110話 自信と成長の弊害
『――ほら、真也! ちゃんと食わないから、そんな風に体調を崩しちまうんだろ!』
――また、この夢?
もはやテオはかすかにしか覚えていない、かつての異世界の部屋。
自分の体が動かない。寝具に横たえられているようだ。自分の首が勝手にぎこちなく動き、声のする方向を見た。
黒い短髪に黒い瞳の男性が、白っぽくドロドロしたものを器によそっている。そしてそれを板に乗せてこちらへと持ち運び、自分の膝の上においてきた。
自分の上半身だけが起き上がり、スプーンを手に取っている。
『仕方ねーだろ。ぶっ通しでラダーを登れば、なんとかベスト20に入れそうだったんだよ!』
顔をその男性の方へと向け、自分の口が抗議の声を上げる。
『だからって三日間ゼリーだけで済ます奴があるか! まったく、ちょっと出張に行ってる間にコレだ!』
『食ってたんだから死にゃしねーだろ。それだけでも腹いっぱいにはなれたんだぜ』
『でも倒れたじゃないか! いつも言ってるだろ、ちゃんとバランス良く栄養を取らないと身体が弱るんだ!』
と、視線が目の前に置かれた食べ物らしきものに移る。
白い穀物のようなものが、水で煮込まれていた。ただ、所々にオレンジや緑、黄色の粒々が混じっている。慣れない香りがするが、自分の体は良い匂いだと捉えているようだ。
『それから、動けるようになったらたまには外に出て、日光浴びてこい! じゃないと、”サモコロ”はしばらく禁止だ!』
『ちょ、横暴だぜ史也兄ちゃん!』
『横暴なもんか! 身体を壊したら元も子もないんだぞ! ランキングに乗りたければ、体調管理もちゃんとしろ! 自己管理だってアスリートの条件なんだ、知ってるだろ?』
――ああ、僕は怒られてるんだ。この人に……心配されてるんだ。
この人はきっと、本当にマナヤのことを心配していたのだろう。
まるで、父さんと母さんみたいだ。テオは、心が締め付けられるのを感じた。
――もうちょっと、浸っていたいな……
と、名残惜しく感じるも、すぐに自分の意識が浮上していってしまうのがわかった。
「……ん」
テオが目を覚ます。外はそれほど明るくなっていないが、かすかに人のざわめきが聞こえた。
この開拓村に来て、はや九日。この村では、朝早くから漁に出るため早朝からも忙しい。
(今回のは……妙に、はっきりした夢だったな)
寝具から身を起こしながら、少し身震いをする。
ここ最近、マナヤは明るく生き生きとしていると聞いていた。だからきっと、彼が自分に統合されることは無い、そう考えていた。
けれど、いやに明瞭だった今日のこの夢。
急に恐ろしくなってしまい、ぎゅ、と自分の体を抱きしめる。
(まるで、自分の中に何かが混ざりこんでくるみたいだ)
もしマナヤが自分に統合されてしまった時。自分は、自分のままでいられるのだろうか。
マナヤの記憶と意識が混ざった自分は、本当に『テオ』なのだろうか。テオでもマナヤでもない、全く別の人間に変わってしまうのではないか。
……最愛の人を愛せない、愛されない人間になってしまうのではないか。
「……シャラ」
怖くなったから、というわけでもないが、隣で寝ているシャラを揺すり起こそうとする。朝食もそろそろだろうし、彼女にも錬金術師としての仕事がある。疲れてはいるだろうが、起こさないといけない。
「シャラ?」
けれど、何度揺すっても彼女が一向に起きようとしない。
「シャラ!? ちょっと、大丈夫!?」
「ん……あ、あれ……テ、オ?」
何度か激しく揺すってみて、ようやくシャラは瞼を開く。焦点の合わない目で、ぼんやりと自分を見つめ返してくる碧の瞳。
意識があったことに、テオはとりあえずほっと胸を撫でおろした。
「……あ、そっか……もう、起きなきゃ」
と、片手で頭を押さえながらシャラが起き上がろうとする。
「シャラ、大丈夫? 起こしておいて何だけど、もうちょっと寝てた方がいいんじゃ?」
「う、ううん、大丈夫だよテオ、起こしてくれてありがとう。おかしいな、私、寝坊助になっちゃったかな。あはは」
やはり彼女の顔色が悪い気がする。体調を心配するも、シャラは気丈にほほ笑み、おどけるように笑い声をあげた。
そして、ゆっくりと服を着替える。この村で着られている、肩口が開いている青白を基調とした服だ。シンプルな構造なので、すぐに着替えられる。
「待って、やっぱりおかしいよ。ここ最近のシャラ、どんどん顔色が悪くなってる気がする!」
「だ、大丈夫だよ。ほら、朝も早いんだからテオも早く着替えないと」
納得できずなおも問い詰めるが、着替え終わったテオを急かすように弱々しく笑いかけてくる。
なおも口を開こうとしたテオだが。
「っ……ま、まって、マナヤ、ま、だ……」
一気に意識が薄くなるのを感じ、ぐらりとテオの体がよろめく。せめて今だけは、と抵抗しようとするも、目は勝手に閉じていってしまった。
次の瞬間、目つきの鋭い表情になって瞼を開く。
「っと、おう、シャラ。……なんだ、テオの奴まだ着替えてなかったのか」
「……マナヤさん」
「悪ぃ、今日も俺は急ぐんだ。夕飯の後にはまたテオに替わるからよ!」
と、マナヤは寝具の陰でパパッと着替え、さっさと寝室の出口から出ていった。
***
「――海底に敵を確認! おそらくエルダー・ワンです!」
その日の漁。
マナヤは舟に乗っている弓術士から報告を受ける。
「よし。さて、カークさんでしたね。どうすれば良いと思います?」
「ええっと……クリスタ・ジェルでいけるはずですね?」
まずは、同行している騎士隊の召喚師カークに答えを迫ってみる。マナヤと同じくナイト・クラブに乗っている彼は、一瞬考え込んだもののすぐに解答を叩きだした。
満足そうに頷いてみせる。
「オーケーです。どうぞ」
「はい! 【クリスタ・ジェル】召喚、【行け】!」
召喚師カークはすぐさま電気クラゲを召喚し、そのまま突撃させた。
すぐに水没していったクリスタ・ジェル。おそらく海底を這いずっている野良エルダー・ワンを攻撃しているはずだ。
エルダー・ワンは本来陸上用のモンスターで、泳げず水没してしまうタイプだ。しかし、このモンスターは生物ではなく『亜空』という系統であり、水没しても溺れはしない。そのため、このように水の底を這いずっていることがある。
放置しても即座に支障は無いが、これが万一岸までたどり着いてくると面倒だ。
「……よし、倒しました! 【封印】」
目を閉じていた召喚師カークが、マナヤの方へと振り向いて報告してくる。クリスタ・ジェルに視点変更して状況を確認していたのだろう。
クリスタ・ジェルはその柔軟な肉体で、『打撃』攻撃してくるエルダー・ワンを無傷で一方的に葬り去れる。
「対応がずいぶんスムーズになりましたね。流石です」
「いえ、マナヤさんの指導の賜物ですよ。まさか召喚師がここまで海上で戦えるとは思いませんでした」
労いをかければ、感謝の言葉で返してくるカーク。
マナヤは召喚師候補生に指導する傍ら、この開拓村に所属している召喚師達にも同時に指導していた。海上では出現モンスターが限られるため、教えることは比較的少なくて済む。陸上戦に活かしにくいのが難点ではあるが。
「マナヤ教官! 新しい網を仕掛け終わったそうです!」
舟の傍で自身のナイト・クラブに乗っているコリィが声をかけてきた。コリィもモンスターに騎乗することに大分慣れてきたようだ。
間引きを兼ねた漁に出る時、村所属の召喚師のみならず候補生達も一人ずつ連れてくることにしていた。召喚師候補生にも実戦を見せておくためだ。
「おう、了解だコリィ! じゃ、次のポイントに向かいましょうか。しっかりついて来いよ、【跳躍爆風】」
「はい! 【跳躍爆風】!」
また、同時にこうやって『跳躍爆風』の使用に慣れさせてやるという目的もある。とっさにこの魔法を使えるようになれば、陸上戦でも役立つだろう。
「――!! ま、マナヤさん! 三時方向に強力な敵を確認! 凄いスピードで迫ってきます! こ、これはまさか……!」
と、舟でついてきていた弓術士の顔が一気に青くなる。
「三時方向!? 一体――!」
と、舟から見て右方向へと視線を巡らせてみると。
「ま、マナヤさん! あれって!」
「う、あ……!」
漁のチームが一気に及び腰になる。
彼らの視線の先にいたのは、銀色の全身甲冑に赤いマントを靡かせ、自身の身長を越える長さの槍を持つ、戦乙女。それが海面から少し宙に浮いた状態で翔けるように突撃してくる。
「……ヴァルキリー! 単独で出てきやがるか!」
他のメンバーが恐れ慄く中、マナヤはむしろ興奮していた。
上級モンスターというのは、スタンピードに混ざって出てくることの方が多い。そのヴァルキリーが単独でやってくるとは、むしろついている。
「落ち着け!! カークさん、ゲンブを召喚してホッパーで突撃! 急げ!」
「は、はい! 【ゲンブ】召喚、【跳躍爆風】、【行け】!」
マナヤの指示に従い、カークがリクガメを召喚し一気に前方へと滑らせた。
野良のヴァルキリーがゲンブと激突。ゲンブに向かって突き出された長槍が甲羅を穿つが、一撃で倒れるほどゲンブもヤワではない。負けじと頭突きでヴァルキリーの甲冑をわずかにへこませる。
すぐさまマナヤは声を張り上げた。
「これは時間稼ぎだ! カークさん、コリィ! 何をすればいいかわかるな!」
マナヤが自分でやれば簡単に対処できる。しかし、だからこそ村の召喚師達に自信をつけてもらいたい。
「え!? ええっと……クリスタ・ジェルで取り囲むとかですか!?」
「いえ、ここはゲンブが囮になっている間に、大量の魚機CYP-79で砲撃を浴びせるんじゃないですか!? マナヤ教官!」
二人の答えに満足そうに微笑む。
「どっちも、良い答えだ! じゃ、それぞれでやってみな!」
「そ、それぞれでって、どういうことですかマナヤ教官!?」
あたふたしながら、マナヤの真意を訊ねてくるコリィ。
そこへ、考え込んでいた騎士隊の召喚師カークが閃いたように顔を跳ね上げる。
「そうか! 両方とも採用すればいい! クリスタ・ジェルの接近戦とCYP-79の援護射撃は併用できるはずだ!」
「あっ!」
カークとコリィが顔を見合わせ、緊張した面持ちで互いに頷く。
そして、二人してヴァルキリーがいる先へと手をかざした。
「【クリスタ・ジェル】二体召喚! 【電撃防御】、【行け】!」
「【魚機CYP-79】二体召喚、【行け】!」
カークは電気クラゲを二体召喚師、それぞれに電撃防御をかけて突撃させた。
コリィの方は二体の魚ロボットを召喚。着水したそれが背びれだけ水面に露わにし、ヴァルキリー目掛けて泳いでいく。
ヴァルキリーは丁度ゲンブを倒したところだった。そして自ら水中に沈んでいく。自ら浮遊移動できるヴァルキリーは、ある程度は水中に潜っていくことも可能だ。
すると、その潜っていった先に電撃の渦が発生した。水中に沈んでいた二体のクリスタ・ジェルの攻撃だ。さらにその位置にコリィが召喚した魚機CYP-79が砲撃を撃ち込んでいく。魚機CYP-79の砲撃は特別製で、水中にも攻撃が届く。
「【クリスタ・ジェル】召喚!」
カークはさらに追加でクリスタ・ジェルを召喚。それに【電撃防御】もかけて突撃させていく。
クリスタ・ジェルはヴァルキリーの槍一撃では死なないが、絶えず追加で出し続けることで抑え込み続ける作戦である。
「【電撃獣与】!」
さらにコリィが魚機CYP-79に電撃獣与。これにより砲撃が電撃を帯びる。撃ち抜かれる度にヴァルキリーが『感電』し、攻撃速度が鈍るはずだ。
「……あ、あれ? 倒した?」
「えっ? もう!?」
カークが呆気にとられたように呟いた。コリィも驚いてヴァルキリーが潜ったはずの場所を見る。
水中で渦巻いていた電撃は止んでいる。そして水面に一つの瘴気紋が浮かんでいた。
マナヤも頷いてそれを認める。
「よくやった! お前らだけで、上級モンスターを倒したんだぞ!」
「は、はは……」
「うそ……ホント、に……?」
気が抜けたように、ナイト・クラブの上でへたりこんでしまうカーク。舟の上のコリィも、ようやく実感が湧いてきたように顔が喜色に染まっていく。
「え……わ、私達、何もしてないんだけど……」
「これ、俺達がついてきてる意味、あるか……?」
「上級モンスターが出てきて、無傷……?」
と、別々のナイト・クラブに乗っている女性剣士と男性の黒魔導師、そして舟に乗り込んでいる白魔導師の男も戸惑いながら口をへの字にしていた。
「見たか! これが召喚師の強みってヤツだ! ちったぁ見直したか?」
そんな彼らに、マナヤが良い顔で勝ち誇ってみせた。
***
間引きを兼ねた漁が終わり、一行は岸に戻る。
「信じられないな、まさか私が上級モンスターを封印できるなんて。しかも、あの有名な『ヴァルキリー』を……」
浜辺に降り立つ召喚師のカークが、自分の両手をまじまじと見つめながら呟いた。
無理もない、上級モンスターを扱える召喚師というのは、騎士隊にも一握りしか居ないのだ。しかもヴァルキリーといえば上級モンスター中でも特に優美と名高く、しかも強い。
「そいつは、基本的にどこでも使える汎用性の高いモンスターだ。海上でも十分使い道があるから頼りになるはずですよ」
と、マナヤが自分のナイト・クラブから飛び降りながらカークに解説する。
「ただ、水中に潜る時に水没ダメージを受けちまうんで注意ですね。さっき、あんなに早くヴァルキリーを倒せたのもそのせいッス」
「あぁ、それで……」
「詳しい扱い方は、また今度解説しますよ。補助魔法中心で使うのが基本ですが、水上だとちょっと勝手が違うんで」
「はい、是非とも!」
カークが興奮しながら、満面の笑みをマナヤに返す。コリィも近寄ってきて、笑顔でカークを労ってきた。
「すごいですね、カークさん! ヴァルキリーを使えるなんて、羨ましいです!」
「羨ましい、か……ははは、そんな風に考えることができるなんてな」
苦笑するカーク。
上級モンスターといえば、普通ならば恐怖と絶望の象徴である。以前ならば、それに対して『羨ましい』という感想を抱かれることなど無かっただろう。
「な、何よ、調子に乗っちゃって……」
「俺達、何のために苦労してついてきたんだよ」
「何事も無かったことを喜ぶべき、なんですかね……」
一方、愚痴っているのは剣士、黒魔導師、白魔導師の三人。はしゃいでいる召喚師達を冷たい目線で睨みつけていた。
「何だ? 別にいいじゃないですか。あんた達には危害は及ばなかったんだから」
そんな三人に、涼しい顔でそう言い放つマナヤ。
チッ、と黒魔導師が舌打ちして視線を逸らした。剣士と白魔導師も面白くなさそうな顔で、顔を背け立ち去っていく。
(……そういうことか。まずいな、今度はこっちの連中が不満そうだ)
実のところ、今の村人達で海上の『間引き』をさせると、召喚師と索敵の弓術士以外はさしたる出番が無くなっていた。
以前までは召喚師達も少しぎこちなかったため、撃ち漏らしを他クラスが処理することもあった。が、召喚師達がこなれてきた上にマナヤが指示がある今、召喚モンスターと補助魔法だけでも割と対処ができてしまう。
「マナヤさん、今日もありがとうございました!」
「あ、おう、お疲れコリィ。今度は畑の手伝いか?」
「はい! また後で!」
と、コリィがマナヤに挨拶し、パタパタと村の中へと駆けていく。そんな彼の後ろ姿を見送り、ふと笑いが漏れた。
(すっかり元気になったな。この村に来た時の怯えようが嘘みてぇだ)
召喚師になってしまったことを怯え、家族に嫌われ迷惑をかけることを恐れていたコリィは、もういない。八面六臂の大活躍で、存分に自信を身に着けていた。
「よし、じゃあカークさん。せっかくなんで集会所に行きましょうか。今のうちにヴァルキリーの使い方を解説しちまいますよ」
「ええ。よろしくお願いします」
と、カークを連れて集会所へと向かおうとした時。
「――マナヤさん!」
と、焦った顔の男性が駆け寄ってきた。コリィの父親、ダニルだ。
「あれ、どうしたんです? 今日はダニルさん、非番だったはずでは?」
ぜえぜえと息を切らし、膝に手を当て息を整えるダニル。顔を上げた彼は、慌てた様子でマナヤを見上げる。
「すまない、急いで家に来てもらえないか! シャラさんが、倒れたんだ!」




