101話 実習先に到着
「わぁ……この辺りは本当に一面に水平線が見えますね。綺麗……」
大型の牛車に揺られながら、テオの隣に座るシャラが窓の外を眺めながら感嘆する。空けた窓から頭だけ外に出し、風に髪を靡かせながら海に見入っていた。王都から見た、港と岬で遮られた海とはまた違う、より広い水平線が見えていた。キラキラと日の光を反射する海の水面が美しい。
召喚師候補生の実習訓練のため、テオとシャラ、アシュリーは海沿いの街道を牛車で移動している。
この牛車の後方にも、数台同じような牛車が連なって移動している。そちらには召喚師候補生達が乗っている。護衛の騎士隊も馬に騎乗して並走していた。今回はディロンとテナイアも騎馬組だ。自身らの愛馬であるという、毛並みの真っ白な馬に乗っている。
これから向かうトゥーラス地区の十一番開拓村は、王都の東に位置する東都ヴェスナと街道で繋がっている。実習演習は比較的王都に近い村で行われるのが習わしであるためだ。この辺りの街道は海沿いに作られている。馬車の右窓に見えるのは一面の海だが、左側はうっそうとした森が茂っている。
今回は馬ではなく牛に車を牽かせていた。今回行く十一番開拓村は食糧自給率がやや乏しく、物資の配給も兼ねているからだ。実習の場に使わせてもらうお礼品、という名目でもある。そのためテオ達が乗っている馬車も、後方トランク部には荷がどっさりと積み込まれている。
「そういえば、海からのモンスター襲撃の方が厄介だって聞いたんですけど。こんな海沿いに街道作っちゃって良かったんですか?」
テオの正面に座っているアシュリーも海に見入っていたが、ふと気づいたように開いた窓越しにディロンへ訊ねた。彼はテオらの牛車の左隣を馬に乗って並走している。
「海からの襲撃が厄介なのは、モンスターが頻繁に沸く場所に限られる。この辺りは出現率も低いし、たとえ出現したとしても見通しが良いから対処もしやすい」
「障害物がほとんど無い関係上、弓術士が感知するまでもなくモンスターを発見できますからね。視界の通りが悪い森に両脇を挟まれているより、むしろ安心できるのです」
ディロンの説明に、牛車の逆側を同じく馬で並走しているテナイアが補足した。あー、とアシュリーが手をポンと叩きながら納得顔になる。
テオも、知識としては知っていた。海からまともに侵攻してくるモンスターというのは、驚くほど少ない。
大抵は浮遊移動できるモンスター、つまり『ジャックランタン』や『悪魔の蛾』あたりか飛行モンスター、および水陸両用型の『ゲンブ』や『ナイト・クラブ』。そして水地にしか存在できない水地専用モンスターに限られる。
「問題は、海の上で『間引き』をすること自体が難しいってことですね」
テオがかつて自身も学園で学んだことを思い出して言う。
海の上でモンスターと戦うならば、船なり何なりを使うしかない。するとどうしても足場が限られるため、陸上ほど巧くは戦えない。範囲攻撃をしかけてくるモンスターもいるので、船の乗員全員がまとめて攻撃を食らうことにもなる。
そのためあまりモンスターの『間引き』ができず、海上の危険地区はモンスターの襲撃が多いらしい。おそらくこれから行く開拓村もその類のはずだ。
「そうだ。しかも水中に潜るタイプのモンスターは確認もしにくく、届く攻撃の種類も限定される。弓矢などの物理的な飛び道具も届かんし、魔法攻撃も水中の敵にまともに当てられるのは闇撃属性のみとなる」
ディロンが前方に視線を戻しながら説明する。火炎は水中には届かないし、冷気も水面を冷やす程度にとどまる。電撃は海中で拡散してしまい、ロクにダメージが出ない。そのため、黒魔導師もまともに活躍するのは難しい。
「せめて、錬金術師がたくさん居れば良かったんですけど」
隣のシャラがぐっと両拳を握りしめていた。それにディロンが頷く。
「そうだな。錬金装飾『妖精の羽衣』による水面上の浮遊、もしくは『人魚の宝冠』による水中活動。それらを駆使すれば、だいぶ対処も楽になるのだが」
人魚の宝冠は、水中でも息が続くようになり、また高速で泳ぐことも可能となる錬金装飾だ。
もっとも、錬金術師自体が少ないので中々できることではない。製作はもちろん、マナの充填にも錬金術師の手数が要る。
「今回、召喚師の実習訓練に十一番開拓村が選ばれたのもそれが一因です。召喚師の力を使った、水辺での戦術を固めて頂きたいということですね」
テナイアの言葉に一同が気を引き締める。テオは特に緊張していた。
マナヤの教本にも水地における戦い方は解説されていたし、テオも故郷での『討論』で戦い方は研究していた。しかし、実際に水地のある場所で実戦を行うのは初めてだ。
他『クラス』の援護手段なども考案はしていたが、当然ながらまだ確認はできていない。今回、それを試験運用するのもテオとマナヤの役割の一つだ。
牛車に揺られながら、ぎゅっと両手を握りしめた。
***
それから数刻後、空が赤く色づき始めた頃、ようやく十一番開拓村に到着した。
牛車が村の防壁に辿り着いた時は、一見よくある村の防壁と何も変わり映えしなかった。が、ひとたび門をくぐると村の中の解放感が違う。
建築物の形も普通の村と同じ、ドーム状の屋根を持つ石造りの建物だ。ただ開拓村である影響か、家はセメイト村などと比べまばらにしか建っていない。そのため良く言えば広々と、悪く言えば閑散としている印象だ。
村の中央にある畑も、門から丸見えになっている。畑自体があまり広くないようだ。
「うわぁ……本当に、海側は防壁が無いんですね」
テオが開拓村の中を見渡して、まず目についたそこに声を漏らしてしまう。
村の陸地方面を半円状に覆っていた防壁が、海岸線でぴったりと途切れていた。水平線までずっと水面が広がっている海が一望できる。既に夕焼けになりかかっており、海の波に反射している橙色の光が美しい。
セメイト村よりも小さいくらいの面積のはずが、海側の防壁だけぽっかりと空いていることで全く広さの印象が変わってくる。
「土が妙に白いわね?」
と、アシュリーが自身の足元を踏みしめるようにしながら首を傾げていた。
セメイト村の茶色い土と違い、白く乾燥したやや荒い砂が村の中に広がっている。
(砂浜の砂、かな?)
テオは思わず、異世界の”テレビ”で何度か見た砂浜を思い出した。ここから海岸線まではそれなりに距離があるはずだが、ここまで砂浜が届いているのだろうか。
そうこうしているうちに、後続の牛車も続々と入ってきた。門前の広場に停められ、下りてきた召喚師候補生達も物珍し気に村の中を見回している。
(……あれ?)
その内の一人に目が留まった。銀髪の男の子が妙におどおどしている。
彼には見覚えがある。確かこの開拓村が出身だという、『コリィ』という名の生徒だったはず。
(そうか、『召喚師』になって故郷に帰ってきちゃったから……)
家族や友人たちに、自身が召喚師になってしまったことを知られてしまう。それが怖いのかもしれない。かつて、テオもそうだった。
その時、門の近くに建っている馬車小屋から一人の騎士が歩き寄ってきた。黒、銀、赤を基調とした鎧と騎士服を纏い、背に大弓をかついでいる。兜を脱ぎ、黒い短髪が露わになったその女性騎士が胸に右手を当て、一礼してきた。
「ディロン様、テナイア様、お待ちしておりました。村長代理を務めております、アロマと申します」
彼女の一礼に合わせ、馬車小屋の前に残っている三人ほどの騎士達もその場で一礼した。ディロンとテナイアが頷き、自身らの騎馬を騎士達に預ける。
まだ番号しかついていない開拓村は、安定化するまでの間、騎士隊の者が常駐することになっている。その関係で、派遣騎士であるアロマが村長代理を務めているのだろう。騎士が正式な『村長』を名乗ることは、原則としてできない。ゆえに肩書はあくまで『代理』だ。
慌てたような様子で、さらに二人の女性がこちらへと駆け寄ってくる。先に駆け寄ってきたのはふんわりとした白髪の四十代らしき女性。その後ろからストレート茶髪の三十ほどと思しき女性が追ってきた。二人とも騎士隊の者ではなく、一般の村人であるようだ。
その二人は青と白を基調とした服を纏っていた。下にはぴったりとした青一色のレギンスを履いている。上に着ているのは、青を基調として白く太いラインがネクタイのように胴体中央を走ったデザインの簡素な長袖だ。両袖も白だが、袖口あたりだけが青い。さらに何故か肩口の肌が露出する構造になっている。
「よ、ようこそ。ここ十一番開拓村の村長補佐を務めています、カランと申します」
「村長補佐の妹、レズリーです」
白い髪の女性がカラン、茶髪の女性がレズリーと名乗る。どちらも弓と矢筒を背負っている。おそらくは弓術士なのだろう。
二人とも、やけに落ち着きがなくビクビクとしていた。王国直属騎士団に所属しているディロンやテナイアに委縮しているのだろうか。
しかしそのディロン達ではなく、後方からやってきた召喚師課の教官であるモールが前に進み出る。一応召喚師の実習訓練である関係上、彼女が責任者であるためだ。
その瞬間、村長補佐とその妹が反射的にといった様子で一歩退いた。モール教官が羽織っている緑ローブを見て小さく震えている。
「……王国セレスティ学園の召喚師課教官、モール・スパイアラと申します。召喚師課の実習先としての受け入れ、誠に感謝致します」
「い、いえ……」
目に輝きのあまり無いモール教官と、妙に怯えている村長補佐達。互いに妙な雰囲気の挨拶となった。
「こちらが、今年度の召喚師候補生達です。ご紹介を――」
「い、いえ結構です! ご紹介には及びません!」
モール教官が生徒達を紹介しようとすると、彼女らはわかりやすく数歩後ずさりした。それをアロマ村長代理が咎める。
「落ち着いて下さい。仮にも王国からの来客ですよ。……失礼いたしました」
と、後ろで狼狽している村長補佐らに代わって謝罪してきた。
(違う、ディロンさん達に萎縮してるんじゃない。この人達は『召喚師』が怖いんだ)
そんな後方二人の表情にテオはピンときた。二人の怯えは、『召喚師』に向かっている。テオも多少覚えがあるその表情は、召喚師とモンスターを同列に見ている者がするそれだ。
しかも、故郷のセメイト村と比べても二人の怯えようは尋常ではない。逆に、かつてのスレシス村のように『見下す』様子は見られないのが救いか。
「とにかく候補生達が泊まる場所までご案内します。あまり広い施設ではありませんが、ご容赦下さい」
「ええ、十分ですよ」
村長代理の言葉に、モール教官が恐縮するように右手を胸に当てて一礼。
「恐縮です。レズリー、案内を」
アロマに名指しされた茶髪の副村長が、ビクビクとしながら無言で先導しようとする。モール教官は生徒達へと振り返り、精一杯の笑顔を作ってみせた。
「さあ皆さん、参りましょう。……村人の方々を怯えさせないよう、距離を取ってついてきてください」
そう言って歩き出すモール教官に、生徒達もややおどおどとしながら顔を見合わせる。そしてゆっくりと教官の後をついていった。テオらもその中に混じって移動を始める。
「……みんな、やっぱり召喚師に怯えてるのかな」
隣を歩くシャラがこそっと小声でテオに囁いてくる。彼女の表情は、どこか痛ましげだ。
小さく頷いて応じたテオは、そっと周囲を見回した。
時折近くを通りかかる村人達は、緑ローブを着た召喚師候補生一行を見るとギョッとした表情を見せ、慌ててそさくさと離れていってしまう。スレシス村のように小馬鹿にされるよりはマシだが、こうもあからさまに避けられるのも辛いものだ。
実際に生徒達は、そんな村人達の態度に表情が沈み始めていた。こうやって自分達が村人から避けられる召喚師になってしまったことに、悪い意味で実感が湧いてきてしまったのだろう。徐々にこそこそと音を立てないように歩くようになり、何人かはローブのフードを深く被り出す。
テオの心がズキズキと痛み始めた時。
――ったく、見てらんねえな。
突然、心の中で声が聞こえた。ふらりとテオの体が突然揺らぐ。
すぐに気付いたシャラが、驚いて彼の方へと振り返った。一瞬遅れてアシュリーも彼へと顔を向ける。
「――ホラお前ら! もっとしゃきっとしろ! 召喚師である自分達に誇りを持て!」
出てきたマナヤが、パンパンと両手を叩きながら生徒達に喝を入れる。その大声に生徒達が驚いて、前かがみに歩いていた思わず生徒達が思わず跳び上がりそうな勢いで背を反らした。そして驚愕の表情でマナヤの方へと一斉に振り返る。
周囲の反応もそれと似たようなものだった。顔を引き攣らせて飛び退いたり、その場で腰を抜かしてしまう村人達も見える。生徒達を先導していた村長や村長補佐も驚いてこちらを振り返って見ている。
「ま、マナヤ教官! あ、あんたいきなり何を!」
「た、ただでさえ怯えられてるのに! 村人さん達をもっと怖がらせるような声を出さないでください!」
「せ、せっかくおとなしくしてようと思ってたのに!」
数瞬後、慌てたように生徒達が口々にマナヤを責め立てる。だが彼の表情はあくまでも涼しい。
「知ったことかよ。俺は教えたはずだぜ? 召喚師であることを恥じるな。陰湿な『クラス』だと思われたら終わりだぞってな」
「だ、だって……」
戸惑うような表情や、胡散臭げな表情がマナヤに集中する。
「”だって”じゃねえよ。その召喚師の印象を一気に塗り替えるのが、俺達の役目だ。それともお前らは、人間らしい生活ができなくなってもいいのか? 一生コソコソと暮らす生活に耐えられるか?」
「……」
「召喚師に選ばれた時、それが一番嫌だったんだろ? なら、立ち向かってみせろ。ジメジメしてる暇があったら、あがけ!」
マナヤの叱咤激励に、顔を見合わせる生徒達。直後、前方からモール教官の声もかかった。
「マナヤさんは、召喚師を変えようとしてくださっています。今は、彼の言葉を信じてみましょう」
と、生徒達を見渡してかすかにほほ笑んだ。その後、すぐに前に向き直って「お騒がせして申し訳ありません、さあ、移動を」と驚いて硬直していた村長達を促す。
おずおずと村長達とモール教官が再び歩き出す中、生徒達もそれに続き始めた。先ほどよりは背筋を伸ばすようになり、俯かずに前を見ている。
「……ま、及第点としておくか」
小声で苦笑しながら、自らも再び歩き出すマナヤ。と、その背後から――
「『人間らしい生活ができなくなってもいいのか? 一生コソコソと暮らす生活に耐えられるか?』」
マナヤの耳元近くで囁くように、先ほどの彼の言葉を復唱してくるアシュリー。思わずマナヤが振り向き、顔の近さに反射的に身を引いた。アシュリーの表情は至って真剣だ。
「な、お、おまっ……!」
「おまけに、『ジメジメしてる暇があったら、あがけ』? あんた、そのセリフ自分に刺さらない?」
図星を突かれたマナヤが言葉に詰まる。アシュリーは表情を隠すように顔を背け、彼をさっさと追い越し先に歩いていってしまった。
クス、とシャラが小さく笑う声。
「……一本取られましたね、マナヤさん」
「っ、お、お前まで」
「召喚師の教官らしく、ちゃんとみんなに規範を示してくださいね?」
と、珍しくいたずらっ子のような表情を見せてからシャラが前に向き直った。
(くそ)
誤魔化すようにシャラから顔を背ける。その時、ちょうどコリィに目が留まった。
(……なんだ? あいつ、なんであそこまで……)
マナヤが訝しんだのは、コリィの怯えようだ。先ほどのマナヤの叱咤を受けてなお、コリィは猫背のままブルブルと震えながら歩いている。顔面が蒼白になっているのがわかった。
そっと、彼の傍らへと移動する。
「おい、コリィ」
「っ! ま、マナヤ、教官」
「どうした? せっかく故郷に帰ってきたのに、嬉しくねーのか?」
彼の隣を並んで歩きながら声をかけた。
マナヤの知る限り、コリィは故郷の食べ物を懐かしんでいたはず。久々に故郷の料理を食べることができるのだから、もっと嬉しそうな顔をしていてもおかしくないのではないか。
血の気が引いた唇で、おずおずとコリィが口を開く。
「……だって、もし」
「もし?」
「もしボクが、『召喚師』になっちゃったって、知られ、たら――」
彼がそこまで言いかけた時。
突然側面から、震えるような女性の声が届いてきた。
「――コ、コリィ?」
ビクッとわかりやすくコリィが大きく震えた。
マナヤが声のした方向へと振り向くと、そこには夫婦と思しき黒髪の男女がコリィの方を見ていた。そのやや後ろには、テオと同年代ほどの黒髪の少年も戸惑ったような表情でこちらを見てきている。
先ほどの声の主は、妻の方であろう恰幅の良い女性。彼女はまっすぐとコリィへと視線を向け、口元を手で抑えていた。やや痩せ型の夫らしき男性も驚愕に目を見開いている。
恐る恐るといった様子で、顔を伏せていたコリィがゆっくりとその三人へと目を向け……そして、震え声でポツリと呟いた。
「……お、お父さん、お母さん……デレック兄ちゃん」




