第一章 第二話 『彼女の面影』
「これは魔導とは少し違うわ。魔法って言う括りね」
タクミの言葉をマーリンは首を振って答えた。そうして椅子から立ち上がると、タクミのいるベッドの隣にあったテーブルからコップを一つ持ち上げる。
「あ、水無いから持ってこないと」
立ち上がろうと体を起こして足を地面に着けたとき、マーリンは手を振って制止した。
「いいよ、そんなの自分でどうにでもなるから」
マーリンの言葉を理解しようとタクミは瞬きをしていたその瞬間、コップには音もなく水が注がれた状態になっていた。
「なっ、何をしたんだよ?」
瞬きの時間に起こった出来事に困惑と驚きを交えて目を開いているタクミの様子に、マーリンは得意気にコップを顔の側に持ち上げる。
「見た目には何も違いは無いわ。これが魔法ってやつよ」
そこまで口にしたところでマーリンは何かまずいと思ったのか、目を伏せる。
「あんたもいずれ、魔導と魔法が全然別物だと思い出す時が来るよ」
「何を言って……」
「タクミ? 入りますわよ」
タクミの言葉を遮るようにしてノックの後に入ってきたシェリアはマーリンの姿を捉えると、腰に携えた剣の柄に手を掛けた。
「どちら様ですの? 侵入者ならば……」
「初めましてだよね? あたしはマーリン。マールフィンを父親に持つ……ええと、魔導師ってやつだよ」
怪訝そうな声色で睨み付けるシェリアに、マーリンは言葉に割り込んで自己紹介をしてお辞儀をして見せる。可愛らしい少女の挨拶にシェリアも敵意を感じなかったのか、少しだけ警戒を解くがものの、
「マールフィン様の娘さん? さて、わたくしには知らないことなのですが、どういう事か説明できますか?」
「知らないのも当たり前だよ。パパはあたしのことを他の人には一部しか紹介していなかったもん」
あっさりと返答してしまったマーリンに、シェリアも少女の瞳をじっと覗き込み、一つため息を吐き出す。
「はぁ……。分かりましたわ。とりあえずタクミに余計なことはしないように、貴女の素性を知っていそうな方に尋ねてみたいと思います」
そう言って壁際にあった別の椅子を、マーリンの座る椅子の横に置いた。
「タクミ、手帳の内容は読みましたか?」
「うん、でも何も分からなかった。僕が覚えているのは、シェリアと話せるこの言語くらいで、名前だってこのタクミっていうものだって覚えてないんだ」
「それでは先日のアルフィナのことも?」
その名前を出したシェリアの顔は今までのものとは違い、手を胸の前で握って眉をひそめていた。
それを見たのか、タクミの表情にも今までにない真剣さが漂うが、
「……ごめん」
謝罪の言葉が終わるか否か、シェリアの手がタクミの胸を掴む。
「流石に……アルフィナのことを忘れたなんて言わせませんよ?」
詰め寄るシェリアの厳しい表情にタクミの表情が曇る。一時は振りほどこうとシェリアの手を掴むが、すぐに手を放すと彼から小さく声が漏れた。
「彼女に、アルフィナに何かあったのか?」
あたかも覚えているかのような返事に、シェリアの手から力が抜けてベッドに音もなく落ちる。
「彼女のことは覚えているのですね?」
その問いにタクミはベッドのシーツを握りしめるが、首を縦に振ることはなかった。
「いや、何となく重要そうな響きがしたんだ。僕にとって何か大切な人だと思った」
「そうですのね。まさか一番付き合いの深いアルフィナのことまで……」
シェリアは眉間にしわを寄せて口を閉じてしまう。ぶつぶつと何やら口にしていたが、何かを決めたのか椅子から立ち上がる。
「今は来て下さい。話はそこからにしましょうか」
白い病衣を着たタクミの腕を掴むと、靴を履かせる暇も与えずにタクミを部屋から連れ出した。
やって来たのはある部屋だった。大きなテーブルの側には腰に剣を携えた男女が立っており、女性の方が椅子を引く。
「タクミ様をお連れになったのですか? 靴も履かせずに?」
「……気にしないで、わたくしも少々急いでいたから」
驚いた様子で男性が問いかけたが、シェリアは右手を振って二人を壁へと下がらせる。
「問題はありません。怪我は癒えているようですし、先程言った通りタクミは言葉以外の記憶を全て無くしているようですから、現状把握は大切なことですわ」
従者に挨拶していたタクミと水の入ったコップを持ったままのマーリンを座らせると、テーブルに両手を付ける。すると青白い光が人の行き交う活気溢れた街を浮かび上がらせた。
「今ってこんな魔導もあるんだね、便利になったもんだ」
感嘆の声を出すマーリンを無視してシェリアは話を進める。
「恐らく貴方は見える光景が分からないでしょうから教えておくと、ここは半年前のこの国の王都なのですが……」
その後に一度テーブルに両手を付けると、映ったのは元とはあまりにもかけ離れたものだった。
「街が……」
「先程の状態からここまで、たったの三日間の出来事でしたわ」
「三日……だって?」
浮かんだのは建物が瓦礫に変わり果て、一部は火に包まれていた見る影もない王都の様子だった。人々の姿は消え失せ、生き物の存在が感じられることのない様子は死んだ街という言葉が相応しい。
「現在、わたくしたちの居た王都は壊滅。他国の救援もままならないほどに攻撃は激しく、この国の主な戦闘力は各領地に分配されている状態ですの」
「僕はこんな時に何をしていたんだ?」
「それは王都で……」
シェリアが次の言葉を口にする瞬間、ドアを叩く音と共に男性が飛び込んできた。
「シェリア様! たった今会議の召集が、シェリア様も至急いらっしゃるように伝達が来ました」
「内容は?」
「例の事について進展があったとのことです」
男性騎士からの報告にシェリアは一瞬苦い表情をちらつかせるものの、すぐに椅子から立ち上がった。
「分かりましたわ、今から馬車の用意をしてくださるかしら。ここからなら少しあれば到着できますわ。セシルとカザリンはタクミのお話し相手にでもなってくださいな」
「「はい」」
後ろにいた男女が揃えて返事をした後、タクミに向き直って声を低く一言呟いた。
「アルフィナはわたくしにとっても大切な友人。今は記憶に無くとも、彼女とこの国いいえ、世界的に起こっていることはすぐに思い出す筈ですわ」
そう残してシェリアはベッドに掛けられていた鞘を肩に掛けると足早に部屋を後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「アルフィナのことタクミは覚えてたんだ」
部屋に戻った二人はタクミはベッドに、マーリンは窓から入り込んだ薄青い蝶を眺めていた。
「名前だけなんだ……」
「名前だけ?」
「初めて覚えているかもしれない名前だったんだ。アルフィナという響きは聞いたことはあるのに顔が出てこないんだ。こう……雰囲気くらいかな」
うつむいてベッドのシーツを握るタクミの顔を下から眺めたマーリンはすぐに蝶を追いかけ回す。
「へぇ……。アルフィナのことはなんとなくでも残ってるんだ」
「どういう意味だよ?」
タクミの問いかけを聞いてか聞かずか、ベッドの側に飾られた黄色の花に止まっていた蝶を手で包み込むと、ポツリと答えた。
「何でもない」
黒い髪を風に揺らしつつ、マーリンは手の中に収めた蝶を窓の外へと放してひらひらと手を振る。
「アルフィナはあんたとあたしの共通の幼なじみっていうのが正しいのかな? あたしもあんたと一緒にアルフィナと出会ったから」
「どうしてそんな見た目で幼なじみって言えるんだよ?」
疑念を持った視線がマーリンを突き刺すと、彼女は手を後ろに組んで「そこは企業秘密だよ」とこれ以上の追及を許さなかった。
「あの子はすっごく大きな魔導師一族の次期当主らしくてね。なのに、家の名前を着て大きな態度は取らずに、魔導師の手本となるような品行方正な人格者みたいなんだよ」
そこまでアルフィナのことを語ったところで、マーリンはタクミの眉間にシワを寄せた表情をじっと眺める。
「何なんだよ? 僕の顔に何か付いてるのか?」
「眼が醒めてすぐなのに、ずいぶんと思い出すことを頑張ってるんだなぁって」
「当たり前だろ? 僕は僕がどんな存在なのか、何か役目があったんじゃないのか気になるだろ。思い出せそうならすぐにでも思い出したいんだ」
タクミの言葉を聞いたマーリンは窓から外を眺めると、何か思い付いたのか勢いよくタクミに振り返った。
「だったらさ、何か思い出せるかもしれないし、あたしもここら辺がどんなになってるか気になってるから、散歩がてら街にでもいこうよ」
悪どい笑顔を見せたマーリンにタクミは声をひそめて口を開く。
「シェリアの側にいた二人に怒られないか?」
タクミはシェリアの側にいた二人を気にしているのだろう。腰に剣を帯びていたところを見ると、騎士であることは間違いないし、シェリアの言いつけを守ってタクミたちを外に出さないように監視されていることも考えられた。
それでもマーリンは自信ありげに大きく頷く。
「大丈夫だよ、あたしもタクミもここら辺のことは全然分からないし、何か思い出せるならいけるって。それと……」
「それと?」
マーリンは腕組みして不敵に笑い部屋にあったクローゼットを開け、中から手頃な革製の鞄を取り出した。
「あの二人はあたしたちを見つけることなんてできないもの」