120話 開拓村 黒い水龍
(マナヤさんどころか、騎士隊の人達すらも居ないのに……!)
焦りを隠せないながらも、海岸の方を見渡すシャラ。
開拓村の弓術士達が海岸線に集まり、矢を放っているのを見つけた。
「撃て! 撃てぇ!」
「だ、ダメだ、まだ届かない! もうちょっと引き付けないと!」
「あんなに巨大なの、倒しようがないじゃない!」
懸命に超長距離から矢を撃つが、遠目の限りではシャドウサーペントにはまだ届いている様子がない。
(確か、マナヤさんの教本に!)
テオと一緒に読んだ、マナヤの教本。
そこに書いてあった記述を思い出す。シャドウサーペントは竜の中でも、最も長射程のブレスを放てると。
「皆さん! あの水龍は弓術士の射程と同等のブレスを吐いてきます! 早く逃げて!!」
慌ててシャラは弓術士達に全力で叫んだ。
ぎょっと振り返った彼らは、シャラが叫んだ内容を理解し、慌てて退避し出す。
「た、退避! 退避ー!」
弓術士達が、一斉に陸地側に向かって駆けだす。
シャラは一旦、コリィの家へと駆けこんだ。家の前で愕然としている村長代理のカランや妹のレズリーの脇をすり抜け、宛がわれている自室に置いてあった鞄を手に取る。
「しゃ、シャラさん!」
コリィの母親が、顔を真っ青にしてシャラに声をかけてくる。
「落ち着いてください、モニカさん! 門を抜けて、もっと内陸まで逃げて下さい!」
「わ、わかったよ! シャラさんはどうするんだい!?」
「できることをやってみます!」
と、言葉を交わしてシャラは再び家の外へ飛び出す。『俊足の連環』のおかげで足が速い。あっという間に再び海岸近くへとたどり着いた。
海岸近くでは、既に近隣の者達が門へと走り出している。この辺りはもうじき、シャドウサーペントの射程圏内。
「あうっ!」
小さな男の子の声が聞こえた。
そちらを振り向くと、茶髪の男の子が躓いていた。八歳ほどだろうか。
(……いけないっ!)
周りの大人たちはパニックに陥ってしまっており、その男の子を助け起こそうとしない。
もう、シャドウサーペントが射程圏内に入った。巨体に比すれば幾分小さい口が、こちらに向けて開かれる。
「【キャスティング】ッ!」
シャラは、オレンジ色の宝珠がついた錬金装飾を二つ取り出し、それを男の子に放り投げる。
そのうちの一つは男の子の手首に、もう一つは空中でくるりとシャラの元へと戻っていった。『防刃の帷子』と引き換えにシャラの左手首に装着される。
――【吸邪の宝珠】!
そのまま、シャラは男の子の前へと躍り出る。そしてシャドウサーペントに背を向け、小さな男の子を庇うように抱きすくめた。
「えっ!?」
腕に抱えた男の子が戸惑いの声を上げる。
が、次の瞬間、シャドウサーペントから放たれた黒いエネルギー……巨大な闇撃のブレスが、シャラと男の子を覆う。
「くっ……」
「うわあああああああっ!!」
闇撃のブレスが、シャラの背中を直撃した。男の子は目を瞑って、恐怖の悲鳴を上げてしまう。
「……えっ、あれ? お、お姉ちゃん……?」
しかし、一発目のブレスが終わったにも関わらず、一向に痛みが来ないことを訝しみ目を開く男の子。
「だ、大丈夫……?」
息も絶え絶えとなったシャラが、なんとか笑顔を作って男の子を見下ろした。
ぽかんとする男の子だが、シャラはすぐに顔を引き締め、苦痛に呻きながらも男の子を抱えて陸地へと凄まじいスピードで走り出す。
「あ、アル!」
「アル君!?」
男の子を抱きかかえて走ると、レズリーとカランが涙目になって駆け寄ってきた。
「お、お母さん! 伯母さん!」
その二人を見つけて、男の子が叫ぶ。どうやら、レズリーの息子だったようだ。
シャラはそっとアルと呼ばれた男の子を降ろすと、彼は泣きながら走ってレズリーの腕の中へと飛び込んだ。
「しゃ、シャラさん! その、甥を助けていただいて、その……」
しどろもどろになりながら、シャラに礼を言おうとするカラン。が。
「っ! 危ない!!」
鞄に手を入れたシャラが、手を引き抜くや否やカランとレズリーを男の子ごと突き飛ばす。
シャラの手に、自身の身長ほどの長さの錫杖が握られていた。
――【衝撃の錫杖】!
「わあっ!?」
「きゃっ!?」
アルと、レズリーとカランも陸地の方へと吹き飛ばされる。その直後。
――ズオオオオオオオッ
「きゃああああああっ!」
「しゃ、シャラさん!?」
先ほどまでカラン達が居た場所に、シャドウサーペントの黒いブレスが襲った。その場に残っていたシャラが呑み込まれ悲鳴を、カランが悲痛な叫び声を上げる。
「……くぅっ!」
けれどもシャラはブレスが終わる前に、地面を転がるようにして抜け出してきた。全身ボロボロになってはいるが、あのブレスを二度も受け、なお動けている。
「シャラさん!」
「お姉ちゃん!」
「ダメ! もっと奥へ逃げて、早く!」
レズリーと、彼女の腕に抱かれたアルもシャラを心配してくる。が、シャラはすぐさまレズリーとカランの手を取り、三人を引っ張って奥へ奥へと駆け抜けた。
「はぁっ、はぁっ、と、とりあえずここまで来れば……」
ひとしきり彼女らを連れて走ったところで、息を切らしたシャラが後方を振り返る。
「しゃ、シャラさん、大丈夫なんですか……?」
「レズリーさん……うくっ、わ、私はなんとか……」
顔をしかめて肩を押さえつつも、シャラは気丈にレズリーに応えた。
シャラがこの程度で済んでいるのは、錬金装飾『吸邪の宝珠』のおかげだ。
本来は精神攻撃を防ぐ錬金装飾なのだが、精神攻撃に近しい『闇撃』のダメージを大幅に軽減できる効果も併せ持つ。先ほども、シャラ自身に加えてアルにも装着させておいた。万一アルにブレスが及んだとしても、せめて軽症で済むようにという配慮だ。
しかし、あくまでも軽減できるだけで無効化されるわけではない。青と白を基調としたこの開拓村固有の服の下で、シャラの背は完全に焼け爛れていた。
「シャラ、さん……どうして、私達を庇ったのですか?」
「……カランさん」
「私達は、あなたに酷いことを……それなのに、どうして」
すっかり意気消沈したカランが、おずおずとシャラに訊ねてくる。
それに対してシャラは、静かな表情でカランを見つめ返した。
「……私には、好き好んで人を傷つけようとする人の気持ちはわかりません」
「う……」
「でも」
キッとカランを鋭い目線で睨みつける。
「人が人を救うことに、理由が必要なんですか!?」
「あ……」
「どんな相手であっても、人を助けたいという気持ちの、何が悪いんですか!!」
シャラは、両親も義両親も目の前で失っている。
だからこそ、目の前で村人が死ぬところなど、もう見たくはなかった。
「……さあ、お二人とも。早く奥へ逃げて下さい。この場所も完全に射程外かは、まだわかりません」
「……」
「姉さん、行こう……シャラさん、ありがとうございました」
息子を片腕で抱き上げているレズリーが、押し黙ってしまったカランを引っ張ろうとする。
「……わ、私のせいなんです」
「姉さん?」
と、突然カランが呟きだした。レズリーが訝しんだ目を彼女に向ける。
「この大事な時に、騎士隊の方々が居ないのは……私の、せいです」
「カランさん? あなたは、何を?」
悪寒。シャラはカランに問い詰めた。
「ある人に、依頼されたんです。騎士隊の皆を村から引き離す策がある。そ、そのために……マナヤと親しい人物を、教えて欲しい……って」
カランの台詞に、シャラの背筋が凍った。
「騎士隊の人達が、居なくなれば……わ、私がその隙にコリィの家族を、その……」
「……」
思わず、シャラは鋭く彼女を睨みつけてしまう。
けれども、今はそのような場合ではない。一度目線を和らげ、カランへと告げた。
「……そのお話は、後で聞きます。今はとにかく、逃げて下さい」
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
「姉さん……」
レズリーが、泣きじゃくるカランを引っ張るように、門へと連れていった。
(……テオが私達に何も言わずに、たった一人でコリィ君を追っていったなんて、おかしいとは思ってた。だけど……)
あの時は、マナヤの衝撃に気を取られてすっかり失念していた。
けれど、妙だとは思っていた。コリィを攫った者達の居場所を見つけるまでの課程が、テオの説明から抜けていたからだ。
もしかすると、あれはマナヤを狙った誰かの策略なのかもしれない。何らかの手段で、コリィを人質にしてマナヤだけを自分達から引き離した何者かの。
(でも、今は)
一旦頭を軽く振って、気持ちを切り替える。
今はシャドウサーペントの対処が先だ。どの程度までがブレスの範囲かはっきりはわからないし、このままシャドウサーペントが居座り続けても困る。
「――シャラさんっ!」
と、そこへ後ろから別の男の子が声をかけてくる。こちらに走り寄ってきたコリィだ。
「コリィ君! どうしてここに!」
「だ、だって! シャラさんだけ置いて逃げたりなんて、できません!」
「でも、モニカさんは……!」
「お母さんはもう避難してます! ボクだけ抜け出してきました!」
「ぬ、抜け出して!?」
慌てるシャラだが、コリィは震え声ながらもシャドウサーペントへと啖呵を切る。
「これでも食らえ! 【鷲機JOV-3】召喚、【強制誘引】! 【行け】!」
召喚された、機械でできた鳥。一気にシャドウサーペントへと向かって飛んでいく。
鷲機JOV-3の姿を確認したシャドウサーペントが、その口から闇撃のブレスを放つ。
しかし、鷲機JOV-3は『機械』モンスター。闇撃に完全耐性を持つ金属でできているため、そのブレスは全く効かない。
「やっぱり! こいつなら――」
「ダメ、コリィ君! 危ない!」
ガッツポーズをとって小さく呟くコリィに、慌てた様子でシャラが彼の手を引いて横へと走り出す。『俊足の連環』の効果をもって、コリィを引きずるように凄まじい速度で水龍から垂直に駆け抜けた。
直後、シャドウサーペントがブレスを放つ。先ほどまでシャラとコリィが立っていた場所を、真っ黒のブレスが通り抜けた。
その様子を見て、コリィが戦慄する。
「えっ――」
「モンスターは、『全然攻撃が効かない』相手は、すぐに無視するようになるの!」
シャラの指摘に、コリィがハッとなる。かつて、マナヤの講義で教わったことを思い出しているのだろう。
――良い質問だ。モンスターは『自分の攻撃が相手に通じてない』場合、数回攻撃したところで『攻撃対象を変更』しようとする習性がある――
――何度か攻撃して、『自分の攻撃が、こいつにゃ効いてない』となった場合。モンスターはそいつを攻撃するのを諦めて、無視しちまうのさ――
最初に海上戦を生徒達にレクチャーした時に、コリィもマナヤの口からそう説明を聞いているはずだ。
シャラも、知識としては知っている。マナヤの教本で読んだことがあった。
「え、えっと、それじゃあここからどうするんですか!?」
いまだに落ち着けないコリィが、おろおろしながらシャラを見上げてきた。
(そう、問題はそこだ)
シャラが唇を噛む。
闇撃のブレスを放つ『シャドウサーペント』。一番良いのは、闇撃が効かない機械モンスターで倒すことだ。とはいえ、耐久力の高いシャドウサーペントを倒すには生半可な火力では足りない。攻撃力の高い、近接攻撃型のモンスターをぶつける必要がある。
だが、機械モンスターは水に弱い。水に触れるとショートし、すぐに機能不全に陥ってしまう。海から出てこないシャドウサーペントに、近接攻撃型の機械モンスターをぶつけることは不可能だ。
シャラは自身を落ち着かせるように、目を閉じて一回深呼吸をする。
(私だって、テオやマナヤさんと一緒に、今まで戦ってきたんだ!)
今、この場で最適の判断ができるのは、自分だけのはず。
そう決意したシャラはすぐに目を開き、気を引き締めてシャドウサーペントの方を見据えた。
「コリィ君、次は『ヴォルメレオン』を召喚!」
「えっ!? でも、ヴォルメレオンじゃシャドウサーペントの攻撃は防げませんよ!」
精霊系の中級モンスター、ヴォルメレオン。
火炎に耐性を持つだけの、射撃型の生物モンスターだ。闇撃への耐性は無い。
「わかってる! だからヴォルメレオンに精神防御をかけて、跳躍爆風でシャドウサーペントの近くに!」
「精神防御? ……そ、そうか! 【ヴォルメレオン】召喚!」
一瞬訝しんだコリィだが、すぐに意図を察したようだ。すぐに、人間の身長と同じくらいのサイズを持つ、赤いオオサンショウウオのようなモンスターを召喚する。
それに合わせて、シャラは四つの錬金装飾を取り出した。
「【キャスティング】」
それらを上に軽く放ると、自動的にコリィの四肢へと装着されていく。
――【治療の香水】!
――【増命の双月】!
――【増幅の書物】!
――【伸長の眼鏡】!
徐々に傷を治癒する錬金装飾、生命力を強化する錬金装飾、補助魔法の効果時間を延ばす錬金装飾、補助魔法の射程を伸ばす錬金装飾だ。
「えっ?」
突然、手首足首にいろいろなものが装着されコリィが戸惑っていた。
「コリィ君、早く!」
「は、はい! 【精神防御】! 【強制誘引】!」
シャラに急かされ、コリィはヴォルメレオンに精神攻撃を防御する魔法、そして敵に狙われやすくなる魔法をかける。
「【行け】! 【跳躍爆風】!」
そしてヴォルメレオンを突撃させ、即座に跳躍爆風をかけた。
のろのろと地面を這うヴォルメレオンが、一瞬にして先ほどシャラが闇撃ブレスに呑まれた場所まで跳んでいく。
既に、シャドウサーペントは鷲機JOV-3を無視していた。射程圏まで跳んできたヴォルメレオン目掛け、闇撃のブレスを放つ。
しかし、ヴォルメレオンを取り巻く紫の防御膜が、闇撃のダメージを軽減していた。『吸邪の宝珠』と同じ理屈だ。精神防御も、精神攻撃と性質が近しい『闇撃』ダメージを大幅に軽減できる。
そしてシャラは自信があった。今度は、そう簡単にシャドウサーペントがヴォルメレオンへの攻撃を辞めないだろうと。
――攻撃を辞めるのは、あくまでモンスターの『素』の耐性で攻撃が通じてない場合だけだ。防御魔法で防いだ場合、モンスターは自分の攻撃が『防がれてる』ことを認識できない。効かない攻撃を延々繰り返し続けるのさ――
これも、海上戦のレクチャーでマナヤがコリィ達に説明していたことだ。
闇撃への耐性が無いヴォルメレオンに、防御魔法で後付けの闇撃耐性を与える。そうすることで、シャドウサーペントはほとんど攻撃が通じていないヴォルメレオンを延々と攻撃し続けることになる。
「コリィ君は、ここから精神防御と強制誘引を切らさないで! あと、ヴォルメレオンが倒れる前に魔獣治癒で治癒!」
「え? で、でもこの場所からじゃ補助魔法は届きませんよ!?」
「大丈夫、届くよ! それがあるから!」
と、シャラはコリィの左足首を指す。そこにはまっているのは、『伸長の眼鏡』。補助魔法の射程を伸ばす効果を持つ。
「【魔獣治癒】! ……ほ、ホントに届いた!」
コリィが魔獣治癒の魔法で、試しにヴォルメレオンを治癒してみた。本当に補助魔法が届いたことを確認して感嘆している。
「でも、これでも時間稼ぎだけ……!」
冷や汗が頬に流れるのを感じながら、シャラは考えを巡らせた。
鷲機JOV-3の鉤爪と、ヴォルメレオンの溶岩弾がシャドウサーペントを攻撃している。しかし、相手は異常な耐久力を誇る『竜族』の一種だ。これだけで倒すのは、果てしない時間がかかる。
ヴォルメレオンや、他の射撃モンスターの数を揃えたところで、たかが知れている。射撃モンスターは総じて攻撃力が低い。鷲機JOV-3も同様だ。
マナヤがかつて、フロストドラゴンを倒した時。『リーパー・マンティス』というモンスターによるハメ技を使っていた。しかしリーパー・マンティスは泳げないので、今回は使えない。
(一つだけ、すぐに倒せる手が無いでもない)
マナヤの教本から、『竜』の倒し方について箇条書きにまとめてあった箇所を思い出した。この方法を使えば、十三秒でシャドウサーペントを倒せる。
問題は、召喚モンスターが死ぬ前にシャドウサーペントに近づけるかどうかだ。精神防御で大分ダメージをカットできるが、属性ブレスというのは距離が近くなるほど威力が上がる。死ぬ前にシャドウサーペントに隣接させられないと、この作戦は通用しない。
機械モンスターなら、闇ブレスの中もノーダメージで突っ切れる。が、この作戦に必要なのは『生物モンスター』だ。生物モンスターの中で、闇撃に完全耐性を持っているものはたった一種。今対峙している、あのシャドウサーペント自身だけだ。
「せめて、『ヴァルキリー』がいれば……」
シャラが、テオ愛用の上級モンスターを思い出して歯噛みする。
生物であり、十分に耐久力もある戦乙女ヴァルキリーならば、この作戦を確実に成功させられるだろう。
「え、あの。ヴァルキリーがいれば、どうにかなるんですか?」
「……うん、そうだよコリィ君。ヴァルキリーがいれば簡単なんだけど……」
「あの、シャラさん」
ややビクビクしながら、シャラを見つめてくるコリィ。不思議そうにシャラが首を傾げ、言葉を促すように彼を見つめた。
「……ボク、騎士隊のカークさんから預かってます。……『ヴァルキリー』」




