏やかだ。先日、このシャドウサーペントが襲ってきた時の戦いで、彼らの意識がずいぶんと変わったのだろう。
「そもそも、これを封印できたのは、シャラさんの指示があったからです。ボクが実力で倒せたわけじゃありませんから」
「そうは言うけど……」
「それに、マナヤ教官だって言ってました。広域のブレスを吐けるモンスターは、下手な使い方をすると同士討ちしてしまうから危ないって。……今のボクには、荷が重いんです」
少し眉を下げながらも、迷いのない笑顔のコリィ。
なんとなく、テオも察した。恐らくは、家族のことを気遣っての判断だ。
村人達の態度は大幅に軟化したとはいえ、シャドウサーペントに襲われた恐怖はいかんともしがたい。コリィは、そんな強大な化け物を持つことで、自分が学園へと戻った後に家族が忌避されるのを危惧している。
だから今、この場でシャドウサーペントを放棄し、村人達にもそれを確認させたいのだろう。
しかし、最上級モンスターの中でも、今まで世界で一度も封印されたことがないシャドウサーペントだ。所持しているだけで、コリィの王国での立場は上がるはず。学園を卒業後、王国直属騎士団に勧誘されてもおかしくはない。
そうでなくとも、せめてこの開拓村に残る召喚師の誰かに譲渡すれば、守護の力として大いに力を発揮してくれるはず。海沿いのこの開拓村なら、シャドウサーペントを召喚する水場には困らない。
「心配ありませんよ、テオさん」
そんな危惧を察したかのように、駐在している騎士の一人、カークが声をかけてきた。彼も一足先に、コリィから『ヴァルキリー』を返却してもらっている。
「我々も、マナヤさんとテオさんの指導のおかげで、以前までの我々ではありません。今の力だけで、きっとこの村を守り切ってみせます」
この開拓村で、初めて顔を合わせた時とは全く違う、自身に満ちた表情だった。
――いいじゃねえか、テオ。受け取っておこうぜ。
という、マナヤの考えが伝わってくる。
実のところ、マナヤとしてもありがたい申し出だったからだ。今後、召喚師解放同盟の残党と戦う時にも、シャドウサーペントは役に立つだろう。フレアドラゴンなどと違い、『闇撃』のブレスは防御魔法によって防がれこそしても、反射されることはない。
「うん、わかった。じゃあ、受け取らせてもらうね。皆さん、ちょっと後退しててください」
だから、素直にそれを受け入れることにした。コリィもほっとした顔をしている。
テオは一旦、村人達を下がらせ、スペースを広げた。
「じゃあ、いきます。テオさん」
「うん」
「……【譲渡】、【シャドウサーペント】」
瞬間、コリィの手のひらから金色の粒子が舞い散った。少し距離を空けたテオとコリィの間で、直径十メートルほどの球体を象るように集まっていく。
その球体の中に、シャドウサーペントの姿が浮かんだ。
おおっ、と村人達が一瞬どよめく。
浮かび上がったシャドウサーペントの姿は、実物よりは大幅に小さい。が、その圧倒的な存在感は健在だ。テオも、一瞬気圧されてしまう。
「……」
ぐっと堪え、テオが手を差し伸べる。
シャドウサーペントの姿が粒子となって舞い散り、同時に球体状に集まった粒子も拡散。それらの粒子が全て、テオの手のひらへと吸い込まれていった。最後の一粒を吸い込んだ直後、その手をギュッと拳へと握りしめる。
歓声と共に、村人達の拍手。コリィも、テオを見つめながら拍手をしてきていた。
ふと、悪戯心にも似た感情が湧く。自分の感情ではない。
――悪ぃ、テオ。ちょっとだけ替わってくれ。
と、もう一人の自分が表へと出てくる。目を閉じたテオは、せり上がるマナヤの意識に、体を譲った。
ニヤリと笑ったマナヤがコリィの隣へと歩み寄る。何事かと困惑顔を見せるコリィの片腕を取り、それを上に持ち上げ掲げてみせた。
わぁっ、とさらに大きな歓声が沸く。
「えっ、テオさ……マ、マナヤ教官!? 何を!?」
「いいから、受け取っとけ。シャラの指示はどうあれ、お前はこの村を救ったんだよ」
慌てるように声をかけてくるコリィに、顔は向けず小さな声でそう伝えた。そのまま、こうも続ける。
「お前に十分な実力がついた暁には、このシャドウサーペントを改めてお前に返しにくる」
「え?」
「優秀になれ、コリィ。このシャドウサーペントに見合う召喚師に。……この村に帰ってきた時、村を守る力にしろ」
それを聞いたコリィは、真剣な、けれども嬉しそうな顔になる。
「……はいっ!」
その、希望に満ち溢れた返事を聞いて、満足そうに頷くマナヤ。
目を閉じ、再びテオと交替した。
やがて、テオ達の出立準備ができた。
開拓村の、門前の広場。この村に来た時の同じ牛車が並んでいる前で、村人達が総出で見送りに来ている。
「……ディロン様、テナイア様。姉のこと、どうかよろしくお願いします」
そんな中、ディロンとテナイアの前で茶色いストレートヘアの女性が、胸に手を当てて一礼していた。村長補佐であるカランの妹、レズリーだ。
「心配ない。彼女の非は疑いようも無いが、充分に反省はしているようだ。悪いようにはしない」
「自ら、罪を名乗り出てきたこと。そして、召喚師解放同盟の者と接触した事実の証言もあります。彼女の減刑に、我々も尽くしましょう」
そんなレズリーを慰めるように、ディロンとテナイアが思いのほか優し気に告げる。
あの日、シャドウサーペントの戦いと召喚師解放同盟の撃退をした後。
カランは、ディロン達騎士隊の前で、自ら暴露したのだった。コリィ達に反感を抱いていたこと、何者かに唆されてコリィ達の情報を流したこと、そしてコリィの母やシャラに危害を加えたこと。
それを、シャラ達が騎士隊に報告する前に、真っ先に自白していた。
『罪は、私一人にあります! どんな処罰も受けます! ですからどうか、レズリーだけは! あの子には、守らなければならない子供たちがいるんです!』
と、絶えず涙を流しながらも懇願していた。
自分の企みにレズリーが巻き込まれてしまうことを怖れ、レズリーを庇ったのだ。
カランから事情聴取した結果、彼女がコリィ達の情報を流したという男。その男が、その人相から召喚師解放同盟の『ダグロン』という者である可能性が高まったらしい。その男の姿を見たのが、その一度だけではなかったということも聞きだされた。
シャラはもちろん、コリィとコリィの母モニカも彼女達を許した。育てるべき子供たちのこともあり、レズリー本人にも『二度と人に危害を加えるようなことはしない』という約束を交わさせ、カランのみを罪人として護送することになったのだ。
彼女の態度と、提供する情報。その次第によっては、彼女がこの村に戻ってくることもできるかもしれない。
「コリィ、しっかりな」
「体調には十分気をつけるんだよ」
「うん、わかってるよお父さん、お母さん」
コリィは、家族達に別れを告げている。
心配はいらない。あと半年ほどすれば、彼も学園を卒業してここに帰ってこられる。
「シャラさん、ありがとうございました。あなたも、この村の救い主です」
「い、いえ、そんな……」
シャドウサーペントとの戦いでも、大活躍だったらしいシャラ。大勢の村人達に、口々に感謝されている。
(シャラも、すごく強くなった)
感慨深くなって、テオは照れるシャラを微笑ましく見つめる。
モンスターに怯え、勇気を出せなかったシャラは、もういない。自分達が居なくとも、シャラも英雄になれるだけの心の強さを、身に着けている。
「あーあ。シャラも、あたしそっちのけで英雄の仲間入りかぁ」
などと、その様子を見て苦笑しながらも愚痴っているのは、テオの隣に立つアシュリー。
「アシュリーさん?」
「だって、マナヤだってセメイト村の英雄で、テオもスレシス村で活躍してたじゃない? あたしだけ、置いてきぼりなんてなぁ」
テオの問いに、苦笑の表情のままそう返す。が。
「何言ってるんですか! アシュリーさんのおかげで、我々は勇気が持てたんです!」
と、そこへ村と騎士隊の剣士達一行が彼女へと群がってきた。
「え? へ?」
「アシュリーさんの考え方に、惚れました!」
「海上での間引きも、陸でのモンスターとの戦いも! アシュリーさんのおかげで、私達は勇気をもって頑張れるようになったんです!」
「シャドウサーペントの後での、モンスターの襲撃も! アシュリーさんの指導のおかげで、躊躇なく戦えました!」
熱気ある様子で、老若男女問わずアシュリーへ礼を告げてくる者達。そんな彼らの勢いに、アシュリーも気圧されてしまう。
「召喚師の英雄が、コリィとシャラさんなら! それ以外のみんなの英雄は、貴女です! アシュリーさん!」
「胸を張って下さい! アシュリーさんのことも、この村で語り継いでいきます!」
「そ、そう? へへ……」
英雄と認められ、照れながらも嬉しそうに頬を掻くアシュリー。
「……あ、あの、アシュリーさん!」
「あ、デレック? どしたの?」
と、そこへ顔を赤らめたデレックが、勇気を振り絞るように彼女に話しかけてきた。
「あ、アシュリーさんは、どうしてそんなに強くなれたんですか!?」
「あー……そうね。英雄のお父さんを目指してるから、かな?」
「お父さん? あれ、でも、確かアシュリーさんって……」
「そうよ。あたしは孤児だけど、お父さんのことは孤児院の院長さんから聞いてね。英雄として、国中を駆けまわってるらしいの」
遠い目をして、空を見上げるアシュリー。
「だから、あたしは自分に約束したのよ。いつか、お父さんと同じ英雄になる、ってね。……今も生きてるかどうか、わからないけど」
「そう、なんですか……」
「あんた達、コリィも含めて大事にしてる、理想的な家族だったからさ。あたしも何だか、お父さんに会ってみたくなっちゃったわ」
と、やや憂いの混じった笑顔で、デレックに向き直った。
すると、少し顔を伏せて考え込んでいたデレックが、勢いよく顔を上げてアシュリーを正面から見つめる。
「あ、アシュリーさん!」
「え?」
と、彼はそっとアシュリーの右手を取る。そして、それを自身の両手で包み込んだ。
おおっ、と村人達がどよめく。
「へ……?」
「も、もしよかったら、うちで暮らしませんか!」
相手の手を、自身の両手で包み込む。この世界での、求婚の作法だ。
思わずアシュリーを見つめるテオ。マナヤの心が、ひどく痛んでいるのを感じる。
当のアシュリーは、困惑した様子で手とデレックの顔を交互に見比べていた。なおもデレックは、懇願するように言葉を続ける。
「アシュリーさんのお父さんに及ぶか、わかりませんけど! オレの父さんと母さんだって、アシュリーさんの両親になれます! アシュリーさんの、新しいお父さんとお母さんができるはずです!」
「……デレック」
アシュリーが、目を伏せる。
テオから見ても、デレックの想いは本物のように見えた。そしてマナヤの心情を察して、テオも心が痛む。
求婚したわけでも、できるわけでもない『自分』では、それを止める資格がない。そういった、マナヤの葛藤が伝わってきてしまう。
歯がゆさに、思わず唇を噛むテオ。
「……ごめんね、デレック」
アシュリーはしかし、自身の手を包んでいるデレックの両手を、一つずつそっと外した。
「あたしには、心に決めた人がいるの。だから、あんたの気持ちには応えられないわ」
「あ……」
しゅんとしてしまうデレック。きっと彼も、かなりの勇気を振り絞ったのだろう。テオは、別の意味で心が痛んだ。
「そう、ですか」
体ごと、後ろへ向いてしまうデレック。肩が、静かに震えているのが見えた。周囲の村人達も、一様に無念そうな顔をしている。
けれどデレックは、振り向かぬまま顔を上げた。
「――オレ! 立派な剣士になります! それでいつか、アシュリーさんが今日のこと、後悔するくらいの男になってみせますからッ!」
湿り気を帯びた叫びだった。
デレックは、顔を背けながら走っていき、そしてすれ違い様にコリィの背を叩く。
「お前も、召喚師の勉強がんばれよ、コリィ。あっちで何かあったら、手紙よこしてこい!」
「わ、わっ……うん、デレック兄ちゃん」
袖で目元を拭いたデレックが、村の中へと走り去っていった。彼の両親も、困ったように苦笑いをする。
「じゃあ、僕達はこれで。コリィ君、行こう」
召喚師候補生の皆も、コリィ以外は全員牛車に乗り込んでいる。テオ達が乗る牛車と、候補生達の牛車は別々だ。
「はい。……あの、テオさん。もう一度、マナヤ教官に替わってもらえませんか」
「ん? うん、いいよ」
真剣な顔で提案してくるコリィに、テオは迷うことなく笑顔で目を閉じた。
その瞼が開かれると、目尻が一気に鋭くなる。
「どうした、コリィ」
「……すみません、マナヤ教官。これだけは、この村で言っておきたかったんです」
するとコリィは、まっすぐにマナヤの瞳を見つめ返し、満面の笑顔を見せた。
「約束を守ってくれて、ありがとうございましたっ!」
(……約束)
この開拓村に来た日の、晩のことを思い出す。確かに、コリィと約束をした。
『俺が、召喚師を変えてみせる。お前にも、お前の家族達にも、辛い思いはさせねえよ。約束だ』
見れば、コリィの両親が村人達に混じり、暖かに見送りをしてくれている。
思わず、目尻に熱いものがこみ上げた。
「……おう!」
***
帰りの道中。
「――それで、村の皆さんが本当に、心が一つになれたんです」
「へぇ……なるほどな」
揺れる牛車の中。
シャラが、少し照れながらも『シャドウサーペント』と戦った時のことをマナヤに語っていた。
マナヤ自身は、当日のシャラの活躍を細かくは聞いていなかった。あの激戦の後は、洞窟に残っていた人殺し集団のアジト検分、召喚師解放同盟と戦った場所での検分。さらには、シャドウサーペントの被害を受けた開拓村の復興と、慌ただしい日がずっと続いていたからだ。
だから移動中のこの時間を使い、改めてシャラから聞き出していた。
アシュリーもふんふんと興味深そうに相槌を打っている。彼女はマナヤの隣、それも密着するくらい近くに座っていた。
出発前、いつもよりも近い距離で座ったマナヤとアシュリーを見て、「ずいぶんと距離が縮んだんですね」とシャラにからかわれたものだ。
「けどなシャラ。シャドウサーペントを倒したいだけだったら、そこまでの苦労は必要なかったんだぞ?」
「……え?」
マナヤのツッコミに、正面に座ったシャラが不思議そうに顔を傾げる。
「わざわざ上級モンスターに十三告死を使うなんざ、もったいねーだろ。下級モンスターの『ガルウルフ』とかにかけるだけで良かったんだよ」
「えっ、で、でも、泳げないガルウルフじゃあ水没しちゃって、シャドウサーペントに一撃を入れられませんよね?」
おろおろと両手を宙に漂わせて、狼狽するシャラ。
そんな彼女に苦笑しつつも、マナヤは解説を続ける。
「『反重力床』の補助魔法をかけりゃいい。水上を浮遊して突撃できるから、溺れずにシャドウサーペントを攻撃しにいけるだろ?」
「で、でも! 耐久力のないガルウルフじゃ、精神防御をかけたとしたって、至近距離の闇ブレスに耐えられないじゃないですか」
なおも頭を捻りながら、なんとかそう口にするシャラ。そんな彼女の反論を、容赦なくぴしゃりと撥ね退けた。
「『強制隠密』」
「え?」
「一定時間、『攻撃モーション』でないモンスターが敵から狙われなくなる魔法だ。これをかけときゃ、接敵するまでシャドウサーペントにゃ狙われなくなる。ガルウルフが一撃を入れるまでの間、ブレスで攻撃されることは無かったのさ」
補助魔法『強制隠密』がかかったモンスターは、『攻撃モーション中』以外の状態では、敵に絶対に狙われなくなる。当然、『移動中』も含まれる。
十三告死がかかったガルウルフに『強制隠密』も一緒にかけておけば良いだけだった。そうすれば、シャドウサーペントに接近するまでの間、ガルウルフは水龍に無視され、闇撃のブレスを受けなくなる。隣接し攻撃を開始したら流石に気づかれブレスを受けるだろうが、その時には既に病魔が接触感染しゲームセットだ。
「……あ」
シャラもようやく、そのことに気づいたようだ。羞恥に目を伏せてしまい、彼女の顔が真っ赤になる。
――ちょっと、マナヤ?
(わ、わかってるよテオ! 今から言うとこだっての!)
頭の中で、テオが非難してきた。視線を向けずとも、隣に座るアシュリーもジト目で睨んできているのがわかる。
小さく咳払いし、言葉を続けた。
「まあ、あれだ。そのおかげで、シャドウサーペントとヴァルキリーが向かい合うって構図を作れたんだろ?」
「……え?」
「最上級モンスターと上級モンスターがぶつかり合って、凶悪なモンスターが同士討ちする様を、村人たちに演出できた。だから、あの村人達も召喚師を認めることができるようになったんだろ。結果的にお前は、最良の行動を取れたんだよ。誇っていいんじゃねーか」
召喚師とは、憎きモンスターを同士討ちさせ、『ざまあみろ』と笑ってやるクラス。
それを、村人達に実感させることができた。シャラは、知らず知らずのうちにとても良い仕事をしたのだ。
「……はい」
柔らかく、シャラの顔がほころんだ。
***
「――ふぃー! やっと戻ってこれたわね!」
その日の晩。
ようやく王都に到着し、いつもの宿の部屋へと帰ってこれた。アシュリーも、テオとシャラが宿泊している部屋にやってきて大きく伸びをしている。
「じゃあマナヤさん、アシュリーさん。ちょっと待っててください」
と、シャラが一人だけ、いそいそと台所へと向かった。
「でも、あたしまでご馳走になっちゃっていいの? シャラ」
「はい、アシュリーさんにも食べてもらいたいので。マナヤさんと、そこで待っていてください」
最初は、夜も遅いのでそこらの食事処で夕食を済ませるつもりだった。
けれども、シャラがそれを止めたのだ。久々に料理を作りたいと、アシュリーも誘ってテオらの宿泊している部屋へ招き入れていた。
「……俺は、俺のままでいいのか?」
「はい」
思わず、ぽつりとマナヤも問う。が、シャラは満面の笑みで頷き、台所へと消えた。
手持無沙汰になり、ベッドを背もたれにするように座り込む。ベッド脇の床には、小さめのマットのようなものが敷いてあるので、そこに腰掛けた。
テオとシャラが使っているベッドなので、そこに直接座るのは憚られた。
「ふふっ」
アシュリーも、ごく自然にその隣に腰を落とす。気恥ずかしくなったマナヤだが、特にそれを止めもしなかった。
「お疲れ様、マナヤ」
「……ああ。お疲れ、アシュリー」
と、至近距離でなんとなく視線を交わし合い、互いに微笑む二人。
「――あ、そうだ」
やり残していたことがあった。それを思い出し、一人立ち上がる。
アシュリーも立ち上がりかけるが手で制し、マナヤは引き出しを漁った。
やがて、一つの小箱を取り出し、再びアシュリーの隣に腰掛ける。手のひらより一回り大きいくらいの、平たい木の小箱だ。
「……マナヤ?」
「これ。あの時、渡しそびれちまったからな」
その小箱を、彼女に差し出した。
困惑した様子で、小箱とマナヤの顔を交互に見比べてくる。
「覚えてるか。ディロンさんとテナイアさんが話があるって時、席を外してた俺が部屋に戻ってきちまったの」
「……え、ええ。そういえば、あんたどうしてあの時?」
交替人格であるマナヤが、テオと統合されつつある。シャラとアシュリーがその事を、この部屋でディロンとテナイアから聞かされた日のことだ。
「これを、渡しに来たんだよ。……お前に」
「え……」
ほぼ無意識、といった様子で、小箱をぼんやりと受け取るアシュリー。
「あん時、俺はテオと交替したばっかで、あんま状況を理解してなくてな。まずお前を探しに、お前の泊ってる部屋に行ったんだが、留守だったからよ」
しゅるしゅる、とアシュリーが小箱を開封する傍ら、マナヤは視線を外して説明を続ける。
「もしかしたらって、テオ達の部屋に行ったんだ。そしたら、例の話をしてた。……タイミングが、悪いもんだな」
ぱか、とついに箱を開ける。
中身を見たアシュリーの、目が見開かれた。
「……マナヤ、これって」
「最初に回った雑貨屋。お前に似合いそうだなって、目についたんだよ」
中に入っていたのは、宝石のついた黄色いリボンの髪飾りだ。
花結びになっている、やや幅広の黄色いリボン。両端は細かなレース細工になっており、リボン自体にも規則的な美しい文様が刺繍されている。
結び目についているのは、青い宝石。どこまでも透き通るような美しい色が、縦長の楕円形でダイアモンドカットに整えられている。その色合いは、アシュリーの青い瞳を思わせた。
宝石を胴体として、蝶のような銀色の金属細工がつけられている。凹凸含めて、細部まで精巧に作られた金属の両翅。錬金術師の手腕かもしれないが、この世界の彫金技術の高さが伺える。
「じゃあ……あの時、急にマナヤが会計したのって……?」
「ま、まあその。お前に気づかれないように、これを買うのに都合が良かったんだよ」
アシュリーの、孤児院へのお土産。
その会計に向かう時、道中でアシュリーには見えないようにサッと籠の中に放り込んだのだ。
「……ありがと、マナヤ。つけてもいい?」
「あ、ああ」
頬を軽く染めて、はにかみながら訊ねてくるアシュリー。
その表情を見て思わず心臓が跳ねあがりそうになりながら、なんとか頷いた。
アシュリーが、自らのサイドテールの根元に手を当てる。
そして、髪を束ねているリボンの上から、その髪飾りを結わえ着けた。
「……似合う?」
「ああ」
とても嬉しそうに、目を細めながらマナヤを見つめてくるアシュリー。
予想していた通り、真っ赤な髪と黄色いリボン、そして瞳の色に合わせた青い宝石が、とてもマッチしていた。
「へへ。……あの時、あんたに一緒に買い物付き合って貰って、ホントに良かった」
「お、おう。あん時はお前に振り回されたが……なんだかんだ、俺も楽しかったんだよ。だから、ありがとな。アシュリー」
自分の顔が赤くなっているのがわかって、アシュリーの笑顔が眩しくて。
顔を背けながらも、アシュリーに精一杯の感謝を伝えた。
しばし、彼女が髪飾りに触れる、衣擦れの音だけが響く。
「――お二人とも、できましたよ」
「お、おう、今行く」
奥から、シャラの声が届く。
それを合図に、マナヤはアシュリーと一瞬だけ視線を合わせ、彼女と手を繋いで立ち上がった。




