<1> 再起動
暗いのか明るいのか、感覚器官が判然とせず、視界も音もこもっている。自分の肢体の存在を感じえず、かろうじて知覚できるのは顔の上半分だけだ。朦朧とした状態で、いつの間にか眠りに落ち、カオティックな夢を見た。まるで自分が獣のように近づく人間を威嚇する夢だ。やがて、狂気的な夢もおさまり、深い眠りに落ちた後に再び目覚める。手足は拘束具で固定され、鼻はふさがれ、口から太い管を挿入され、全身に管が刺さり、乳濁色のジェル状液体に漬けられた状態で。
「(拷問?)」驚かないわけがないが、もっと厄介な問題に気付く。昔、観た映画の拷問シーンは思い出せる。ところが、自分に関する記憶、自分が何者かを全く思い出せないのだ。この状態で拷問がはじまれば・・・。なぜ、こんな目に?・・・いや、でも、拷問にしては妙だ。こんなソフトな拘束具を拷問に使うだろうか?ほどなく、強烈な睡魔が襲いかかる。
次に目覚めた時にはベッドに移され、パジャマのようなものを着せられていた。どうやら、拷問ではなさそうだ。目を凝らすと、時折、白衣を来た男女の姿が確認できる。このシーンということは、・・・動物実験?僕は、最新のバイオテクノロジーで賢くなったチンパンジーなのか?・・・夢かと思ったが、あれは、現実の記憶か?人影が近づくと、ただただ、怯え、『シュー』とか『ハァー』とか『ウウー』とか、臆病猫のような唸り声をあげた記憶がある。・・・「(誰か来る!)」
耳を澄ますと何か言葉が聞こえてくる。英語と日本語が混ざっている。包帯か何かで耳が塞がれているので、よく聞き取れないが、英語で『リストアリング・プログラム』と聞こえる。リストアリング(Restoring)のことか?つまり「復元」のこと?何を復元するんだ?『いいだろう、やろう』という日本語も聞こえる。一体、何が始まるんだ?
視界に白衣(看護師?の制服っぽいが)を着た、場違いに美しい白人女性が登場する。『じゃあ、進めてくれ』という男の指示で、その女性は、僕の傍に立ち、優しい微笑みと流暢な日本語で一言二言話しかけながら、多くの拘束具をテキパキと外しはじめた。口に挿入されていた太い管を優しく取り除き、唾液で汚れた顔をタオルで優しく拭いてくれる。そして、ベッドの上半分をリクライニング・チェアーのように起こす。はじめて、自分の手足に対面する。どうやら、僕の姿は、サルではなく人間のようだ。
次の瞬間、白衣を着た男がベッドの足元から唐突に話しかけてきた。
「水島さん、聞こえますか?水島さん?あ〜、聞こえてはいるようですね。言葉としても理解できてますね。あぁ〜、でも、まだ、お名前は思い出していないようですね。患者さんのお名前は、水島敬太さんといいます。そうです、あなたです」
その男に人差し指で指されながら、そう言われても水島敬太という名前が自分のものだという記憶は全くない。
「私は担当医の上杉といいます。人間です。水島さんは2016年に亡くなられた後、冷凍保存されて、3週間前の3月21日に蘇生しました。第二の人生のスタートです。おめでとうございます」
重要なことを相当あっさり言われた気がしたが、うまく咀嚼できない。自分が死んだと言われたような気がしたが、それより自分を「人間です」と紹介する上杉という男は、ふざけているのか正気なのか、はたまた、マッド・サイエンティストか、その方が気になる。上杉と名乗る男は、年の頃は五十くらいか?小太りで大柄な体の上に白髪混じりの大きめの頭が乗っている。上杉は警戒する僕の気持ちはよそに、時々、手元のタブレットのような機器に視線を向けながらマイペースで話し続けた。
「あなたは、とても長い眠りからお目覚めになったばかりです。今はまだ記憶が錯綜しているかもしれませんが、焦らず、ゆっくり自分を取り戻していきましょう。脳をスキャナーで解析していますが、水島さんの脳は驚くほど綺麗に保持されてますねぇ。記憶がかなり残っているようです。素晴らしい!」
上杉が指差した先には3次元映像で表示された脳が、ゆっくりと回転しながらカラフルに点滅する無数の光を発していた。それは今現在の僕の脳内活動をリアルタイムに表示したもので、『蘇生した人としては』とても正常に活動しているそうだ。脳の映像は花火のような光を頻繁に発しながらどんどん拡大され、最後はこぶし大に拡大された脳細胞が電気を発している様子が示された。上杉は少し興奮気味だったが、僕にとって、記憶は錯綜ではなく、欠落としか感じなかった。そのことを上杉に訴えようとしたが、口からは小さなうめき声すら出なかった。
「あ〜、会話をつかさどる脳の機能は正常に動いていますが、脳からの指令を声帯に伝える神経系が、まだ完全には機能してないようですね。でも、薬剤投与とリハビリで回復するでしょう。手は動きますか?右手を上げてもらえます?」
僕は、ベッドから右手を上げようとしたが顔の高さまで上げたところで、それ以上、力が入らなかった。左手も同じだ。手を握ることはできず、五本の指を軽くほんの少し曲げることがやっとだった。上杉に言われるまま足を上げようと試みたが、足は数センチも上がらない。それでも、上杉は「素晴らしい」と何度も感嘆した。一方、僕は、自分の肢体に愕然とした。細い手足を包むきめ細やかな透明感のある白い肌はまるで少女のようで、意識が戻って以来感じる、大人の男としてのアイデンティティーとギャップがありすぎるのだ。
「えー、これから幾つか質問しますが、口で答える必要ありません。脳波解析スキャナーで読み取れるので、『はい』とか『いいえ』と頭の中で思って頂ければ結構です。イエス、ノーでもいいです。よろしいですかね?」
「(はい)」僕は、言われたように心の中で短く答えた。ジタバタしても仕方ない。とりあえず、上杉という男の言うことに、今は従うしかない。
「はい、では、水島さん、どうして、ここにいるか分かりますか?」
「(いいえ)」
「いいえ、ですね?では、さっそくですが、水島さん、ご本人が2016年に作成した『ビデオ・レター』をご覧になって頂きますね」
そう言うと上杉の姿は消え、ベッドに半分横たわる男の姿が代わりに現れた。あまりに自然な映像だったので気付かなかったが、上杉は、その部屋にはいなかった。壁全体がモニターになっており、モニターを通して遠隔で話しかけていたのだ。
上杉が消えた後に、モニター(壁)に現れた男の顔は透き通るように白く、髪も眉毛もうっすらとしか生えていなかった。僕は、顔を左右に動かし、口を丸く開け、モニター上で同じ動作をするその男を見とめることで、それがカメラで映された自分自身だと認識した。どこにカメラがあるのか目で探したが、それらしきものは見当たらない。ほどなく、自分の姿は顔の部分だけが切り抜かれて枠取りされ、モニター画面の右下へ移動し、代わりに中央には頭髪が抜け、土色のいかにも血色が悪そうな、頰が激しくこけた男が現れた。病人用のベッドに置かれたテーブルで、この男がパソコンを自分で操作しながら撮影しているビデオだった。
「私の名前は水島敬太、2016年のあなたです」
ビデオの男は、ぶっきらぼうに話し始めた。見覚えはある。右下に映る自分の顔と見比べると、結構、似ている。しかし、その男の悲壮な面影はそれが自分であると受け入れるには現実離れして見えた。
「私は、今の時代では余命幾ばくもない。膵臓癌だ。余命半年と宣告され、5ヶ月が過ぎた。ご覧の姿は様々な治療を試みた結果だ。どうやら、この時代では生きられないようだ。そこで、自分自身を人体の冷凍保存技術を使って将来の医学に託すことに決めた。クライオニクスってやつだ。この技術で最も進んでいるアメリカのカルダシェフ財団のサービスを利用する。あなたが目覚める場所もカルダシェフ財団の関連施設だろう」
ビデオの男は、次の言葉を探してか一息つき、水を口元に運んだ。うまく言葉が見つからないのか、カメラから目をそらし、側にいる誰かにボヤく。そのボヤきが、何を言っているのかは聞き取れない。時折、英語らしき声も聞こえたが、はっきりとは聞き取れない。ビデオの男は机に右手のひらを乗せたまま、左手で頭を前から後ろへ髪をすくように撫で、再びペットボトルの水を口元に運び、大きなため息をついた。一呼吸置き、視線をカメラに戻し、軽く深呼吸をし、観念したように話を続ける。
「私は、今、オレゴン州ポートランド市内にあるカルダシェフ財団と提携している病院にいます。この州は尊厳死が合法なので。・・・財団は、明日、冷凍保存に最適な方法で、この世を去る手段を提供してくれる。長い眠りにつく。あなたが運良く目覚めるなら、22世紀か23世紀か、あるいは、それより、さらに先の未来社会だろう」
喉が乾くのか、男はしきりにペットボトルを口元に運び、側にいる人物と一言二言、言葉を交わしてからカメラに向き直った。
「私の願いは、あなたが、私の記憶を維持したまま蘇生することだ。財団は記憶を維持したまま冷凍保存から蘇生できると主張している。眉唾とか詐欺とか言われているようだが、これに賭ける身としては信じるしかない。財団との契約には蘇生後に記憶状態を調べ、必要に応じて、記憶を回復させるプログラムも含まれている。フル・オプションで申し込んだ。面倒かもしれないが、財団から提供される一連の蘇生プログラムは、ちゃんと受けてくれ。それから、膵臓癌はちゃんと治癒されたかも確認してくれ。それから、あとは、...そうだな、我々の知り合いは、誰一人、いなくなった世界だろう。特に言い残すことはない。第二の人生を謳歌してくれ。21世紀の私からは以上だ。Good Luck!」
ビデオの男はニヒルな表情で口元を結び、指でパソコンを操作しながら録画を終了させた。モニター(前面の壁)には「リピートしますか?」の文字と共に、再び、鏡のように自分の姿が映し出された。僕は、モニターのリモコンを探したが、その部屋にはベッド以外、何もなかった。おそらく音声認識に対応していると思ったが、口のきけない僕に音声操作なんて意味がない。それにしても何もない病室だ。真っ白い空間の中央にシンプルなデザインのベッドがあるだけだ。窓もないが明るい。おそらく壁が照明になっているのだろう。看護師が出て行った右手の壁は、ドアになっているはずだが、ドアらしき把手も継ぎ目も、そこにはなかった。
ふと、脳波解析スキャナーのことを思い出し、試しに頭の中で「イエス」と念じた。するとビデオは初めから再生が始まった。2分余りのビデオを3回繰り返す。3回目の再生が終わり、自分のスカスカの記憶から何でもいいから思い出してみようと苦悩していると、モニターには、再び、医師の上杉が登場した。
「いかがでしたか、ご自身からのメッセージは?」
上杉の話では、僕が利用した冷凍保存サービスは、カルダシェフ財団が運営していたが、同財団は破産、今はメルクーリ・リサーチ・インスティチュートという医学系の大学から医療機器メーカー、創薬会社から、病院チェーンまでを経営する医療コングロマリットが引き継いだそうだ。また、上杉はメルクーリに雇われている医師とのこと。
「水島さんの冷凍保存前のご病気は膵臓癌でしたが、こちらは基礎蘇生プロセスの段階で既に治療済みです。それから緑内障も患ってらしたので、そちらも治療しておきました。視力は12.5だから、ええと、日本の視力の単位では両眼とも1.5にしておきました。それから、若い頃に何かスポーツをされていたのですかね、膝の腱がボロボロになっていたのでリプレースしておきました。血液は、元の血液型と同じA型を注入しておきました」
上杉は、蘇生後に施した処置を簡単に説明し、現在のところ、肉体的には特に問題はないとの所見を伝えた。また、今後も経過観察を継続しながら、リハビリや社会復帰の計画などを相談しながら決めていくが、その前に会話を何とかしようと諭した。現状、「はい」と「いいえ」しか伝えられない脳波によるコミュニケーションを、僕の脳波パターンをAIに学習させて、もっと様々な言葉を伝えられるようにするというのだ。後で、メルクーリからロボットが贈られるが、そのロボットに脳波を使った会話のプログラムが入っているので、まずは、そのロボットの学習に付き合ってもらいたい、とのこと。上杉は手持ちのタブレット・デバイスで何かを見つけると声を弾ませた。
「へぇ、水島さんに贈られるロボットはカンダのNSXシリーズだ。カンダのハイエンド・モデルですよ、これ。羨ましい」
僕は、カンダという名前から日本の3大自動車メーカーの一社、カンダ・モーターズを連想し、同時にカンダのNSXというスポーツカーを買おうとしていた記憶の断片に遭遇した。自分に関する最初の記憶だ。しばし、記憶を探ろうと頭の中をまさぐったが、それを買ったのか買わなかったのかまでは思い出せない。しかし、この頭の中に自分に関する記憶が残っている、との感触には幾ばくかの勇気をもらえた。話し続ける上杉に再び耳を傾ける。
「では、あとは、えぇと、クレオちゃん、彼女から詳しい説明があると思います。脳波学習と同時に身体のリハビリも始めますので、彼女の指示に従ってくださいね。1時間くらいで到着すると思うので、それまで、寛いでいてください。では、また、お会いしましょう」
上杉の映像が消えると、小川のせせらぎと小鳥のさえずりが聞こえてきた。気がつくと僕のベッドは、静かな湖畔の木陰に据えられていた。木漏れ日とそよ風まで再現されている。真っ白な壁に真っ白な床天井も、6面、すべてがディスプレイになっているようだ。
「(未来社会?)」
ベッドのリクライニングが、ゆっくり倒され、桟橋で戯れる幼い子供達の映像を見ながら、僕は、再び、眠りについた。




