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 今初めて、死んだ方がマシだという気持ちになった。笑い声が死ぬほど痛かった。その空気が、その悪意が。全てが俺を殺しにかかる。逃げ場がない。死しか無い。……いや、もうその死にさえすがれない。もう一度逆行が起きたら、これ以上の不快感を味わうことになる。そんなの、もう。


 使い終わったティシュが俺の頬に当たる。もう、投げた人間を見ることもなかった。


 無慈悲にチャイムは鳴り響く。始まるのは地獄の日常。いつものように授業が始まる。いつもの毎日が始まる。私物を片付けて、表面上で何事もなかったかのように椅子に座る。笑い声と、その空気。全てが俺を蝕んでいく。吐きたい、逃げたい。なのに、それをしてしまうと余計にいじめられてしまう。負の連鎖、最悪の世界。


 ……これが、クソ雑魚陰キャが夢に見た復讐の最後。これが、俺の本当の死。


    ☆


 トイレから帰ってくるとロッカーが荒らされていた。


 弁当を食べている時に消しカスを投げつけられた。


 委員会の資料を捨てられた。


 そしてどうしてか、今日は授業で当てられることが多かった。授業内容が頭に入ってこないので答えられない。もちろん、周りの奴らは笑ってしまう。その笑いが、俺を傷つけていると知らずに。教室に座るのはただの少年少女ではない。悪意の空気を読んで、それに合わせることのできる──日常に支配された異常者なのだ。


 死にたいだなんて思っても、どこかに彼らの目がある。それに気づいてしまう。

 都合のいいサンドバッグを手放したく無い。そういう気持ちが透けて見えているる。だけど、心の中でさえ言い返せない。

 所詮俺は、彼らのおもちゃにすぎないのだと。そう思ってしまえば最後なのだ。だから俺は、もう最後の段階に来てしまっている。


 俺は、大切なストラップを手で遊ばせる。これを見れば、誰かが助けてくれるような気がして。そんなの、あるはずないのに。ただ、過去にすがってみっともないだけだった。

 誰もいなかった。俺を助けてくれる人間なんて、もう。

「なにこれ?」

 気づいたら俺の周りに四人の人間が立っていた。もちろん、俺をいじめている四人組の彼らだ。

 興味を示したのは、『8』の形をしたストラップ。それをいじめっ子グループの一人、体つきの良いゴリ男の南蓮太郎(みなみれんたろう)が強引に奪う。

「こんな安物のゴミ、その筆箱に邪魔じゃないか?」

「あっ……だ」

「そうだよな、那須(なす)もそう思うよな? な!?」

「あっ、え、っと……その」

 聖域だった。それは俺の、俺の──────!!


 ストラップが宙に舞った。俺の目はそれだけに釘付けになる。だめだ、それだけは。俺と、アイツらの親切心を思い出せるのは……もう、あれだけなのに────っ。


 ゴミ箱の中に、ストラップが入った。


 顎が震える、手が震える、足が震える。そして最後、絶望が俺に手を伸ばす。

「そうだ那須ぅ……俺たち仲いいし、今日は五人で歩いて帰ろう? アンタらもぉ、それでいいだろ?」

 絶望に抗う術は──

「……う、ん」



 ────もうなにも、残されてはいなかった。


    ☆


 俺が調べた死角の一つ、高速道路の高架下。そこに俺は連れて行かれた。弱々しくへたり込んでしまう。

「おーい那須聞いてんのー?」

「…………」

「聞いてんのかつってんだよカス!」

 言葉の刃が心に突き刺さる。痛い、なのに抜けない。

「罰だよ罰! 俺たちを不快にさせた罰!」

「大田ぁー、財布ありましたよー!」

 さい、ふ? まて、それはだめだ。それは本当に! それだけはいけない。いくらなんでもそれだけは!

「やめっ……」

「んぁ? なんか言ったか?」

 勇気を、振り絞った。俺は弱々しい脚に力を込めて、橋脚を使って立ち上がった。

「やめっ、ろ!」

「うおっ!?」

 思いっきり拳を振りかぶった。それは大田の肩に命中。さすがに痛かったのか彼は後ずさる。

「はぁ……はっ────ごぶっ!?」

 横にいた南に鼻の頭を殴られる。痛い、痛すぎる。

「なに反抗してんだよゴミ。お前なんかが何したって変わんねーよ」

「殴って来たんだ、殴り返してもいいんだよなぁオイ!!」

「ゔゔっ……っ!」

 大田の拳の当たった鼻を抑える。ネトリ、とした嫌な感触。血が出ている。反動で腰を地面に落としてしまう。

 くそっ、立てよ俺! ダメなんだ。財布から金を抜くなんて、そんなの……いじめ以下の問題だ! ただいじめられるだけならずっと座っていただろう。でも、それだけはさせてはいけない。


 そんなことをする人間のせいで、俺が死のうと思ったなんて────そんなこと、絶対に思いたくもない!

「だぁぁあああああああ!!」

 反抗心が、まだ俺の心にあるんだ。絶望に抗う術がなくたって、俺は抗い続けなければいけないんだ!


 脳裏によぎるのは、加賀梨洋一のあの声。何故か俺に親切にしてくれた、俺を殺した引き金の陽キャ。


 感覚が消え始めた拳を握る。脇腹が、背中が、腕が、胸が、足が────全部痛い。

 だけどここで引いたら、このクソみたいな場所に戻ってきた意味がなくなる! これを耐えて……復讐して……その後に、這いつくばったゴミの頭を踏んづける。

 諦めない。絶対に諦めない。

「ぐぁぁあっ!!」

 腹に一発、どでかい衝撃。足の力が抜け、そのままコンクリートに倒れ込む。

「ゴミが、泣いて詫びろよ。なあ? 『こんな薄汚い容姿に生まれてぇ、皆様を不快な思いにさせてしまってぇ、本当にごめんなさぁーい』──ってさあ!」

「ゴホッ! げっ……はぁぁっあ!」

 意識が遠のく。体に力が入らない。これが、リンチ。ダメだ。もう耐えきれない。足痺れてきた。短いことしか。考えっ……られない!


 あっ……もう厳しい。し、ぬ。

「────お前ら何してんだよ」

「……あ? って、洋一!?」

 よう、いち? よういち…………洋一だって!? おかしい。どうして……! どうしてこんなところがアイツに分かるんだ!

「那須君から離れろ、それと財布から抜いた金を返せ」

 逆行と共に現れたのは、紛れもなく彼だった。

「えっ、洋一! 悪い悪い。ちょっとお話ししてただけで」

「お話しなんてする気は無かったはずだけど?」

 大田の目が恐怖で開かれる。

「えっほら洋一アタシたち友達でしょ? 別にいいじ──」

「誰が、いじめなんかする奴と友達になるんだ」


 悪い悪いと、のらりくらりと躱しながら抜き取った五千円札を置いて逃げ帰った四人。俺は、彼にお礼を言わなければならない。────だけど。


「どうして助けた……加賀梨(かがなし)洋一(よういち)!?」

 それは怒りだった。彼に対するものでなく、世界に対する共通の怒り。それを俺は、助けてくれた人間にぶつけてしまっている。

「お前が、殴られていたから。そんなの、助けなきゃいけないだろ!」

 そう言って、いじめっ子たちが消えていった方角を望む。

「……こんなことに、なってたのか。気づかなくてごめん、那須君」

「あ、いや。その………………」

 正論だった。助けなければいけないなんて、ゴリッゴリの正論だ。それでも、本当に助けに行ける人間が何人いるのか。まあ俺は行きたいとは思ってるけど……いややっぱ、無理かもしれない。


「それでお詫びじゃないんだけどさ」

 ハンカチを取り出した加賀梨を俺は手で静止する。

「なに、加賀梨?」

 しかし本命はそれではないらしい。彼は少しだけ不機嫌な顔つきになると、そっとハンカチをポケットにしまった。

 そして加賀梨は、意を決したように俺の向かいに座った。

「えっ、な、なんですか!?」

 少しびびって語尾が裏返る。いや怖い、無言で正面に座るな。


 そんな怯えを気にもせず、加賀梨洋一は宣言した。

「那須君──」

「なっ、なんですか!」

 屈託のない超キラキラした顔で、こう言った。

「俺と、友達になれ!」


 ────は?

「えどうして? なんで?? なんの意味が!?!?」

「んなの決まってるよ、俺が──お前と友達になりたいからってこと。それだけだけど……那須君は嫌か?」

 いやいや、嫌とかそんなのもう通り越して唖然ですよこっちは。だって……ねえ? クラスナンバーワンの陽キャから友達になろうって……これって告白ですよね、少女漫画とかでよくある奴ですよねぇ!?

 私は男、アイ・アム・ボーイ! それに女の子が好き!

「えっ、いや──」

「嫌?」

 ブンブンと首を横に振って感情を表す。


 いややっぱおかしいよ。どうしてこいつはこんなにぐいぐいくるんだよ! 他のものは全部俺の知っている歴史と同じなのに……逆行使ってバグったのか、あるいは最初の置き手紙のせいなのか。

 まあわからないけど、友達、欲しい。

「別に、友達くらいなら……良いよ」

「へへっ、やったね!」

 俺の友達は、ニッコリと笑った。


 歩けなかった俺を見兼ね、家まで送るという加賀梨。肩を貸してもらい、家の前までしっかりついてきてもらった。

「ここまでで良いよ加賀梨……ありがとう、な」

「こちらこそ、だよ。那須(なす)和妻(わづま)君!」

 なんか、復讐続けられそうにないなぁ。彼の笑顔に完全に毒されてしまった。はぁ……なんか、逆行してよかったのか分からなくなってきちゃった。だけど、戻らなかったら得られなかったものも、たしかにあるのだと。頬の傷をさすりながらそう考える。


「まあ、ありがとう。……だけど加賀梨、俺はお前をまだ友達とは完全に認めたわけじゃないからな!」

「ふふっ、そうなの? じゃあ、俺はなるよ」

 目の前にいたのは、とっても優しい加賀梨洋一だった。

「那須君の、本当の友達にね!」

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