<15> 襲撃される
6月8日午前9時(日本時間)、神奈川県内、メルクーリ・ジャパン ––––––––––
患者支援担当の小野田楓さんは、小柄で細身の体をネイビーのタイトスカートのスーツで包み、白のカットソーに少し大人びたネックレスを合わせていた。ミディアムショートの黒髪はふっくらした顔のラインをうまく隠しつつ、おっとりした雰囲気を作っている。まだ、二十代と思うが担当ディレクターの肩書きだ。物腰の柔軟さと自分を可愛く見せる術に長け、真理と違い世渡りは上手そうだ。
小野田さんに招かれて入った会議室には大きな窓があり、道路を挟んで向こう側に小さな波が打ち寄せる海岸線を見渡せる。その窓に沿って長方形の机があり、僕とクレオが窓側に、小野田さんは僕の真正面に座った。彼女は、はじめのうち、とても事務的な態度だった。が、真理との関係を聞かれ、家族のような間柄だと答えてからは、随分、親切になった気がする。小野田さんは真理との関係を同僚であり、友達だと語った。が、真理はAICSの調査員であり、メルクーリの研究員は偽装だと言っていた。僕は、どう対応すべきか分からず、適当に相槌を打った。
小野田さんから渡されたメルクーリ・ジャパンとの雇用契約書では、たしかに僕が契約の当事者になっている。が、業務内容はどう読んでも医師の仕事だ。僕は医師免許なんて持ってない。そのことを問い正すと、実際に働くのはクレオであって僕ではない、と。僕は働かなくていいどころか、職場にも入れないそうだ。
「あのぉ、これって、僕じゃなく、クレオとメルクーリの間の雇用契約じゃないですか?」
「ヒューマノイドに人格はないので契約は結べません。契約の当事者はクレオのオーナー、つまり、水島さんになります」
「・・・えっとぉ、ならば、メルクーリ・ジャパンが直接ヒューマノイドを購入なり、リースした方が安くなりません?」
「雇用対策法が、それを規制しています」
小野田さんはクスクス笑いを漏らし、軽く握った手を口に近づけ「あっ、ごめんなさい」と言って自分を戒めた。どうやら、僕は浦島太郎のようなトンチンカンな質問をしているのだろう。小野田さんによると、この時代、小野田さんや真理のように自分で働いて収入を得る人は極少数派とのこと。多くの人は、実際には、所有するヒューマノイドに働かせて収入を得ているそうだ。今から30年近く前、AIが人々の雇用を本格的に奪い始め、日本だけでなく世界中で失業率が高まり、各地で過激な抗議運動が頻発した。今の雇用対策法は、その時代にできた制度だそうだ。まあ、蘇生後、どうやって生活しようか不安だった。そういう制度があるなら安心できる。が、同時に人々がヒューマノイドに養われる社会だという奇妙な現実に不安も感じる。おそらく、人々の価値観は、相当、変化したはずだ。
「では、この雇用契約でよろしいですか?」
小野田さんによると、メルクーリでは蘇生者の新生活を支援するため、退院後にメルクーリで働けるスペックのヒューマノイドを患者に準備するそうだ。実際、クレオは、外科医が務まる、随分、ハイスペックなヒューマノイドなのだそうだ(指先の器用さ、繊細さ、装備している各種センサーの種類に分解能、長時間の手術に耐えるバッテリー搭載量など)。
メルクーリからは、昨日の夕方、相談があると連絡を受けた。そして、今朝の打ち合わせで相談内容が就職の話だと聞いた。その後、一時間もかからず、就職の判断を迫られている。まあ、就職だけでなく、クレオは僕の身体をモニタリングする医師の役割もする。僕には断るオプションはない。
「はぁ、分かりました」
そう答えると、小野田さんは、見下すような目付きでクレオに向かい「契約手続きをして」と命じ、契約書を表示したタブレットを渡した。すると、クレオは僕に向かって契約内容を説明しはじめ、小野田さんは会議室から出て行ってしまった。クレオは、一つ一つ、僕が理解したか確かめながら契約内容を丁寧に説明する。そして、最後まで説明し終えると、「では、この契約を締結してよろしいですか?」と尋ねた。そして、僕が「うん、進めて」と言うと微笑み、手のひらでタブレットを示し、確認するよう促した。タブレットの契約書は、今は締結済みのマークが付いている。程なく、小野田さんが会議室に戻ってきた。
「お疲れさまです。打ち合わせは、これで、おしまいです」
小野田さんは僕に対しては笑顔でそう言い、クレオに向かっては表情を消して命令した。
「このタブレット、H2R(※ Human and Humanoid Resource、今の人事部に相当)に持って行って。それから、あなたは今日から仕事、必要なプロウェアをインストールしてもらって」
そう言うと、クレオは小野田さんへ「はい」と返事をし、僕には笑顔で「行ってきます」と言い残して会議室から出て行った。真理もクレオには素っ気なかったが、小野田さんは、真理以上にクレオに素っ気ない。
「水島さ〜ん、私、真理さんに水島さんのお相手、頼まれちゃいました。なので、これから、この辺の観光なんて、いかがでしょう?」
「はぁ」
正直、僕は、小野田さんがちょっと苦手だ。この人は、真理とは違う威圧感がある。物腰は柔らかいくせに、言いようのない怖さがあり、有無を言わせない何かがある。彼女は椅子から立ち上がり、僕が行くのは当たり前、という顔をしている。まあ、この時代の人間に慣れないといけない。少し腰は引けるが、「よろしければ、是非」とお願いして席を立った。
* * *
記憶に関しては、残念ながら自信がない。僕は、この近くの街で生まれ育ち、米国へ移り住む二十代末まで住んでいたそうだ。当然、何度も当地に足を運んだはずだ。しかし、この古都の街並みが当時と違うのか、それとも単に記憶を失ってしまったのか、それを言い切る自信は少しもない。蘇生者の一般的傾向として人に関する記憶が抜け落ちやすいそうだが、それ以外の記憶に関しては、どこまで維持されているのだろう?この寺院に咲く、色とりどりのアジサイと石段に関しては、記憶のどこかに残っていたような気もするが。
「あ、ここにもありますよ。グラス、かけたら如何です?」
「はぁ」
小野田さんは、ロケーション・ベースの情報サービスを見つけるたびに、僕に眼鏡型のディスプレイ(グラス)をかけるよう促す。グラスは老眼鏡のように薄く小さいが、僕の生前、VRやAR、MRと呼ばれた技術の進歩形だ。3次元の映像が表示され、視線を移すと、それに同期して映像も一緒に移動する、あのデバイスだ。少し違うのは、インタラクティブになっていて、映像中の人物と会話ができること。それから、どういう原理か分からないが、一緒にいる人も映像の中に入り込むことができて、最初のうちは、小野田さんも一緒の映像の中にいた。
グラスを取り、小野田さんを振り返ると、彼女はモバイルデバイスを使って、なにやら仕事をしていた。かなり集中しながら、時々、空を見上げ、考えに耽っている。僕は申し訳ない気分になってきた。
「小野田さん、わざわざ、付き合って頂いてすみません。でも、僕一人で大丈夫ですから、どうぞ、お仕事に戻ってください」
「あっ、いえいえ、全然、大丈夫です。私も楽しんでますから」
が、その時、小野田さんのモバイルデバイスにメッセージが入った。小野田さんの表情が硬くなる。小野田さんは、考えるときの癖なのだろう、髪を手ぐしで梳きながら、何か考えている。そして、手を合わせて申し訳なさそうに言った。
「水島さん、大変、申し訳ありません。隣の県に住む患者さんから緊急の要請がありました。今すぐ行かないといけませんが、そのぉ、本当にお一人で大丈夫ですか?」
腕のデバイスで車(無人自動運転のタクシー)を呼ぶ方法も教えてもらったし、地図系のアプリは生前よりも、ずっと進化している。僕が、全然、問題ない、どうぞ仕事に戻ってください、と伝えると、小野田さんは、一礼して急いで石段を降りて行った。僕としては、ようやく、のんびり観光できるとウキウキした気分だ。そういえば、いつもクレオが隣にいたので、一人っきりで外を歩くのは、蘇生後、初めてだ。
アジサイを満喫した後、近くの禅寺へ向かうために、一旦、山を降りる。閑静な住宅街を小川沿いの道を歩く。綺麗に手入れされた垣根の所々にアジサイを見かけ、川沿いには、ハナショウブ、カキツバタが咲きほこり、時々、野鳥が目の前をかすめるように飛び去る。
小川に架かる小さな橋を渡っていた時、ロケーション・ベースの情報サービスのメッセージが腕のデバイスに飛び込んできた。『2016年の景色』とある。僕が死んだ年だ。僕は立ち止まり、シャツの胸元にかけていたグラスをかける。はたして、たしかに、その地域の昔であろう映像が表示されている。が、その中央には、なぜか、ブロンドで碧眼の青年が白衣を着て立っていた。
「フレッド?」
「水島さん、おはようございます」
「もしかして、僕の身体に異常が見つかった?(あれっ?僕をモニタリングしてる医師の一体をリプレイス(取り替える)するって、フレッドじゃないんだ・・?)」
「いえ、特に異常ありませんが、いくつか確認したいことがありまして」
「・・・でも、どうなってるんだろう?僕は、ロケーション・ベースの情報サービスにアクセスしたはずなんだけど・・・?」
「優先順位のせいでしょう。医療サービスの連絡が優先されます」
「そうなんだ。こんな散歩の途中で、・・・あっ、痛ッ」
不意に僕の顔からグラスがもぎ取られた。とてもびっくりしたが、そこには、息を切らせた真理が立っていた。とても怖い顔で。凄く怒っている。そういえば、昨日、ポートランドに発つ前に部屋でおとなしくしていろって、言われてたんだっけ。僕は、そのことを怒っているのかと思った。が、真理は何も言わずに、グラスをかける。
(真理)「なんで、あんたが存在してるの?・・・チッ、互換サービスか?だれだ、あんたをコピーしたのは?アニー?それとも、他の誰か?」
真理は、怒った口調で映像の中のフレッドに大声をあげる。フレッドは、それに応答しているようだが、はっきり聞こえない。
(真理)「あっ、ちょっと待って、あっ、・・・もう〜」
真理は、イラつきながらグラスを外して僕に返すと、腰に手をあて、怒った顔を近づける。
「ケイ!」
「・・・」
「昨日、言ったじゃない、部屋でおとなしくしていてって。あなた、狙われてるんだから」
怒った真理の顔から目をそらすと、ちょうどその視線の先、真理の背後に車が止まった。そして、扉が開き、サングラスをかけた男が三人、こちらをめがけて走ってくる。一瞬、何が起きているのか分からなかったが、真理は迷いなく、先頭の男の足を蹴るように払い、男がバランスを崩したところに脇腹へ膝蹴りを入れた。男は悶絶したが、次の男が真理に襲いかかり、真理の顔面にパンチが入る。真理はよろけたが、すぐに反撃して二発、三発とパンチやキックを繰り出す。が、三人目の男が真理にタックルして後ろから抑え込もうとする。
「ケイ、逃げて」
その叫び声は届いたが、僕は気付くと真理に殴りかかろうとする男に飛びかかっていた。が、いまだ、僕は体重五十キロもない(身長は175センチだが)、筋肉も脂肪も足りないヒョロヒョロの身体は簡単に押さえられ、首根っこを掴まれると、欄干に向かって放り投げられた。顔や腕や足にズキリと痛みが走る。が、今は、そんなことを気にしてる場合じゃない。痛みをこらえ、立ち上がって振り返ると、真理は二人の男に抑えられ、もう一人が手錠のようなものを付けようとしている。僕は、そいつをめがけて、もう一度、思い切りタックルした。足腰のパワー・アシスト・ウェアのワイヤーが軋む音がする。男は、多少、フラついたがダメージはなく、僕の胸ぐらを掴み、再び、欄干に叩きつけた。今度は、柱に額をぶつけ、左の数本の指に激痛が走り、額から血が流れるのを感じた。
「(どうすれば、いいんだ)」
再度、立ち上がり、武器になるものを探したが手頃なものは何もない。橋の下の小川には石があるが、あそこまで拾いに行く時間はない。再び、意を決してタックルに行くが、今度は相手の蹴りをもろに腹にくらい、息が止まり、額から汗が吹き出し、口は唾液で溢れた。相手にしがみつこうとしたが、二度、三度、パンチをくらい、道端に倒れる。胃液が混じった苦い唾液が口からだらしなく流れ続け、平衡感覚が崩れ、目も霞む。が、諦める訳にいかない、絶対に。
と、四度目のタックルの態勢に入った時、周囲に車が何台も止まった。真理を襲っていた男どもは、一瞬固まり、それから、真理を放り出して慌てて車に戻り、一目散に逃げだした。そして、新たに来た連中の車も、それを追って走り去る。ほんの束の間の出来事だった。気が付くと橋の上には僕ら二人だけが取り残されていた。
僕も真理も狐につままれたような顔をしている。僕は、道の真ん中に座り込んでいる真理に近寄り、両膝をついて真理の顔を正面から覗き込んだ。かなり殴られている。女の子の顔をこんなに殴るなんて酷すぎる。真理の左の口元は真っ赤になり、右目の上が腫れ、鼻血が流れ落ち、さらに首筋から頬にかけては、幾つも擦り傷がある。声をかけたいが肋骨に激痛があり、声がうまく出そうもない。僕は真理の前に両膝を立てて座り、その哀れな姿に涙目になった。が、真理は微笑み、そして、明るく笑った。
「男の子でしょ?ダメよ、これくらいで泣いちゃ!」
「えっ?」
真理は微笑みながら両手を広げ、ハグを求めた。いや、ハグしてあげる、というジェスチャーだ。僕もつられて笑顔が浮かぶ。僕は、膝で歩いて近づき、両手を広げて真理を抱きしめた。が、
「あ、痛ッ」/「い、痛〜」
僕らは、二人とも身体中、アザだらけだ。ハグは一瞬で解いた。代わりに僕らは、橋の上でしばらく見つめあった、微笑みながら。
やがて、救急車がやってきた。いつの間に真理が呼んだのか、あるいは、僕の腕に巻かれたデバイスが体調の変化を検知して自動で呼んだのだろう。僕はヒューマノイドの救急隊員になされるがまま応急処置を受け、ストレッチャーに固定されて救急車に載せられた。一方、真理は簡単な応急処置を受けると、濡れタオルで鼻血を拭いながら、助けを借りることなく歩いて救急車に乗り込んだ。そして、僕が固定されたストレッチャーの側に座り、ロングヘアーをざっくり後ろで結び直すと、傷だらけの顔を気にする風もなく、僕に優しい微笑みを向けた。
「(・・・この娘、カッコ良すぎ。・・・あれっ?連中が狙ってたのは、僕じゃなく、真理?)」




