フンフン!
「そうです。普通の水だと動かせないので、私に力を貸してくれているヤドカリさんが住む海に近い塩水でやってます」
だが、ヴァージニアは塩水でも全然距離が伸ばせていないので少し焦りだしているし、これでも出来ないのかと自分自身に呆れてもいる。
ジェーンはヴァージニアの前にあるテーブル状の台を観察し、水滴の染みがヴァージニアから十センチ離れた場所に沢山あるのを確認した。
「ヴァージニアの能力でカウンターするには、近くに来た敵の体内に水を移動させればいいのよ」
ヴァージニアはジェーンが何を言おうとしているのか分からない。
「流石に十センチじゃ相手の攻撃が届いちゃうから、もう少し遠くまで水を転移魔法出来るようになれば安全よねぇ」
「水を体内に、ですか? 」
ヴァージニアはまだピンと来ていない。
水を体内の何処に移動させればいいのか分かっていないし、何だったら何故移動させるのかも分かっていないのだ。
「そうよ。水を相手の気道に移動させたら死なないまでも隙を作る事は出来るわ」
ジェーンは敵の鼻や喉を潰して呼吸困難にするのはよくある手だと言った。
他には目や相手が男であれば股間だそうだ。
そしてその間にさらに攻撃するか逃げるかは、その人の能力次第だそうだ。
「本当は相手の体中の水分を自由自在に移動出来ちゃえばいいのだけどね」
「そ、そうですね」
ジェーンはなかなか恐ろしいことを言っている。
もし敵の肺に水を溜められたら陸にいるのに溺死させられる。
「もし移動可能なら、相手を脱水症状にも出来るのかしら? 」
「え……」
先ほどとは逆に敵の体内から水を取り出してしまえば可能だろう。
「血液の水分が少なくなると血液がドロドロになって多くの病気に原因になるそうよ。気を付けないと」
ジェーンは年齢的に色々心配なのだと思われる。
「す、水分は大事ですよね……」
「昔は運動中に水を飲むな、なんて言われてたのよ。信じられる? 」
ジェーンは笑いながらこう言ってマシューの元に戻った。
(キャサリンさんは私にジェーンさんが今言ったことをやらせるつもりだったんだ……。確かに出来たら武器になるけど……)
ヴァージニアは遭難中でも生き物を殺せなかった。
彼女は生物を殺さなくても食べ物があるから安心していたからかもしれない。
果物だけで生き延びられると過信していたのだ。
(地竜さんの匂いがついていなかったら魔物や魔獣に襲われてたに決まってる)
その時ヴァージニアには反撃の選択肢があっただろうか。
いいや、逃げるしかしなかっただろう。
今までの経験でそれしか出来ないと思っているからだ。
(出来ないなんて思い込みはやめないと)
ヴァージニアは握り拳を作り、練習を再開をした。
マシューは家での暇つぶしを、紋章魔法からジェーンに教わった武道の型に変更した。
ヴァージニアは、家や調度品を壊されないか心配で気が気でない。
彼女は紋章魔法も型稽古も物を破壊される可能性があるので、もっと静かに出来る安全な暇つぶしはないのかと悩んだ。
(声も煩いし……)
マシューはかけ声を出しながらやっているのでかなり煩い。
ヴァージニアは近所からクレームが入らないうちに彼を止めることにした。
しかし、拳や蹴りがあちこち飛んでくるので話しかけにくい。
彼女が大声を出して注意するのも騒音になるだろう。
(近寄れないし、大声は出せないし、どうしよう……)
ヴァージニアがじぃっとマシューを見ていると、視線を感じたのか動きが止まった。
「ジニー、僕の動き変? 」
「変じゃないよ」
物理攻撃はヴァージニアにとって未知の世界なので、何が変で何が変じゃないか何も分からない。
「じゃあ、僕に見とれてたの? 」
マシューは照れているのでヴァージニアは緩く否定をしておいた。
「もう夜だから静かにしようね。それにマシューがぶつかったら家や物が壊れちゃうかもしれないし、マシューも怪我をしちゃうかもでしょ? 」
ヴァージニアが言い方をマイルドにしたのは、あまりきつく言ってマシューが機嫌を悪くしても困るからだ。
「怪我はとうめいに治してもらうし、家が壊れたらもっと頑丈で防音の家に引っ越しすればいいんだよ」
こう言いつつもマシューはヴァージニアの言葉を聞き入れ、型の練習を終了し大人しく椅子に座った。
「ええー……。壊さなければいいだけだよ」
ヴァージニアは型の練習をやめさせるのは上手くいったが、話はどんどん逸れていくので本音を言った。
「お金の心配はしなくていいよ。お金は僕が稼げばいいんだから大丈夫」
マシューは何故か自信満々に言った。
それに彼はヴァージニアがお金がないから物を壊すなと言っていると思っているらしい。
どうやら二人は認識が違うようだ。
「お金で解決するんじゃなくて、最初から問題を起こさなきゃいいんだよ」
「ふふっ。僕ね、気付いたんだ。キャサリンさんみたいに変身魔法を使えばいいって! 」
ヴァージニアが言わなくてもマシューは気付いてしまったらしい。
そう、マシューが変身魔法で姿を変えれば、彼自身が対面でヘアブラシに属性付与出来る。
彼の能力ならすぐに評判になりお金を儲けられるに違いない。
「そうかもしれないけどね、最初から壊さなければいいんだよ」
「……ジニーはお金欲しくないの? 」
マシューは綺麗な目を細めてじとりとヴァージニアを見ている。
いつもお金を気にしているのに何故だという目だろう。
「欲しいけど、家や物は大切にしようねってお話だよ」
「せっかく良い案だと思ったのに……」
マシューはヴァージニアが喜ぶと思っていたようで、不満げな表情になっている。
「そもそも変身魔法って身長も変えられるの? 」
子どもが子どもに変身しても神童などと言われて話題になってしまうので意味がない。
「キャサリンさんは出来てるよ」
マシューによるとキャサリンはかなり大きい男性に見えるらしいが、ヴァージニアには長身でスタイルがいい女性にしか見えていない。
こんなに大きく体積を変えられるのだろうか。
「キャサリンさんのことだから独自に開発した魔法でも使ってるのかもね」
「明日聞いてみよう! 」
マシューはフンフンと鼻歌を歌いながら明日の準備を始めた。
(企業秘密なんじゃないかな……)
翌朝マシューはギルドに到着するとすぐに優雅にお茶を飲んでいるキャサリンを発見した。
彼は嬉しそうにキャサリンの元に駆けていった。
「キャサリンさんキャサリンさん! 僕に変身魔法教えて! 」
「変身魔法? 顔の見た目変えるぐらいなら中学生で習うから、マシューならすぐに出来るでしょう」
キャサリンが教科書を用意するかと言うと、マシューは異議を唱えた。
「違うよ。普通のじゃなくてキャサリンさんがやってるのだよ! 」
マシューの言葉にキャサリンの雰囲気が明らかに変わり、かなり目つきが悪くなった。
(マシュー! 他の人に聞かれてるよ! )
ギルド内にいた何人かがキャサリンがやっている変身魔法とはなんだと首を傾げている。
誰もキャサリンが変身魔法を使っているなんて思っていないのだ。
「どうやって身長を変えるの? どうやって体の大きさを変えるの? 」
「マシュー? 貴方は何を言っているのかしら? 」
キャサリン怖い笑顔でマシューの口を押さえた。
マシューがふりほどけないようなので、相当な力で押さえつけているらしい。
ヴァージニアはマシューを助けようと一瞬思ったが、彼女が何かしたところで何も出来ないので諦めた。
「んんんー! 」
だが、マシューに何かあっては大変なので、ヴァージニアは勇気を振り絞ってキャサリンにマシューを解放するように言った。
「いやねぇ。私はマシューが面白いことを言うから遊んであげてるのよ」
「フンフンッ」
マシューは抵抗してキャサリンの手に鼻息をかけ始めた。
キャサリンはマシューが呼吸出来るように鼻を塞がないでいるから出来た技だ。
「え? 早く特訓をしたい? そうね。じゃあ移動しましょう」
マシューはキャサリンに口を押さえられたまま、キャサリンが魔法で作った空間に移動した。
そこでやっと彼は解放された。
「プハッ! 苦しかった! 」
「余計な事を言うからよ」
キャサリンはわざわざ独自の変身魔法を使っているのだから他の人にバラされたくないに決まっている。
「マシュー、キャサリンさんが変身魔法で姿を変えているのは皆に秘密なんだよ」
「どうして? 元の姿の方が強そうでいいのに! 」
無邪気な子どもほど恐ろしいものはない。
多分だが、ヴァージニアの寿命は短くなった。
「マシュー、いい? 人にはそれぞれ理想の姿ってあるのよ。私は今の姿が理想の姿なの。強そうでなくていいの」
マシューは強そうな姿がいいようで腑に落ちない顔をしている。
「……色んなお店に色んなコロッケがあるように、人間もそうなんだよ」
「ふぅん」
「全然納得してなさそうな返事ね」
キャサリンの表情は怖いままだ。
ヴァージニアはキャサリンの機嫌を取らねばと思ったが、逆効果になったらどうしようと思うと踏み出せない
「コロッケを食べたら納得するかも」
「はぁ……。食いしん坊ねぇ。納得しなくていいから、そういう人がいると頭に入れておきなさい」
「分かった! 」
一悶着があったが、漸く六日目の特訓が始まった。
マシューは色んなコロッケを思い浮かべた!




