103話 海からの襲撃
翌朝。
テオは開拓村の畑にて、エタリアの茎を束ねる仕事を手伝っていた。
(まだここは、畑もあんまり強くなってないみたいだなぁ)
と、この村の畑と牧場を見やる。故郷のセメイト村にあった畑の、四分の一程度の面積しかない。
この開拓村は白い砂の表土が多く、これは水はけが良すぎて畑には向かない。畑として使えそうな茶色い土はこの辺りにしか無いようだ。その上、収穫量もあまり多くないらしい。畑面積はセメイト村の四分の一なのに、収穫量は四分の一には届かない。
(エタリアは貴重だし、野菜もそんなには採れない。牧場も規模が小さい)
牧場に飼われているのは、セメイト村にもいた『ギル』という小動物だ。もっとも、セメイト村には乳牛もいたのだが、この開拓村にはいない。
当のギルも牧草不足であまり繁殖していないようだ。その上、この辺りの森は野生動物も少ないのだという。
(食べ物を賄うために、どうしても漁が必要なんだね)
テオが視線を移した先は、海岸である。
この村の東半分は防壁が無く、そこから海辺が覗いている。昨日来た時にはよく見えなかったのだが、海へ向かってV字に砂浜が突き出ていた。おそらく、あそこが岬の先端なのだろう。
そしてその砂浜には、一定の距離を空けて岩の見張り塔のようなものがいくつか建っている。そこに弓術士が一人ずつ配備され、海からのモンスターを警戒しているらしい。
(さっき漁に出ていった人達、無事だといいけど)
今朝起きてコリィの家から外に出た時、ちょうど砂浜の方で小舟に乗った村人達が漁に出かけていくのを見た。
海からモンスターの襲撃が多いと聞くこの村では、漁もなかなか命懸けだ。森へと狩猟を兼ねて向かう『間引き』と違って、舟の上では逃げ場がなく極端に戦いにくい。
テオは集めたエタリアの茎を、畑の柵近くにいるシャラの元へと持ち運んだ。
「はいシャラ、次の束だよ」
「ありがとう、テオ。シリルさん、こちらの束をお願いできますか」
「了解です。いやはや、あなたが手伝って下さって助かりますよ。ええと、シャラさんでしたか」
「いえ、こちらこそ。村全体をお一人でまかなうのは大変でしょう?」
シャラがその茎の束を錬金術で製糸し、同じく錬金術師である駐在中の騎士に礼を言われている。
エタリアというのは、テオらが日常的に食している穀物だ。穂の先端にできる種子のような実を集め、それを炊いて食べるのが一般的である。
そして実を外した後の茎は、こうやって錬金術師が製糸するための材料になる。完成した糸は網や衣服などの材料として使われる。
本来は茎を水に数日さらし、そのあと繊維を丹念に剥がす等の工程を手作業でやらねばならない。しかし錬金術師ならば一瞬だ。だからこそ錬金術師は、こういう自給自足の村では必須の人材。
「すみません! オレの靴の修理、お願いできませんか!」
「こっちもお願いします! うちの窓ガラス、割れちゃってて……」
「あ、はーい! 糸が終わってからすぐに向かいますねー!」
と、作業しているシャラと錬金術師の騎士に村人達が呼び掛けてくる。シャラがそちらへ向かって返事をしながら、製糸作業を速めた。
損傷した革製品やガラス、金属製の小道具などの修理も錬金術師の仕事だ。千切れたりすり減った革や金属なども、錬金術師にかかれば新品同様に修復することができる。その他にも、魔道具や錬金装飾の調整やマナ充填などの仕事。本当に、錬金術師は多忙を極める。
(……?)
ふと、テオはシャラの顔色に違和感を覚える。いつも通りのシャラのように見えるが、表情がどこかぎこちない。
「シャラ、どうかした?」
「え? どうかって、何が?」
しかし彼女に訊ねてみると、きょとんとした顔を向けてくる。
「いや、その、体調は大丈夫だよね? シャラ」
「……? うん、私は大丈夫だよ?」
首を傾げながらテオを見つめ返してくるシャラ。どうやら、本当にシャラ自身には心当たりがないらしい。声の調子もいつも通りの彼女そのものだ。
けれど、それならばこの違和感は何なのか。
――ドウッ
「えっ!?」
突然、海辺の方から黄緑色の光の柱が立ち上った。援護を求める救難信号である。
「テオ!」
慌ててシャラがテオの方を見上げる。隣の錬金術師の騎士も険しい顔になり立ち上がった。
村の中が一気に慌ただしくなった。弓術士らしい者達がすぐさま背負った弓を手に取り、浜辺へと駆けていく。ちらほらと見える、実習に来た召喚師候補生達も不安げにそんな様子を見つめていた。
「行こう!」
シャラがテオへと駆け寄ってきてそう言ってくる。真剣な表情をしている彼女に頷きかけ、すぐさま弓術士達の後を追いかけていくことにした。
……と。
――戦いなら俺に任せろ、テオ!
頭の中で、もう一人の自分の声がする。
(あっ……ま、待って! 僕も、戦――)
と、抵抗虚しくテオの意識は急激に沈んでいった。足が止まり、体がふらつく。
「テオ!?」
それに気づいたシャラが反射的に彼を支えた。すぐに彼はシャラの手をそっと退け、自分の足で立つ。
「悪ぃなシャラ。戦いが終わったらすぐに交替するからよ」
「マ、マナヤさん!」
戸惑う表情を浮かべるシャラにぐっとサムズアップし、先行して浜辺へと駆けていくマナヤ。シャラの気配も背後からついてきていた。気にせずマナヤは前方を見やり、救難信号が立ち上っている位置へと一目散に目指した。
「くそっ、早く倒れろよ!」
「あの位置じゃ、ここからしか矢が届きません!」
「そこの舟ェ! 早くこっちに避難しろォ!」
「黒魔導師! 早くこちらに付与魔法を!」
ちょうどV字に突き出た浜辺の先端辺り、そこに弓術士達が固まっていた。浜辺に打ち寄せる波に触れないようにしながら、そこで先頭の数名が懸命に矢を放ち続けている。
海の方から、黄緑の救難信号が立ち上っていた。その根元に漁の小舟が小さく見えている。爆発音と共に、その舟あたりに爆炎が炸裂した。
「状況は!?」
現場に辿り着いたマナヤは、顔を険しくしてすぐに固まっている弓術士達へと問いかける。その声に振り向いた村の弓術士達が、マナヤの緑ローブを見てぎょっと飛び退いた。
「しょ、召喚師!? なんで、まだ召喚師なんか呼んでないぞ!」
「な、何の用だよ!? 急に後ろから現れんじゃない!」
「いいから! あの舟は一体どうなってる!? 敵は!? 数は!?」
怯える弓術士達の態度を黙殺し、続けて問いかけるマナヤ。後ろから走ってきた騎士隊のアロマ村長代理が、飛び退いた人達をかき分けるように近寄ってくる。
「召喚師の教官の方ですね。ちょっと失礼……状況は?」
「は、はい! 敵は『ボムロータス』一体、そして海中に『クリスタ・ジェル』が潜んでいる様子です!」
「クリスタ・ジェルまで!」
近場の弓術士へと質問したアロマ村長代理が、報告を聞いて唇を噛む。すぐに舟へと目を向け続けて問いかけた。
「それで、ボムロータスまでの距離は?」
「こ、この浜先端からようやく届く程度です! 集中攻撃ができなくて……!」
報告を行う弓術士も、焦れたように目をきつく瞑っていた。
クリスタ・ジェルというのは『冒涜系』の中級モンスターである。いわゆる『電気クラゲ』のような姿の水中専用モンスターであり、水中を自在に泳いで周囲に電撃を撒き散らす。
水に浸かっていると電撃を食らってしまうため、うかつに海に入ることができない。舟越しにも電撃は通ってしまうため、舟を出すわけにもいかない。
おまけに『ボムロータス』も厄介だ。
このモンスターは斬撃には弱いが、再生能力が強い。そのため、攻撃する時は一気呵成に倒しきってしまわねばならない。
が、敵が居るのは浜辺の先端からようやく弓術士の矢がギリギリ届くほどの距離。浜辺の先端に集まれる弓術士の数は限られる。クリスタ・ジェルの電撃があるせいで、海に浸かるわけにもいかない。
「こういう時こそ、召喚師の出番だろ!」
マナヤがすぐさま進み出た。
海の方から見える舟は、既に何度も爆炎を食らっている。隠れる場所が無い乗船員には、同乗している白魔導師の結界くらいしか頼れるものがないだろう。そう長くはもたない。
「な、何を! 余計なことをしないでくれ!」
「あの人達を殺す気!? やめて!」
「も、もうモンスターのせいで人が死ぬのは、嫌ですっ!」
しかしそんなマナヤに向けられたのは、弓術士達からの無遠慮な畏怖の目だ。さすがに顔をしかめるマナヤだが、今は彼らに構っている場合ではない。
「【ゲンブ】召喚、【電撃防御】、【行け】!」
海に向かって手をかざし、リクガメのような中級モンスター『ゲンブ』を召喚。即、電撃への耐性を追加する召喚獣専用補助魔法をかける。青い光の膜がゲンブを取り巻いた。
ゲンブが舟に向かって泳ぎ出す。亀であるゲンブは水陸両用モンスターであり、水面・水中を自在に泳ぐことができる。
――ババババッ
途端、ゲンブ周囲の水に電撃の渦が発生した。水中のクリスタ・ジェルが攻撃を始めたのである。
しかしゲンブは全く意に介さず、そのままトプンと水中へ沈んでいった。ゲンブは先ほどマナヤがかけた電撃防御により電撃耐性が追加されている。クリスタ・ジェルの攻撃は効かない。
「【ナイト・クラブ】召喚、【火炎防御】、【電撃獣与】、【強制誘引】、【行け】!」
続けてマナヤは、巨大な蟹のような中級モンスター『ナイト・クラブ』をも召喚。即座に炎耐性を与え、そのハサミに電撃を纏わせ、さらに強制誘引で敵モンスターに狙われやすくする。
直後マナヤは、懐から眼鏡のようなチャームがついた錬金装飾を取り出し、それを自分の首にかける。
――【伸長の眼鏡】
「【跳躍爆風】二連!」
ちょうどナイト・クラブが水に浸かったタイミングで、マナヤが跳躍爆風をかける。瞬間、破裂音と共に巨カニは前方へと一気に水面を高速で滑っていった。
直後にそれをもう一度かけ、さらにナイト・クラブがさらに沖へと滑っていく。
跳躍爆風は本来、『対象モンスターを前方へ大ジャンプさせる』という効果を持つ魔法である。
しかし、水中専用モンスター、あるいは水に浸かっている水陸両用モンスターにかけた場合は挙動が変わる。弾かれたように水上を一定距離、高速で滑るように移動させるようになるのだ。
これを利用すれば、さながらモーターボートのようにすさまじい速度でモンスターを強制移動させることができる。
(……よし!)
ナイト・クラブはマナヤの計算通り、黄緑の救難信号からやや離れた位置へと配置された。刹那、そのナイト・クラブが爆炎に包まれる。十分に距離を空けていたため、舟はその爆炎に巻き込まれていない。
火炎防御をかけてあるナイト・クラブは、まったくの無傷だ。
「な、何だ!? 舟への攻撃が止まったぞ?」
「というか、ボムロータスが水の中に沈んでいったんだけど!?」
「ど、どういうことだ!? 何があった!?」
弓術士達が戸惑っている様子を見せる。先ほどまで舟を襲い、そして先ほどナイト・クラブにも放たれていた爆炎が、唐突に止まったのだ。
(視点変更!)
マナヤが目を閉じると、海底を這いずっているマナヤのナイト・クラブへと視点が移る。同じく海底へと沈んだボムロータスを、電撃を纏ったハサミで斬り裂いていた。
ボムロータスは、『電撃獣与』のかかったナイト・クラブのハサミを食らったのだ。その電撃獣与に含まれる『感電』の効果を受けて硬直し、水底へと沈んでいってしまった。水没したボムロータスは攻撃能力を失う。以前にコリィにも解説した、ボムロータスへの対処法である。
それを追って自らも沈んだナイト・クラブが、そのまま電撃を纏ったハサミでボムロータスを斬り続けている。硬直して水底に落下したボムロータスは、通常は時間経過で徐々に水面へと浮上していく。が、ナイト・クラブが沈没したボムロータスを『感電』させ続けることで浮上を阻止していた。
(だが、問題は……!)
マナヤがナイト・クラブの視界を通して、その『上方』を確認する。舟の近くで人が一人溺れかけていた。
ボムロータスの攻撃を受けて海に投げ出されてしまったのだろうか。なぜか他の船員が引き揚げようとする様子も見られない。
視点を戻したマナヤが、弓術士達に向かって状況を伝える。
「――まずいぞ! 舟の連中が負傷してるみてぇだ! 一人海に落ちた上に、他の乗員の動きが無ぇ!」
22時頃にもう一話投稿します。




