第一章 第九話 『空の聖騎士』
壊れた天井から月の光が射し込み煙に立つ人影を照らす。月光は髪を銀を帯びた空色に輝かせ、腰に帯びた簡素な鞘をきらびやかに飾りつけた。
「影の暗殺者を追ってみれば、まさか貴方に会えるなんて思いもしませんでしたわね。タクミ」
「本当に、ここの近くを通りがかってくれて、助かったよ」
「百二十点のお助けじゃない! タクミ!」
部屋のドアを大きな音とともに開け放ったのは、先ほど助けを呼びに行ったタクミだった。肩で息をしていたものの、マーリンの小さな両手でアリスが引きずられている様を見て、すぐさま加勢に入る。
空色を身に纏い、同色の瞳は影の暗殺者を真っ直ぐ見据える。今までに見た気高い女性らしい雰囲気とは全く違う、剣士としての死地を知っている者ゆえの殺気をシェリアは放っていた。
「こんな状況で心強い助っ人だけど……。勝てるのか?」
敵の動きに少しでも早く対応しようと腰を落とすタクミの問いに、少女騎士は敵の姿に集中したままだったが、
「無論ですわ。テレストル家の当主を名乗る以上、敗けなど微塵も意識はしないものですのよ」
自信に溢れた言葉は強かった。彼女の瞳は真っ直ぐに敵を捉え、獲物を定める猛禽のように爛々と輝いている。
「まさか……シェリア・スカイ・テレストル。『スカイ』の名を持つテレストル家の当主様に会えるなんて、さぞかし美しい紅い血をしているのでしょうね」
うっとりと得物の刃を眺める暗殺者は、その刃にシェリアの姿を映す。黒いフードとマスクの隙間に覗く赤い瞳は血を欲する禍々しい獣のそれだ。
「こちらも少し前に救援の魔導が屋敷に来たって聞きましてね。今はわたくしの得物は持ち合わせておりませんが、まぁ護身に持ってた騎士隊の剣で構わないでしょう」
手に持つ剣は彼女の家にいた騎士が持っていた簡素な細身の剣。しかし、それを持って構えるシェリアの姿は底知れぬ圧力を持っている。タクミもその迫力を感じたのか、喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。
「残念ねぇ、名高い四騎士の腕前をこの身で体感できると思ったのに……。そんな有り合わせじゃあ本来の力なんて出せないじゃない?」
「そんなこともありませんわ。今からお披露目するのは、貴女の目の当たりにする最後の剣技ですもの」
「あら? それは……是非とも見せて欲しいものね!」
強気の台詞に応える言葉と同時に姿を消した暗殺者だが、シェリアは顔色一つ変えること無くぽつりと、
「タクミ、援護は要らないから後ろへ」
言い切るが早いか、横に薙いだ細身の剣はナイフの刃を受け止め月明かりが注ぐだけの暗い室内を火花で照らしだした。
不敵な笑みを見せるシェリアに暗殺者は目を細めて声色を高くする。
「あはぁ! 一度刃を合わせただけで伝わるこの昂り、分かる……これが本物の使い手との命の取り合い!」
ぶつかり合う刃が離れると、暗殺者は再び闇に溶けていった。タクミとマーリンが怪我したアリスを後ろへ引っ張っていったのを確認すると、右手に持った剣を一振りしてナイフを簡単に止めて見せる。
「残念ですけどわたくし、返り血で服を汚すのは嫌いですのよ。恐らく暗殺者でしょうが、無駄な抵抗は止めてお縄に着きません?」
「あら? 私はだぁい好きよ。生温かい返り血から分かるの、命の残り火が相手の消え行く生を感じさせるこの瞬間が……」
「とことん気が合わないようですわね」
顔をしかめるシェリアは敵の連撃を顔色を変えずに受けていく。闇に溶け込む敵を視認できているのか、時に舞を踊るかのように軽やかな足取りを交え、刃を受けることで飛び散る火花で彼女を鮮やかに飾り付けた。
※※※※※※※※※※
「どこでシェリアに会えたの? 大分早かったけど」
アリスの傷口に手荒いが布切れを巻き付けて引っ張るマーリンの問いに答える。
「いや、僕がスラム街の入り口に来たときに鉢合わせたんだ」
――タクミがマーリンの頼みを聞いて走り出してから、入り口にまで着くには僅かな時間だった。
暗い道を照らすのは揺らめくランプ、崩れた土壁の下には虚ろな目をした貧民街の住人。華やかな市場を少しだけ深く見てみれば、そこは日陰の世界がはっきりと映っている。
「そこの、少し話を聞かせてもらえますか?」
声の方向に振り向くと、貧民街の入り口の看板に白いローブを着た人が立っていた。腰には細身の剣を帯刀し、声から女性だとわかる。
「すまない、孤児院に危ないやつが出たんだ。今そこのリーダーが食い止めてるけど……」
「その声……タクミですの? どうやってまた監視をすり抜けたの?」
目深に被ったフードを取ると、その正体はシェリアだった。空色の髪を手で整えると、焦った様子のタクミに表情を引き締めた。
「まぁそれは後で。ナイフを持った敵? 見た目は?」
「黒いフーデットローブで、そこから見える目が赤かったのが印象に残ってるよ。かなり身のこなしもよかったけど……」
そこまで聞いたところでシェリアが孤児院の方角に直る。タクミから見える横顔は引き締まっていた。
「十分ですわ。先に向かいますので、タクミはマーリンと他の人たちを避難させて下さいな」
「えっ!? あっ、ちょっと!」
タクミが止める暇もなく、シェリアは驚くような加速度で飛び出していった。
※※※※※※※※※※
暗闇から滑り出てくる黒ローブの攻撃を完璧に捌いていくシェリアは、相手に語り掛けるように口を開く。
「まずはフードに隠れたお顔を拝見いたしますわ」
その言葉の後に剣を縦に一薙ぎ。空気を震わせる一太刀は的確に暗殺者の正中線をなぞった。
振り切った剣を軽やかな手捌きで再び構えの位置へと戻すと、一息を鋭く吐き出す。
「面白いでしょ? こういった芸当を加えた剣術もわたくしの得意技ですの。相手にキズ一つ付けずに、仮面とかローブみたいな顔を隠すものを斬るって器用でなくて?」
黒ローブの後ろの壁に縦一文字の剣跡が残っていたが、斬られたはずの本人は全くの無傷だったのだ。
「ほんと、どんな手品してるのよ」
「まぁ、壁まで斬ったのはただのパフォーマンスですけどね」
左手で覆っていた隙間から見えたのは、整った目鼻立ちと目の色と同じ深紅のウェーブのかかった髪をした見た目二十代の女性だった。
その隠した顔をひたと見据えたシェリアは、表情を一変させる。
「顔が見えるようになったところで、ここじゃ暗くて何も見えやしないですもの。影の者でなくどこかの回し者ならば、捕まえるだけでしたが……どうやら前者ですわね。こんな場所に来た目的を聞かなくてはなりませんね」
「シェリア、こいつの目的は魔石らしい。ここの誰かにスられたみたいだ」
タクミの言葉を聞いてか、「ふふっ」と小さな笑い声を漏らす。
「随分と間抜けな奴もいるものですのね。でも情報助かりましたわ。お陰様で脅威対象だった『影』の暗殺者の顔も割れました」
「そうね、これじゃこちらも困るわよ」
「困るとか言われましても、本来ならしょっぴく程度にするつもりでしたのよ。貴女が深紅のテトラでもなければね」
「あら、そんな通り名あったのね。光栄だわ」
口角は上がってはいたが、声は喜びを感じ取れない低いものだ。タクミもかなり慎重な様子でシェリアに声を掛ける。
「あいつそんな呼ばれかたしてるのか?」
「ええ、数ヵ月前にとある貴族一家とその従者を皆殺しにされた事件がありましてね、その時に手にかけられた一人の魔導師が最後の一言に残した魔導の記録に彼女の顔が映っていました。その時に仲間が名前を喋っていたのと、黒ローブだけでなく得物のナイフ、顔にまで返り血を浴びていたことと、その深紅の髪から血の暗殺者なんて呼ばれかたしてますの」
シェリアの説明を聞いて黒ローブ、もといテトラは指で空をなぞりながら恍惚の表情を浮かべた。
「ああ……あの時ね。ふふっ、今まで血で自分とか相手の死に際を彩るのは好きだったけど、あの後に名前を喋った奴も始末してやったわ。あれのせいで名前バレちゃったし」
「本当に虫酸が走りますわね。寒気がするほどですわ」
「あら、仲間殺しなんて私たちには珍しくもないわ。暗殺者が顔と名前を知られたら、本当に商売あがったりよ。結局顔までバレちゃったし」
そこまで口にしたところで、テトラは再び赤黒い刀身のナイフを構える。その様子にアリスたちを相手にしていた嘲るような態度はない。シェリアを完全に敵として認識していた。
「さっさと仕事終わらせなくちゃ。あまり余裕無さそうだし」
「そうね。こちらとしても時間は掛けたくありませんもの」
先に仕掛けたのはシェリアだった。軽やかにテトラへと真っ直ぐ走る彼女に対してテトラが取った行動は……。
「あれは?」
ローブの袖から落ちたのは手の平に乗るほどの小さな丸い玉だった。シェリアはその物体を意識したまま、テトラに向けて剣を振るう体勢に入る。そして玉が地面に着いたその時……
「なっ……!?」
小さな破裂音がしたかと思えば、辺りを白く染め上げる煙が部屋を満たした。月明かりが射し込む部分だけが白かったが、漆黒に包まれた部屋の大部分は最早皆目見当もつかないほどに視界を黒く染め上げる。
「煙に紛れてわたくしを殺すつもりでしょうけど……」
目を細め、煙を吸わないよう左袖で鼻と口を覆ってテトラを探すシェリアだが、その位置を把握した瞬間に表情を変えた。
「そうよね空の聖騎士さん? やっぱり自分の身は重要よね?」
声が響く方向はシェリアがいる地点から反対、タクミたちがアリスを引っ張っていった方角だった。極僅かにシェリアが部屋全体から暗殺対策に自らの周辺に意識を傾けた結果、テトラにアリスたちを攻撃圏内に入れさせてしまったのだ。
左手を腰に回して取り出したもう一本の冷たく光る赤い刃が、未だに動けないアリスとまともに戦えないタクミの首もとに迫る。
「しまった!」
煙で反応が遅れたシェリアの全力の踏み込みは床に蜘蛛の巣状のヒビを入れるほどだが、体を発射させるよりも早くタクミたちの首を落とせる時間差を感じ取ると、すぐさま剣を逆手に持ち替え投擲モーションを取る。
――間に合って……。
心の中で感じ取った数秒後先の出来事を予感したのか、剣を握る手に一層の力が籠る。
手を離れた細身の剣は少女から放たれた物とは思えない速度で煙から飛び出すと、的確にテトラのナイフを握る手をめがけて飛翔した。その速度はテトラの右手を撃ち抜くか、アリスとタクミの喉笛を裂くのか紙一重のものだったが、起こった結果は全く異なるものだった。
「えっ?」
何が起こったのかわからないという声を出してテトラがナイフを持つ右手と膝を突然地面に押し付けられたのだ。テトラに向けて投げた剣はナイフを持つ手を越えて闇の中に消えていく。
「ちゃんと力を引き出せたじゃないの。これで戦えるわね」
何が起こったのかわからないといった様子で二人を見ていたテトラをよそに、マーリンは得意気な表情で右手を出していたタクミの側へと駆け寄った。