第一章 第五話『夜市』
「わたくしの言いたいことは分かりますよね?」
椅子に座るシェリアの前で正座するタクミとマーリン。
あの後二人はスラム街から市場街へと戻ったところをシェリアのお付きの騎士であるカザリンとセシルに見つかってしまい、戻ってきたところをシェリアがタイミング悪く馬車を降りてきたのだった。
「僕が何か思いだせるかもって、マーリンを連れて外に出たんだ」
口をつぐむマーリンの横で弁解するタクミの言葉を聞いたシェリアは脚を組み替え、頬杖をついて口を開く。
「一応聞きますが、わたくしの家にいる世話人の半分は騎士一族の出身の者ですわ。普通にかくれんぼしててもあっさりと見つかるはずなのですが、タクミが隠密魔導でも思い出しました?」
「…………」
タクミの無言にシェリアは空色の髪を指でいじくるだけだった。
シェリアはまだマーリンが魔導を使えることに気が付いていないようだが、魔導の使えたタクミの師匠であるマールフィンの娘だと知っていたことで、いつマーリンに矛先が向くのか分からない。
「とにかく、貴方たちはまだここから動くべきではありませんの! 今回の事は多目に見ますが、次勝手な行動をしたら……」
シェリアの口許に浮かんだ笑みは二人を威圧するには十分だった。ゆっくりと立ち上がり、着ていたコートの裾を翻らせるシェリアは、
「わたくしは夜はこの時期に行われる夜市の警備に出ます。引き続きセシルとカザリンの二人に監視を頼みますが、くれぐれもここから勝手に出ていかないこと。分かりますわね?」
そう釘を刺す言葉に頷く二人に安心したのか、ドアノブに手を掛けると、「そうそう」と再度振り返る。
「二人はどこに行きましたか? 一応、ここから勝手に抜け出してまで遊んだ感想を教えて頂けるかしら?」
「あー、屋台の並ぶ通りだったなぁ。買い物結構したし」
「五番街ですのね。最近、近くの七番街の貧民街で怪しい奴らが動いている話を聞きましてね。警戒するべきかもしれませんわね」
そう言い残してシェリアは部屋を後にした。そこで彼女は廊下を歩くなかで一つの疑問に気が付いた。
「そういえば、タクミはお金持っていましたっけ?」
そんな小さな疑問も彼女は深く思考することなくあっさりと消えていった。
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「全く……散々だったわよ! あと少しで髪飾り取られるとこだったのよ?」
「一応は取り返せたし、アリスと面識を得られたのは大きいだろ。アリスがいたときはスラム街のならず者も手を出せなさそうだったしな」
タクミの部屋に戻った二人だったが、椅子に座るなりマーリンの未だに目くじらを立てる姿に怒りの大きさを垣間見た。
「あんたにはこれの大切さが分からないようね?」
「あーわかった、悪かったよ」
顔を近づけてくるマーリンをタクミが制しつつ、師匠が残したという手帳を取り出した。
「そういえば、マーリンはこれについて何か分かることはないのか?」
両手で手帳を受け取ったマーリンは最初のページに目を通すや直ぐに、「パパの字だ」と一言だけ呟く。それ以降は無言でページを捲っていく。その間に流れる木の葉の音や鳥のさえずりが一時経ち、両手で手帳を閉じるとたったの一言だけ、
「これは今はムリね」
そう言ってタクミの胸に突き返した。
「どういうことだ?」
「パパったら、あんたにどれだけの期待を持ってこれを書いたんだろ? スケール大きすぎよ……」
「だから、師匠は何を……」
タクミの言葉が終わる前にマーリンの小さな掌がタクミの顔の前で止まる。
「簡単に言えば、世界を旅しろってことよ」
「世界を旅する? シェリアは今大変なことになってるって言ってたのに、そんな暇が……」
「難しいのよ。あたしにもあんたにも、今の世界に起こっていることの重大さをすぐに理解することは」
既に理解しているようなマーリンの言葉にタクミが食って掛かった。
「何だよ……マーリンも分からないって、そんな言い方おかしいだろ?」
「そうね。文面では危ないのは分かるけど、実際にあたしの目でどれだけの事態になっているか分からないって意味で言ったの。ゴメンね分かりにくかったかも」
そう言って手を頭の後ろで組み、部屋を一周したところでタクミの方に振り向く。
「難しいこと考えたらなんだか退屈しのぎしたくなったわね。そういえばシェリアが夜には夜市があるとか言ってなかった?」
マーリンの提案にタクミは顔をしかめた。
「まさか行くつもりか? お前シェリアに知られたら今度は……」
先程のシェリアの笑みに見えた危うさにタクミの表情が強ばるが、マーリンはベッドの上でひとしきり転がると、何かを閃いたのか跳ね起きる。
「ふふん! あたしにはまだ別の手があんのよ」
そう言ってベッドのシーツに手を掛けた。
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新鮮な野菜や果物や生きた鳥を捌く場面が見受けられ、様々な食べ物や他にも日常で使われるような雑貨が売られていた昼とはうって変わって、酒を呑み、肉を喰らって騒ぐ大人が夜の主役だ。
「まさかシーツを被っただけで見つからずに出てこれたなんてな……」
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マーリンが引き剥がしたベッドのシーツを床に広げると、ぶつぶつと何かを呟いたかと思うと、
「これ、カーテンのとこに引っかけて吊るして」
シーツの端を掴んでタクミに押し付けると、ベッドの上から背伸びしてカーテンに結び付けようとする。しかし……、
「届かない!」
十歳程度の身長の彼女が寝室のカーテンの上端にまで手は届かない。必死な姿の彼女を見たタクミは、手からシーツを取ると無言で結び始めた。
「ふ……ふん! あたしだって背が小さいだけで、本当はもっと色々できるんだから」
と、もう一枚のシーツに手を伸ばす。
「マーリンは僕が何をすれば良いのか分かる。だから僕は小さくても自分にできることをしないと、記憶を無くしててもマーリンに頼りっぱなしはなんだかムズムズする」
「へえ、やる気はあるって感じね」
準備が終わったところでタクミはマーリンに改めて問いただした。
「一応だけど、もう一度あの二人の目を掻い潜ってここから出られるのか?」
その問いに少女は再び頷く。
「ええ、残念だけどシェリアのお付き……。ええとセシルとカザリンだっけ? あの二人じゃ魔導系の感知は出来ても、あたしの手品までは見透かせなさそうなんだもん」
得意気なマーリンの笑顔は無邪気ないたずらっ子のそれだった。
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「まさかベッドのシーツに幻影魔導で部屋の様子を丸写しするとはな……」
部屋から二度目の脱走案としてマーリンが選んだのは、ベッドのシーツをカーテンに吊るして、それを軸に部屋全体に幻影魔導を掛けてタクミとマーリンの二人が居るように見せかける手段だった
「幻影魔導は人を惑わせるものだもん。掛かった相手はその人の思い込んだイメージを直接視界に映るようにして、声も聞こえるようにした、あたしオリジナルの『部屋偽装』の魔導よ! これなら魔導感知に関しては細工して上手いこと掛からないし、触らなければ幻影とは分からないわ」
「……マーリンって魔導上手いんだな」
「まあ、ざっとこんなものよ! でも触ったりした瞬間にいなくなったことがバレるから、その時は……まぁ何とかしよっか」
最後の一言にタクミは一抹の不安を抱えたものの、誉められて胸を張るマーリンはその後たっぷりと食べ物を買ってもらい、革袋に入っていたお金は見事に消し飛んだのだった。
こうして夜市を楽しんだ二人は、市場の端に着いたのか最後の屋台の先、七番街の看板を越える路地が見えるところまでやって来た。活気どころか、人っ子一人もいない路地は明らかに恐ろしい空気を漂わせている。
「アリスたちって夜はあんな怖いところに住んでいるのね」
「街灯の数が少ないからかなり暗くなっているな。さすがに行くのは止めといた方がいいよ」
「うーん……」
再び屋台の道に戻ると、黒いローブを着た何者かが二人の脇を通っていった。そういった人間は何人かすれ違っている。
「あの人ってシェリアの警備隊の人なんだよね?」
「そういえばさっき屋敷から抜け出る時に、同じようなローブの人が警備隊が見回りするときの格好らしく、敢えて目立つことで本来の隠密警備隊を隠す役割って新人っぽい人に話してたな」
「あんたそんな事聞いてる余裕があるなら周りを見ておきなさいよ……。セシルとカザリンはシェリアのお付きをするだけの実力はあったわよ。今回はあたしのことまで警戒してなかったけど、隠蔽するための魔導くらいなら普通見つかると思う」
呆れていたマーリンを横目に、タクミは通り過ぎた黒ローブの後ろ姿を再度見てからマーリンの側に屈む。
「マーリン、警備隊がこんな端まで来るのか?」
「流石に来るわよ。むしろこんなところこそ不審者が居るんじゃないの? 昼間の貧民街の奴ら、かなり危なさそうな雰囲気だったよ」
「にしても、あえて目立つ意味で抑止力になる黒ローブの警備が居るって話なのに、端の方は一般人に変装した人が担当するんじゃないのか? やっぱり警備が居るって悟られるのは避けたいし」
「何が言いたいのよ?」
「もしかしたら、あいつ怪しいかも……。最近貧民街で変な動きがあるってシェリアが言ってたろ? その張本人とか?」
「……シェリア本人だったらあたしたち、また大目玉食らうわよ? 単に誰かの任務とかかもしれないし」
先程のシェリアの危険な笑みを思い出したのか体を縮めるマーリンだが、タクミはそれを見ずに言葉を返した。
「ああ、だからお前の隠蔽魔導でなるべく悟られないようにするんだ。もしもシェリアじゃなくて、怪しいヤツなら……」
途切れた言葉にマーリンは頭を振るが、
「わかった。今から孤児院に行ってみるけど、ヤバそうだったらあたしの力でシェリアに伝えるようにするよ?」
「ああ頼むよ。それでシェリアにどやされても、この件を盾に上手く立ち回るさ」
タクミに背中を押されて仕方無さげに頷くと、最後に残っていたお金で、食欲をそそる香ばしい香りの焼き鳥をパンに挟んだ物を注文してそれを手早く平らげてから、
「じゃ、あたしの隠蔽魔導で孤児院を見てみよっか。あくまでも、シェリアに悟られないように慎重に行くから」
と、タクミの袖を引っ張って暗い路地へと歩を進めていった。