解決編《後編》
*
七星は、水咲に対してかなり動揺していた。
彼女は私を疑っている。今思い出すと、もしかして彼女は、最初から私が犯人だとわかっていて近付いてきたんじゃ。さっきあいつ、ふらっとなって倒れたけど、あれってわざとやったのかもしれない。事件の話をする為に、わざと倒れる芝居をして見せたんじゃないだろうか。そういえば、わざとらしかった感がある。
「それじゃ、リハーサル行きます。よーい、スタート!」
アシスタントディレクターの声でリハーサルが始まった。
七星は岩淵の目の前に立ちはだかり、腰に手を当てて偉そうに言い放った。
「どう? これは立派な証拠だけど」
岩淵はがっくりと肩を落とす。
七星は腕を組んで、依然偉そうに振る舞いながら続ける。
「だめだね。やるならもっとうまくやんなきゃ。でもね……」
次の瞬間、七星は複雑な気持ちになった。現実では、水咲に対する加害者であるのに、ドラマの中では加害者を暴く探偵役をやっているのだ。しかも、その先のセリフが「彼を恨んでたからって、そんなことしちゃいけないよ」であるのだ。それは、何とも屈辱的なことだった。
だから、そのセリフが言えなかった。
「カット。どうした?」
監督は不思議な顔をして尋ねた。遠くにいた中津も心配そうだった。
「ごめんなさい。もう本番お願いします。本番になればうまくいけますから」
「わかった。それじゃ、本番行こう」
スタッフは掛け声を掛け合い、それぞれの持ち場に着く。
七星は指定の椅子に座る。台本では、セリフを言いながら立ち上がり、テーブルに座って犯人に証拠を突き付けるとなっている。
七星はもう一度頭の中でセリフを確認した。そして心を落ち着かせる。と、七星の視界に水咲の姿が入り込んできた。彼女は、近くにいたスタッフが眺めていた台本を横から覗き込んでいた。そして、台本を見ながらにこりと笑うと、今度はこっちをじっと見て、芝居の様子を見守っていた。それはまるで、犯人はあなたなんでしょ? と言っているかのようだ。
「シーン46。テイクファイブ。よーい、スタート!」
「ここには注目すべき点が3つあんの。お腹を刺されたってゆうことは、被害者は犯人と向き合っていたんだと思うんだよね。つまり、犯人と被害者は顔見知り……」
静まり返った現場は、七星の苛立った声で元に戻った。
「もう一度お願いします」
カメラは停止され、監督は呆れ顔でモニターから目を離した。
「どうしたんだよ。5回もNGだよ」
「ごめんなさい、ちょっと休憩下さい」
七星は足早にカメラフレーズから外れた。
「どうしたの? 沙夜らしくないじゃん。いつも一発オッケーなのに」
中津がすぐにやって来て、七星の髪に櫛を入れる。
しかし、七星は冷静を装うのがもう耐えられなかった。
「あの人が悪いのよ!」
七星は中津を振り払って水咲へとツカツカ歩み寄った。
「どうしてくれるんですか? こんなにNGが連発になるのも、全部あなたのせいなんですよ!」
またもや現場は静まり返った。
「あの人は誰?」
監督は不思議そうに中津にそう聞いた。
「水咲さんです。ほら、去年のミスコンで優勝した」
「ああ、あの人か。ほんとだ、そういえばそうだ。さっきからあそこにいるから誰かと思ったよ」
「さっきからいたの知ってたんですか?」
「そりゃそうだよ。男ならみんな、何気なく視界に入れてチェックしてるよ。特に俺は、ああいう格好してる女の人が好きだからね」
中津は軽蔑の眼差しで監督を見つめていた。
「ここから出てって下さい!」
七星は静かな学食で1人叫んでいた。スタッフもエキストラも学食職員も、遠くからそれを見つめている。
静まり返った学食は、今度は水咲の声だけがした。
「どうも思い通りいかないみたいね。『彼を恨んでたからって、そんなことしちゃいけないよ』か。その通りだね。でも実際のところ、どうしてわたしは恨まれているのかわかりません。ミスコンで優勝したからっていうのは推測です。けど、これだけは言えます。わたしを階段から蹴飛ばしたのは、あなたです。ほんとに痛かったんだよね。しばらく頭がフラフラしてたもん」
すると、水咲の後ろにいた佐々木原が強く意見した。
「ううん、推測じゃないよ。絶対そうだって。華奈がミスコンで優勝したからだよ。この人、華奈の美貌を妬んでんだよ」
佐々木原の言っていることが当たっているだけに『美貌を妬んでいる』という表現に腹が立った。
「ちょっと待ちなさい。絶対だなんて言葉、そう滅多に使うものじゃありませんわ」
しかし、佐々木原は懲りずにまだ続けた。
「七星さんもかわいそうな人だね。私が華奈のことミスコンに応募したばっかりに、こんなことしちゃうなんて。こういうことするってことは、華奈の方が美人だって認めたことになるんですよ」
このガキはまだ減らず口を叩くのか。
だから七星は再び叫んだ。
「わたくし、探偵役やってるからわかりますけど、わたくしが犯人だとおっしゃるなら、しょ……」
そう言うや否や、水咲はすぐに口走った。
「証拠? ちゃんとあるよ。実は彼女が見つけてくれたんだけどね。それじゃ、お願いね」
証拠がある? どこにあるの? 証拠を残してしまうようなミスはしてないと思うけど。
水咲は一歩下がり、佐々木原が一歩前に出た。
「七星さんは知ってますか? 前に、この大学で飛び降り自殺をした人がいたっていう事件。あと、図書館で放火事件があったっていうの」
どれも聞いたことがある。大学の掲示板で知った。
「存じております。それが何か?」
「実はその事件を解決したの、この華奈なんですよ。知らなかったでしょ?」
スタッフの中からざわめきが起こった。
七星は鼻で笑った。そんなことが信じられるはずがない。
「本当ですよ。華奈は大学の事務員と顔見知りなんですから」
すると、今まで話を聞いていた中津が言った。
「沙夜。多分、それ本当だよ。私聞いたことある。あの事件は、ミステリー研究会だったか何かの部長が解決させたって」
「あっ、名探偵研究会です」
佐々木原は訂正した。
「それが何だとおっしゃりたいんです?」
「実はこの大学で、その2つの事件以外にも表沙汰になっていない事件が結構あったんです。それほとんど華奈が解決させたんですけどね。んで、ここで私、面白いことに気付いたんです。面白い共通点」
そこから先、七星は全く予想できなかった。まさか、そんなへんてこなことを言うとは思わなかったからだ。
「華奈が扱った事件の犯人て、みんな変わった名前してるんです。私が一番印象に残っているのが……」
佐々木原は周りにいるスタッフには聞こえないように小さな声で囁いた。
「……シメノさん。〆切の『〆』に、野原の『野』です。変わってるでしょ? それからイチリキさん。漢数字の『一』に『力』。あと、古谷敷っていう人もいました。それからこれは華奈から聞いたんですけど、土に生きるに田んぼの田って書いて、ハブタっていう人もいたそうです。これ、内緒ですよ。この人達に、何やったんだって、聞きに行かないで下さいね」
「何ですか? ということはもしかして……」
「そうです。七星さん。七星さんも、変わった名前してますよね? 『七星沙夜』結構変わってますね。ってことは、犯人ですね」
そう言われて、腹が立たない人などいないだろう。なんていい加減な証拠なんだ。
七星は我慢の限界だった。
「ふざけんなよ! 何が変わった名前だよ! 変わった名前だから犯人? なら、佐々木原ののかっていうのは何だよ! お前だって変わってんじゃねぇか。ってことは、お前も犯人てことだよ! チョームカツク、この女!」
スタッフはみんな、目を丸くさせて驚いていた。何しろ、あの言葉の丁寧な七星が、芝居でもないのにあんなにも汚い言葉を発したのだから。
七星は叫んだ後、ふと我に返った。いつかはこうなるんじゃないかとは思っていたが、まさかこんな大勢の前で聞かれてしまうとは。だが、今はそんなことはどうでもよかった。それより、こいつのこの理不尽な説明は何だろうか。そんなことでそれが証拠になるわけがないではないか。
「どうなの? 何かおっしゃって下さい」
だが、佐々木原は黙っていた。後ろで微笑んでいた水咲は、一歩前に出てきて嬉しそうに言った。
「ののちゃん、ありがとう。大成功だね」
「私、ちゃんと聞いたから」
「わたしも聞いたよ。しっかりとね」
七星には、この2人の会話が理解できなかった。
「な、何を聞いたんですか?」
「犯行を認めたよね、今」
「…………」
「七星さん、どうして彼女の名前を知ってるの? 今言ったよね? 佐々木原ののかは変わってる名前だって」
七星はわけがわからず、理にかなった説明をした。
「だって、佐々木原さん自身がそう自己紹介したじゃありませんか」
水咲は笑顔で首を振る。
「ほら、思い出して。ののちゃんは自己紹介で、名前は言ってなかったんだよ。名字しか言わなかったの。なのに、どうして七星さんはののちゃんの名前を知ってるの?」
七星はそこでようやく、水咲が何をしようとしたのか気が付いた。水咲はその為に、ずっとくっついてきたのだ。
「罠を仕掛けられたんですね?」
「はい。どうやって名前を言わせようかって考えたんだけど、七星さん、なんでもすぐ噛みついて来るから、ののちゃんが理不尽なこと言えば、すぐ噛みついて来るって思ったの。うまくいったね」
水咲は既に事件解決と思っているようだが、七星はそこで機転をきかせた。
「わたくしは、あなたが佐々木原さんのことを『ののちゃん』と呼んでいたから、そこから推測してそう言ったんです」
しかし、その機転は何の役割も果たさなかった。
「それは有り得ないよ。わたしは、あなたがののちゃんのことをフルネームで呼ぶまで、絶対ののちゃんて言わなかったんだから」
七星は水咲から目を逸らした。
「ののちゃんが自己紹介したら、七星さんこう言ったよね? 『佐々木原? 佐々木じゃないんだ』って。名字は知らなかったのに、どうして下の名前は知ってたの? いつ知ったのかな?」
「…………」
「考えられるのはただ1つ。わたしを突き飛ばす直前だよね? わたしそのとき、ののちゃんと電話してたの。そしたらののちゃん、電話切る間際にわたしの嫌がる言葉を言ったんです。それでわたしふざけて『こらっ、ののか! あとで覚えてなよ』って」
七星は近くの椅子に座った。
「これはたまたまだったんだけど、今までの大学生活の中で、わたしが彼女のことを『ののか』って呼び捨てにしたのは、こんときが初めてだったのよ。ということは、あなたは突き飛ばす直前、わたしの後ろにいたってことになります」
水咲は後ろ手を組んで話を続けた。
「わたし、蹴られた後こう思ったの。多分、蹴られる直前の会話を犯人は聞いてたんだろうなって。今日お昼休みに七星さんの所に行ったときに、ののちゃん、一緒に駅前のパスタ屋に行かないかって七星さんを誘ったよね? どうして誘ったのかわかる?」
七星は静かに首を傾げた。
「わたしが突き飛ばされる直前、電話でののちゃんと、今日は駅前のパスタ屋に行こうって約束したんだけど、七星さん、その会話聞いてたんじゃない? だから、ののちゃんがお昼を誘ったときにこう思ったと思う。『さっき水咲が電話してた相手はこの佐々木原だったんだ』って。つまり、ののかはこの佐々木原のことだって。そうリンクづけさせる為にお昼を誘ったの。七星さんがその誘いに乗ってくるなんて、最初から思ってなかったよ」
「どうしてわたくしだと思ったんですか? 真っ先にわたくしの所へいらっしゃいましたよね?」
水咲も七星の向かいの席に座った。佐々木原は水咲の隣りに座る。
「この前トイレで会ったよね? その出会いがあったから、七星さんだと思ったんだよ」
「どういうことですか?」
「あのとき、わたし七星さんのハンカチ拾ったよね? それで、あれ? って思ったの。だって、ハンカチ全然濡れてなかったんだもん。だから最初は、お化粧直しでトイレにいたのかなぁって思ってたんだけど、ハンカチ渡すときによく見たら、七星さんはお化粧してなかった。それでその後、わたし達部室に戻ったら……。そんときに何となく読めたんだよ。七星さんはあのときは、事を起こした直後で、トイレに逃げ込んでたんだって」
なるほど。既にあのときから怪しまれていたとは、予想もしてなかった。
「そして、わたしは突き飛ばされた。突き飛ばされたときは自信なかったんだけど、七星さんに会ったら確信持てたの。七星さん、ハイヒール履いてたからね」
「ということは、心理学のノートを見せてというのは、わたくしに近付くための口実?」
「そうだよ。わたし達、授業をサボったりなんてしないからね」
「ということは、さっき教室で倒れたのも……」
水咲と佐々木原は見つめ合って笑っていた。
「でも、羨ましいなぁ。だって七星さん、お化粧しないで表に出れるんだもんね。それはすごいことだよ」
今更誉められても嬉しくない。それにしても、犯行が明かされたのに、水咲は被害に遭ったことについて何1つ言ってこないところが、いい意味で腹が立った。
この大学のミスコンの審査員は、人間を見抜いているように思えた。ミスキャンパスになるには、外見だけでなく内面も美しくなければならないのだろうか。そんな思いすらしてしまう程、水咲という人間が美しく見えた。
「それで七星さん……」
佐々木原は笑顔で呟く。
「……何か、言い忘れてませんか?」
佐々木原の「何か」は、言われた瞬間に理解できた。
「も、申し訳ございません」
七星は水咲と目を合わせず、小さな声で言う。
「えっ? なに? なんか言った?」
当然のことながら伝わらなかったので、今度はもう少し声を張り上げて言った。
「申し訳ございません」
すると、水咲と佐々木原は見つめ合って言い合った。
「なーんか、堅いよね。政治家みたいだもん。ほんとに誠意があるのかなって思っちゃうよね。ああ、まだ腕が痛い」
「ごめん」
七星の声は小さくなった。
「七星さんが演じてる姿、堂々と胸を張っていて、かっこいいのになぁ」
水咲は腕を揉みながらそう言った。
「ごめんなさい」
依然、七星は目は合わせなかったが、今度こそ心を込めてはっきりと言った。
「もうあんなことしちゃダメだよ。そんなことしなくたって、七星さんは十分綺麗なんだから」
あんな目に遭ったのにこれだけで許してしまうとは、心が広いにも程がある。
「携帯、壊れたんですよね? わたくしが弁償します」
だが、水咲は笑顔で首を振ると、とんでもないことを言い出した。
「ううん、いいよ。弁償しなくていいから、その代わり、映画に出演させてよ。エキストラでいいから」
「それは、監督に聞いてみないと……」
「それじゃ、水咲さんと佐々木原さんは、このトレーを持ってここから歩き出して、向こうのあのテーブルへ座って下さい。座ったら2分間は席から離れないで下さい」
監督は身振り手振りで歩く順路を説明した。
「服装はこれでいいんですか?」
佐々木原はすっかり女優気分になっていた。
「それで結構です」
「どんなセリフを言えばいいんですか?」
「いや、セリフはないです。このシーンは、犯人と探偵が去っていくシーンなので、エンディングテーマが流れるので音は入りません。適当なことしゃべっていて結構です」
「なぁーんだ、つまんない」
水咲は笑顔で佐々木原の肩を叩いた。
「いいじゃん、いいじゃん。映画に出演できるだけでもよかったんだから。わたしも、こういうときに限って網タイなんだけどね」
「網タイかどうかなんて、そんなところまで映らないよ。それより華奈なんて、ミニスカだから目立つと思うよ」
「うそー、ほんとに? じゃ、もっと短くしちゃおうかな?」
「おいおい、そんなに目立ちたいのかよ。じゃ、もう、ティーバックも見せちゃえ」
「それではお願いします」
そして、現場は独特な緊張感に包まれた。監督はモニターをにらみつけ、カメラマンはカメラを覗き込み、照明は七星を照らし出し、七星は芝居のテンションを上げていった。
「それでは本番行きまーす!」
水咲と佐々木原は、トレーを持って楽しそうにその緊張感を楽しんでいた。
「よーい! スタート!」
七星は、犯人役の岩淵の手を引っ張ってセリフを言った。
「じゃ、行こっか?」
そのセリフの後、水咲と佐々木原が学食の通路を歩き出す。そして、2人は指定のテーブルに座った。
七星は岩淵と共に学食の外へと出ていった。
「だけど、あの罠は大成功だったね。なかなかののちゃんも上手じゃないの。映画製作サークルに入れば?」
「華奈の方こそ入れば? でも、七星さんが許さないと思うけどね」
水咲はくすりと笑って缶のジャスミンティーをすすった。
「でも、今回の事件は、ののちゃんで始まってののちゃんで終わったね」
水咲はテーブルの上で腕を組んで佐々木原を見つめた。
「私で終わったっていうのはわかるけど、私で始まったって、どういうこと?」
「犯人はののちゃんだったのね? ミスコンにわたしのこと勝手に応募したのは」
水咲は実に嬉しそうに佐々木原を見つめていた。
その瞬間、佐々木原はハッとなると、水咲から目を逸らした。
「ヤッバ」
「ののちゃん、あとでお尻出しましょうね」
水咲は小さな声で言うと、もう一度ジャスミンティーを飲んだ。
「はい! カット!」
いつもより長く感じられた2分間が過ぎると、佐々木原は一目散に逃げ出していた。
「こら、待て!」
2人が飛び出していなくなった現場は、拍手と笑顔で和んでいた。
第11話 美しき被害者【完】




