130話 人殺しと英雄と、心の支え
「……アシュリー」
振り向いたアシュリーに、そっと声をかける。
剣を握った腕を、だらりとぶらさげたまま、こちらを見つめてきていた。
(なんて顔、してんだよ)
哀しそうな、けれどもこちらを気遣うような表情。
今にも泣きだしそうに、細められた目。
思わず、マナヤがぎゅっと自らの拳を握りしめた。
――ドンッ
「な、何だ!?」
突然、倒れ伏したトルーマンから鈍い音が響き、とっさに身構える。アシュリーも反射的にこちらへとバックステップし、油断なく剣を向けていた。
うつ伏せに倒れていたトルーマンの体が、仰向けになる。その体は、命を失ったままだ。
しかし、胸部の衣服がローブごと弾け飛んだ痕があり、彼の胸の上あたりに黒い塊が浮いていた。先ほどの音は、これがトルーマンの懐から飛び出した時のものだろうか。
ゴルフボールほどの大きさをした、黒い多面体の結晶。
かつて、トルーマンが『核』と呼んでいた何かだ。野良のモンスターが取り巻くような瘴気に覆われ、ゆっくりと横回転しながら振動音を立てている。
(あれは確か)
以前、スレシス村近郊でトルーマンを追い詰めた時。
奴が取り落としたあの結晶を、アシュリーがうっかり拾ってしまったことがあった。その時、あの結晶から黒い触手のようなものが飛び出てきたのを覚えている。あの時は、すぐに手放させたが。
「アシュリー、何ともないか?」
「えっ? ええ、別に」
誰も触れてはいないが、念のためアシュリーに確認をとってみた。が、やはり何ともないらしい。
「下がれ。絶対に触るなよ」
「頼まれたって触らないわよ」
気味の悪いものを見る目を結晶に向け、アシュリーが後ずさる。マナヤも警戒しながら少しずつ後方へと下がった。
黒い結晶は、振動音を立てながら回るばかり。何か変化が起こっている様子は無い。
(まさか、トルーマンを生き返らせたりなんてしねぇだろうな)
いっそ、あの結晶をはたき落としてしまおうか。そんなことを考える。
「――マナヤ!」
アシュリーが、焦ったような鋭い声を上げる。
見ると、黒い結晶の振動音が、より一層強くなった。徐々に、回転速度も上がっている。少しずつ、上へ上へと浮上し始めた。
「今度は、何だ?」
アシュリーと共に、さらに数歩後ずさる。
結晶が、マナヤの目の高さまで到達した時。
「うお!?」
「えっ!?」
凄まじい速度で、それが一気に飛び上がる。
木々の隙間を縫って上空へと向かった結晶は、空中で進路変更。マナヤから見て右の、西の方角へと消えていった。
しばらくの間、その方角を見つめながら黙する。
「……な、何だったの?」
「わからん」
まだ警戒心の残る様子で問いかけてくるアシュリーに、マナヤも立ちすくんだままぽつりと返した。
何も起こらなさそうだ、そう感じて緊張を解く。
トルーマンらの亡骸は、相も変わらず沈黙したまま。思わず安堵の息を吐き、直後に妙な自己嫌悪に陥る。
人が生き返らなかったことを、悲しむべきだったのか。それとも、仇敵が生き返らずに済んで安心すべきだったのか。どちらが人間らしい答えなのかわからなくなり、息が詰まった。
(そういえば、ヴァスケスはどうなった?)
慌てて、きょろきょろと周囲を見回す。
あの時。奴がギュスターヴを引き連れ階段を登ってきて、それをストラングラーヴァインで叩き落とした後。ヴァスケスは、大きく負傷し森の奥へと運ばれていた。今自分達がいる方角とは、少し違う方向へ。
奴は、まだ生きているのだろうか。
「――誰だ!」
突然、前方から鋭い声が届く。
ハッと、前方の木々の先を見据えた。しかし、そこから顔を出したのは見慣れた顔。
「え? アロマ村長代理?」
「あ……マナヤさん? それに、アシュリーさんも」
現れたのは、騎士服を身に纏った黒い短髪の弓術士、開拓村の村長代理であるアロマだ。黒、銀、赤を基調とした騎士服のあちこちが破け、焼け焦げたり凍結した痕なども残っている。
その後方からは、他の騎士達もぞろぞろと歩み寄ってきた。彼らも、激戦の後といった様子で痛ましい。
「『間引き』に出た者達を見つけました! 初期検分の準備を!」
「はっ!」
アロマの鋭い指示に、総員が拳を胸に当てる敬礼をする。
周囲の様子を確認しながら、手分けするように周辺のあちこちへと散らばっていった。
***
日が落ち、空が赤らんできた頃。
マナヤは、青い文様が含まれた採石場の上端、その縁に腰掛けて夕日を眺めていた。
「マナヤ」
「……ディロンさん」
騎士隊から渡された水筒の水を一口含んだところで、ディロンが階段を昇って近づいてくる。
彼も、髪やローブが痛んでいるようだった。マナヤの右隣に、腰掛けてくる。
「マナヤはもう、聞いているか。我々は、召喚師解放同盟の者達を半数ほど逃がしてしまった。取りまとめていた、ダグロンという者も含めて」
「……あの力をもってしても、取り逃がしてしまったんです?」
少し気になって、失礼とは思ったがそう問いかけてしまう。
彼が具体的にどこに居たのかはわからないが、おそらく件の洞窟からさほど離れてはいなかったはず。つまりこの場所からは、相当な距離があったはずだ。
それほどの距離でも攻撃を放つことができるというのに、討ち漏らしてしまったのか。
「我ながら、情けない限りだ。あの力を維持するのは、かなりの集中力がいるらしい。敵が撤退を始めたと知って、『共鳴』の集中が途切れ解けてしまった」
自嘲するように、ふっと笑う。
伝説とも云われる『共鳴』を発動してみせたのだ。もう少し誇っても良さそうなものだが。
「そちらは、トルーマンを討ったようだな」
「ええ」
視線は合わせず、共に夕日を見つめながら、短く返事をする。
お手柄だ、という言葉でも続くのだろうか。少し顔をしかめながら、まだ水分を欲している喉を再び潤した。
「……よく、頑張ったな」
「……」
想定外の言葉をかけられ、思わず硬直してしまう。
けれども、一瞬の後に無意識に顔を伏せた。
「……頑張った、んでしょうか」
「ああ。お前は、良く頑張った」
ただのお褒めの言葉なら、突っぱねるつもりだった。ディロンが、言葉を続ける。
「人殺しの苦しみを背負い、それでもなお、お前は請け負ったのだからな」
「……」
人を殺しておいて褒められるなど、素直に受け止められる気がしなかった。
だから、『よくやった』ではなく、『よく頑張ったな』だったのが沁みた。
「……前の、世界に」
「なんだ?」
「前の世界に、こういう言葉があったんです。”一人殺せば人殺しで、百万人殺せば英雄”って」
サモナーズ・コロセウムをプレイしている際に、対戦相手がチャットで何気なく取り上げた言葉だ。なんとなく気になって当時、インターネットで調べたのを覚えている。
文面から、大量の人間を殺す覚悟がある者が英雄になれる、とも読めるがそうではない。
人一人を殺せば、ただの人殺しが出来上がるだけ。しかし、戦争では百万人を殺せば英雄扱いとされる。数や状況によっては、人道を外れる行為も正当化されることがある。それを、皮肉った言葉。そう解説した記事を、読んだ記憶がある。
今の自分の状態から、なぜかその言葉を思い出した。
「ほう。異世界にも、その類の言い回しがあるのだな」
「……こっちにも、そういう言葉があるんスか?」
「ああ。文面は少々異なるがな」
微かな笑みを浮かべ、こちらへと顔を向けながらディロンは続ける。
「”百人が一人ずつ殺せば人殺し、一人が百人を殺せば英雄”だ」
「……?」
予想していたのと、ずいぶんと違う。
「意味が、わかるか?」
「……いいえ」
「ヒントをやろう。死すべき犯罪者百人と、その犯罪者達に苦しめられた村人百人のたとえ話だ」
「……復讐の代表、か」
自分と照らし合わせて、答えがすっと浮かんだ。
「そう。被害を被った村人百人が、その犯罪者百人への復讐を望んだ。百人の村人達がそれぞれ犯罪者達を一人一殺したなら、『流血の純潔』を散らした者……つまりは、『人殺し』が百人生まれるだけだ」
「……」
「だが、もし百人の村人から、一人が代表となったら。その者がたった一人で、百人の犯罪者達を討ったならば――」
「その一人が、自分の『流血の純潔』を生贄にすることで、残り九十九人の『流血の純潔』を守った”英雄”……」
マナヤが継いだ答えに、ディロンが満足そうに頷く。
「そうだ。結果的に、九十九人が『人間でなくなる』のを防ぐことができたことになる。……マナヤ、君がアシュリーや、同行した村人達を守り抜いたようにな」
「……は、はは」
乾いた笑いが出る。
ディロンはディロンなりに、励まそうとしているのだろう。
「わかってますよ、ディロンさん。……それが、人間でなくなった者の務め、ってことでしょう」
「……」
「ディロンさんも今まで、そうしてきたんでしょう? 前に、俺達にも言ってましたよね」
――人を殺めた者は、人間ではなくなる。君たちまで手を汚す必要は無い。
そう、ディロンは言っていた。スレシス村近郊で、トルーマンらと自分達がぶつかった時だ。
「俺も、同感ですよ。こんな思いをする奴を、増やしたいなんて思わない」
「マナヤ」
「前の世界じゃ、『人殺しを経験して、ようやく戦士として一人前』なんていう物語が多かったんですよ」
そういう漫画などの創作物は、多かった。以前は、その理屈に納得していた。
明らかに、生かしておいたら厄介な悪人が描写されることもあった。それを見逃す登場人物を見て、『さっさと殺せよ』などと思ったことも珍しくない。
「でも、実際に人殺しになってみたら……吹っ飛びました。戦士の覚悟だの倫理観だの、関係ない。人間辞めるくらいなら、こんな経験、しないに越したこたない」
今でも、見えている。
目の前のディロン相手にさえ、今ならあのモンスターを使えば殺せる、などというビジョンが見えてしまう。
気をしっかりと持たなければ、狂ってしまいそうになる。
「この、殺しのビジョン……もう、治らないんですよね」
「ああ。ひとたび人を殺せば、それとはもう一生付き合っていくしかない」
「でしょうね。……もう二度と、後戻りすることが叶わないなら。『覚悟』ごときのために人を殺すなんて、バカげてる」
自分自身の両手を見つめ、それを握りしめる。
もう、戻れない。一生、人殺しとして生きていくしかない。
「召喚師解放同盟はまだ、壊滅したわけじゃないんですよね」
「ああ。現トップのトルーマンを屠ったとはいえ、残った者達が活動を続けるだろう」
「なら、そいつらがまた、俺達を襲ってくるかもしれない。……あいつらを、テオやシャラやアシュリーを、守るためには。あいつらの命と、『流血の純潔』を守るためには」
自分に残されていた、最後の逃げ道のはずだった。
「俺は、統合も消滅もするわけにゃいかなくなっちまった」
統合されて、テオまで人間を辞めさせるわけにはいかない。
そして、自分が消滅すれば、また別の誰かが……テオが、シャラが、アシュリーが『流血の純潔』を散らすかもしれない。
守れるのは、自分しかいない。
ふっ、とディロンの微かな笑い声が聞こえた。
「君が消えることを諦め、残ることを選択してくれた。今は、それで良しとしておこう」
「……『今は』?」
「本当ならば、そのような義務感や強迫観念ではなく、君自身の望みで残ることを決断してもらいたかった所だからな」
ディロンが、腰を上げて立ち上がった。
去ろうとする雰囲気を感じて、引き留めるように慌てて質問をする。
「ディロンさん。……ディロンさんも、このビジョンを見てるんですよね」
「ああ。今この瞬間、君相手にも見えている」
「……どうやって、耐えられたんスか」
それにしてはディロンの眼差しは人間的すぎる。それに、こんなものを自分よりも長年見続けているはずなのに、妙に落ち着いているように見える。
ディロンは、夕日へと顔を向けた。
「私には、テナイアがいた」
「……?」
「彼女が私を支え、導いてくれた。彼女が私に、人間でなくなった私にも、人間らしい幸福を与えてくれた」
そして、再びマナヤへと視線を戻す。
「それを自覚した時。テナイアを見る時だけ、彼女にだけは『殺しのビジョン』が見えなくなった」
「!」
「テナイアのおかげで、私は私でいられる。自分が今、幸福を享受できているとわかっているから、私は人間の真似事くらいはできる」
「……まねごと、か」
人間に戻れる、というわけではないのだろう。
「マナヤ。他人のためだけに生きるというのは、美徳ではある。だが……君も、人間でなくなったまま生き続けるならば、『自分自身の幸せ』を見つけろ」
「……」
「自分のために生きることを、自ら追い求めることだ。そうしなければ……狂うぞ」
思わず、拳に力が入っていた。
トルーマンは、自身が召喚師になったがために、家族を殺された。同じく召喚師になってしまったヴァスケスは、家族に見捨てられた。
その復讐のために、彼らは『流血の純潔』を散らした。
召喚師の未来のために、と言い訳しても。召喚師の救世主と銘打って、多くの召喚師を仲間に引き入れても。
……彼らは結局、自分自身の幸せは手に入れられなかったのだろう。
「……さて、邪魔者はここらで退散するとしよう」
ふいにディロンが、目を閉じてマナヤから顔を背けた。
「ディロンさん?」
「私などよりもずっと、話をしておかねばならない者がいるだろう」
彼の視線が、階段の方へと向く。釣られるように、マナヤも視線を追った。
「……アシュリー」
夕日を側面に受け、きらきらと風になびく赤いサイドテール。
少し気まずそうに顔を伏せたアシュリーが、姿を見せていた。
――マナヤ。僕も、引っ込んでおくね。
自分の『背後』に感じていた、テオの気配。
彼が離れ、意識の底へと沈んでいくのを感じた。
ディロンは離れていき、アシュリーとすれ違い様に、彼女の肩を叩く。思わず振り返ったアシュリーだったが、そのままディロンは階段を下りていってしまった。
再び、こちらへと顔を向けたアシュリー。ゆっくりマナヤの隣へ歩み寄ると、顔を伏せたまま、そっと隣に腰掛けた。
「……」
夕日の方を向いたまま、彼女は黙して語らない。
マナヤも、同じく夕日の方へと顔を向けた。
「……どうして」
「あ?」
すると、沈んだ目をしたアシュリーが、顔は向けずに小さく呟く。
「あの時、どうしてあたしを止めたの。マナヤ」
何のことを言っているのか、すぐにピンと来た。
最後、アシュリーがトルーマンにトドメを刺すべく、飛び込んでいってしまった時だ。
「……『どうして』は、こっちのセリフだろ。なんで、あいつを殺そうとした。俺がどんな目に遭ったか、知ってんだろ」
人殺しになって……『流血の純潔』を散らして堕ちた自分を、アシュリーも見ていたはずだ。それでなぜ、彼女自身も殺しをする気になどなったのか。
「……あたしは」
数秒ほどの沈黙の後、そっとアシュリーが口を開く。
「あたしは、あんたと同じになりたかった」
「は?」
素っ頓狂な声が出て、彼女をまじまじと見つめてしまう。
そんな状態を知ってか知らずか、アシュリーはこちらを見ぬまま小さく語り続けた。
「あんたと同じ、人殺しになって……あんたの気持ちを、理解したかった」
思わず、彼女の両肩を掴んで無理やり振り向かせる。
「ばっ……何言ってんだ! 俺はンなこと望んでねぇ!」
「だって! あたしにはそれしかできない!!」
けれど、アシュリーは目からみるみる涙を零しながら叫び返した。
「あたしはテオみたいに、あんたのストッパーになれない! テオに対するシャラみたいに、あんたの心を癒してあげることも、できない!」
「アシュリーッ! 俺は――」
「だったら……っ、せめて、あんたと同じ立場になってっ、あんたの苦しみの、理解者になってあげることしか、できないじゃない……!」
そこで、アシュリーは顔を上げて真っすぐマナヤの瞳を見つめ返してくる。
「じゃないと、あたしはあんたを、繋ぎとめられない……っ!」
目から、大粒の涙を零して。
そう、心の底から絞り出すように、訴えかけてきた。
(アシュリー、お前……)
……こんなになるまで、追い詰めていたのか。
自分が不甲斐ないばかりに、これほどまでアシュリーを苦しめてしまっていたのか。
「……違うんだ、アシュリー」
「あたしは! あんた一人にだけ、苦しい思いばっかりさせたくないのよ! だからっ――」
「アシュリー! 話を聞いてくれ、頼むッ!」
もう一度、彼女の両肩を強く揺さぶった。
涙を拭わぬまま、アシュリーは静かに口を閉じ、こちらを見上げてくる。
「今の俺は、誰を見ても……『殺しのビジョン』が見えちまう。同じ人間を、どうすれば殺せるか、反射的に考えちまう」
「わかってるわよ! だから、あたしは――」
「聞いてくれ! お前にだけは、見えなかったんだ!」
「……え?」
驚いたように、顔を上げてこちらを覗き込んでくる。そんな彼女を正面から見つめ、マナヤは必死に語り続けた。
「ディロンさんにも、他のみんなにもずっと見えてる『殺しのビジョン』が、お前にだけは見えなかった」
「……マナヤ」
「いや。今でも、こうしてお前をまっすぐ見ても、お前を殺す姿だけは全然浮かばねえ」
マナヤが一番、恐れていたことだった。
彼女を殺す姿を、幻視してしまわないかと、ずっと不安だった。
けれど、今なお。
「お前が一緒にいる時だけ、俺は人間らしくいられる。人間らしい感覚を、保っていられるんだ」
彼女を見つめる時だけは、以前と同じ感覚でいられる。人を殺す幻影を、視ずにいられる。
「だから……頼む。お前は、お前だけは、人間のままでいてくれ」
「で、でもっ――」
「人間として……俺を、隣で支え続けて欲しいんだ」
「え……」
見つめ返してくるアシュリーの瞳が、震える。
ずっと、自分でも否定してきた。
自分自身の幸せなど、考えるべきでは無いと。テオやシャラの、邪魔になるだけだと。自分の都合で、二人を振り回すべきではないと。
そして、自分が交替人格だと知ってからは……
いずれ消えてしまうかもしれない、ということを知ってからは。
関係を深めれば、残されるアシュリーを苦しめるだけなのだから、と。
そんな、マナヤが。
今、誰かに寄りかかりたいと、切に願った。
赤い夕陽に照らされた彼女の顔が、そっと下を向いた。
「……ダメ、か?」
「……いいの?」
思わず不安になって問いかけるが、ぽつりと湿った声で問い返してきた。
促すように、首を傾げるマナヤ。それを感じてか、目を伏せたまま再び涙を零し始め、アシュリーが問い直してきた。
「あたし……あんたの傍にいて、いいの……?」
また顔を上げ、涙声になってこちらを見上げてきた。
『あんたは、消えずに残ってくれるの?』
そういう、希望に満ちた感情が伝わってきた。
「……ああ。お前に、傍にいて欲しいんだ」
だから、正面から彼女を見つめ、はっきりと言い放った。
アシュリーが、一気にしゃくりあげ始め……そして、マナヤの胸の中に、顔をうずめた。
「マナヤぁ……っ」
ぎゅ、と彼女の両手が、マナヤの服をきつく掴んできた。
胸元が湿ってくる感覚を無視し、マナヤはそっと彼女の肩を抱きしめる。
彼女の温もりを感じながら、自分の中に暖かな光が灯った。
自分を否定してきた心が、溶けるような気がした。
自分の求めるものを、求めてもいいんだよ、と。
そう、許されるような気がした。
「……けど、お前は本当にいいのかよ。アシュリー」
「なに、が」
しゃくりあげ続け、口がしっかり回らないながらも。
胸元に顔を押し当て、くぐもった声のまま、アシュリーが問い返してくる。
「俺、相当めんどくさい男だぞ」
「……知ってる、わよ」
「……この体が既婚だから、お前に求婚してやることもできねえぞ」
「……それも、知ってる」
この世界でも、原則として重婚は認められていない。
告白する方法が『求婚』である、この世界。テオがシャラと結婚している今、自分がはっきりとアシュリーに気持ちを伝えることは、この文化ではできない。たとえテオとシャラが、セメイト村の皆が、それを祝福しようとしてくれたとしても。
罪悪感に、心が締め付けられる。
アシュリーが、自分以外の男と結ばれることができたなら。彼女は、求婚される幸せを噛みしめることが、できたはず。
自分は、自分の独り善がりな感情のために。アシュリーの、求婚される喜びを、婚姻の幸せを、奪おうとしている。
「……それでも」
そんな、心に刺さった棘を、察したかのように。
アシュリーが顔を上げ、マナヤの顔を覗き込んでくる。
「それでもあたしは、あんたがいいの」
既に涙跡で、腫れ始めた頬のまま。
安心させるような、暖かい慈悲の微笑みと眼差しで、マナヤをまっすぐに見つめ返してきた。
「……ありがとな、アシュリー」
「……マナヤ」
心の棘も、溶けていく。
再び、示し合わせるようにお互いに体を寄せ合い。
夕日の赤が深くなる中、お互いの温もりを感じ合った。




