(36)雨音のお気に入りの場所
簡単に昼食を取ってから、二人は目的地へと向かった。しばらく歩いていると、雨音が後ろを歩く晴太の方に振り返った。短くなった前髪が揺れる。
「あの、何だか私が無理矢理連れているみたいだから、出来れば横を歩いて欲しいのだけど……」
「ああ、ごめん」
そう言って晴太は少し足を速めて雨音の横に並んだ。
「ところで、これは今どこに向かってるの?」
晴太は横を歩く雨音の顔を見る。雨音は前を向いたまま答えた。
「前に晴太くんがお気に入りの場所を教えてくれたでしょう?だから、今度は私のお気に入りの場所を晴太くんに教えたいと思って」
「ああそういえば、そうだったね」
二人が付き合うことになってすぐ、雨音が晴太とのデートの場所に指定したのが、晴太のお気に入りの場所だった。そこで晴太は、内心最初のデートがこんな所でいいのかと思いつつ、自分がよく行く場所である街を見下ろせる島北部の高台に雨音を連れて行ったのだった。あれからそんなに時間が経ったわけではないが、その日から今日まで色々なことがあったせいか、結構時間が経っているように晴太には思えた。
「どうしたの……?」
すると、雨音が晴太の顔を不安そうに覗き込む。
「いや、ちょっとね。色々あったなぁと思って。この数週間、今までにないくらい密度の濃い時間を過ごしてきた気がする」
「ああ、そういうこと。実は嫌々着いてきているのではと思って不安になってしまったわ」
どうやら雨音は前髪のせいかいつもより弱気になっているようで、本当にホッとした顔をしていた。
「まさか。むしろ雨音のお気に入りの場所がどんな場所なのか興味津々だよ。今のところ、僕が教えた場所と同じようなジャンルになりそうな雰囲気だけど」
進むにつれて古くなっていく町並みを眺めながら晴太は言った。方向的には島の西側にある森、その縁を北に向かって歩いていた。この辺りは栄市の中で最も古い町の一つだ。本土から流入してきた魔法弱者達がマゴロシノキの森のそばに作った集落が起源となる。
「そういえば、雨音は大丈夫なの?マゴロシの森に近づいたりして」
マゴロシノキは周囲の魔力を吸収する性質がある。。晴太は先天的に魔力を持っていない魔法弱者なので問題ないが、雨音は不用意に近づくと危険なはずだった。
「防御魔法で押さえてるから大丈夫よ。それに、人の通る場所にはマゴロシノキは生えてないの。危なくないように植え替えたのね。最も、奥の方には普通に生えているから、森の奥には行くなってよく両親に言われていたけど」
今から数十年前、この街が急速な産業発展を遂げたとき、マゴロシノキが一斉に伐採された。普通はその後またマゴロシノキを植え直すが、人里に近いところは危険がないように違う種類の木を植えたのだろう。
(確か、魔力の生産量が多いタイプの木を植えてるって聞いたことがあるような……)
晴太が昔読んだ雑誌か何かの記事を思い出していると、先を歩いていた雨音の足が止まった。
「ここを上がるわ」
「ここって……」
雨音が指さした場所には鳥居があり、そこから石段が森の奥に向かってずうっと伸びていた。鳥居も石段も全体的に苔むしていて時間の流れを感じさせる。
「遠山神社よ」
「遠山神社……。聞いたことないけど、有名なの?」
「いえ、有名ではないわ。年始めに近所の人が来る程度ね。歴史はかなり古いらしいけど」
「へー」
かなり古い、というのがどれくらいなのか分からないが、たぶんこの島でも三本の指に入るとか、それぐらいなのだろうと晴太は思った。最も、この島にいくつの神社があるのか分からないのだが。
「ここはね、世界の果てに繋がっていると言われているのよ」
長い間雨風に晒され、所々が欠けた黒っぽい鳥居の柱に触れて雨音が言った。
「世界の果て?」
「そう。おそらく魔を寄せ付けないマゴロシの森と、その向こうに広がる大海原から、そう思われたんでしょうけど」
「なるほどね、確かに世界の果てに繋がってそう」
鬱蒼とした森を抜け、視界が開けた先に広がる広大な青い海を想像して晴太は頷いた。その海の向こうに世界の果てがあるということなのだろう。
「今となってはそういういわれがあるっていうだけだけど、この辺のお年寄りとかには、未だにこの神社には近寄ろうとしない人も多いわ」
「そうなんだ」
この国には決まった宗教はない。それぞれ土地で、それぞれの神が祀られている。その多くは自然への畏怖、あるいはそこから得られる産物を守るため、逆らったり壊したりすることがないようにそれを神様として祀ったものだ。だが、そういう文化も時代と共に段々と薄れてきた。それに対して寂しいと思うことは晴太にはなかった。ただ、ここにはどんな神が祀られている、あるいは、祀られていたのだろうかと何となく思うのだった。
「じゃあ、行きましょうか。結構階段が長いけど……まあ大丈夫よね」
「うん」
晴太は軽く頷いた。性格からして分かるかも知れないが、晴太は完全なインドア派。体力にはあまり自信がない。が、休みの日に急な坂道を上ってちょっと景色を見に行くぐらいの体力はある。
(それに……)
女の子の手前、あまり情けない姿は晒せない。と、晴太は軽快に階段を上っていく雨音の背中を見て思った。
そして上ること数分。晴太の視界に、神社らしき建物の屋根が見え始めた。その姿は徐々に大きくなり、やがて全体が見えるまでになる。遠山神社は、歴史が古いと言うだけあってかなり老朽化していた。よく言えば風情がある、悪く言えばボロい。そこそこ腕の立つ魔導師なら一拭きで消し飛ばせそうなもろさがにじみ出ていた。
「ボロボロよね」
まじまじと神社を眺める晴太を見て雨音が笑った。
「でも実はこれ、かなり強い保護魔法がかけられていて、そう簡単には壊れないのよ?」
「そうなの!?」
晴太は驚いて神社の本殿を見る。基本的に強い魔法をかけるためには大きな魔方陣が必要になるのだが、そういったものの痕跡は見受けられない。というか、わざと見えないようにしているのだろう。
「そう言われると、なんか急に凄そうな感じがしてきた……」
「晴太くん、分かりやすいわね」
雨音に言われて、晴太は苦笑する。
「でも、雰囲気は凄くいいね。静かだし、幽玄……っていうのかな?」
場所的には街からそんなに離れていないはずだが、高さが違うせいか人間の生活音は一切聞こえない。鳥の声や木の葉の擦れ合う音だけが辺りに充満していた。だが一方で、周囲の森も手つかずの雑木林のような鬱蒼とした感じではなく適度に光の入る心地のいい森で、その中心にぽっかりと空いた空間に古びた神社がぽつりと建っているという非常に落ち着いた場所だった。
「そうね、ここだけでも十分来る価値があると思うわ」
雨音もウンウンと頷いて答える。しかし晴太はその言葉の中にあった重要なポイントを見逃さなかった。
「ちょっと待って。それってさ、雨音の連れてきたい場所はここじゃないってこと?」
晴太はてっきりこの場所、遠山神社の境内が、雨音のお気に入りの場所なんだと思っていたが、雨音の言い方だとここよりもさらに奥に進むということになりそうだった。しかし辺りにこれ以上進めそうな道はない。不思議に思って晴太は周囲をキョロキョロと観察する。すると、いつの間に移動したのか、雨音が神社の裏手から顔を出して晴太を呼んだ。
「こっちよ」
晴太がそれに従って向かうと、正面から見たときは分からなかったがそこには意外とスペースがあった。それと先程までは全く感じなかった海の音、それから潮の香りもかすかに漂ってきた。
「森の中だと思ってたけど、結構海が近いんだね?」
「……ええ……そうね」
晴太の呼びかけにも生返事で返し、雨音はじっと地面を見つめて何かを探している。
「何かあるの?」
晴太が再度話しかけると、今度は顔を地面に向けたまま口だけを動かした。
「確かこの辺りにあったはずなんだけど……」
雨音はそう呟いて、地面にあるはずの何かを探しているようだった。晴太はそれが何なのか分からなかったのだが、何となく雨音が探している辺りの地面を見て、何か落ちていないかと探してみた。すると、そんな晴太の視界の端、雨音が探している辺りからは少し離れたところで何かが動いたのが見えた。
「ん?」
「どうしたの?」
晴太の声を聞いて、記憶を辿るようにじっと地面を探っていた雨音が振り返る。
「いや、なんかあの辺で動いたような……。砂埃かな?」
晴太がその方向を指さすと、雨音は少し考えてからそこへ向かった。晴太が指さしたのは神社のちょうど真下、神社の床下に当たる場所だった。床が高くなっているのでスペースはあるが、それでもしゃがんでギリギリ頭がぶつからない程度の狭さだった。その狭いスペースに雨音は背を丸めて体を入り込ませる。そして、ちょうど晴太が砂埃のようなものをみた位置を手で触った。
「…………あったわ」
探っていた手をある一カ所で止めて、雨音が呟いた。が、晴太には雨音が何を見つけたのか全く分からなかった。それこそ雨音が何もない地面を触っているようにしか見えなかった。
「何があったの?」
晴太はそう尋ねながら雨音と同じように神社の床下に体を入り込ませた。しかし、雨音の隣にしゃがみ、彼女の手元を見てもそこには日陰で冷やされた土しかないように見えた。
訳も分からず「んん?」と晴太が首をかしげていると、雨音はおもむろに何か掴んで持ち上げた。するとギギギという音と共に地面の一部がそのままふたのように開いた。
「え、ええ!?」
そこには、ちょうど人が一人通れるくらいの穴がぽっかりと空いていた。よく見るとコの字型のはしごが壁伝いに下まで続いていた。覗き込むとすぐ底が見えるので、そんなに深くはなさそうである。ふと、穴を覗き込んでいる晴太の頬を風が撫でた。
(さっきの砂埃はこれだったのか……)
晴太はそう納得すると当時に、少なくとも換気はされているようだと少し安心した。だがそれが外に繋がっているからなのか、それともどこかに隙間があるだけなのかは実際に降りてみないと分からなかった。
「私もここに来るのは久しぶりだから……。大丈夫だと思うけど、一応気をつけて下りて来てね」
そう言うと雨音は器用に体を滑り込ませてはしごを下りていった。雨音が下りきったのを確認して、晴太も同じようにその小さな穴に体を入れる。床下なので天井が低いということもあって、少し無理な体勢になりながらも何とかはしごに足を、それから手をかけて慎重に下っていく。
上から見て思ったとおり高さはそんなになかったが、実際に下りてみると思いの外明るいことが分かった。潮の香りや波の音もかなりはっきりと感じるので、これは隙間が空いているのではなく直接外に繋がっているのだろうと思いながら晴太は振り返る。
「!?」
ありがとうございます。晴太が神社の地下で見たものとは!?
まあ、あれですよね。風吹いてますし。




