(8)晴太の好きな場所、雨音の好きな街
【前回】
待ち合わせ場所に早めに着いた晴太。
しかしもっと早く着いていた雨音。
下の名前で呼んで欲しい雨音。
緊張する晴太。
車の音、鳥のさえずり、木の葉のすれる音をBGMに二人は歩く。と言うと聞こえはいいが、要するに沈黙だ。晴太は基本的に無口、会話では聞き役に徹するタイプ。一方の雨音は無駄な会話はしない、クールなタイプだ。そう考えるとこの沈黙はある意味必然と言えた。
しかし晴太はそわそわしていた。それもそのはず、今しているこれはデートだ。そういう雰囲気は微塵もないが。だから目的地に続く坂道が見えたとき、晴太は内心ほっとしていた。
「この坂道を上るの?」
雨音は晴太に尋ねる。その表情は少し疑わしげだった。晴太はそれを見て申し訳なさそうに頷く。というのもこの坂道、この街でも有数の急勾配だった。一応舗装されてはいるが、利用する人もほとんどいないため落ち葉やら土が積もっている。なんにせよ、初デートで彼女に上らせるような坂道でないことは確かだった。
「あの……ごめんね?こんな急勾配上らせて……」
「大丈夫よ、こう見えて体力はある方だから。それより晴太君は大丈夫なのかしら」
雨音は少し笑って晴太を見る。
「僕は大丈夫だよ。よく来てるし」
「そう」
と小さく言って、雨音は先に歩き出した。晴太が案内人なので先に立って歩くべきだが、雨音について行く形になってしまった。まあ、ここから先は一本道なので迷うことはない。薄暗い木々のトンネルを抜けると一際明るい場所に出た。目的地だ。
「ここだよ」
晴太は先を歩いていた雨音に声をかけた。
「ここ?」
雨音はあたりをキョロキョロと見渡すと、やがてある方向に目をとめた。
「なるほど、そういうことね」
そう言うと雨音はその方向に向かって歩き出す。晴太もそれに続く。二人は胸の高さほどある金属製のフェンスに手をかけ、その景色を眺めた。それは見慣れた、栄市の景色だった。晴太はこの街に来たばかりの頃、大袈裟に言えば右も左も分からなかったその頃に初めてこの場所を訪れ、これからこの街で生きていくことを改めて実感したのだった。
「綺麗ね」
「うん」
少し湿気を含んだ風が汗ばんだ二人の皮膚を優しくなでる。この場所は栄市の最北にあり、ここからさらに北へ行くと海水を真水に変える海水処理施設がある。標高はそこまで高くないが、取り立てて高いビルもないので結構遠くまで見ることが出来る。
「ねえ、晴太君はこの街をどう思う?」
雨音は景色に目を向けたままそう尋ねた。
「どうって?」
「単純に考えて」
「好きか嫌いかで言えば、好きだよ」
この街、栄市。晴太はここへ来てまだ一年と2ヶ月ほどしか経っていないが、この一年の間にこの街のことはだいぶ分かってきた。古くは漁業で栄えた街、決して肥沃とは言えない土地に突如舞い降りた魔法工業という産業、古くからある老舗も多い旧市街と近代化と共に発展してきた新栄町。様々なものが一つの空間に存在する、ある意味雑然としたこの街が晴太は好きだった。
「この場所に来て、そう思うようになったと言ってもいいかもしれない」
晴太は付け加える。
「そう」
沈黙が流れたが、晴太は雨音の横顔が何か言いたそうな、そんな表情に見えたのでしばらくは同じように街を見下ろしていた。やがて雨音はぽつりぽつりと話し始めた。
「私も…この街が好きなの。出来ればこの先もずっとこの街に住んでいたいと思っているわ。でも……周りはそう思っていない」
雨音は具体的なことを何も口にしなかったが、それでも晴太には見当がついた。
「それは…雨音は魔法が得意だからってことだよね?」
「そうよ」
魔法が得意な人だけでなく、少しでも魔法が使える者なら誰もが憧れる職業、魔導師のことを言っているのだろう。魔導師とは、正確に言えば職業ではなくそういう資格のことをさす。国内最難関の資格と言われ毎年数万人が魔導師試験を受けるが、最終的に魔導師になる事が出来るのはたった数人だ。そのかわり、一度魔導師になってしまえばよほどのことが無い限り将来は安泰だと言われる。
当然雨音ほどの魔法の才があれば、周りの人は彼女に魔導師になる事を勧めるだろう。ただ、
「もしも魔導師になれたとしたら、もうこの街に住むことはないだろうね」
晴太の言葉に雨音は静かに頷く。毎年数人、少ないときは一人も出ないこともある魔導師試験の合格者だ。その求人倍率は相当なものになり、とてもじゃないがこんな地方都市、さらに言えば島には、魔導師を雇えるような場所はないだろう。首都やあるいは国の研究機関がある場所に住むのが普通だ。
「魔導師ってそこまでして目指すべきものなのかしら?難しい試験を課す割には自由もきかなくて、割に合わない気がするのだけど」
「まあ確かに、魔導師じゃないと出来ない仕事ってほとんどないし、お金とやりがいを手にする代わりに自由や時間をなげうつような職業ではあるよね」
晴太は笑って言った。実際、ここ数年魔導師試験の受験者数は減少傾向にあるようだ。魔導師という称号の重要性が、時代と共に変わってきているのかも知れない。
「それにしても、雨音がそんな風に思ってるなんてちょっと意外だったな」
「そうかしら?」
「うん、何て言うか……もっと自分に対して迷いがない人なのかと思ってた」
「あら、それは心外ね」
雨音は片眉を少し持ち上げる。
「私だって自分の将来について悩んだりするし、迷ったりもするわ。迷いがなさそうとかクールっぽいとか、そういうイメージを持つのは勝手だけど、イメージと違うからって残念そうな顔をするのは止めて欲しいわね」
真剣な表情で言う雨音。彼女のことだ、今までもそういったイメージの押しつけで、さぞ不快な思いをしてきたのだろう。
「なんか、ごめんね」
気がつくと晴太は雨音に謝っていた。
「なんであなたが謝るのかしら?」
「なんで……僕もほら、偏ったイメージで雨音を見てたわけだし。『意外』だなんて鼻につく表現をしたし……」
すると雨音は可笑しそうに言った。
「やっぱり晴太君ってチキンなのね。それくらいじゃ私は動じないわ。それに……」
「それに?」
「不思議と晴太君が言うと嫌な感じがしないの」
「そっ…そうなんだ……」
つまり…つまりどういうことだろうか。晴太はどぎまぎとしたが、雨音はそれ以上何も言わなかった。
ありがとうございます。
デートです、一応。
やっぱり生まれ育った街は特別だと思います。