第36話:姉と買い物
学校の帰り道スーパーに買い物に行った。二見さんとは駅が違うので、駅からは僕と天乃さんの二人になってしまう。
天乃さんは高校生だというのに、食事を作ったり家事全般を担っている。僕はあまり家事を手伝わせてもらえない。
その中では、「買い物の手伝い」は手伝わせてもらえる事なので、積極的に手伝っていた。まあ、手伝うと言っても荷物を持つだけだけど。
天乃さんが横断歩道を渡っている。何となくだけど、白いところだけ踏んで進んでいる。
「ねぇ、流くん、昔って横断歩道の白いとこだけ踏んでなかった?」
「うん」
やっぱりだ。天乃さんは、時として子供っぽくて笑ってしまう。
「あれ?やらなかった?白いところから足が外れたら死ぬの」
こわっ!そこまでは考えてなかったけど。
ぴょんぴょんと跳ねるように歩く天乃さん。
「この横断歩道のピッチが私の足に合わないんだよねぇ。最後の方でちょっと歩幅が合わないの」
「へー」
「日本横断歩道協会の人って歩幅の研究してないのかな?」
どこだ、その秘密結社みたいな組織は。実在しない天乃さんの脳内だけの存在に違いない。
「白線引蔵(48)さんが、この白線のピッチを決めてるの」
誰だ!白線さん。
「若手はあと5センチ長くしたいんだけど、白線部長が最終決定権を持っていて、中々承認しないの」
白線さん部長だった!
「数年後には、今よりも5センチ長くなった横断歩道が世に出るんだよ」
「若手頑張れ」
「日本人の平均身長は伸びてるんです!横断歩道のピッチだって広げるべきなんです!」
天乃さんが「日本横断歩道協会」の若手になってしまった。実在しない人への感情移入が始まった。想像力豊かでとても面白い人だ。
その実在しない協会では、横断歩道は白線を踏むこと前提で設計しているようだ。
「きゃーーーー!!!ねこさんーーーっっ!!」
横断歩道を渡り終えると公園から猫が顔を出しているのが見えた。
スーパーのすぐ近くには小さな公園がある。その公園から猫が顔を出しているのだ。天乃さんは猫が好きらしい。目がハートになっている。
猫を見てしまったからには、先に公園に行くことにななった。
日本横断歩道協会の白熱した会議の様子は未来永劫思い出されることはなさそうだ。
「天乃さん、ちょっとだけですよぉ」
「分かってる!分かってるから!ちょっとだけ!」
あぁ、もう完全に周囲が見えてない。天乃さんは普段しっかりしているのに、可愛いものの前ではズブズブだ。ザルみたいな注意力になる。そこがまたかわいいんだけど。
天乃さんは公園の中に入って行くと、公園に住んでいると思われる地域猫が近寄ってきた。元々整った顔たちの彼女が表情を崩して猫を可愛がる。
その表情は学校のやつらが見たら100人中120人は堕とせそうな破壊力がある。
「これあげるねー」
天乃さんは、「たまたま猫に会った時」用に試供品のキャットフードのような小袋を持ち歩いている。猫も慣れているのか、人を見ているのか、集まってきている。
「流くん!見て!手から!手から食べてるよ!」
「あ、はいはい。かわいっすねー」
「いま!写真撮って!写真」
「はいはい」
猫も可愛いけど一緒にいる美少女の方が可愛いと思うけど……
実際に写真を撮ってみて分かったことがある。被写体が良いといい加減な構図でもいい写真になる!
「あとで画像送ってね!」
慌てていま撮影した画像フォルダを確認してみる。
あぁ、猫の写真も撮らないといけないな。
15分か20分は公園にいただろうか。
その後スーパーに行った。スーパーで一番最初に行ったのはトイレで、天乃さんが手を洗いに行った。
いくら可愛くてもちゃんと手は消毒してくるらしい。外の猫は病気を持っている可能性がある。
しっかりしているところはしっかりしている彼女らしい行動。
「流くんも手洗った?」
「僕は猫触ってないし」
「そうなの?きゅわわぃいのに」
上半身全部を使って猫の可愛さを力説している、あなたのその顔の方が100倍可愛いですよとは言いにくい。
「カート僕が押しますね」
「ちぇー、最近、流くん私に冷たくない?」
「そ、そんなことないですよ」
正直、僕は戸惑っていた。これまで女家族は母さんだけだった。姫香さんは姉のようだけど、姉だという事を禁止されていた。姉だと思うことも禁止だと言われている。恐ろしい人なのだ。
そう言った意味では、女兄弟はいなかった。姉も妹も。
そんな中、急にできた姉。
しかも、同じ年。さらに超が付く美少女。意識しないとしたらそいつは精神のどこかがぶっ壊れてる。
数か月前まで知りもしなかった他人が、ある日突然 姉と言って僕の心の精神障壁の中にスキップで入ってくる。
朝起きて一番最初に彼女を見て、挨拶を交わして、寝る前にも一番最後に挨拶を交わしてから眠る。
日常生活の中で彼女の良いところ見せられ、日々刷り込まれていき、日々好きになるけど彼女は姉。しかも血がつながった姉。
日本の法律では義理の姉や妹との結婚はOKだけど、血が繋がっていたら異母姉でも妹でも結婚は禁止されている。
たとえ、知らなかったとしても、後で分かった時点で過去にさかのぼって結婚は無効になる程、厳しく禁忌とされているのだ。
僕は彼女を好きになってはいけない。未来なんてないのだから。
僕には可愛い最高の彼女がいる。その彼女を蔑ろにしようというのは男として間違えている。僕は天乃さんに優しく接することに罪悪感を感じている。
手をつなぐくらいでは誰にも何も言われないだろうけど、一緒に歩くことすら罪悪感を感じている。
「流くんこっちこっち!どうしたの?ぼーっとして」
「あ、すいません」
いかん、いかん。スーパーに入って野菜売り場でぼーっとするとか、どうかしている。
「ねぇ。流くんの家ってカレーのジャガイモ大きく切ってた?小さく切ってた?」
どちらだろう?カレーなんて家では当たり前のメニューだった。ジャガイモの大きさなんて考えたこともなかった。
「あと、肉は?肉。牛?豚?鳥?」
「鶏肉のカレーなんてあるんですか?」
「チキンカレーって言うじゃない」
「あ、そうか」
「ふふ、へんなのー」
こうした普通の会話にも喜びを感じてしまう。ダメだな僕。終わってるな。
「ねぇ、流くん。私たち、こうして歩いているとカップルに見えるかな?」
「なんですか、急に。高校生カップルはスーパーで野菜とか肉とか買わないでしょう」
「あ、そうか。じゃあ、夫婦?」
「制服着てますし」
「若夫婦だ。法律変わったし、18歳になったら結婚できるもんね。3年生になったら結婚する人とか出るのかな?」
「どこの異世界の話ですか」
「あれ?知らないの?2022年から18歳で成人だから、結婚もできるんだよ?」
スマホで調べてみたら、本当だった。
「本当だったでしょ?あ・な・た♪」
「やめてください。僕たちは姉弟なんで」
「そうなんだよねぇ、姉弟なんだよねぇ」
天乃さんが顎に人差し指を当てる様な仕草で言った。考え事のジェスチャーだろう。
「ど、どうしたんですか?」
「なんか、私くらいの年齢の場合、近親者の男性のにおいがダメになるらしい」
「そうなんですか?」
「うん、実際、お父さんの枕のニオイとか最悪だし」
誰の枕でも臭そう……と思ったけど、天乃さんの枕はいい匂いがしそうだ。
つまり、本能的に嫌いにして近親相姦を防ぐようになってるってことか。世のお父さんが年頃の娘さんに嫌われるのはDNAが犯人だった。
「耳の後ろとかのニオイが一番分かるらしくて。DNAに書かれてるらしいよ」
「そうなんですか」
そう言って自分の小さい耳を見せる天乃さんが可愛くて、既に話は半分くらいしか入ってきていない。
僕は、こんな美少女と長時間話せる様な仕様になっていないらしい。きっと取説には書いてあっただろうな。ないけど。
「流くんを抱きしめて、耳の後ろのニオイ嗅いでみたけど、好きな匂いだったし……」
「は!?」
いま、軽く聞き逃したけど、変なことが聞こえた!?
「あ、しまった」という顔をする天乃さん。顔が真っ赤なので、事実だと確認しなくても分かる。
「いつですか?」
「んー、朝?」
なぜ、疑問形?自分の行動ではないのか。明後日の方向を見ながら答える天乃さん。
そう言えば、いつだったか、朝起きられない時に誰かにニオイを嗅がれたような……てっきり夢だと思って忘れてたのに。
「ごめんね、嫌だった?」
「いえ……」
なんかお互い真っ赤になってしまっているだろう。天乃さんの方が見れないし。
「他は?」
「え?」
「他の人のニオイはどうなんですか?」
「さぁ?他の男の子のニオイなんて嗅いだことないもの」
「告白とかされるんじゃないんですか?」
「告白は……たまに……。でも、違うもの」
「何が違うんですか?」
「なんか、記念みたいな?全然知らない人ばかりだし」
受験ならば「記念受験」と言うものがある。天乃さんが言っているのは「記念告白」みたいなものだろうか。結果は問わないけど、とりあえず告白みたいな?
「ほら、知らない人から好きですって言われても…ね」
「誰かと付き合ったことってあるんですか?」
「なぃ…あるわよ!昔ね、昔」
嘘だ。これは確実に嘘だ。肉のパックを2つ見比べている振りをしているけど、全然見ていない。キョドリ過ぎだ。時に子供みたいない人なんだよなぁ。天乃さん。
「ほら、最近じゃ、LINEとかで告白が多いから、アイコンとか見て好きとか判断できないじゃない?」
あるあるとか、常識みたいに言ってるけど、僕は告白されたのって二見さんだけなので、全然分からない。彼女がそういうのだから、きっとそうなのだろう。やっぱり、結構告白されているっぽい。
「……彼氏作らないんですか?」
「最近は……色々あったから。手のかかる弟もいるし……」
それって目の前の僕のことですよね!?
「イケメンがいいとか?」
「顔は……まぁ別に、普通でいいけど……」
彼女レベルの言う「普通」はイケメンではないのか。
「背が高い方がいいとか?」
「背は……まぁ、私よりちょっと高ければ?こんっ、こんくらい?」
天乃さんが自分の背よりも少し高い位置で掌を水平にして背の高さを表す。それ、いま目の前にいる僕くらいなんですけど……
そもそも僕は何を聞いているんだ。僕はこれまでできるだけ目立たないようにしてきた。そのため、人とはあまり関わらないようにしてきたところがある。
自分から他人のことを聞くなんて。しかも、女の子に対して好きな男の好みを聞くなんて……
なんだか急に恥ずかしくなって違う話題に変えたかった。
「今日は?珍しく?ビーフカレーにしちゃうけど?ジャガイモは大きめで?」
なぜ、全部疑問形なんですか。天乃さんも話題を変えたかったのかもしれない。僕もそれに乗っかったのだった。
「お願いします」
「お代わりする?」
「多分」
「またお米買っちゃおうかなぁ」
「どんだけお米好きなんですか」
「なんせ、うちには育ちざかりがいて、炊いても炊いても全部なくなるので」
「……いつも美味しくいただいてます」
「皮膚の細胞の入れ替わり周期って4週間らしいよ」
なんか急に違う話題!?
「へー、そうなんですか」
「そろそろ、流くんの皮膚は全部、私のご飯でできてることにならないかな?」
そういうことか。
確かに昼はお弁当を作ってもらっているし、朝晩と合わせたら三食天乃さんに作ってもらっている。皮膚の周期の話が本当ならそれは正しいだろう。何だか恥ずかしい気分になってきた。
「米袋10kg持って帰ります!」
「今日はポカリ2リットルも買いますの」
「仰せのままに」
「あと、今度二見さん来るんでしょ?お菓子も何か選んだら?」
「あ、そうか。どんなのが好きなんだろ?」
「酒饅頭じゃないの?」
……いつかのことを割と根に持っているみたいだった。面白い。
楽しい会話をしながら買い物してしまった。これは彼女としなければならないイベントだった気がしたと後になって思うのだった。




