105話 暫定的な仲直り
肩から上を海面から出したアシュリーが、持った剣を水面下に沈めた状態でマナヤを見返してくる。
濡れた赤いサイドテールの根元が彼女の首筋に張り付いていて、海に浸かった部分はふわりと水中で広がっていた。そんな彼女の姿が妙に艶めかしく、いつもの気まずさとは別の理由でドギマギしてしまう。
「お、お前、どうやって!?」
「シャラからこれを借りたのよ」
アシュリーがザバッと剣を持った右腕を水面から出し、手首を掲げてみせる。そこには、冠のようなチャームがついたブレスレットが装着されていた。『人魚の宝冠』だ。
これで水の中でも息ができるし、水中を高速で泳ぐことができるようにもなる。これを使って海中を泳いできたのだろう。
「海底からライジング・ラクシャーサを発動すれば、水面あたりにいる敵を一掃できるもんね。好都合だったわ」
してやったり、という顔をしながらアシュリーが笑った。
ライジング・ラクシャーサは、彼女が故郷の師匠から教わった技であるらしい。しかし今の彼女では『自分の上方に居る敵』にしか攻撃することができないのだとか。
だがアシュリーは、『人魚の宝冠』の効果で自ら海底にまで沈んだ。そうすることで、敵の下方へと位置取りすることに成功したのだろう。
「……クリスタ・ジェルが混じってたらどうすんだよ、電撃に巻き込まれてたぞ。ったく、無茶しやがって」
「無茶? あんたにだけは言われたくないわね。……それより、ちょっとコイツ借りるわよ!」
気まずさから文句を言うマナヤを、アシュリーはぴしゃりと一蹴。そして、先ほどマナヤが召喚したゲンブの後ろ脚を引っ掴んだ。
「は? お、おい!」
「いちいち『シフト・スマッシュ』を使うのもめんどくさいのよ!」
するとアシュリーは、そのまま人間とは思えぬスピードで前方へと泳いでいく。ゲンブをも引っ張っていきながら。
アシュリーが言う『シフト・スマッシュ』というのは、剣による攻撃を『斬撃』から『打撃』へと変換する技能だ。彼女が向かう先には、着水した野良のナイト・クラブ一体とゲンブ五体がいる。これらはいずれも頑丈な甲羅を持ち、剣による斬撃がほとんど通じない。
おそらく、マナヤの『ゲンブ』を鈍器として使うつもりで持っていったのだろう。
「ったく、仕方ねえな! 【火炎獣与】!」
苦笑いしたマナヤは、アシュリーが持っていったゲンブに火炎獣与をかける。ゲンブの頭部が一気に高熱を持ち、その辺りの海水がブクブクと湯立ち始めた。
水中では原則として火炎攻撃は届かない。が、火炎獣与のかかったモンスターの直接攻撃だけは例外だ。
「セェイッ!」
そのゲンブを一気に横凪ぎし、先頭にいる敵ナイト・クラブへと叩きつけるアシュリー。巨カニの銀色の甲殻がひしゃげ、さらにジュワッと音を立てて焼け焦げる。
「【封印】。アシュリー、そのナイト・クラブだけ倒したら一旦退け! 掴んでるゲンブはそこに置いてけ!」
マナヤが、先ほどアシュリーが倒してくれた『魚機CYP-79』達を封印。即座にアシュリーへと指示を飛ばした。
「了解っ! ハッ、【スワローフラップ】!」
そのアシュリーは、掴んだゲンブを再び振り回しナイト・クラブへと叩きつける。直後、『スワローフラップ』の技能を発動。慣性を無視して反対方向から往復ビンタのごとくゲンブをもう一度殴打し、強烈な轟音が連続で響いた。
連撃を食らったナイト・クラブは左右両方から深く甲殻がひしゃげ、潰れるように甲羅が砕け散る。甲羅ごとバキバキになったナイト・クラブの身体が消え、瘴気紋だけが残った。
「【魚機CYP-79】召喚!」
一方マナヤは、先ほど封印した魚機CYP-79を今度は自ら召喚。着水した機械の魚は、金属製の背びれだけを海面へと出しながら砲撃を放つ。アシュリーを取り囲みつつある野良『ゲンブ』達に着弾し始めた。
その隙に包囲網から抜け出したアシュリーが水中へと潜り、マナヤの元へと泳ぎ帰ってくる。掴んでいたゲンブは置き去りにしており、それが敵のゲンブ達を引き付けていた。
「ぷはっ……で、あとはどうするの?」
「コイツでまとめて処理する! 【クリスタ・ジェル】召喚、【行け】」
アシュリーの問いに、マナヤは先ほど封印した『クリスタ・ジェル』を召喚する。天敵である敵ナイト・クラブが居なくなった今ならば、クリスタ・ジェルの天下だ。
着水した電気クラゲは、海中を泳いで一気に敵ゲンブ達の元へとたどり着く。
――ババババッ
そして、ゲンブ達周囲の海水に電撃の渦を発生させた。クリスタ・ジェルを取り囲んでいた敵ゲンブ達が一気に巻き込まれ、電撃に身を焦がしていく。
ゲンブ達も懸命にクリスタ・ジェルへと頭突きを繰り返すが、軟体のクリスタ・ジェルにはそんな打撃は効かない。
「ついでにこいつもだ! 【ボムロータス】召喚」
続いてマナヤは、これも先ほど封印した『ボムロータス』をも召喚する。蓮の花にも似た精霊系モンスターが着水した。
「【火炎防御】、【電撃防御】、【跳躍爆風】、【行け】!」
そのボムロータスに火炎と電撃への耐性を与え、そして『跳躍爆風』をかける。移動できないはずのボムロータスが一気に水面上を滑っていった。こうやって、移動不能なモンスターを無理やり動かすことができるのも跳躍爆風の強みである。
ゲンブの群れに突っ込んだボムロータスは、そこで爆発性の種子を発射。まだ水面に浮いている数体のゲンブ達を、爆炎が呑み込んだ。水面から上に出ている敵に対してなら、水地でも火炎攻撃は通じる。ボムロータス自身も巻き込まれるが、火炎防御で守られているので問題ない。
先ほどマナヤが出したクリスタ・ジェルの電撃も、そのボムロータスを巻き込んでいた。が、電撃防御のおかげでダメージを負っていない。
「……よし、【封印】」
「わお、一掃できたわね」
電撃の渦と爆炎を立て続けに食らい、ゲンブ達はあっさりと全滅した。浮いてきた大量の瘴気紋を封印するマナヤ。
アシュリーもそんな様子を見て、海面から顔だけ出した状態で口笛を吹いていた。
「やっぱりこの辺の海、多少海上で『間引き』した方が良さそうだよな」
ようやく一息ついたところでマナヤが独り言ちる。アシュリーもそれに頷いて同意した。
今後もこういう事態が無いとも限らない。その度に漁に出る村人達の命が危険に晒されるようでは困る。
それに海上でうまく『間引き』ができるようになれば、モンスターの犠牲になる村人が減るだろう。それに伴い召喚師のイメージも多少マシになるかもしれない。
考えを巡らせつつも、とりあえず自分のモンスター達を送還。そしてアシュリーを、自分が今乗っているナイト・クラブの元へと促す。
「【送還】。よし、とりあえず戻るぞアシュリー。こいつに捕まれ」
「はいはい。お疲れ、マナヤ。あっ、ついでにこいつも持って帰ろうかしら」
すると彼女はふと思いついたように、背後に残っていた舟を掴み、泳いでそれを引っ張ってきた。
「……アシュリー」
「ん? なに、マナヤ」
「……助かったよ。その、ありがとな。借りができちまった」
気まずさから顔を背けながらも、小さく礼を言うマナヤ。髪を濡らしたアシュリーが、クスッと笑い声を漏らす声がかすかに届いた。
「借りを返すなら……あたしと、普通に接して」
「……は?」
「そんな驚いた顔しないでよ。昨晩、夕食の時には普通に接してくれてたじゃない」
思わず振り向くと、そう言ってアシュリーが寂しげに微笑んでくる。
「き、昨日はそりゃ、コリィの家族の前だったから――」
「夕飯が終わったら、急に余所余所しくなっちゃったんだもの。……あんたと顔を合わせる度にギクシャクするのは、やっぱり嫌なのよ」
ズキリ、とマナヤの心が痛んだ。アシュリーはなおも続ける。
「あたしはあんたに消えて欲しくない。でも……この世界が、嫌になったんなら。あんたが消えたいって言うんだったら、もう無理には止めない」
「……」
「だから、だったらせめて……」
一旦言葉を切り、訴えかけるような目でマナヤを見つめてきた。髪が濡れそぼっていることも手伝って、どこか艶めかしい。
「残ってるあんたの時間、あたしに頂戴。今まで通りの接し方で、いいから」
――ちくしょう。お前は、どうしていつもそんなに……
自分の今の顔を見られるのが嫌で、顔を背ける。
……それでも、アシュリーにちゃんと見えるように、深く頷いた。
***
「マナヤさん、アシュリーさん! 良かった……!」
岸に戻った二人を真っ先に迎えたのは、心配顔のシャラだった。マナヤもアシュリーもピンピンしている様子をみて、安堵のため息をついている。
「待たせたわね、シャラ。あ、コレありがとね、助かったわ」
と、自分のサイドテールを絞っていたアシュリーが、手首にはまった『人魚の宝冠』を外してシャラに手渡す。
「さてっと……マナヤ!」
「あ?」
乗ってきたナイト・クラブを送還したマナヤに、アシュリーが改めて声をかけてくる。彼女の方を振り向くと、ニッと笑顔を見せ、手のひらを掲げていた。
「……へっ」
自嘲するように笑いを零したマナヤが、彼女の元へと近寄る。そして――
――パンッ
いつも通りのハイタッチ。二人して笑みをこぼす。
いつの間にか仲直りしたような二人の顔を、シャラが不思議そうに交互に見比べていた。
「無事に終わったようなだ、マナヤ」
「マナヤさん、お疲れさまでした」
「ディロンさんとテナイアさんもお疲れ様です。助かりましたよ、すんなりモンスターに乗ってくださって」
ディロンとテナイアもこちらへと歩き寄り、労ってくる。アロマ村長代理含め村人達の視線を一斉に浴びながら、マナヤは苦笑しつつ二人に礼を言った。
と、背後から何かをはたくような音と金属のこすれ合う音が聞こえて振り向く。
見れば、アシュリーが灰色のジャケットを脱ぎ、叩いて水分を切っている。金属音は、防刃性のためにそのジャケットに貼り付けられた無数の金属板によるものであったようだ。
「ア、アシュリー、お前早く着替えてこいよ。ずぶ濡れじゃねーか」
「はいはい。あんたも着替えた方がいいんじゃないの?」
「俺はお前ほど濡れちゃいねーよ」
肩が露わになった赤タンクトップ姿に思わず赤面してしまいそうになりながら告げるマナヤに、アシュリーもカラカラと笑いながら返していた。
マナヤもナイト・クラブの上から多少海の波を受けたが、服の一部が濡れていた程度だ。着替える程ではない。
「――マナヤ教官!」
と、そこへ団体が一気にマナヤへと駆け寄ってきた。緑ローブの一団。先頭で声を張り上げているのは、コリィ。見物していた召喚師候補生達だ。
「マナヤ教官、なんて無茶を!」
「モンスターに乗るなんて無茶苦茶ですよ!」
「なんであんな戦い方できるんですか!?」
「お、おう……」
と、マナヤに群がってきた召喚師候補生達が、驚いているような興奮しているような不思議なテンションで質問攻めにしてくる。
「マナヤ君、気が気ではありませんでしたよ」
そんな生徒達の後方から、モール教官も安堵したような表情でマナヤに声をかけてきた。
「すいませんね。でも、召喚師だってやりゃあ出来るってとこ、見せなきゃいけないでしょう」
と、モール教官にサムズアップしてみせる。
そんな彼の様子を見てため息を吐いたモール教官は、ふっと初めて憂いのない笑顔を見せた。
「確かに、召喚師の希望を見た気がします。……お見それしました」
と、胸に手を当てて一礼してきた。
「……うし、じゃあお前ら! これから特別授業だ! 集会所に集まれ!」
まだまだ興奮冷めやまぬ生徒達に向かってパンと手を叩き、マナヤは彼らを集会所へと誘導した。
せっかくの機会、ここで生徒達の意識もちゃんと塗り替えてやらねばならない。召喚師は、人を救うために十分に活躍できるのだと。
暫定的にもアシュリーと仲直りできて、マナヤもなんだかんだ爽快な気分になっていた。




