特訓3日目!
いつまで経ってもヴァージニアは水を動かせるようにならなかった。
この様子を見て、指導経験豊富なキャサリンはある仮説を打ち出した。
「えーっと、海水の塩分濃度はこれくらいかな? 」
ヴァージニアは魔力が弱いので、力を貸してくれているヤドカリの生息地に似た性質の水でないと動かせないのではとのことで、早速彼女は夕食後に試してみていた。
マシューも興味があるようで、いつものようにダイニングテーブルに向かい合って座り、ヴァージニアの作業を観察している。
「出来るといいね! 」
「これで出来なかったらどうしようもないよねぇ」
ヴァージニアはグラスで作った塩水を皿の上に垂らして手をかざした。
彼女が水滴に集中していると、手元に風を感じさらに水滴が少し震えていた。
今までになかった反応なので、ヴァージニアは頬が緩んだ。
(……ん? )
しかし、ヴァージニアはマシューがやたら静かなのはおかしいと思って彼を見てみると、彼の唇は尖っていた。
そう、まるで息を吹きかけているような。
「って、おいー! 」
「フーッ」
マシューはバレているのに水滴に向かって息を吹き続けている。
動きすぎるといけないので、息を細くしているようだ。
「マシュー? バレているからね? 」
「んふふふひひひひっ」
マシューは悪戯が成功したので楽しそうだ。
ヴァージニアはマシューの笑い声を聞きながら、再び水滴に意識を向けた。
「……動かないね。ジニーってさ、自分以外は物でも人でも触ってないと転移魔法出来ないよね。だからお水も触ってみたらいいかも」
「一理あるね」
ヴァージニアはマシューの提案に乗り、手の平に塩水を垂らしてその水滴を見つめた。
これで動かなければ何をしても無理だろう。
「おおっ! 」
「ジニー! お水が動いてるよ! 」
今度はマシューは何もしていないが、ヴァージニアの掌の水滴は彼女が動けと念じた方向に移動している。
彼女はもう一滴垂らして二滴同時に動かすのも挑戦してみた。
「あっ! お水が追いかけっこしてる! 」
「うーん、同じ動きにしか出来ないなぁ」
ヴァージニアは最初は左右上下に動かしていたが、次に手の上で円を描くように念じたので、水滴達は彼女の手の上でぐるぐると動いている。
「一つ出来るようになったんだから、急がなくていいんじゃないかな? 」
「そうだね」
ヴァージニアは年少者に慰められてしまい、本来なら年長者の役目なので少し情けなくなったが、魔法に関してはマシューの方がずっと先を行っているので恥ではないと思い直した。
「普通のお水でもやってみようよ! 」
マシューは別のグラスに水を入れて持って来た。
彼なら魔法で水を出せるが、普通の水なので水道から出した水を持って来たのだろう。
ヴァージニアは手を拭いて彼からグラスを受け取り、水道水を掌に垂らしてみた。
「動くかな? 」
マシューの期待をよそに水滴は動きそうになかった。
しかし少しずつ塩分濃度を下げて練習していけば、そのうち普通の水でも動かせるようになる可能性があるので、ヴァージニアは希望を持てて顔が綻んだ。
翌日、ヴァージニアはキャサリンに昨晩の事を話した。
キャサリンが少し考えた後にこう言った。
「触れていないと無理なのね。ならその水を別の場所に転移魔法させてみた? やってないなら挑戦してみて」
ヴァージニアは正直言ってその挑戦が何に役立つのか分からない。
しかしジェーンの元仲間で王立魔導大学の理事長にまでなった人が言うのだから何か意味があるのだろう、ヴァージニアはこう思い、キャサリンの指示に従って練習することにした。
「はい、これでいい? 」
「ありがとうございます」
キャサリンが地属性の魔法で長机のような長細い出っ張りを作った。
この前でヴァージニアが塩水を転移魔法させれば、どのくらい移動させられたか分かる。
「塩の量を少なくするのはやらなくていいの? 」
「そうねぇ、じゃあ並行してやっておいて。ああ、出来たらでいいから」
キャサリンは一瞬悩んだ風だったが、これはヴァージニアだからだ。
ヴァージニアの魔力量が少なくなければ即答していたはずなのだ。
「分かりました」
ヴァージニアは一つだけでも大変そうなのに大丈夫かと心配になったが、やるしかないだろうと腹をくくり気合いを入れることにした。
「頑張ってね。では、マシューの特訓を開始するわね」
「押忍っ! 」
「ジェーンじゃないんだからやめてって言ったでしょ! 分かったわ。もう少しハードなものするからね。覚悟なさい」
キャサリンは宣言通り昨日と比べものにならないほどの速さで攻撃し始めた。
もちろん手加減はしているのだろうが、マシューは昨日よりも焦りが見えている。
「さっきの勢いはどうしたの? ジェーンとの修業はこんなに生ぬるくなかったんじゃない? 」
マシューはキャサリンに煽られているが怒った様子も見せず、焦ったままでギリギリで防いでいる状態だ。
ヴァージニアは彼に何かあったらと思うと、塩水を転移魔法させようとしている場合ではないので集中出来ない。
「同じテンポでやってあげてるんだから、いい加減慣れなさいよ」
「わわー」
キャサリンはマシューの死角を狙っているようだ。
ヴァージニアはマシューに教えようかと思ったが、それを察したキャサリンから無言で威圧を受けたので言えなかった。
(マシューなら魔法の気配も感じられるだろうに……)
マシューは目も良いので視力に頼ってしまっているのだ。
(目が良くて反応も出来ちゃうから見ちゃうんだね)
キャサリンはマシューに視力だけに頼るなと言いたいのだろう。
口で言わずに気付かせようとしているのはマシューなら気付けると期待されているからだ。
「くっ! 」
マシューは防御壁を作れずに転がって回避した。
いつぞやの受け身の練習の成果だ。
(いや、ジェーンさんとの修業の時もやったのかな? )
マシューの服は徐々に汚れてきた。
それだけ紙一重で回避している。
彼は激しい動きをしているので、彼の長い三つ編みは蛇か鞭のようにウネウネと動き回っていた。
「はぁ……はぁ……」
ヴァージニアは二人から離れた場所にいるのにマシューの呼吸音が聞こえてくる。
「ほらほら! ヴァージニアに心配されてるわよ。しっかりなさい! 」
「ううっ……」
マシューの足はもたついてきている。
ヴァージニアはもう見ていられないので、おろおろしているとキャサリンから鋭い視線を飛ばされた。
「ヴァージニアもどんな状況でも魔法を使えるようになりなさい! 聞いたわよ? あの強風の中で転移魔法が出来たんでしょう? 」
ヴァージニアは今初めて、何故あの時魔法が使えたのだろうかと考えた。
彼女はすぐに答えを出せた。
必要に迫られたからだ、やらねばならぬと強く思ったからだ。
「危険な時にパニックになって使いものにならないよりはいいけど、危機的状況でないと出来ないのも困りものよ。いつでもどんな時でも使えるようになりなさい」
「はい! 」
「出来ないなんて思い込まない! 」
「はい! 」
キャサリンはよろしいと言ってマシューの方を向いた。
キャサリンはヴァージニアを見ながら話しかけていたのにも関わらず、マシューへの攻撃の手は休めていなかった。
マシューの位置を把握出来ていたのは気配を頼りにしたからだが、マシューはこれに気付いただろうか。
「うむむ……ハッ! そうか! 」
マシューは何かを思いついたらしい。
キャサリンの口角は上がったが、次の瞬間目尻が上がった。
「キャサリンさんが追いつけないくらい速く走ればいいんだ! 」
マシューは逃走した。
キャサリンは憤怒の形相で彼を追いかけた。
ヴァージニアは塩水を転移魔法するのに専念した。
数分後にキャサリンがマシューを無事に捕獲してヴァージニアの元に戻って来た。
マシューの顔がやたら綺麗なので、怪我をして治療されたようだ。
「小猿みたいに動き回って! もうっなんなのよ! 」
「ウキーッ! ウキキー! 」
マシューは前にジェーンにやられていたようにキャサリンにも小脇に抱えられている。
彼は暴れて逃げようとせずに大人しくしているが、すでに暴れて逃げられなかったので諦めているだけかもしれない。
彼の顔が治療済みなのがその証拠だ。
「マシュー、貴方は目に頼りすぎよ」
キャサリンはマシューを地面に降すと、自身の服の乱れを直した。
流石のキャサリンでもマシューを捕獲する際に服が崩れてしまったようだ。
「耳を使えば良いの? 」
「五感に頼るのもいいけど、魔力を察知するの」
「そっか」
マシューはどうやって魔力を察知するのかは分かっているようだ。
それなのにやっていなかったのは、目から得る情報が多すぎて、そこまで気が回らなかったからだと思われる。
「本当に分かってる? 」
「目に見えるものだけが大切なんじゃないんでしょ? 」
「何かの本みたいな事を言ってるわね……」
この後、マシューの動きは大幅に改善された。
ヴァージニアは塩水を数センチ転移魔法させられたが、長机の縦ではなく横の長さで事足りるので酷くがっかりした。
キャサリンはチョロチョロと逃げ回るマシューを捕獲した!