<23> 素敵な姉妹
最初は何度も見た夢のワンシーンだった。翼が現れ、少しニヒルな、でも優しい笑顔を向ける。私の身体は感動で震え、眼は涙で溢れる。「戻ってきたの!」と叫ぶが声にならない。翼の胸に飛び込み、抱きしめ、その瞳を見つめると翼は私の額にキスしてくれる。いつの間にかシーンは海岸に変わっている。波打ち際を腕を組みながら歩いている。胸をときめかせながら翼の腕を引き寄せようとする。が、徐々に矛盾が勢力を増しゆく。そのシーンには海岸も波打ち際も描かれていない。そして、なぜ海岸にいると思ったのか戸惑う。翼の姿、表情には、それが本物だと思えるだけの十分なディテールがある。が、背景に関しては全く具体性がない。やがて私の脳はそれが夢だと認識してしまう。気がつくと、涙に濡れた枕で現実に引き戻される。
我にかえり自虐的な気持ちで、それが夢だと確かめるように検証してしまう。実際の翼は稀にしかキスしてくれなかったよね?「俺が育った文化圏じゃあ、父親が年頃の娘にキスする習慣はねえ」とか言って。泣きながら、クスクス笑ってみる。「あ~あ、夢だと知ってたら起きなかったのに」実父に捨てられた娘と、その原因を作ったと思い込んでいる男、私の真の父(正確には父親代わりだけど)、私を愛し、私が愛した男。
背景のない海岸線。その日も、そこで目覚めるはずだった。が、目覚める代わりに次のシーンに飛ばされていた。ほのかな自然光を目指して薄暗い廊下を先へ進む。開け放しの扉で一瞬躊躇してから部屋の中に入る。この部屋には来たことがある。あの女の部屋だ。ダークブラウンのフローリング、イミテーションの暖炉、何もない飾り棚、床と同じ色のティー・テーブルと椅子。無人だった部屋に、いつの間にか翼が現れ、女とテーブルを挟んで談笑している。アニー、いや、フレンズ社創業者にして超のつく天才、サマンサ・フォーサイスだ。その場を去ろうと二人に背を向けた時、後から来た男と肩がぶつかりそうになる。痩身の男は私を避けようとしてバランスを崩し、壁に背中をぶつける。完全に私の不注意だ。が、私は男に謝られた。
「ごめんなさい、お怪我ありませんか?」
ケイだ。私は驚き「ケイ、どうして、ここに?」と叫ぼうとしたが、やはり、声を出すことはできない。ケイは私に微笑み、一礼すると部屋の中央のテーブルへ向かった。テーブルのティーカップは三つに増え、ケイはサマンサと翼に暖かく迎えられる。「ケイ、ケイ!」私は、彼の名前を呼び続けたが、その声は心の中に留まり、誰も私には気付かない。私の瞳は何故だか涙で溢れ、声にならない声でケイの名を呼び続ける。諦めかけたその時、最後の一声が私の鼓膜を震わせ、頬を伝わる冷めたい涙と、誰かの手のひらのぬくもりを感じた。夢と覚醒の狭間、優しさに包まれた一瞬の錯覚。
その手は優しく私の頭を撫で続ける。「真理さん、大丈夫ですよ。大丈夫です」呼吸を整える。無様な姿を晒してしまったが相手は人間じゃない、幸い。でも照れながら身体を起こし、クレオを振り返った。クレオは、その美しい人工の顔に微笑みを浮かべ、私の頬を流れ落ちる涙を細い指先で優しく拭った。その本当は無機質の顔に向け、私の顔はぎこちなく微笑み、赤らんだ。しばらくクレオと見つめ合う。計算された優しさ、心なんてない。けれど、今の私にとっては優しい、たぶん、必要な存在。
「ねえ、キスして」そう言ったら、クレオは私の頬に手を添えて唇を重ねた。ちょっと、びっくりしたが、普段、あまりキスをしない日本では、キスといえば唇にする設定なのだろうか?そんなことを考えながら、ゆっくりクレオをハグした。
「ねえ、カンダ製のあなたにとって、本城翼って父親になるの?」ハグしたまま、クレオの耳元で囁いてみる。そして、その柔らかく、形の良い耳たぶにキスをした。
「生物学的な父とは異なりますが、KGE41型の流れを汲む私たちにとって、本城博士は父と位置付けられています」
「じゃあ、あたしとあなたって、姉妹になるのね?」
「生物学的にも家族法的にも違いますが、いくつかの物語、フィクションでは、そう解釈する事例もあります」
「かたいなぁ~、・・・まあ、いいや」
午前2時、4時間ほど仮眠できた。モバイルデバイスには、ジョンからのメッセージが届いていた。クレオの肩に甘えるようにもたれながら、ジョンのメッセージに目を通す。
アニー・シャノンとサマンサ・フォーサイスが同一人物であること、フォーサイスは旧姓であり、今の姓がシャノンであるとのことだ。私の祖父母もそうだったが、昔は夫婦同姓が一般的だった。サマンサの年代で夫婦同姓は希少だが、多くの国で制度的には今も可能だ。サマンサは25歳の時、3つ歳上の同郷の社会起業家、エリック・シャノンと結婚、しかし、この時、夫のエリックは既に余命幾ばくもない不治の病に伏していたそうだ。結婚で姓をフォーサイスからシャノンに変えたが、通称をサマンサからミドルネームのアニーに変えた時期については分かっていない。そして、結婚一年後には夫エリックを病で失い、その半年後には創業したフレンズ社も辞めたそうだ。
ジョンのレポートには、さらに掘り下げた情報があった。サマンサの父親は、フレンズ社を買収したジェネラル・ロボティクス社の研究所長で、サマンサは物心つく頃には、父からロボティクスに関する英才教育を受けていたそうだ。父娘を知る知人の話では、幼少期に母親を失い、男手一つで娘を育てた父親にとって、英才教育は娘とふれあう重要な手段だったのだろう。
サマンサは15歳で大学に入学したが、ほどなく、幼少期から姉のように慕っていたケイト・ナカガワ(15歳も年上)という起業家に誘われる形でフレンズ社を設立し、大学は中退した。当時から、超の付く天才と呼ばれていたが、同時に超の付く人見知りだったそうで、父親とナカガワ以外とは、ろくに会話もできなかったそうだ。
フレンズ社は、父の関係もあったのだろうか、ジェネラル・ロボティクス社から少額の出資を受け、さらに開発環境、製造施設などを借りて低予算で細々と開発を進めていた。そんな折、カンダ・モビリティーズから世界で初めて不気味の谷を乗り越えたとされるヒューマノイド、KGE41型が発表された。第三次ヒューマノイド・バブルのはじまりだ。その影響を受け、設立2年目のフレンズ社は時代の寵児となった。
ほどなく同社はナカガワの強力なリーダーシップとサマンサの異能の才で斬新な製品を次々設計・開発、企業価値を急激に高めていった。そして、2050年、同社はジェネラル・ロボティクス社に成功裏に買収された。この買収でサマンサとナカガワが受け取った富は、ジョン曰く「小国を2つ、3つ、楽に買える金額」だったそうだ。
ビリオネアになったサマンサは闘病中のエリックへ最高の治療を施すべく世界中の医療関係者と接触、さらに故郷アイルランドで医療施設を買収してエリック専門の療養所に改良、エレン、フローラ(後のフレッド)、ジーナ、三体のヒューマノイドに医師プロウェアをインストールして治療にあたらせた。が、結局、エリックを治療することは叶わなかったようだ。私が訪問した(サンフランシスコ)ベイエリアの家は、まだ、富豪になる前にエリックと同棲していた家なのだそうだ。
ジョンのレポートでは、サマンサは21歳の時に父を亡くし天涯孤独となり、恐らく、その数年後、エリックと出会い恋に落ち、そして、サマンサ26歳の時にエリックとも死別している。私が翼を失ったのと同じ年齢だ。
細い手が肩にまわり、慰めるようにクレオがそっと寄り添う。その時まで、自分の瞳から涙がこぼれ落ちていることに気付かなかった。
「あっ、ゴメン、ちょ、ちょっと感情移入しすぎちゃった」
泣いてばかりで恥ずかしくなる。本当はクレオに抱きしめて欲しかったが、天井を見上げて我慢し、ソファーから立ち上がり、ゆっくり呼吸を整えた。「あ〜、あ〜」と発声練習を繰り返した。震えずに声を出せそうになったのを確認してからモバイルデバイスのヘッドセットを耳にあて、ジョンを呼び出す。
「ジョン?」
「何かあったのか?」ジョンの緊張した声が届く。
「いや、目が覚めたんで」
「日本は今、・・・夜中の2時半かよ?」
「サマンサの件、ありがとう」
「ああ、ヨーロッパにいる調査員に調べさせている。この件はAICSの最優先タスクだ」
「質問があるの」
「なんだ?」
「サマンサと翼の関係って?」
「・・・」
「何か分かった?」
「確認はできていない。が、フレンズ社共同創業者のケイト・ナカガワによると、少なくともサマンサは翼を敬愛していたそうだ」
「敬愛ねぇ・・・ケイト・ナカガワと翼の関係は?」
「同窓生、MITで大学院時代、隣の研究グループに所属してたんだと。友人とは呼べないが、古くから知人ではあるそうだ。俺も知ってるが、翼はフレンズ社の製品が大嫌いだ。ナカガワとは、あまり仲良くなさそうだ」
「サマンサと翼を繋げたのは、ケイト・ナカガワ?」
「・・・調査と関係あるのか?それとも個人的な興味か?」ジョンの声に少し、イライラした感じがこもる。
「もちろん仕事よ」心の中で『半分は』と付け足した。
「・・・ナカガワは、フレンズ社設立前にサマンサを翼に合わせている。サマンサ15歳、翼31歳の時だ。以来、サマンサにとって翼は憧れの存在なんだと。もっとも、翼は多くのヒューマノイド設計者にとって憧れの存在だったがな」
「付き合ってたの?」
「個人的な質問か?」
「調査上、必要な情報よ」
「・・・ナカガワの話では、5、6年前に会った時は、サマンサは翼と付き合っているようだったと」
「・・・おかしいじゃない!なら、何故、翼の葬式にこなかったの?なぜ、娘のあたしに一言も挨拶がないの?」
「・・・」
「ゴメン」
ジョンは大きくため息をつき、つぶやくように語りかける「・・・まあ、俺もまだ奴の死をうまく整理できてねえしな」
「・・・ねぇ」
「ん?」少し遅れて気のない返事が届く。
「翼って、本当に死んだのかなあ?」
「何言ってんだ?」
「サマンサは誰を冷凍保存しようとしているの?」
「・・・」
「翼は、実は瀕死の重傷のまま生きていて、サマンサは翼の治療を未来の医学に委ねようとしている?そう思うの、ねえ!」
マイクの向こうでジョンのため息が聞こえる。「真理、・・・そう思いたいのは分かる。俺だって、そうだったらいいなと思う。だがな、俺たちは2年前、たしかに翼の亡骸をこの目で確認したんだ。それだけじゃない。司法解剖もされて、体内埋め込み型の生体センサーだって翼のものだったし、指紋も虹彩もDNAだって確認済みだ」
「・・・うん」
「真理、・・明日も仕事だ、今日のところは寝な」
「そうだね、・・・ジョン、ごめんね」
「ふっ、いい子だ。さっさと寝ろ、俺はこれから欧州に行く」
通話を切ると時刻は午前3時になっていた。今度はクレオに甘えず、クッションを枕に眠りにつこうとタオルケットを引き寄せていると、
「あのぉ、真理さん」と心配そうな表情を向けられた。
「あ、今度は一人で寝れるから大丈夫」と答えると、さらに深刻な顔をする。
「いえ、ご依頼の情報の件です」
私は、タオルケットを放り投げてソファに座りなおした。クレオによると、日本時間朝4時から欧州のルリタニア共和国の大統領が人体の冷凍保存、いわゆるクライオニクスに関するプレス・カンファレンスを開催するという。
「ルリタニア?」
「はい、2058年に欧州で独立、新しく生まれた国です」
「あ、うん、あの国のことは少し知ってる」
ルリタニア共和国は住民投票で独立したことで話題になった、私が学生の頃の話だ。古城で有名な東欧か北欧の観光地、たしか人口20〜30万人の小国だ。
2040年前後、世界はAIによる雇用問題で揺れ動いたが、その際、混乱に乗じて欧州を中心に四十以上の地域が独立を宣言、新国家を樹立した。私を襲ったロザル共和国もそういった国の一つだが、新国家の多くは政情が不安定で国際的には、いまだ独立国として認められていない地域も少なくない。そんな中、ルリタニア共和国は一番最近、独立し、且つ、最も安定している模範的な新国家となった。立憲君主制のもと、独立の立役者でもあった現元首の優れたリーダーシップと、それを上手く支援しているルリタニア公爵の舵取りを賞賛する声が多い。一方で小規模なので注目されないが、ルリタニアの諜報部隊は世界最高峰の人材を集めているという噂があり、ジョンの話では、翼も高額の契約金をオファーされた一人なのだそうだ。
「それから、先ほどの通話でお話されていたフレンズ社の共同創業者、サマンサ・フォーサイスさんの叙勲式が現在行われていますが、もし、ご興味あれば、映像を流しますが、どうしましょう?」まるで、コーヒーにしますか?紅茶にしますか?と尋ねるように問われた私は、しばらく答えに窮してしまった。
「・・・サマンサが叙勲式!?」




