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アシモフの罠  作者: 千賀藤 隆
11/28

<10> 出逢い

2067年6月7日、午前10時半過ぎ、神奈川県 –––––––


ベランダに出ると湿った海風が肌にじわりとまとわりついた。吹き付ける風の音の隙間(すきま)にくすんだ潮騒(しおさい)が耳に届く。遠くを見つめ、大きく息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。相模の海に広がる灰色の空、北西に江ノ島、その先に見えるはずの富士の(いただき)。十六でK大に留学(※この時代、十六歳で大学進学は珍しくない)、その後、恩師となる中西教授に誘われ、また、翼にも勧められて大学院へ進み、結局、九年も学生生活を送った。


  楽しい思い出もあったと思う。が、もう、ほとんど思い出せない。ここにいる間に私は祖父母と母を失った。実父は十三年前から行方不明、そして、二年前に最愛の父、翼を失い、私は天涯孤独となった。まあ、翼よりは、五歳も遅い天涯孤独だが。


「(綺麗な景色、・・・こんな場所もあったんだ)」


葉山にある小さな岬に面したメルクーリ・ジャパン、長期滞在施設の714号室、私が守らねばならない男、祖父母のヒーローが滞在する部屋。


  ベランダの手すりで頬づえを付き、ぼんやり遠くを眺めていると、手のひらサイズのドローン(フライング・スキャナー)が飛んできて、私の顔の前でホバリングをはじめる。しばらく無視していたら、こいつは、さらに近づき、視界を(さえぎ)りながら私の前髪をその小さなプロペラの風で吹き上げる。面倒だが、こいつに視線を向ける。


  黒いボディーに備わった小さなディスプレイには、デフォルメされた目が()びるように二度、三度ウインクし、音声レポートを読み始める。714号室を隅々まで徹底的にスキャンして調べさせていたのだが、盗聴・盗撮の類のデバイスは一つも発見されなかったそうだ。スパイ・デバイスのパターンデータが最新なのを確認し、リアルタイム・センシング・モードを選択、ディープ・スキャンを六時間毎にするよう指示すると、ディスプレイに表示されたアニメの顔がにっこり笑い、目の前で上下動を繰り返した。


  しばらく目を(つむ)ってから、頰づえをやめ、物憂(ものう)げに体を起こす。左手を出し、手のひらを上に向けると、ドローンはストンッとそこに収まり、ディスプレイには、ニンマリ笑うキャラクターが表示される。半球状のツルッとしたドローンの上部を右手で()でる。ドローンのディスプレイには喜んだ顔が表示され、再び浮き上がり、二度三度、上下動してから部屋の中に戻っていった。元々は、”That’s it”と言えば充電器へ戻って行ったのだが、翼が設定をいたずらしたのだ。結構、気に入っていたが、ケイ・ミズシマに貸し出す前にデフォルトに戻さねば。


  腕時計型のデバイスが手首をノックする。メルクーリ・ジャパンの患者支援担当の小野田(かえで)さん(人間)だ。私は彼女が苦手だ、必要以上に高いテンションで話しかけてくるので。


「あ、真理さ〜ん!お隣の713号室、移動してもらいましたので、今日から真理さん、お隣の部屋をご利用になれます!」


「(えっ、隣の部屋?)・・・あ〜、ありがとう。了解です」


「それから、上杉先生から連絡がありました。水島さん、予定通りです。一時間程度で到着されると思います」


「(あと一時間も?)あ〜、はい、分かりました。ありがとう御座います。では」


「あっ、切らないで!」


切ろうとする声を(さえぎ)り、小野田さんは聞いてもいないことを話しはじめる。


「あのぉ、私、本当に感謝してます。実はメルクーリ・ジャパンで蘇生された方を受け入れるの、初めてなんです。どうすればと思ってたのですが、身元引き受け人の真理さんがいらっしゃって、本当、助かります。それに、真理さんって、アメリカの本社にお勤めなんですよね?」


「・・ええ、まあ(潜入調査の都合上ね)」


小野田さんは、おそらくアンチ・ヒューマノイド、たぶん、男性よりも女性に愛されたい26歳の女性だ。高学歴でキッチンのある家に住み、あえて人間っぽくない旧式のロボットに家事をさせ、人間の女優が演じる古い映画が好みで、自分で化粧して着飾ることができる。おそらく、私と同様、思春期に両親がヒューマノイドに溺れ、親の愛情を十分受けられなかったのだろう。AICSのプロファイリング・システム(※その存在自体、極秘のシステム)は、彼女をそう分析している。それから、・・・私は、彼女の好みの女だろう、とも。


「あのぉ、私のこと、(かえで)って呼んでもらえます?」


「・・・ええ、・・じゃあ、楓さん」


「嬉しい!・・あのぉ、何かお手伝いできること、ありませんか?」


「ないわ。・・・考えることがあるの、一人にしてもらえる?」


威嚇(いかく)するように語気を強めたが、小野田さんは「もちろん、真理さんのためでしたら」と言って、その探るような、それでいて熱い視線で笑顔を向けて通話を切った。ウザいが、今後の仕事を考えると、あまり邪険にもできない。


  ベランダの手すりに背を向けて寄りかかり、右手を空へ伸ばし、左手を右肘にかけて伸びをする。目の前の窓には、薄緑色のロングスカートに白のブラウス、大きなカールのロングヘアーを胸元に流す姿が映った。


「仕事っぽくない・・・」


そう(つぶや)き、女らしい姿に違和感を覚えた。半世紀以上の時を経て(よみがえ)った祖父母のヒーロー、でも、彼には人に関する記憶はない。


(「身元引き受け人って、何やればいいの?」)


(「・・・例えば、ご家族のように接して頂くとか・・・」)


いつかのエレンとの会話が頭をよぎる。


  個人的には、私はケイ・ミズシマの身元引き受け人だ。が、AICSの立場では水島敬太を守ることが私の役割。そんな男へ、どう対峙すればいいのだろう?


  記憶がないのだから、祖父母のケイ・ミズシマはいない。AICSとして守るべき水島敬太という人物がいるだけだ。ならば、こんな女っぽい格好は相応しくないのでは?そんな、どうでもいいことに何度も何度も頭を巡らせ、結局、預けていたスーツケースを取りに本館へ向かうことにした。


  エレベータで一階へ降り、広大な日本庭園の向こうにある本館へ歩を進める。ほどなく、海から吹く風が濃い霧を運んできた。ついてない。人影のない日本庭園では、足音と衣摺(きぬず)れ以外の音は霧雨に吸い込まれる。まるで気圧の変化で耳が詰まったような感覚だ。濃い緑の草木が生い茂る庭園内の小道は曲りくねり、所々で交差し、背丈ほどの草木が行く手を隠す。


  道の傍らに三対の地蔵が目に入る。留学中に何度か気になったが、地蔵が何のためにあるのか、結局、調べなかった。


「(地蔵って、何の意味があるんだろう?)」


そんなことを考えながら歩いていたら、道の端に足を踏み外した。そして、低く垂れ下がったもみじの柔らかな葉が頬に触れ、数粒の水滴が首に伝わり、ブラウスの中に流れ落ちた。とりあえず、構わずに歩き続けたが、やはり気になり、大きな寒椿(かんつばき)のある曲がり角で視線をブラウスに移した。その瞬間、不意に男が向こうから現れた。男は咄嗟(とっさ)に寒椿の側によけようとしたが、気付かず進み続けた私の肩があたり、よろめき、寸でのところで連れのヒューマノイドに支えられて転ぶのを免れた。完全に私の不注意だ。が、私は男に謝られた。


「ごめんなさい、お怪我ありませんか?」


色白で()せて病弱そうな男は、不思議そうな目で私に視線を向けた。私は、無意識に右手で頬の傷を隠し、大慌てで謝罪した。


「あっ、いえ、あたしは全然。あたしが悪いんです。あたしが下向いて歩いてたんです。ごめんなさい。あのぉ、お怪我は?あたし、こんな身体、大きいんで」


「大丈夫です」


男はそう言うと、左右のまつ毛についた水滴を左手の人差し指で軽く拭い、もう一度、私に視線を合わせて微笑み、一礼して背を向けた。私も恐縮したまま男の背に一礼し、先を急ごうと歩きはじめた。が、男の連れが発した次の声に驚き、身体が固まる。


「水島さん、大丈夫ですか?」


「えっ!?」


私が驚いた声をあげたせいで、男は立ち止まり、再び不思議そうな視線を向ける。振り向きざま、私の口は無意識に言葉を()らした。


「ケイ・ミズシマ」


「えっ?」


「・・・あっ、えっと、あのぉ、・・・水島敬太さんですか?」


「はい、そう・・・です」


そう答えると、男は左手を口元にあて、視線を落として(つぶや)きはじめる。


「ケイ?・・ケイ?・・・ケイ・・・、そう呼ばれた。そう呼ばれていた・・・記憶?」


男は左手を額にあて、右手で胸のあたりを抑え、苦しそうな表情をする。私は語りかけるべき言葉を必死に探した。が、それより先に、男は何かに思い当たり、静かに顔を上げた。


「そうだよ、僕はぁ、・・僕はケイ・ミズシマだったんだ」


男は一人納得すると私の瞳を見つめた。が、すぐに視線を宙に彷徨(さまよ)わせる。随分、動揺しているように見える。が、私はもっと動揺していた。何故か分からない。目を閉じ両手をぎゅっと握りしめ、早口で叫ぶように大きな声を出してしまった。


「あっ、あたし、ファーガソン・真理と申します。祖父母が大変お世話になりました(え〜、あたし、何言ってんのよ!?)」


深々とお辞儀した。間違いなく、私史上、一番、深々と頭を下げた。


「ファーガソン・・・、覚えがある、覚えている・・・記憶、残ってた」


男の目から涙が溢れる。


「カイルとケイコさんだ」


「・・・は、はい」


「僕の方こそ・・・、君のそ、祖父母?・・・お爺さん、お婆さんには、言い尽くせないほど、お世話になりました」


「か、家族のように?」


「ハハッ、たしかに。・・・家族のようだった」


次の瞬間、私は駆け寄り、ケイ・ミズシマを抱きしめていた。強く強く抱きしめ、私も大粒の涙を流し、雨の中、二人で泣き続けた。

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