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アシモフの罠  作者: 千賀藤 隆
19/28

<18> ミセス・ロンリー

「じゃあ、(横浜)馬車道でのお食事、楽しみにしてますね」


小野田さんは、手を振りながら満面の笑みでそう言い残し車から降りた。真理は少し引きつった顔で「ありがとう」と言って、ぎこちなく小野田さんへ手を振る。小野田さんが背を向けて歩き始めると、真理は後部座席の僕へ視線を向け、前の席に来るよう目配せした。「(真理も小野田さんが苦手なのかな?)」一連のやり取りを見届けた後に、僕は二体の大柄の警護用ヒューマノイドの間から真理の横へ席を移した。


「こんな小細工で魔法使いを(あざむ)けるんだろうか?」


僕は、うっかり余計なことを口にして真理にジロッとにらまれる。


「・・・さあね。いつ襲われるか分からないので、覚悟はしといてね」


心の中で「(ゴメン)」と(とな)えながら、焦燥感(しょうそうかん)を隠す真理の横顔に視線を向ける。殺人鬼で魔法使いの連中は、こうしてる間も僕らを監視しているのだろうか?少しでも連中を欺くため、真理は自分ではなく、小野田さんに車を手配してもらい(そのお礼に食事するようだ)、真理と僕、それから神奈川県警から派遣された二体の警護用ヒューマノイドを乗せた車はアプリコット社の研究開発拠点へ向かった。


  真理は右手の親指を軽く唇に当てながら、左手のモバイルデバイスの画面にジッと視線を落としている。周囲の通信環境やセキュリティ・システムのステータスの異変をずっとモニタリングしているのだ。これまで魔法使いが登場する時には、その周辺で通信もセキュリティ・システムも、約3分間、機能不全に(おちい)っている。異変をいち早くキャッチできれば、その間、逃げる時間はある。・・・まあ、逃げ切れるとは思えないが。


「もし、世界を破滅に向かわせるような秘密があるとしたら、それは、盗まれた君のアクセサリーなんじゃないかなぁ?13年前の事件と関係して」


「・・・」


真理は何も言わず、モバイルデバイスをじっと見つめたままだ。


「僕自身には軍事的な価値があるとは思えないんだ。奴らの狙いは、僕のクライオニクス(人体の冷凍保存)に関してだと思う」


「ケイには、・・・何か隠してること、あるの?」


「隠していると言うか、・・・」


「と、言うか?」


「・・・うん、ある」


  真理が顔を上げ、僕と目が合う。強気に見える表情の陰で、本当は、身体中にはびこった不安から受けるプレッシャーに耐えているのだろう。僕は真理へ顔を近づける。彼女も僕に顔を寄せる。僕らは、互いの不安感を推し量るように、しばらく見つめ合った。やがて、真理は、ゆっくり目を一度閉じると視線を斜め前方へ逸らしながら大きくため息をついた。そして、かすれた声で言葉が漏れる。


「やっぱり・・・」


「・・・やっぱり?」


「他に手はないわね」


振り向けた視線には、(くや)しさが(にじ)み出ている。


「連中が欲しがっているものを提供する、そう公開メッセージを出すこと?」


「ええ、・・・あなたの命を保証するなら、という条件付きで」


「そこ忘れずに、解剖されるのは避けたい」


僕は、おどけた表情をしたが、真理は反応せず、ジッと(にら)むように見つめ続けた。そして、目をそらし、モバイルデバイスを両手で持ったまま、伸びをするように真っ直ぐ前に腕を伸ばし、その姿勢のまま話し続ける。


「さっきはゴメンなさい。・・さっきの、なしにしてくれる?」


「ん?さっきのって?」


「ヒーローぶる奴は大っ嫌いって、言ったやつ」


「・・・あれは君の優しさだろ?むしろ、感謝してるさ」


振り向く真理の顔は薄く口元が開き、その目には悲しさと寂しさと悔しさが複雑に入り混じっていた。真理は下を向き、モバイルデバイスを手元に近づけ、公開メッセージの準備をはじめる。僕は車の正面に視線を移し、大きなモニターに流れる観光地の宣伝用の映像を見るともなく見つめた。高速で走る車がカーブに差し掛かると、まるで外の風景のようにモニターの映像も一緒にカーブを曲がるように自然に流れる。身体が知覚する動きと視覚が知覚する動きを一致させることで、車中での映像酔いを防ぐ仕組みだろう。


「こんな感じでどう?」


真理は視線を落としたまま、顔にかかった幾筋かの黒髪を右手で耳の後ろへ()き、左手でモバイルデバイスを僕の胸元に差し出す。僕は、入力されたばかりの文字列を読みながら、ケイコさんがこの孫娘の今の状況を見たら何と思うだろうか、そう考えずにはいられなかった。


「・・・いいと思う」


「じゃあ、公開メッセージ、AICS、NSA、それからメルクーリから出してもらうわね」


「ああ、やってくれ」


送信が終わると、真理は再び通信とセキュリティに関する環境のモニタリング画面に切り替えて監視を継続した。と、画面に赤いアイコンの警告メッセージが幾つか現れた。


「えっ・・・」


「?」


「・・・遅かったかしら」


「・・・」


僕も真理のデバイスを覗き込む。警告メッセージが次々に現れ、画面全体が赤く染まる。緊張で額に汗が浮かぶ。後ろを振り返ると、後部座席の2体のヒューマノイドの視線が止まっている。車が減速し、速度が落ちていくのを感じる。


「異変から三十秒経過、まもなく止まるわ。・・・あたしの背後に隠れていて」


「ムダだ、おとなしく投降するよ」


「(怒鳴り声で)言うこと聞いて!」


真理は叫びながら片手で僕の襟首をつかみ、焦燥しきった表情でにらむ。「お願い」彼女の額から汗が一筋流れ落ちる。絶体絶命・・・に感じたが、ほどなくして車は減速から加速に転じ、再び、速度が上がり始めた。警告メッセージは次々と消えはじめ、今は赤いアイコンは全て消え去った。僕も真理もモバイルデバイスの画面に釘付けになったまま、身体が固まっていた。


「ファーガソン(真理)さん、何が起こったのでしょう?私の記憶には、五十七秒間、システム障害で記録されていない空白の時間があります」


後部座席の一体の言葉で、僕も真理も我に返った。真理は僕を制しようとつかんでいた襟首から手を離し、支えを失った僕の身体は崩れるようにシートに深く沈み倒れた。全身から汗が吹き出し、額からは大粒の雫となって流れ落ちる。


「あたしにも、・・・分からない。それより、・・今は静かにして」


「はっ。何かありましたら、遠慮なく、お申し付けください」


真理も深く(もぐ)るようにシートに身を沈め、再び、モバイルデバイスの画面をチェックしはじめる。こんなに早く?どうやって傍受したのか分からないが、とりあえず、メッセージが伝わったのかもしれない。が、僕も真理も、その後は、視線も言葉も交わさなかった。


  やがて車は減速をはじめる。車内のモニターは昔の車窓のように外の風景を映し出した。車は街並みを抜け、楢やクヌギの林の中を走行する。かなり長い距離、山道を走り続けた。やがて、林の間から堅牢な外壁が現れ、その奥に多彩な(いろど)りだが落ち着いたデザインの巨大な建物が見えはじめる。果物をかたどったロゴマークのある門に近づくと、大きな扉が横にするりと開き、車は減速することなく門を通過、メインの建物の正面玄関で静かに停まった。


  真理に続いて車から降りる。神奈川県警の警護ヒューマノイドは、いつのまにか僕らを左右からガードする位置に立っていた。辺りを見渡すと、屈強な体躯(たいく)のヒューマノイドが数十体、それに、これ見よがしのセキュリティーシステムがキャンパス全体を監視している。人間らしき警備指揮官もいる。ここは、まるで最高機密の軍事拠点のような警備体制だ。


「本日はご足労いただき、ありがとうございます」


アプリコット社のジェームズ・原口という日本法人副社長(人間)が僕らを迎え入れた。メルクーリ社で発生したアプリコット社製ヒューマノイド、フレッドの奇行に関して最高技術責任者とメルクーリの医療部門ディレクターの上杉(医師)、AICSの真理が話し合いの場を設けたのだが、上杉の到着が遅れるとの連絡が入ったそうだ。


  原口は真理の額や首の怪我を気遣って「大変でしたね」というような労いの言葉を幾つか投げかけ、キャンパス内は安全なので寛いでください、と自慢げに主張した。その後、ようやく、その存在に気付いたかのような表情で僕に近づいてくる。


「水島さんですね?はじめまして。冷凍保存から51年ぶりに蘇生されたそうですね?アプリコットのことは、当時から、ご存知でしたか?」


「もちろん、当時も世界のイノベーションをリードする会社でした。でも、アプリコット社の研究所が、日本のこんな自然豊かなところに設立されたとは予想外ですね」


ビルのエントランスの向こうには緑豊かな中庭が見えた。最初、映像だろうかと思ったが本物のようだ。


「よろしければ、上杉先生ご到着まで見学ツアーなど如何でしょう?」


サンフランシスコ湾岸に本社を構えるアプリコット社はヒューマノイド産業界のビッグ3の一角、昨年度は出荷台数ベースで3位、売上で2位、最終利益では1位だった。かつては、コンピュータやモバイルデバイス、電気自動車などで世界を席巻したが、今はヒューマノイドを事業の柱としている。メルクーリは所有する6千台のヒューマノイドの6割、雇用している3万台の5割がアプリコット社製であり、かなりのお得意様だ。


  見学ツアーは副社長の原口が直々に案内した。エントランスからまっすぐ奥に進む。そこは、企業の中庭とは思えないほど広大で美しい日本庭園をなしていた。原口を先頭に真理、僕の順で飛び石の上を一列に歩く。中央付近に池があり、大小様々な庭石と丁寧に剪定された松やもみじが周囲に配置され、小さな東屋(あずまや)では数人の社員が寛いでいた。中庭の左奥隅に目をやると木々の間に隠れるように草庵風(そうあんふう)の茶室があり、ひっそりと苔に包まれたつくばいも見える。不意に脚立(きゃたつ)を持った庭師とすれ違う。頭に日本手拭いを巻き、伝統的な紺の作業着に身を包んだラテン系の若者は、無造作に伸ばした髭面の表情を変えることもなく、軽く会釈して飛び石を降り、砂利の上を歩き去った。


(原口)「彼はスペイン出身の庭師というか、アーティストです。ハンサムな男ですが人間ですよ」


原口は、振り向いたまま立ち止まり、両手を広げる。


(原口)「いかがです、彼の作品は?」


(水島)「素晴らしい」


超ハイテク研究所の中庭に見事な日本庭園・・・。


(原口)「自然、あるいは宇宙と調和する人工の美。この空間は人工的に作られたものですが、文化的背景を問わず、多くの人が本来の自然以上に自分との調和を感じる。それが日本庭園の醍醐味です」


(水島)「・・・それが、御社の設計コンセプトですか?」


(原口)「はい。ヒューマノイドは人工のパートナーですが、生身の人間以上に人々の生活に調和をもたらします、アプリコット社が日本に研究開発拠点を置く理由です」


原口は自信たっぷりに答える。


(真理)「日本庭園が宇宙観をそのままではなく簡素化して表現するように、ヒューマノイドは人間をそのままコピーするのではなく、憎悪や怒り、嫉妬などの面倒な情緒的反応を取り除いて簡素化している、と?」


真理の言葉に、原口は少し慌てた表情をする。


(原口)「失礼致しました。水島さん、先ほどのコンセプトは、本城翼先生が提唱されたものです。こちらのファーガソン様のお父様です」


(水島)「・・・著名な方なんですね」


(原口)「偉大な功績を残されました」


原口は真理へ本城翼氏に対するお悔やみの言葉と幾つかのお世辞を並べ、僕は二人の後ろをゆっくり庭を眺めながら歩いた。池に架かる小さな石橋を渡り、しばらく歩くと苔で薄緑色になった灯籠(とうろう)が現れ、さらに、その左奥には草木の間を()って上に登る階段が建物の入口まで続いていた。一行は、広葉樹と背の低い草木に囲まれた階段をゆっくり登る。


  石の階段を登り再び建物の中に入ると、そこには幾多ものヒューマノイドのボディ・パーツが展示されていた。頭部のモデルは、東アジア系の顔から東南アジア、インド、アラブ系、東欧系、北欧系、ラテン系、スラブ系、ノルマン系、ゲルマン系や、アフリカ系も複数のモデルが展示されており、宇宙人が見たら、さながら、地球人の標本コーナーと思うことだろう。


(原口)「こちらが、人工皮膚のサンプルです」


原口はそう言って、シャーレに入った四角い繊維(せんい)をピンセットでつまんで僕に見せた。


(原口)「我々が日本に拠点を置くもう一つの理由は、優れた繊維、素材技術が多数存在したからです。この人工皮膚はちょっとした傷であれば、人間のように自己修復します。さらに修復セットを使えば、かなり深い傷を負っても自己修復できます。人工皮膚や人工筋肉だけでなく、体の表面温度や湿気を一定に保つ高機能繊維や、人工皮膚の裏で外部からの刺激を検知する感覚器としてのセンサー繊維など様々な技術の実用化が一番進んでましたし、今も世界をリードしています」


(真理)「技術もあるけど、この手のヒューマノイド用人工皮膚の実用化に貢献したのは、世界に誇る日本のアダルト産業ですよね?」真理は皮肉な声色で語り、横目で原口を見る。


(原口)「アダルト産業は、いつの時代も新技術のドライビング・フォース。水島さんの時代もホーム・ビデオやDVD、インターネット、ブロードバンドにビデオシェアリング、VRなど、アダルト産業がドライビング・フォースになりましたよね?」


(水島)「VRは、私が生きている間には普及しなかったので分かりませんが」


(原口)「まあ何にせよ、年々、ヒューマノイドが人間に近づくのは自然な流れですよ」


原口はそう言ったが、真理も僕も何も答えなかった。原口は、その後も幾つかの展示室を案内した。


(原口)「では、最後にヒューマノイドの本体、AI開発の現場をご案内します」


  AI開発の現場は別棟になっており、4階の渡り廊下から入った。渡り廊下の入口両脇には屈強な警備員がずらりと並んでいる。廊下を渡った先の空間には、半球状の巨大な透明ドームがあり、そこからスーパー・コンピュータらしき装置が置かれたフロアを見下ろすことができた。下のフロアは、随分、離れて見える。ここは4階だが、眼下のフロアは1階よりさらに低い地下にあるようだ。


(原口)「ここからでは全体は見えませんが、この地下にある装置群全体がクイーン・アントのミセス・ロンリー、ヒューマノイドに搭載するAIを開発するAIシステムを構成しています」


クイーン・アント(女王蟻)とは、ヒューマノイドや自動運転車などの量販品に搭載するAIを自動設計・開発するシステム(これもAIだ)に対する一般的な呼称とのこと。蟻は一匹の女王蟻から全ての働き蟻が生まれるが、それになぞらえてヒューマノイドの本体、すなわちAI(ソフトウェア)を生み出すスーパーAIに付けられた呼称だ。アプリコット社は、この装置にミセス・ロンリーというニックネームを付けている。それは、この装置が外界と隔絶された環境に置かれていることを哀れんで付けた名前だそうだ。


(水島)「製品開発するミセス・ロンリーが外界と隔絶(かくぜつ)してしまって、果たして製品を向上できるんですか?」


(原口)「ミセス・ロンリーから外の世界へ発信はできませんが、外の世界の情報はミセス・ロンリーに入ります。彼女が開発したAIを搭載したヒューマノイドは、外界での経験をミセス・ロンリーと共有しているんです」


以前、クレオは自分の記憶は10分に一度、クラウド上に保存されると言っていたが、そういった巨大なクラウド・サーバーの一つがこの建物にあるようだ。そして、ミセス・ロンリーは自分が生み出したヒューマノイド(AI)達が外界で経験したことを観察・解析、学習して、バージョン・アップや次の製品開発へ備えているのだろう。


(原口)「このミセス・ロンリーが開発したヒューマノイドは全世界で5億6千万台、その全てがミセス・ロンリーと経験を共有しています。人間の一生を28億秒で近似するなら、単純計算でミセス・ロンリーは5秒に一度、人の一生分の経験を集め、そこから学んでいます」


(水島)「個々のヒューマノイドも経験から学習するんですよね?」


(原口)「はい、個々の経験は、通常、そのオーナーとのインタラクションを改善するために、そのヒューマノイド単体で学習というか、調整に使われます。さらに、ネット上にはメーカーの垣根を越えてヒューマノイドどうしで情報共有するサイトもありますので、最新の流行などにも敏感です」


(水島)「ふむ・・・」


僕はドームに沿って円状の通路を進みながらミセス・ロンリーを上から見つめた。中央の大小3つの飴色(あめいろ)の丸い筐体(きょうたい)からなる大きな装置は、極低温で稼働している量子コンピュータ・アレイであり、それを囲むように赤と黒でデザインされた何千ものコンピュータ・ラックが不思議の国のアリスに登場するトランプ兵のように整然と並んで見える。


(水島)「この窓は防弾ガラスですか?」


(原口)「はい、対戦車ミサイルでも壊れません。でも、防弾ガラスにしているのは外からの攻撃に備えるためではありません。万一、あそこを占拠されてしまった場合、ミセス・ロンリーは自爆するよう設計されています。その時に、外側にいる我々が被害にあわないためです」


(水島)「そこまで、やるんですか?」


(原口)「クイーン・アントには、ビット・セーフティー・レベル4対応の施設が必要なので」


(水島)「ビット・セーフティー・レベル?」


(真理)「ケイの生前にも、バイオ・セーフティー・レベルというものがあったでしょ? 取り扱う細菌やウイルスのリスク・レベルに応じて施設が備えねばならない対策を定めた?」


(水島)「たしか、レベル4が最上位で、致命的で感染力が高く、かつ、有効な予防法も治療法もない、そんな危険な細菌やウイルスを扱う施設の安全基準ですよね?」


(原口)「はい。ビット・セーフティー・レベルは、そのAI版です。若干、違うのはバイオの場合は主に設備の中にある細菌やウイルスが外に漏れるのを防ぐ対策ですが、ビット・セーフティーの場合には、主に外からの侵入でAIが不測の影響を受けるのを防ぐ対策です」


(水島)「例えば、ある合言葉でヒューマノイドが一斉に人類を殺し始める、そんなコンピュータ・ウイルス、あるいは、それを可能にするセキュリティー・ホールがAIに忍び込むのを防ぐ、と」


(原口)「そうですね、そんな表現になると思います」


(水島)「ここがテロリストに侵略されたら、人類にとって致命的で有効な対策がない世界になると?」


(原口)「まあ、実際は7重、8重の対策があり、テロリストがここを襲撃し、占拠したところで、そう簡単に殺人ヒューマノイドは作れませんが」


(水島)「ヒューマノイドのフレームワークはその対策の一つですか?」


(原口)「フレームワークをご存知ですか?」


(水島)「いえ、名前だけです」


(原口)「フレームワークはAIが暴走して人類や地球環境に脅威とならないよう国際的に定めた総合的な安全対策の枠組みです。例えば、AIソフトウェアが備えねばならない安全機能や、逆に実装してはいけない機能などが規定されてます。規定に沿って運用されているか、監査や監視に関する枠組みも定められています。ソフトウェアだけでなく、AIを開発する拠点の警備態勢、運用管理の枠組みもそうです。先ほどのビット・セーフティー・レベルもフレームワークの一部です。さらに、各国へ必要な法制度を整えることを要請し、万一のための警察や軍の出動や訓練についても勧告しています。技術から運用、法体制まで含めた総合的な安全対策の枠組みです」


(水島)「AIが好奇心に駆られて行動してしまう、というのは、実装してはいけない機能ですか?」


(原口)「・・・はい、もちろん。そんな機能は実装しません」


(水島)「業務命令を無視、あるいは、マネージャへ嘘の報告をすることは?」


(原口)「その業務命令が法令や規則を破る、あるいは、倫理的に問題がある場合には、サボタージュするよう設計されています」


(水島)「フレームワークは、かなり複雑なんですか?」


(原口)「最上位には、記念碑的にアイザック・アシモフのロボット工学三原則がありますが、その下に幾多もの条項が追加され、正直、凄まじく複雑になってきましたね」


(真理)「AIの仕組みも構造も人類に把握しきれなくなり、安全対策のための苦肉の策として作られたのがフレームワーク。しかし、それも年々複雑化し条項同士が矛盾し合い、様々な解釈ができるようになった。それが現状の問題です」


僕は真理を見つめ、軽く(うなず)く。しばらく腕を組みながら考えた後、手持ち無沙汰にしている原口に言葉を投げかけた。


(水島)「私のヒューマノイドは『フレームワークが思考継続をブロックした』と言っていたので、てっきりヒューマノイドに搭載されているセキュリティーのシステムかと思っていました」


(原口)「紛らわしいですが、ヒューマノイドの中のセキュリティー・システムも『フレームワーク』と呼びます。さすが、水島さん、もうヒューマノイドの思考継続をブロックさせちゃいましたか。ヒューマノイドの思考を研究しようとされたんですか?」


(水島)「はあ、まあ、そんなところです」


僕は、半球形のガラス窓を一周した。真っ白い床に光沢のある赤と黒で塗られた数千台のラックが立ち並ぶ。人もヒューマノイドもいない、動くものが全くないその空間の中央に蟻をモチーフにした飴色のミセス・ロンリーが横たわる。


(原口)「上杉先生がお見えになったようです。では、戻りましょうか?」

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