<10> 出逢い
2067年6月7日、午前10時半過ぎ、神奈川県 –––––––
ベランダに出ると湿った海風が肌にじわりとまとわりついた。吹き付ける風の音の隙間にくすんだ潮騒が耳に届く。遠くを見つめ、大きく息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。相模の海に広がる灰色の空、北西に江ノ島、その先に見えるはずの富士の頂。十六でK大に留学(※この時代、十六歳で大学進学は珍しくない)、その後、恩師となる中西教授に誘われ、また、翼にも勧められて大学院へ進み、結局、九年も学生生活を送った。
楽しい思い出もあったと思う。が、もう、ほとんど思い出せない。ここにいる間に私は祖父母と母を失った。実父は十三年前から行方不明、そして、二年前に最愛の父、翼を失い、私は天涯孤独となった。まあ、翼よりは、五歳も遅い天涯孤独だが。
「(綺麗な景色、・・・こんな場所もあったんだ)」
葉山にある小さな岬に面したメルクーリ・ジャパン、長期滞在施設の714号室、私が守らねばならない男、祖父母のヒーローが滞在する部屋。
ベランダの手すりで頬づえを付き、ぼんやり遠くを眺めていると、手のひらサイズのドローン(フライング・スキャナー)が飛んできて、私の顔の前でホバリングをはじめる。しばらく無視していたら、こいつは、さらに近づき、視界を遮りながら私の前髪をその小さなプロペラの風で吹き上げる。面倒だが、こいつに視線を向ける。
黒いボディーに備わった小さなディスプレイには、デフォルメされた目が媚びるように二度、三度ウインクし、音声レポートを読み始める。714号室を隅々まで徹底的にスキャンして調べさせていたのだが、盗聴・盗撮の類のデバイスは一つも発見されなかったそうだ。スパイ・デバイスのパターンデータが最新なのを確認し、リアルタイム・センシング・モードを選択、ディープ・スキャンを六時間毎にするよう指示すると、ディスプレイに表示されたアニメの顔がにっこり笑い、目の前で上下動を繰り返した。
しばらく目を瞑ってから、頰づえをやめ、物憂げに体を起こす。左手を出し、手のひらを上に向けると、ドローンはストンッとそこに収まり、ディスプレイには、ニンマリ笑うキャラクターが表示される。半球状のツルッとしたドローンの上部を右手で撫でる。ドローンのディスプレイには喜んだ顔が表示され、再び浮き上がり、二度三度、上下動してから部屋の中に戻っていった。元々は、”That’s it”と言えば充電器へ戻って行ったのだが、翼が設定をいたずらしたのだ。結構、気に入っていたが、ケイ・ミズシマに貸し出す前にデフォルトに戻さねば。
腕時計型のデバイスが手首をノックする。メルクーリ・ジャパンの患者支援担当の小野田楓さん(人間)だ。私は彼女が苦手だ、必要以上に高いテンションで話しかけてくるので。
「あ、真理さ〜ん!お隣の713号室、移動してもらいましたので、今日から真理さん、お隣の部屋をご利用になれます!」
「(えっ、隣の部屋?)・・・あ〜、ありがとう。了解です」
「それから、上杉先生から連絡がありました。水島さん、予定通りです。一時間程度で到着されると思います」
「(あと一時間も?)あ〜、はい、分かりました。ありがとう御座います。では」
「あっ、切らないで!」
切ろうとする声を遮り、小野田さんは聞いてもいないことを話しはじめる。
「あのぉ、私、本当に感謝してます。実はメルクーリ・ジャパンで蘇生された方を受け入れるの、初めてなんです。どうすればと思ってたのですが、身元引き受け人の真理さんがいらっしゃって、本当、助かります。それに、真理さんって、アメリカの本社にお勤めなんですよね?」
「・・ええ、まあ(潜入調査の都合上ね)」
小野田さんは、おそらくアンチ・ヒューマノイド、たぶん、男性よりも女性に愛されたい26歳の女性だ。高学歴でキッチンのある家に住み、あえて人間っぽくない旧式のロボットに家事をさせ、人間の女優が演じる古い映画が好みで、自分で化粧して着飾ることができる。おそらく、私と同様、思春期に両親がヒューマノイドに溺れ、親の愛情を十分受けられなかったのだろう。AICSのプロファイリング・システム(※その存在自体、極秘のシステム)は、彼女をそう分析している。それから、・・・私は、彼女の好みの女だろう、とも。
「あのぉ、私のこと、楓って呼んでもらえます?」
「・・・ええ、・・じゃあ、楓さん」
「嬉しい!・・あのぉ、何かお手伝いできること、ありませんか?」
「ないわ。・・・考えることがあるの、一人にしてもらえる?」
威嚇するように語気を強めたが、小野田さんは「もちろん、真理さんのためでしたら」と言って、その探るような、それでいて熱い視線で笑顔を向けて通話を切った。ウザいが、今後の仕事を考えると、あまり邪険にもできない。
ベランダの手すりに背を向けて寄りかかり、右手を空へ伸ばし、左手を右肘にかけて伸びをする。目の前の窓には、薄緑色のロングスカートに白のブラウス、大きなカールのロングヘアーを胸元に流す姿が映った。
「仕事っぽくない・・・」
そう呟き、女らしい姿に違和感を覚えた。半世紀以上の時を経て蘇った祖父母のヒーロー、でも、彼には人に関する記憶はない。
(「身元引き受け人って、何やればいいの?」)
(「・・・例えば、ご家族のように接して頂くとか・・・」)
いつかのエレンとの会話が頭をよぎる。
個人的には、私はケイ・ミズシマの身元引き受け人だ。が、AICSの立場では水島敬太を守ることが私の役割。そんな男へ、どう対峙すればいいのだろう?
記憶がないのだから、祖父母のケイ・ミズシマはいない。AICSとして守るべき水島敬太という人物がいるだけだ。ならば、こんな女っぽい格好は相応しくないのでは?そんな、どうでもいいことに何度も何度も頭を巡らせ、結局、預けていたスーツケースを取りに本館へ向かうことにした。
エレベータで一階へ降り、広大な日本庭園の向こうにある本館へ歩を進める。ほどなく、海から吹く風が濃い霧を運んできた。ついてない。人影のない日本庭園では、足音と衣摺れ以外の音は霧雨に吸い込まれる。まるで気圧の変化で耳が詰まったような感覚だ。濃い緑の草木が生い茂る庭園内の小道は曲りくねり、所々で交差し、背丈ほどの草木が行く手を隠す。
道の傍らに三対の地蔵が目に入る。留学中に何度か気になったが、地蔵が何のためにあるのか、結局、調べなかった。
「(地蔵って、何の意味があるんだろう?)」
そんなことを考えながら歩いていたら、道の端に足を踏み外した。そして、低く垂れ下がったもみじの柔らかな葉が頬に触れ、数粒の水滴が首に伝わり、ブラウスの中に流れ落ちた。とりあえず、構わずに歩き続けたが、やはり気になり、大きな寒椿のある曲がり角で視線をブラウスに移した。その瞬間、不意に男が向こうから現れた。男は咄嗟に寒椿の側によけようとしたが、気付かず進み続けた私の肩があたり、よろめき、寸でのところで連れのヒューマノイドに支えられて転ぶのを免れた。完全に私の不注意だ。が、私は男に謝られた。
「ごめんなさい、お怪我ありませんか?」
色白で痩せて病弱そうな男は、不思議そうな目で私に視線を向けた。私は、無意識に右手で頬の傷を隠し、大慌てで謝罪した。
「あっ、いえ、あたしは全然。あたしが悪いんです。あたしが下向いて歩いてたんです。ごめんなさい。あのぉ、お怪我は?あたし、こんな身体、大きいんで」
「大丈夫です」
男はそう言うと、左右のまつ毛についた水滴を左手の人差し指で軽く拭い、もう一度、私に視線を合わせて微笑み、一礼して背を向けた。私も恐縮したまま男の背に一礼し、先を急ごうと歩きはじめた。が、男の連れが発した次の声に驚き、身体が固まる。
「水島さん、大丈夫ですか?」
「えっ!?」
私が驚いた声をあげたせいで、男は立ち止まり、再び不思議そうな視線を向ける。振り向きざま、私の口は無意識に言葉を漏らした。
「ケイ・ミズシマ」
「えっ?」
「・・・あっ、えっと、あのぉ、・・・水島敬太さんですか?」
「はい、そう・・・です」
そう答えると、男は左手を口元にあて、視線を落として呟きはじめる。
「ケイ?・・ケイ?・・・ケイ・・・、そう呼ばれた。そう呼ばれていた・・・記憶?」
男は左手を額にあて、右手で胸のあたりを抑え、苦しそうな表情をする。私は語りかけるべき言葉を必死に探した。が、それより先に、男は何かに思い当たり、静かに顔を上げた。
「そうだよ、僕はぁ、・・僕はケイ・ミズシマだったんだ」
男は一人納得すると私の瞳を見つめた。が、すぐに視線を宙に彷徨わせる。随分、動揺しているように見える。が、私はもっと動揺していた。何故か分からない。目を閉じ両手をぎゅっと握りしめ、早口で叫ぶように大きな声を出してしまった。
「あっ、あたし、ファーガソン・真理と申します。祖父母が大変お世話になりました(え〜、あたし、何言ってんのよ!?)」
深々とお辞儀した。間違いなく、私史上、一番、深々と頭を下げた。
「ファーガソン・・・、覚えがある、覚えている・・・記憶、残ってた」
男の目から涙が溢れる。
「カイルとケイコさんだ」
「・・・は、はい」
「僕の方こそ・・・、君のそ、祖父母?・・・お爺さん、お婆さんには、言い尽くせないほど、お世話になりました」
「か、家族のように?」
「ハハッ、たしかに。・・・家族のようだった」
次の瞬間、私は駆け寄り、ケイ・ミズシマを抱きしめていた。強く強く抱きしめ、私も大粒の涙を流し、雨の中、二人で泣き続けた。




