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追放者 その2

 わたしはそのガオンという国で、ある大きな修道院の翻訳者としての職務を任ぜられました。ガオンという国は大国ではあったのですが、同時に歪な国で、そこでは修道院がとても大きな権力を握っていました。その地域では、過去に大規模な遠征があったのです。王や貴族、騎士たちがみんな立ち払うような、とても大きな遠征だったのです。彼らは神と大義のために剣を取って馬に乗りました。遠征に参加しないような者は軟弱者や臆病者とみなされるので、みんなそれに参加しなくてはいけませんでした。遠征に参加するための資金を捻出できない貴族たちは、みな自分の領地やブドウ畑を修道院に担保として預けて借金をして、なんとか資金をやり繰りして出征しました。遠征先で略奪したり、もしくは戦場で武功をあげたりすれば、そんな借金はすぐに返せると思っていたのです。そういった大行事の前には常であるように、みなどこか楽観的で、夢見心地で、良くない大胆さがあったようです。そして、結局のところ、彼らの大半は帰ってきませんでした。大半というのは言いすぎたかもしれないですね。わたしはついつい話を誇張してしまう癖があるのです。そうやって無理をして出征した者たちの多くは、出征先で死んでしまって、帰ってきませんでした。とても激しい戦いだったから、死んでしまう者が多かったのです。そうして死んでいった貴族たちが担保として預けていたブドウ畑や領地をそっくりそのままたくさんいただいた修道院は、それを上手いことやり繰りして、莫大な財産を築くようになりました。彼らは出征の傷を引きずるガオンの内部でめきめきと成長していき、教会や王よりも強い権力を握るようになりました。わたしはそうした修道院に雇われて、様々な言語で書かれた名簿や資料の管理を任されました。ガオンは統一された国ではなく、様々な小国がたくさん集まって形成されたモザイク状の国家でした。その中で中枢的な立場にある修道院は、そういった様々な小国と、微細に、もしくはかなり大きく異なる言語の中で色んなことを主導しなくてはならなかったから。わたしはこの角を使って、その中継ぎを頼まれたわけです。


 イルレンジョリレオッパはぼそぼそと喋り続けると、グラスの縁を指の腹で撫で始めた。その中でも最も多かったのは、そのブドウ畑の担保契約の資料の整理でした、とイルレンジョリレオッパは言った。誰彼がこういう担保でこういう借金をして、とか、そういう資料をずっと整理することになりました。資料自体は基本的に言語が統一されていたのですが、問題はそれに添付する様々な担保の証拠でした。修道院に送られた担保契約に関わる手紙なども、契約の重要な証拠資料として保管されていたのです。それらは色んな言語で書かれていました。帰ってこなかった騎士たちの未亡人や、子供や、その親などから、契約の前に色んな風に手紙が届いていましたし、遠征の後も手紙が届き続けていました。そうして契約者が死んだ後も、あれこれという理由で色んな手紙が届きました。わたしはそういう手紙を一つ一つ読んで、大体こういう内容だという風に注釈を付けてから一枚ずつ丁寧に整理しました。その中に、とても綺麗な字で書かれた手紙がありました。とても綺麗な字だった……思い出すだけで身震いするほど。声色がとても綺麗な女の人っているでしょう? 思わずその声を聞くだけで胸が高鳴るような、しかもその口調が、とても丁寧で、品があって、なおかつきわめて正確な文法と語彙が使われているようでしたら、わたしたちのような人種としては、もう参ってしまうのです。それはそういう手紙でした。もちろん手紙だから、声が聞こえてくるわけじゃないのですよ。それは当然です。でも、その書かれた文字といったら、文体といったら、選ばれた言葉の感覚といったら、闇の中で純白のドレスを着たダンサーが、紙の上でインクと共に優雅に踊っているようでした。それは自分の所有しているブドウ畑と領地を修道院に預けて出征した貴族の妻からの手紙で、どうか私の夫が無事に帰ってくださるように、修道士の皆様からも祈ってくださるととても嬉しいですという内容の手紙でした。その女性は毎日欠かさず修道院に通って、寄付をして、夫の無事を祈って必死に祈っていたのです。体調が悪かったり、不在の夫の代わりに動かなければいけなかったりしたときにだけ、その女性は代わりに修道院に心の籠った手紙を送ることで祈ろうとしていました。彼女からの手紙は何通もありました。紐で括られた手紙の束がいくつも重ねられていました。私は自分の職務もそっちのけで、彼女の手紙を何日も、丁寧に、大事にして、味わうようにして読みふけったものです。彼女の手紙の文章はとても落ち着いていて、丁重で、気品に溢れていましたけれど、同時に不安と焦燥で溢れていました。私は何度も涙ぐみながらその手紙を読んだものです。そうすると、その手紙は急に終わってしまいました。最後の一通が送られてから、パッタリと続きが送られて来なくなったのです。わたしはこの続きがどこかに保管されていないか、修道士たちに聞いて回りました。すると、その女性はもう随分前に、出征先で戦死した夫を追って、自死してしまったというのです。わたしは打ちひしがれました。あれだけ清い心を持ち、何よりも自分の伴侶の無事を祈り、これほど神に祈って尽くした女性が、そんな最後を遂げるなんて、あんまりだと思いました。胸が張り裂けそうでした。わたしはそれから、仕事が何も手に付かなくなってしまいました。そんなこと、あってはいけないと思ったのです。わたしは手紙の彼女に恋をしていたのだと思います。だけれどそれは、わたしのことを愛して欲しいということではなく、純粋に、この手紙の主の夫が無事に帰り、ただただ幸せになってほしいという意味での、淡い恋心だったのです。


 イルレンジョリレオッパは少しずつ興奮してきたようだった。彼は震える指でグラスをつまむと、その中の液体を飲み干して、次を注いで欲しそうにした。ユパは、彼が金を持っていないのではないかと思った。だけれど、結局、次の酒を注いでやった。濃厚な土の味がする酒で、ユパの好きな琥珀酒だった。イルレンジョリレオッパが金を払えなくても、ユパは許してやろうと思っていた。ユパはそれよりも、イルレンジョリレオッパの話の結末を知りたがっていた。


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