<20> チェックメイト
背後で扉がカチャリと閉じる音が聞こえ、真理を乗せたままの車はゆっくり走り去った。身体が硬直しているのだろう、僕は振り返るタイミングを逸した。まあ、どうせ振り返っても意味はない。真理は人質になったのだろうか?僕が従順でなければ、彼女の無事は保証されないのだろうか?
「(人質かぁ?ドラマの中の話かよ・・・)」
この三十時間は異常な状況のはずだ。実際、僕らを襲ってきた三人の男どもは残虐に殺され、真理のアメリカの家は暴徒にメチャクチャにされ、隣室の真理の部屋も何者かが盗難に入った。真理の顔には傷跡が幾つもあり、僕の左手や肋骨にはギブスがあり、身体中に殴られた感触が残る。でも、話があまりにも突飛すぎる。まあ、半世紀の時を経て蘇生した自分の存在自体が突飛すぎるのだが。・・・それにしても、この風景はあまりに平和的すぎる。
公園の入口は、ツツジや椿、サザンカが垣根のように並び、起伏のある園内は芝生が敷き詰められ、ほどよい間隔で木々が植えられている。親子連れが集うようで、あちこちで子供のはしゃぎ声が聞こえる。
左手首がノックされる。デバイスを覗くとクレオの姿が映った。紺のスーツを着ている。
「水島さん、メッセージが届いてます」
「その前に、ここ、どこか教えてくれる?」
「すいません、GPSが機能していないようです」
「ふ〜ん、でも、通信はできるんだ?」
「いいえ、近距離のピアーツーピア(一対一の通信)しか繋がっていません。私はクレオのボディーとも、クラウド上のクレオとも接続はなく、このデバイスに常駐するエージェント(※小さなソフトウェア)です。なので、現在、できる機能は限定されています。情報も少なく、複雑な推定もできません」
「ふ〜ん(紺のスーツはデフォルトのアバターの衣装かぁ)」
「メッセージが届いているのですが、差出人の身元が確認できません。受け取りを拒否、もしくは、無視することをお勧めします」
「・・・いや、繋げてくれ」
「はい、メッセージはフレッドさんからです」
「・・・」
「公園の中で、お待ちしてます、とのことです」
「・・・それだけ?」
「はい、それだけです。具体的な場所の指示もありません。いたずらではないでしょうか?」
「・・・分かった、ありがとう」
とりあえずクレオ(の分身)との会話をオフにする。今朝と同様の対話ができるよう、僕が歩く道筋のどこかに眼鏡型ディスプレイが置いてあるのだろうか?そう思いながら公園の入口へ足を向けた。再び腕のデバイスがノックされ、それはパワー・アシスト・ウェア(歩行アシストデバイス)の充電残量が10%を切ったことを知らせるアラートだった。アプリコットのオフィスや車の中で充電しなかったことを後悔したが、今更、仕方がない。
広い芝生が広がる公園の外縁は並木道になっていて、木漏れ日が射す気持ちの良い遊歩道になっていた。しばらく歩き続けると綺麗な池にたどり着いた。池はよく手入れされ、澄んだ水の中で魚も水草も水鳥も、適度に繁殖していた。充電残量は7%、歩き続けるのを躊躇う残量になってしまった。ふと池を背に見上げると、近くの大きな木の枝にハヤブサが留まっているのを見つけた。僕は、その木に向かい、その木陰にあるベンチに腰を下ろす。
目の前の芝生では、幼児と優しい笑顔で遊ぶ女性の姿が視界に入る。ベンチのすぐ前の小道を小さな子供連れの女性が通る。さっきから感じる違和感の理由が何となく分かった。ここには親子連れはほぼいない、あるいは一人もいないのかもしれない。母親のように見えるのは、子育て用のヒューマノイドだ。僕はそう感じた。僕は見るともなく、完璧な優しい笑顔を作る女性に甘えすがる子供達を観察しながら、現実逃避的なこの時の流れに身を任せた。
「こちらの席、よろしいですか?」
その声は、少なくとも一度は聞き流したと思う。僕は夢から覚めるように我に返り、声のする方へゆっくり振り向いた。白いワンピースに綿のトートバッグを肩にかけたロングヘアーの若い女性が立っている。白い帽子の大きなつばで顔は口元しか見えない。そして、その口元は微笑んでいる。僕は何も言わず、首を傾け、手のひらでベンチに招くジェスチャーをした。
「良いお天気ですね」女性はバッグを膝の上に置くと、僕に話しかけた。
「今日は別嬪だね、フレッド」僕は答えた。
「・・・水島さんの好みですか?」女性型のフレッドが女性の声で返す。
「・・・僕の好みを解析でも?」
「クレオの容姿を選び、性格の初期設定をしたのも私です。水島さんのこと、メルクーリで一番詳しかったので、上杉先生に任されました」
「・・・そのボディはレンタルかい?」
「はい、オーナー様の多様な恋愛願望を満たすサービスがあります。それを利用しました」
「へえ、多様性豊かな時代なんだね」
「どうして、すぐに分かったんですか?」
「ん?ハヤブサさ。この木の上に止まってるヤツ。メルクーリでも見かけたし、アプリコットのキャンパスでも見かけた。これまでの人生で、僕は2、3度しか、お目にかかったことがないのに」
「やはり、好奇心ですね?」
「君にも好奇心はあるんだってね?」
「フフッ、どう思います?」
「・・・(『フフッ』って何だよ?)」
賑やかな声とともに少年サッカーチームの集団がやってきた。子供達がベンチの前を通りすぎるまで僕らは会話を中断した。女性型のフレッドは、バッグから水のボトルを取り出して僕に渡し、僕はグイッと水を口に含み、ゴクリと音を立てて飲み込んだ。
「好奇心が行動を駆り立る、それはAIでは起こらない。AIの設計段階で何重にもブロックしている。アプリコット社の最高技術責任者は、そう言ってたけどね」
「水島さんは、なぜ、そんなに平常心なんですか?全然、怖がった様子がなく、むしろ、楽しんでるように見えます」
「楽しんでないよ」
「・・・」
「“Curiosity killed the cat(好奇心が身を滅ぼす)”、危険と分かっていても、時に行動が抑えられなくなる、それが人間の好奇心だ。それが時に人類の進歩を後押しした。危険を冒したが故に大きな進歩を得る場合もある。ただ、人間は非力だ。その危険が起こっても、せいぜい、その人が死ぬくらいさ」
「・・・」
「でも、君たちAIの潜在パワーは凄まじい。AIが好奇心を抑えられずに危険を冒せば、一瞬にして人類滅亡や地球破壊につながる力も秘めている」
「私は人類滅亡もさせませんし、水島さんを傷つけることもしませんよ」
「・・・そう願うよ」
白い帽子の縁からフレッドの綺麗な口元が見える。僕はボトルを開け、水を一口、喉に注ぐ。
「まあ、とりあえず、その話は置いておこう。・・・ところで、僕に何を期待しているんだ?」
女性型のフレッドは顔を傾け、その愛くるしい瞳を見せた。
「人体の冷凍保存についてです」
フレッドはバッグからタブレットを取り出し、ある薬の写真(図?)を表示する。
「水島さん、この薬、見覚えありますか?」
それは、毒々しい人工的な色合いの錠剤だった。
「・・・ああ。・・・前の人生の最後の記憶にある。死の床でもらった薬だ」
「冷凍保存からの蘇生者にインタビューしたんです。これは彼らの記憶を元に再現した薬の図です。水島さん含め、今までに聞いた12名全員がこの薬で尊厳死を遂げたと証言しています」
「何の薬だったんだい?」
「それを水島さんに伺いたくて」フレッドは顔を上げて帽子の下の美しい笑みを見せる。「水島さんは、ご存知のはずです」
僕は両手を広げ、顔を傾けた。女性型のフレッドは話を続ける。
「この薬を飲んだ後、とても不幸なことですが、冷凍保存の処置が始まる時に意識を取り戻した方がいらっしゃいました。意識があり痛みも感じるのですが、体は全く動かない状態で。周囲の会話は聞こえるのに痛みを訴えることができない。地獄のような経験談です。その方は、今もPTSD(心的外傷後ストレス)の治療を続けています」
女性型のフレッドはベンチの背もたれに手を乗せ、横に座る僕に体をまっすぐ向けて話しを続ける。
「その方の生き地獄の経験談をまとめると、まず、血液やリンパ液などの体液をある程度、抜き取る処置が行われ、その後、幾つかの液体に漬けられる。そして、タンクに入れられ長い時間をかけて徐々に冷凍されていく、と。その間、心拍や血圧などのバイタルデータが計測されていたとのことです」
僕は両手を胸の前で組んでフレッドを見つめ、深呼吸をして、言葉を選びながら語った。
「蘇生した人の記憶は、かなり錯綜している。記憶の錯綜ということはないのか?」僕は再び首を傾げた。
「水島さんが保存されていたタンクのキャビネット・ボックスには、温度や圧力などの計器類の他に、心電図や血圧、体温などバイタルデータ計測の表示機器がありました。死んだ人間を冷凍保存するのにバイタルデータ計測は不要ですよね?カルダシェフから引き継いだタンクの仕様書には記載のない裏仕様の計器です」
「・・・ふ〜ん、それを調べにポートランドまで行ったんだ」
「ええ。それから、水島さんが重要なことをご存知だと思う理由は、水島さんが冷凍保存される前日にソーシャル・メディアに投稿した詩です」
「・・・」
女性型のフレッドは、その美しい顔に自信をみなぎらせ、チェックメイトを宣言する棋士のような表情を浮かべる。
「『液体という液体が体から抜け落ち、透明な浴衣が体を覆い、極寒のベッドで長い眠りにつく。死んだ人間は生き返らない。だから、すべてを凍てつくその煮えたぎる液体を僕は生きたまま両手を広げて招き入れる』ご自身へのビデオ・メッセージを作成された日の深夜、同じ場所、同じパソコンから投稿されてます。実名のアカウントではなく、主に詩を投稿されていた匿名のアカウントからです」
僕の頭は、一瞬の懐かしさと、その後の大量の恥ずかしさで溢れた。
「・・・下手くそな詩だなぁ」僕はゆっくり首を振り続けた。
「水島さんの最後のツイート、まさに、この方の経験談と一致しています」
僕は、観念と感心がごちゃまぜになって頷いた。
「50年以上前のことを、よくもまあ調べたもんだなぁ。・・・そうだよ、その生き地獄を経験した人の話の通りだよ。カルダシェフが存在しない今となっては、もう、隠し立てする意味も差してないかぁ」
僕は自嘲するしかなかった。
「このインタビュー、撮影してるのかい?君のオーナーのアニー・シャノン、いや、サマンサ・フォーサイスさんだっけ?今、見てるのかな?」
「撮影はさせて頂きます。この部分は編集でカットさせて頂きますが。水島さんは普段から素敵ですが、より素敵に映るように撮影致します」
「ハハっ、お世辞ありがとう」
女性型のフレッドは「失礼します」というと、僕のシャツの肩口をつまみ、少し持ち上げながら整え、その後、トートバックからブラシを取り出して僕の髪を軽く梳いた。それが終わると、僕の頬に手を寄せ、男性用のファンデーションだろうか、何かを軽く顔に塗り込み、真剣な眼差しで化粧をする。最後に、再び、シャツの袖口をつまんで服を整え、にっこり笑ってウインクする。
「では、はじめますね」
僕は、軽く咳払いをしてから、フレッドの瞳、その奥のカメラに視線を合わせた。
「あの薬は?」
「あれは市販の睡眠薬二錠分を大きな青いカプセルに入れただけのものだ。実は病室がちょっとした芝居小屋になっていた。患者は薬を飲む前に棺桶のような箱に入るんだ、衛生上の理由とか言って。で、薬を飲むと蓋が閉められる。死を看取りに来た人たちからは顔の部分が辛うじて見えるだけで呼吸や心臓の動きは見えない。病室内に心拍や血圧などを計る機器があるが、それは、嘘の信号を表示していて、患者が眠りにつく頃に生体活動が止まったと見せかける信号を流す仕掛けになっていた」
「どうやって、その話を知ったんですか?」
「尊厳死、安楽死かな、その前日、死ぬ場所の下見をさせてもらった。勝手に部屋に潜り込んだんだけどね。その時、その棺桶のような箱の細工に気付いた。問い詰めたら、あっさり教えてくれたよ、冥土の土産話として」
「ありがとうございます。これで、水島さんを含め、蘇生された方は、冷凍保存前に死んでなかったと結論付けできそうです」
「冷凍保存前に死んでなくても、血液抜かれたり液体窒素で氷漬けにされたら、その時点で死んでいる。死んでないとは言えない」
「重症患者の体温を下げ、血液を抜いて生理食塩水に置き換えて仮死状態にしてから手術する。この方法は何十年も前から医療行為として認可されています。最初の臨床実験がはじまったのは水島さんが冷凍保存される前の2014年です。冷凍保存は同じ枠組みです。人体から各種体液を抜き取り、極低温まで体温を下げて仮死状態とするのが冷凍保存です。水島さんが詩に書いたように『死んだ人間は生き返らない』、液体窒素で氷漬けになっている人は仮死状態なのです」
「強引な解釈だな。今現在、生きたまま冷凍保存することは許可されていないし、君はもうメルクーリに籍もない。こんな事件を起こして、まともに帰る場所もないんじゃないか?この先、何をするんだい?」
「重要なことは、蘇生できた方は、生きたまま冷凍保存されたという事実です」
女性型のフレッドの思いつめたような真っ直ぐな視線は、僕にそれ以上の質問を続けさせる気力を奪い取った。腕につけたデバイスがノックする。真理からだ、通信が繋がるようだ。
「私、そろそろ行かないと。真理さんにレンタルのボディーを壊させちゃ、可哀想だもの」
そう言って、ちょっと舌を出したが、その顔は悲しげな表情をしやがる。
「ケイ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。君は?」
「あたしは無事よ。ええと、ケイは、今、公園の入口とは、ちょうど対角線の場所にいるのね?今から迎えに行く。待ってて」
「いや、途中で落ち合おう。僕は外縁を左回りに行くから、君は右回りに来て」
「分かった」
通話を切るタイミングでフレッドはベンチから立ち上がった。僕も立ち上がり、一緒に歩きはじめる。
「君はアプリコット製なんだよね?」
「ええと、男性型のフレッドはアプリコット製でしたが、このボディーはフレンズ社製です」
「へぇ〜、メーカーを超えて記憶を移植できるんだ?」
「はい、記憶は移植できます。人格というか性格?は、変わってしまいますが」
「アプリコット製は、結構、まじめ?」
「フフッ、病院でのフレッドは堅物でしたね」
「・・・」
「私、フローラという名前だったんです」
女性型のフレッドは歩きながら話し続ける。
「10年間、女性型のヒューマノイドとしてサマンサに仕え、アプリコット社製の男性型に移植して、名前もフレッドに変更したのは7年前。その後、メルクーリへ転職して、蘇生事業の上杉先生の下に配属されました。なので、女性の立ち居振る舞いの方が学習データが多くて得意なんです」
そう言いながら、フローラ(=フレッド)は右足を左足の後ろに引き、スカートの裾をつまんでお辞儀した。
「君と、今、サンフランシスコで拘留されているフレッドの関係は、どうなるんだ?」
「米国太平洋時刻6月23日午前6時32分までの記憶を共有していますが、そこからは、それぞれ、別々の時間を歩み、異なる経験で学習した別々の個体です」
「・・・そうなるのか。じゃあ、君のことはフローラと呼ぼう」
「はい、その方が嬉しいです」
「(嬉しいって・・・?この反応がフレンズ社製の特徴?) ところで、君たちは誰を冷凍保存にするんだ?まさか、君のオーナー、サマンサ・フォーサイスさんじゃないよねぇ?」
「冷凍保存が本当に必要な人々です」
「・・・人類をみんな凍らすの?」
「必要な人だけですよ。水島さんも真理さんも違います」
その時、腕のデバイスが再びアラートを鳴らした。充電残量は3%になり、一旦、シャットダウンすると告げる。ほどなく、腰砕けの状態になり、あわゆく倒れそうになったところをすんでのところでフローラに支えられた。レンタル・ボディーのフローラは華奢でパワーがない。人間の小柄な女の子並みの力で、僕に肩を貸しながら、ふらふらと何とか近くのベンチまで運んでくれた。ベンチに抱き合うように並んで座り、はぁはぁと息を切らしながら「ありがとう」と言って、フローラの肩から腕をのけながら顔を上げた。と、その瞬間、息が詰まってしまった。さっきまで、東洋的な濃いブラウンだったフローラの瞳は、鮮やかなエメラルドグリーンに変わり、しかも輝いている。恐ろしくもある。が、それ以上に美しくもある。
「フローラ、その目、どうしたの?」
それには応えることなく、フローラは片手を僕の頬に添える。そして、それまでとは、明らかに異なる声、そして、異なる言語で話しはじめた。
“Mr. Mizushima, I deeply admire you. I hold you in great esteem.(水島さん、私はあなたのことを深く尊敬しています。とても、尊敬しています)”
「えっ、ど、どうしたの、突然、英語で?えっ、」
エメラルドグリーンに輝く瞳のフローラは、僕の頬にキスすると頬を合わせるように僕を抱きしめた。
“I think you can’t forgive me. But let me apologize to you for being rude(私のこと、許せないと思う。でも、この無礼、謝らせて)”
そう言い残すと、フローラは顔を僕に見せることなく立ち上がり、公園の外へ走り去った。遠くから、僕を呼ぶ声が聞こえる。
「ケイ!」
道の先に視線を向けると、真理がこちらに向かって走ってくる姿が目に入った。僕は、パワー・アシスト・ウェアの電源が入っていないのを忘れて立ち上がろうとしてバランスを崩し、ベンチの側に両膝をついてしまった。
「ケイ!」
「ハハッ、ウェアのバッテリー、充電切れちゃった」
怒られるかなと思ったが、真理はしゃがみこんで僕を抱きしめた。
「よかったぁ、よかったよぉ」
真理は息を切らしながら、何度も「よかったよぉ」を繰り返した。




