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(32)雨音の変化

「それで、話しておきたいこと、なのだけど……」

 脱いだ上履きを靴箱に戻しながら、雨音は口を開いた。先程まで降っていた雨は止んだが、靴はまだ濡れたままだ。晴太は顔をしかめつつ、相槌を打つ。

「うん」

「私、部活動に入ろうと思うの」

「部活?何の?」

 思わぬ申し出に晴太は首をかしげる。

 栄第一高校は普通の公立高校。私立の高校ほど部活動の種類は多くないが、それでもメジャー所は大体揃っている。あらゆる分野で人並み以上の才能を発揮する雨音ならどの部活に入っても活躍できるのだろうが、どうにも雨音が部活動に入り、他の部員達と練習に励んでいる姿が想像できなかったのだ。実際晴太から見た雨音は、何か活動的なことをしたいとか新しい友達を作りたいとかと思うようなタイプではないので、そんな彼女が入りたいと思った部活動に興味が湧いた。

「逆に何の部活だと思うの?」

 対して雨音はあきれ顔で聞き返す。休日の学校は静かだが、その分様々な部活動の音やかけ声が聞こえてくる。何の部活だろうと思ったその時、正門の脇にある武道館が晴太の視界に入った。

「あ、もしかして魔道部か」

 そう答えながら晴太は少し恥ずかしくなった。よく考えてみれば、雨音は今朝、魔道部の全国大会から帰って来たばかりのはずだ。特に部活動には興味がなかった人が、大会を終えて帰って来たら部活をしたくなっていたのだからそれはもうその部活しかあり得ない。

「逆にこのタイミングで魔道部以外の部活に入りたくなるわけないでしょう……」

 どうやら正解だったようで、雨音はため息交じりに呟いた。それから続けて、大会を経て魔道部に入ろうと思った理由について話し始めた。

「まず、大会は優勝したわ。自分で言うのも何だけどかなり活躍したと思う。それで終り…………。いつものように、ちょっとやって、結果を出して、それで終りだと思っていたのだけど…………」

 そこで雨音はいったん言葉を切って、何かを思い出すように俯いた後、照れたようにはにかんだ。

「面白い子に出会ってね?自分の気持ちに、その気持ちから逃げていることに気付かされたの」

「雨音の気持ち……?」

「そう。好きなものなんて何もないと思っていたけど、好きだと思えるものはちゃんとあったこと。たぶん私なら、人並みの努力で人並み以上の結果が出せる。でもそれを申し訳なく思うことは、人並み以上の努力をしている人たちに失礼だと教えられたの。だから……私はもっと素直に、我が侭に、自分の好きなものと向き合ってもいいんじゃないかと…………そう思ったというわけね」

 最後は雨音らしく、少し茶化して締めくくった。魔道部の大会に助っ人として参加すると伝えたときの雨音と、大会を終えて帰って来た雨音。その違いは、出会ってまだ日の浅い晴太から見ても明らかだった。全国大会を経て、何か優勝という結果以上の大きなものを掴んだ、まさにそんな様子だった。

「本当は晴太くんに相談してから決めようと思っていたんだけど、もう自分の中では答えが出てしまっていたから……、事後報告でいいかと思って」

「そうだったんだ」

 晴太は特に関心はなさそうに相槌を打つ。実際相談されたとしても、雨音の好きなようにとしか言えなかっただろうし、話だけでも聞きたかったとかそう言った気持ちも特になかったからだ。

「それで、なら早いほうがいいかと思って、今朝こっちに戻ってきてから、家に帰る前にいったん学校によって入部届を貰うことにしたの。そしたら水と海守さんが連れ立って歩くのを見かけて、何かただならぬ雰囲気だったからついて行ってみたら、あなた達が何やら面白い話をしてたってわけ」

 またしても茶化して締めくくった雨音に、先程とは異なる雰囲気を感じながら、晴太は苦笑いをした

「はは……まあ、その…………ごめん」

 そう言って晴太は頭をかく。信号が点滅し二人は同時に足を止めた。濡れたアスファルトにもその点滅が映る。しばらくして赤色が点灯すると、雨音は呆れたようにため息をついた。

「はぁ……何であなたが謝るのよ」

「それはほら……雨音というものがありながら……」

「水にそう言われたのね?」

 雨音の真っ直ぐな瞳に見つめられて、晴太は思わず目を逸らしてしまう。

「うん、まあ……」

 しかし雨音は少し困ったように笑みを浮かべると、「水も相変わらずね……」と呟いた。

「彼女、昔からそういう所があって。その……私のことが好きすぎるというか……私のためを思いすぎるというか。私としては、私以外の友達も作って欲しいんだけど……。とにかく、そういうわけで水も悪気が会ったわけではないの。でも振り回してしまったみたいでごめんなさいね」

「そうなんだ」

 雨音の話を聞いて晴太は確かにそうだと思った。水といるとよく雨音の話になるが、その時の彼女は決まって誇らしげで、まるで自分の事のように雨音の自慢話をする。そういった事から、水の雨音に対する憧れ、あえて悪い言い方をするなら依存心を少なからず感じていたからだ。

(水と仲良くして欲しいって言ったのにはそういう意味合いもあったのか……)

「……ってそうじゃなくて!!」

 納得しかけて、晴太は慌てて首を振る。

「なんで雨音が謝るの!?ていうか、怒らないの?」

 晴太がそう言うと、雨音はきょとんと首をかしげた。

「怒る?私が?あなたに?」

 全く意味が分からないという様子の雨音を見て、晴太は言葉に詰まる。

「だからその……聞いたんでしょ?水の話」

「聞いたから、よ」

「聞いたから?」

 雨音は真っ直ぐ前を見ながら、少しだけ力強くそう呟いた。晴太はそんな雨音の横顔をじっと見つめるが、その感情は読み取れなかった。

「そう、聞いたから。だってあなた達は一緒にご飯を食べに行ったり、お祭りに行ったりしただけでしょう?水は大袈裟に言っていたけど、手すら繋いでいないみたいだし。私は恋愛感情を抱いたら浮気だと思っているけど、聞いた限りでは浮気とまでは言えないと判断したわ」

「あ……そう」

 案の定冷静に状況を判断していた雨音に、晴太は思わず気の抜けた返事をしてしまう。

とはいえ、雨音と言えばどんなときでも冷静沈着で客観的に物事を判断する人であるというイメージが崩始めたばかりだったので、ある意味、意外と言えば意外だった。

「でもまあ……どちらにせよ、浮気とは言えないわね」

 雨音が口を開く。先程まで前を向いていた視線は下がっていて、今はつま先の方に向いていた。

「なんで?」

「だって私たちは本当に付き合っているわけではないから」

 やはりその表情は、彼女が何を思っているかは読み取れなかった。だから晴太は曖昧に頷くことしか出来なかった。


 その日から一週間、雨音は学校を休んだ。


 ここまで読んで下さりありがとうございます。この話も終盤に差し掛かってきました。

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