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美学生 水咲華奈子Ⅺ -美しき被害者-  作者: 茶山圭祐
第11話 美しき被害者
3/5

解決編《前編》

        4


 七星は3時限目の授業を受けていた。だが、受けていたというのは形だけで、今は机の上に広げた台本を読んでいた。この授業が終わったら、早速撮影に入るのだ。

 監督からの要請で、昨日撮った学食でのシーンをもう一度撮る羽目になってしまった。こんなことになるなら、最初からオッケーなんて出すんじゃない。監督1人の為にこっちが振り回されるなんて堪ったもんじゃない。こっちは女優なんだから。

 七星はカリカリしながら台本を覚え続けた。

 3時限目が終わると、七星は急いで部室へ戻った。

「七星さん、お疲れ様です。早速お願いします」

 衣装担当の杉元が女探偵の衣装を持ってきた。

「ありがとう」

 七星は部室にある更衣室でそれに着替えた。オレンジのブラウスに真っ黄色のマイクロミニスカート、太ももまである黒のオーバーニーソックスに白の厚底サンダルを履き、いかにもコギャル風の格好である。

「それじゃ、行きまーす」

 七星と他のメンバーは学食へと向かった。

 学食には、カメラ、照明等の撮影器具が整っている。監督兼サークルの部長は既に来ていて、カメラ担当の宇和島とカメラリハーサルをやっていた。

 七星は、学食の椅子に座って辺りを見渡した。映画製作サークル以外の学生が点々と座っている。彼らはエキストラとして協力してくれた者達である。撮影現場の雰囲気は悪くないのだが、何が気に食わないと言ったら監督である。どうもこの部長とは、これからもうまくやっていけそうにないのが悩みの種だった。

 そんなことを考えていると、目の前に網タイツと革のスカートが現れた。水咲と佐々木原のお出ましである。

「七星さん、どうも。ドラマの撮影が始まるんだってね。頑張ってね」

 彼女らの顔を見た途端、テンションが一気に下がってきた。見たくもない奴がやって来た。これから自分主演のドラマを撮影しようってときに、こんな女がいては自分が際立たないじゃないか。

「どうしたんですか? なぜここに?」

 水咲は七星の向かいの椅子に座った。佐々木原もその隣りに座る。

「実は七星さんにお願いがあって来たんです」

 水咲は幾分真剣な表情だったので、何事かと心配になった。

「七星さん、心理学の授業をとってるんだよね? お願いします。先々週のノート、コピーさせてもらえないですか? 実はその日、わたし達2人とも休んでて」

「お願いします」

 佐々木原も頭を下げた。

 七星は心の中で笑った。それを利用して、からかう手はなかった。

「そうなんですか。わたくしはその日はちゃんと出てました。と言っても、わたくしは授業をサボったりすることはしないんですが、よくテストが近くなると、馴れ馴れしく話しかけてくる方がいらっしゃるんですよね。わたくしは面識ないのに。プリントをコピーさせてとか、ノートをコピーさせてとか。ちゃんと授業に出ている者にとっては、これほど腹の立つことはございませんね」

 水咲は申し訳なさそうに言った。

「だめですか?」

 七星はしばらく考えている振りをしてから答えた。

「いいですよ。ただし、交換条件です。ノートをお貸ししますから、わたくしにも1つ教えて下さい。電話ボックスの問題の答え」

「えっ? 何ですか、それ」

 こいつ、わざと知らない振りをしてるんじゃないだろうか。

「ほら、いつかの心理学で先生が問題を出されたじゃないですか。互いに見知らぬ10人の被験者を集めて電話ボックスに何人入れるかを実験して、最初は全員が入れたのに、3時間休憩した後、また同じ実験をしたら今度は全員が入れなかったっていう」

 すると、水咲と佐々木原は同時にその話を思い出した。そして、佐々木原は実に嬉しそうに言った。

「もしかして、その答え知らないんですか?」

「はい。その日は風邪をひいて学校を休んでしまったもので」

「へぇ、知らないんだ。さあ、じゃあ、問題です。どうしてでしょう?」

 ほんとに腹の立つ小娘だ。それが知りたいから聞いてるんじゃないの。

「ヒントは、人間の心理が関わってるんです」

 何を馬鹿なことを言ってるの? そんなの当たり前じゃんか。心理学の授業なんだから。

「さあ、どうでしょう。10、9、8……」

 今度はカウントダウンを始めた。なんで10秒以内に答えなければいけないのか。

 いい加減、頭に来た七星は鋭い口調で言った。

「教える気がないのならノートはお貸ししませんから、そのつもりで」

 すると、急に弱気になった佐々木原はカウントアップしていった。

「ごめんなさい。彼女には後できつく言っときます。その答えはわたしが」

 水咲は網タイツの脚を組むとゆっくりと説明した。

「ポイントは、被験者はお互い見知らぬ同士ってところ。最初は相手のことを知らないから、無理矢理ボックスに入れるんだけど、3時間の休憩中に被験者達は仲良くなっていたの。そしたらそこに仲間意識が生まれて情が出てきて、もう一度同じ実験をしたら、今度は相手を思いやるようになって無理矢理ボックスに入ることをしなくなったってこと。だから全員が入れなくなっちゃった」

 なるほど、と七星が思ったとき、メイク担当の中津がやって来た。

「さっきはどうも。水咲さんでしたよね?」

「あれ? もしかして、メイクですか?」

「そうです。これから彼女が変身しますから、見てて下さい」

「そうなんだ。そういえば七星さんの服がさっきと違うと思ったら、衣装だったんだ」

「なんか今時の子みたいだね。一体どういう役なんですか?」

 七星の代わりに中津が答えた。

「女探偵です。けど、全然探偵に見えないでしょ? 本当は大学生なんですけど、コギャルの格好をやめられない大学生なんです。要は、女子高生が抜け切れてないんだけど、推理力はずば抜けているっていうキャラクターなんです」

 化粧はそれほど濃くなかった。オレンジの口紅をつけ、眉毛を少し描いたくらいで後は何も変わらない。これは、七星の美しい地顔を化粧で隠さない為だ。

「だからそんな派手な格好なんだ。でも、すごい大学生だなぁ。探偵に見えないや」

「そこが狙いなんです。そのギャップが面白いんですよ」

 最後に、十字架のネックレス、指輪、イヤリング、ブレスレット等、アクセサリーを付けて完了となった。

「はい、完成」

 中津は手鏡を七星に持たせた。七星は左右に顔の角度を変えて確認する。

「うわぁ、なんかカッコいいなぁ」

 佐々木原は目を輝かせていた。

「そろそろリハーサルに入るから準備してね」

 中津はそう告げると向こうへ行った。

 七星は立ち上がり、役に入り込む為テンションを上げた。

「いよいよ撮影か。頑張ってね」

 水咲は脚を組んで座っていた。

「あっ、そういえば言いましたっけ? わたしを襲った犯人は、心理学の授業をとっている学生だって」

 七星は一気に血の気が引いていくのを感じた。

 どうしてそんなことがわかるの? 適当なことを言ってるんじゃない? しかも、私は心理学の授業をとっている。これは一体どういうこと? もしかして……。

 七星は堪らず口走った。

「何がおっしゃりたいんですか? もしかして、わたくしが犯人とでも?」

 水咲は組んでいた脚を戻し、手を振って必死に弁解した。

「ううん、違うよ。そんなこと言ってないよ」

「おっしゃってるじゃないですか。わたくしは心理学をとってます。しかもハイヒールを履いてます。確かに、水咲さんが推測される犯人像に当てはまりますが、それだけでわたくしを犯人扱いしないでいただけます?」

 水咲は慌てて立ち上がった。

「ほんとにごめんなさい。別に七星さんを疑ってるわけじゃないの。許して下さい」

「確かに、襲われた時間を考えれば、心理学が終わった後ですよね? だからそう考えるのも仕方ありませんが、それだけじゃ、ちょっと説得力に欠けると思います。第一、どうして犯人は心理学を受けているって思われるんです?」

「そうだよね。じゃ、ちゃんと説明します」

 水咲は再び椅子に座って脚を組む。

 まだ時間が少しあるとわかった七星も、再び椅子に座った。

「今日の心理学の授業、早く終わったよね? その後、襲われたんだけど、あんなに早く授業が終わるなんてこと、どうして犯人は予測できたんだと思う?」

 水咲は実に嬉しそうだ。言いたいことはよくわかった。

「心理学の授業を受けてたから。だからわたしを襲えたんです」

 それを聞いた七星は、水咲を見下した。そんな単純な考えで犯人を捜そうったって、絶対にわかりっこない。ドキッとしたことを言うくせに、その理由は大したことじゃない。

「ちょっと待って下さい。この大学には7千人もいるんですよ。1時限目をとっていない人だっていらっしゃると思います。もしかしたら、心理学の教室の外で、授業が終わるのをじっと待っていたのかもしれませんよ」

 ところが、すぐに水咲は言葉を返してきた。

「ううん、それはないと思うな。だってわたし、今年の時間割の関係で5時限目もとってるの。犯人はそういうことをちゃんと調べてると思うよ。心理学は1時限目。もし人を襲うなら、1時限目と5時限目、どっちを狙うと思う?」

 勿論、5時限目だ。何故なら、5時限目に設けられている科目は少ないから、学内にいる人間が少ないので安心して襲えるからだ。今の質問を全学生にしたら、術中八九全員が5時限目だと答えるだろう。

 だが、七星はそれすら認めたくなかったので反撃した。

「そんなことわからないと思います。もしかしたら犯人は4年生で、もうほとんど単位をとり終わっていて、心理学だけとればよかったから、もう学校に来てなかった。それで、その心理学に偶然、水咲さんがいらっしゃったから計画した、っていう可能性もあると思いますが」

「あっ、そっか。それは思いつかなかったな。やっぱ、だてに女探偵やってないね」

 水咲はにこりと笑う。今度は水咲は何も反論してこなかったので、それが七星にとっては腹が立った。だから、七星は再び立ち上がり、水咲を無視して口の中でセリフの練習をした。

「だけど……」

 水咲は独り言を始めた。だが、その独り言は明らかに七星に聞こえるように言っていた。

「……犯人は当初、階段から突き落とすなんて計画は立ててなかったんだろうね。計画を実行している間に気が変わって、襲う方法を変えたんだろうな」

 七星は再び血の気が引いていくのを感じた。そして、動揺を何とか隠して平静を装った。

「どうして、そんなことまでわかるんですか?」

「わたしを襲ったのは中央階段なんです。あそこは人の流れが激しい。もしかしたら、誰かに見られるかもしれないのに、そんな危険な計画を立てると思う?」

「…………」

「多分、最初の予定では、わたしの後をずうーっとついて来て、わたしの部室のある5号館に行ったら襲おうと思ったんでしょうね。5号館て、あんまり人の出入りが激しくないから。けど、いざ計画を実行しようと思ったら、心理学の授業が早く終わった。しかも、わたしはしばらく教室に残ってました。だから、わたしが教室を出る頃は廊下には誰もいなかった。勿論、階段にも」

「七星さん、スタンバイお願いします」

 スタッフの声がかかった。

 七星は、水咲からゆっくり目線を外して指定された席に座った。その席の正面には、男性犯人役の岩淵が座っている。

 これから七星演じる、ずば抜けた推理力の持ち主の女学生が、犯人であると思われる男子学生に目をつけ、論理的な説明で犯人を追いつめていくというシーンだ。いわゆる、事件解決シーンだ。

「それじゃ、リハーサル行きまーす!」

 カメラマンがレンズを覗き込み、監督はモニターを見つめた。

「よーい、スタート!」


        *


「だってぇ、あたし犯人わかっちゃったんだもん。犯人はあんたでしょ?」

 七星は偉そうに脚をテーブルから突き出して組んでいる。

「ふざけんな。なんでそう言えるんだよ」

「教えてあげよっか? でもね、あたしは警察じゃないから、指紋とかでわかったんじゃないよ。ちゃーんと証拠があるんだよ」

 七星は口紅と手鏡を取って化粧を直す。

「おい、お前。あんまり調子に乗んなよ」

「あんだよ! そっちこそ調子にのんじゃねぇ!」

 そして、七星と岩淵は固まった。

「カット! チェックします!」

 監督の目の前に置かれたモニターに、たった今撮り終えた映像が流れ出した。スタッフ全員がそれを見守る。

「オッケー。一発オッケーだ」

 監督の一言で、凍り付いた現場は一気に解けた。スタッフはホッとして次の準備にとりかかった。

 しかし、七星は1人だけホッとせずにカリカリしていた。

「どうして? この前とどこがどう違うのかしら」

 椅子にどっかり座り込むと、そばにやって来た中津は七星をなだめながら髪に櫛を入れた。

「いいじゃん、取り敢えず一発オッケーなんだから」

 七星は黙って腕を組んだ。

「へぇ、やっぱ演技上手だなぁ」

 水咲は後ろ手を組んで近付いてきた。佐々木原もその後にくっついてやって来た。

 またこいつらだ。こんなに鬱陶しい女も初めてだ。いくら私の所へ来たって、あんたを蹴飛ばしたなんて言うわけないじゃない。何を考えてんの? バカじゃないの? 

 直接そう言ってやりたい気分だ。

「いつもの七星さんじゃなかったね。だって、言葉遣いが全然違うんだもん。びっくりしちゃった。人間変わろうと思えば変われるんだね」

 佐々木原は水咲にそう述べた。

「わたしもそう思ったよ。七星さんは、ほんとは女子高生が抜け切れてないんじゃないかって思っちゃうくらい上手だったよね」

 七星は、実はこの女探偵の役柄が気に入っていた。佐々木原の言う通り、普段使わない言葉を使うので性格が変わった気分になれるのだ。こんなに面白い役はない。

「でもさ、女子高生が抜け切れてないこんなチャラチャラしてる女に、事件なんて解決してほしくないよね」

 佐々木原は七星を人差し指で指した。

 七星は何だか腹が立ったが、そこは堪えて気持ちを落ち着かせた。

 中津は七星の髪をとかしながら言った。

「だけど、そこが面白いんです。こんな人間に『犯人だね?』なんて言われたら、犯人はショックだと思います。こんなに屈辱的なことはないです。だから、そのときの犯人の表情は、視聴者は見ていて楽しいと思いますけど、役者にとっては難しい演技になるんですけどね」

「確かに、屈辱的だね。こんな女に言われたら」

 佐々木原は再び人差し指で七星を指した。

「あの、指差すのやめてもらえます?」

「あっ、ごめんなさい」

 とっさに佐々木原は人差し指を引っ込めた。

「七星さんはどうして映画製作サークルに入ったの? 演劇部もあるのに」

 佐々木原が横に立っていると、水咲は大人に見えた。そこがまたムカツクのだが。

「わたくし、中学高校と演劇部だったんです。だから、今度はちょっと違ったことがやりたいと思いまして」

「なぁんだ、それなら演技が上手なわけだ。でも、演劇と映画って違うでしょ?」

「そうですね。映画は1つ厄介なところがありまして、アップになるんですよね。顔のアップ。だからいつも、顔のお手入れが大変で」

 水咲は少し身を引いた。

「そういえばそうだね。アップで撮られちゃうから、毛穴とかも綺麗にしとかなきゃいけないんだ。うわー、それは大変だな」

「もう慣れましたけどね」

「それは、七星さんは美人だからだよ。そんなことしなくても全然綺麗だもん」

 水咲のその言い方が心に引っ掛かった。

「そんなことないですよ。わたくしより、水咲さんの方が数段美人ですよ。だって、ミスキャンパスですもんね?」

 七星はそこでも皮肉を込めて言ってやった。

 どうせ、自分はもっと綺麗だって言いたかったんでしょ? そんなのお見通しよ。あーあ、ほんとムカツク女。

 ところが水咲は、自分の方が綺麗だと言いたかったわけではなかったのだ。

「そうだ、ミスキャンパスで思い出した。今までわたしのサークルに何度か嫌がらせがあったって言ったけど、その嫌がらせが始まったのは、去年の学園祭が終わって間もなくなんだよね。それでね、わたしと彼女とさっきお昼に話し合ったんです」

 その続きは佐々木原が受け継いだ。

「もしかして、華奈のこと恨んでいるのはミスコンで優勝したからなんじゃないかなって思ったんです」

 七星の血液は3度引いていった。そして3度目の正直だった。水咲は私を疑っている。こればっかりは確信できた。何故なら、嫌がらせを始めたのは今年の4月からだからだ。学園祭が終わって間もなくというのは嘘だ。どうしても私を犯人にしたいから、そんな嘘をついているのだ。

「七星さん! スタンバイお願いします!」

 しかし、もはやその声は七星の耳には入っていなかった。

「どういうことなんでしょうか? 水咲さん、さっきおっしゃいましたよね。わたくしを疑ってはいないって。でも今の発言は、わたくしのこと疑っているとしか思えないのですが」

「そうなんですか? 七星さんが犯人なの?」

 水咲は見当違いなことを言ってきた。だから七星は声を荒げた。

「そういうことを申し上げているんじゃないんですよ。わたくしのことを疑っているような発言はなさらないで下さいと申し上げてるんです!」

 七星の大きな声で、現場の雰囲気が再び凍り付いた。スタッフはみんな、こちらを注目しているのが直視しなくてもよくわかる。

 しかし、七星と相反して、水咲は笑顔で沈着に答えた。

「わたしは別に七星さんを疑っているとは言ってないですよ。ただ犯人は、心理学の授業を受けていて、ミスコンに出場した、ハイヒールを履いている女性と言っているだけです。スタッフのみんなが待ってますよ。どうぞ」

 そして、水咲と佐々木原は背中を向け、向こうの席に着いた。

 七星はじっと水咲をにらみつけていた。だが、水咲と佐々木原は2人で楽しそうにお喋りを始めていた。

「沙夜」

 中津の声で、七星はようやく動き出し指定の席に着く。中津は黙って七星の髪に櫛を入れた。

 いよいよこのドラマ最後の撮影である。



 第11話 美しき被害者~解決編《前編》【完】

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