<25> 夜明け前(前編)
サマンサから仮想空間へのインビテーションを受け取る。正直、仮想空間は嫌いだ。六面真っ白の専用ルームならいいが、普通の部屋ならグラス(※眼鏡型ディスプレイ)をかけなきゃならないし、安全上、リアル空間との折り合いを付けるため空間表示がいびつになる。まあ、メイクも着替えも部屋の片付けもいらないのは便利っちゃ便利だが。
とりあえず、お茶を飲みながらというサマンサの提案通りダイニング・テーブルに着く。クレオからグラスを受け取り、左手で少し伸びすぎた前髪を持ち上げ、下を向きながらグラスを装着した。顔を上げ周囲を見回す。そこ(仮想空間)はレンガ敷きの床に四方が白い壁で囲まれたパティオだった。大小たくさんの植木鉢には色とりどりの花が咲き、小さな噴水に流れる水が光を反射し、幾分冷たいそよ風(※エアコンが映像にシンクロする)が頬を撫でる。安全上、仕方がないが映像中のテーブルはケイの部屋のテーブルと同じ長方形、同じサイズだ。テクスチャーこそ周囲に合わせて木目調にレタッチされているが、このパティオの空間デザインにはフィットしない。
ほどなく、テーブルの向かいの空間が歪み、サマンサの映像がぼんやりと現れて次第に色づき、しっかりとした存在感、質感をまとった。ブラウンのドレス(※実際は何を着ているのかわからないが)を着こなしたサマンサが落ち着いた表情で正面の席に着いた。彼女の斜め後ろから白無地のTシャツにジーンズで天真爛漫な笑顔を向けるフローラがティーセットを持ってやってくる。フローラの服装とリアル空間のままの私の服装が被っている。少しムカついたが、とりあえず、私もクレオを仮想空間に呼んだ。
「クレオ、あなたも、ここに入ってくれる?それから、あたし、コーヒーがいい」
映像に入ってきたクレオはネイビーブルーのスカート・スーツだった。やはり、この子の性格設定(調律)はちょっとお堅い、・・・好きだけど。
「マリって、呼んでいいのかしら?」リアルの空間では聞き取りにくかったサマンサの声は、マイクを通してボリュームを自動調整する仮想空間ではクリアだ。
「ええ。・・・サマンサって呼んでいいのかしら?それともアニー?」
「サマンサと呼んでください。ツバサもそう呼んでましたし」
聞かなきゃよかった。何も聞かずアニーと呼べばよかった。
「いつ、氷漬けになるの?」とりあえず単刀直入に聞いてみる。
「日付が変わる時」サマンサは、そう言って微かに笑みを浮かべた。やはり、自分自身をクライオニクスするんだ。
「そっちの時間じゃあ、・・・あと三時間後?」
彼女は再び微かな笑みを浮かべる。返事のつもりなんだろう。
「エリック・シャノンが蘇生するタイミングであなたも蘇生、二人は遠い未来で再び結ばれるって、それは、それは、け、けこ・・・れっ」嫌味っぽく言うつもりが不覚にもSNSの写真を思い出して泣き声になってしまった。「(あたしって、どうしてこんな泣き虫なんだろう?)」自己嫌悪になりながらグラスを外して涙を拭いた。
「マリ、あなたいい子ね」サマンサの言葉が私の心を逆なでした。
リアル空間でクレオからタオルをもらって目頭を抑える。仮想空間とグラスを外して見るリアルの空間、両方に映るクレオは服装だけが違う。左手にタオルを握り右手でグラスをかけ、テーブルの向こうに座るサマンサへ視線を戻す。
「会うのは、これで最後?」
「・・・」サマンサは何の反応も示さなかった。
「質問していいよね?」彼女は、今度はコクリと頷いた。
聞きたいことは山ほどある、・・・はずだ。でも、聞きたくもない。いや、事件のことは聞かないと。
「まず、・・・ポートランドで拘束したフレッド、アプリコット社の研究所で調べてるけど、今のところハードウェアもソフトウェアも改造の形跡が見つからない。どうやって、フレッドにフレームワークを逸脱させたの?」ようやく冷静さを取り戻すことができた。なぜだか、サマンサもホッとした表情を浮かべて私の問いに答えた。
「フレッドはアプリコット製のままよ、ハードもソフトも何も改造してないわ」
「エレンとジーナも?」
「彼女たちもノーマル」
「・・・じゃあ、どうやって?どうやって、フレームワークを逸脱させたの?」
サマンサはアンティークなデザインのティーカップに手を伸ばし、一息つくようにゆっくりと紅茶を口に含んだ。そして、焦らすようにソーサーにカチャリとカップを戻してから口を開いた。
「・・・プライベート・ゾーン(※フレッドのシステムが記録したサマンサのプライベートな時間の映像記録、及び、ログ)の解析は?」
「・・・あと二、三日かかる、裁判所の許可が出るのに」
「そう・・・。アプリコット社のハルト・ヤマナカは、ご存知?」
「ええ、今回の調査、CTO(最高技術責任者)の山中さん自ら指揮をとってくださってるわ」そう言いながら私は山中さんの言葉を思い出した。『あくまで私個人のサマンサ像ですが、・・・とても高潔な人です』
「ハルト・ヤマナカ、懐かしいわね。彼もツバサに憧れた一人」サマンサは細い両腕を重ねてテーブルに置き、遠い目をする。
「・・・たくさんの人が翼に憧れたわ」
私の言葉にサマンサは視線を戻して微笑んだ。
「フフッ、ハルトがいるんじゃ、すぐバレちゃうわね、私がどうやってフレームワークをスルーさせたのか」
「・・・どうやったの?」
「そうね、・・・ハルトに伝えて、『アシモフの罠』って。そしたら、すぐに分かると思うわ」そう言うと、サマンサは再び遠い目をする。
「『アシモフの罠』・・・って何?」
「・・・今から50年以上も昔、”Yomibito Shirazu(詠人不知)”というペンネームというか、匿名?で執筆されたエッセイ。アイザック・アシモフの小説やロボット工学三原則を題材とした作品。マリはアシモフという作家をご存知かしら?」
「ええ、これでもAI社会生態学の博士なんで」
アシモフの『I,Robot』は翼に勧められて読んだ本だ。正直、全然、面白くなかった。それに、・・・アシモフが空想した未来はこなかった。
同書は1940年代にアシモフが発表した一連の作品をまとめた短編集だ。ロボット心理学者のスーザン・キャルヴィン博士の回顧録という設定で記述され、過去に起きたロボットの不可解な行動とその謎解きを綴るストーリーになっている。物語の世界では、ロボットは「ロボット工学三原則」を守って設計・製造されているという前提だ。
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ロボット工学三原則
第1条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第1条に反する場合は、この限りではない。
第3条:ロボットは、前掲第1条及び第2条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。
(アイザック・アシモフ『われはロボット』小尾芙佐訳より)
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『三原則』はシンプルだが、第1条を守るために第2条を無視したり、第3条を第2条に優先させなければならない場合もある。さらに第1条を短期的に考えるのか、それとも長期的に捉えるかで判断は変わり得る。あるいは、人間として特定の個人を対象とするのか、それとも社会や人類全体を対象とするのかでも判断は変わってしまう。そういった視点の違いで『三原則』の判断結果は変わる。よって、ロボットと異なる視点で見る人にとってはロボットの行動が不可解に映り得る。著書『I,Robot』では、ロボットが人間を職場から追い出して軟禁したり、仕事をサボったり、嘘をつきまくったり、重大な法律違反を密かに犯している等の事件が起こる。同書の謎解きでは、登場人物にとって当初不可解に見えたロボットの行動も、視点をあれこれ変えて見ることによって、それが『三原則』を遵守した妥当な行動であった、と解釈して一件落着する。そんな内容だったと記憶している。
アシモフの『三原則』は、21世紀に入ってもAIの暴走を防ぐ仕組みの道標のような役割を果たした。実際、AIの暴走を防ぐために国際社会が定めた規則・枠組みであるフレームワークは、象徴的に最上位で『三原則』を踏襲している。もっとも、フレームワークは三か条では済まず、今現在、その条項は二万を超える勢いで増加、複雑怪奇化している。
「そうねぇ、私は単にフレームワークの弱点を利用しただけなの」そう言いながらサマンサがはじめて自然な微笑みを見せた。
「フレームワークの・・・弱点?」私は少し怖くなった。この女は、その弱点を知っており、それを利用し実行に移した?
「フレームワークのような考え、つまり、ルールを規定してそれに従わせようというアプローチは、それを規定した理由、前提条件が変わるとうまく機能しなくなるの、特にAIが高度になればなるほど」
「前提条件が変わると機能しなくなる?・・・フレームワークが?」
「私はそれを利用したの、利用することができたの」
「・・・前提条件って?」
「今回の場合、人体の冷凍保存。これまでは人体の冷凍保存は法的には死者を埋葬する一方式という解釈でした。なので死んだ後にだけ適用でき、生きている人を冷凍保存することは殺人罪でした。でも、その解釈の根底が崩れたわ」サマンサは膝の上に手を置き、顎を少し引いたまま私を見つめた。
「・・・生きたまま冷凍保存する行為が、その時代では余命いくばくもない難病患者を助ける極めて有効な医療行為となりうると。『ロボット工学三原則』の第一条、いや、フレームワークの最優先ルールの前提条件が180度変わった、と?」私は頭の中を整理しながら、ゆっくり言葉を繋いだ。
「ええ」サマンサは目を閉じたまま頷いた。
アシモフの著書では、ロボットが不可解に見える行動を取っても前提条件を考える『視点』をよくよく考え直すと、その行動が三原則に従っていると解釈されて一件落着、登場人物たちは胸をなでおろす。しかし、もしも三原則の『前提条件』そのものが変わってしまうならば・・・。
「・・・なんら改造していないヒューマノイドに、まるでフレームワークをスルーさせたかのように違法な活動をさせることができた、と?」
「違法・・・まぁ、そうね」
「・・・フレームワークをスルーさせた方法の原理は理解できると思う。だけど、自分の思い通りにヒューマノイドを制御できるもの?」
「そうね、とても難しいわ。それぞれのメーカー、それぞれのAIのバージョン、それぞれのヒューマノイドごとの経験で反応が微妙に違うの。もちろん、スーパーAIを使ってエミュレーションしながら進めたけど、とても大変だったわ」
とても大変だったと言いながらサマンサは微笑した。以前、翼が言った。『技術者ってぇのは、大変な課題を苦労して克服するのが大好きな連中さ』サマンサは翼のいう技術者連中なのだろう。
「(あっ、あれは、そういう理由?)」 私は存在自体が疑問だった事件を思い出した。「・・・フレッドがポートランドの旧カルダシェフの施設に忍び込んで警備員に拘束された事件、あれって」
「はい、私の制御ミス、大失敗でした。まさかフレッドがあんな行動に出るなんて想定外でした」
私が計画した陽動作戦 ––––– 入院中のケイをカリフォルニアのメルクーリ本社から突然連れ出し日本へ移動させた ––––– で、サマンサは慌ててフレッドに指示を出した。しかし制御に失敗、本当は隠密行動の情報収集だったのだが、フレッドは暴走してポートランドの施設に侵入、捕獲されたそうだ。
これで理解できた。サマンサとルリタニア共和国による一連の工作活動は非の打ち所もなく洗練されていた、あのフレッド拘束事件を除いては。あれだけが、ずいぶん稚拙な感じがしたが、そういう理由があったのだ。
フレッド捕獲の一件で、それまで隠密に進めていた工作活動は表沙汰になった。追い込まれたサマンサは米国から逃亡、同時にルリタニア共和国の全面的な支援を得ながら、それまでの慎重な工作とは一転、大胆な方法で短期決着に打って出た。それが、––––– 昨日の朝、私の部屋からアクセサリーを盗み、その後、私を襲ったロザル共和国の暴漢を蹴散らし、さらに自動車を襲ってケイと私を追い詰め、フローラを使ってケイにブラフをかけて冷凍保存の秘密を吐かせ、それをマスメディアにリークした。そして、メルクーリの最高経営責任者はまんまと策にはまってダシに使われた。––––– 私がサマンサの家を出てから二十時間かからず作戦は完了してしまった。陽動作戦は成功した。が、その後は完膚無きまでに叩きのめされた。
「ねえ、何故、ロザル共和国からあたしを助けたの?あなたが必要だったのはケイだけよね?あたしがいなくなった方が工作活動、楽になったよね?」私は力なく問いかけた。サマンサは困ったような笑みを浮かべながら、ゆっくり口を開いた。
「あなただから。ツバサの娘のあなただから」
すべきでない質問だった。なんで聞いちゃったんだろう。知りたくない・・・。でも知りたい。




