(32)雨音、帰還
日曜日、晴太は閑散とする廊下を一人で歩いていた。静かな分、明け方から降り始めた雨の音がよく響いていた。そして目的地のドアの前で立ち止まる。中から人の声はしないが、時間的にもう二人とも来ているはずである。正直あまり開ける気がしないと思いながら、晴太は戸に手をかける。
ガラガラ……
そっと動かしたつもりだったが、晴太が思った以上にその音は理科室に響いた。中にいた二人の女子生徒がバッとドアの方を見る。
「晴太先輩!?」
「久条くん!?」
窓際のテーブルに向かい合って座っていた水と渚が驚いた顔で晴太を見ていた。
「何で来たのですか。来ないで下さいって言ったのに……」
水に睨まれて晴太は「いや、ね?」と苦笑いをする。そしてそのまま二人の座っているテーブルに近づくと、向かい合う二人の横側に腰を下ろした。
「全く……鈍感なくせに妙に真面目な所ありますよね……」
水はため息交じりにそう言った。渚はなぜか少し嬉しそうにしている。二人の反応に若干緊張のほぐれてきた晴太はそっと座り直す。
「しかし残念でしたね。もう話はつきましたよ」
「え?そうなの?」
晴太は驚いて水の方を見る。そうならないように時間通り来たはずだったが、やはりもっと早く来るべきだったかと晴太が思っていると、「ちょっと!」と横から渚が口を挟む。
「まだ何にも付いてないじゃん!」
「晴太先輩と雨音先輩には近づかないということで話は付いたじゃないですか?」
きょとんと首をかしげてみせる水に対して、渚は反論する。
「いや、あたしは納得してないし!それにもし仮に二人が付き合ってたとして、近づくなって言うのはおかしいじゃん!別にあたしと久条くんが仲良くするぐらい問題なくない?」
「それは晴太先輩が押しに弱そうだからで……。それに!あなたの言う『仲良くする』は仲良くしすぎなんですよ!」
「そうかなぁ?普通だと思うけど?勉強教えてもらったり、お喋りしたり……」
「彼女がいない隙にデートに誘ったり、ですか?」
「っ!?…………そもそも!廻川さんは関係なくない?傘咲さんに言われるならまだ分かるけど。傘咲さんにそう言えっていわれてるの?」
「そ、それはっ……ない……ですけど……」
(やばい…………入っていけない……)
予想以上に激しい二人の言い合いに、晴太は完全に会話に入るタイミングを逃していた。というか二人の間がここまで険悪だとは思っていなかった。一応現在の雨音との関係を上手いこと説明できるようシミュレーションをしてきたのだが、どうもそれ以前の問題があったようだった。
(それにしても……)
晴太はにらみ合う二人を横から眺めつつ、考える。どうも昨日から、蚊帳の外感というか、脇役感が拭えない。別に、『俺が主役だ!』と言いたいわけではないのだが、妙に安心感がないというか、晴太の中に謎のアウェー感があった。
昨日は晴太自身、祭りの後でテンションが上がっていたせいもあったのか、『こういうのはその場にいることに意味がある』などと柄にもないことを考えてしまったが、実際いるだけで自分の意見を言わないのでは全くいる意味がないのだ。
そんなわけで早速決意の揺らぎ始めた晴太は、何とか理由を付けていったん教室の外に出られないか考え始めた。
まさにその時だった。
晴太の視界の端に見覚えのある凜とした瞳の少女が映り込んだ。それが雨音だと分かるよりも早く、晴太は声を発していた。
「えっ?雨音!?いつ帰ってきたの!?」
雨音は教室の後ろの方に立っていた。雨音が大会でいなかった期間はそれほど長くはないが、助っ人として大会に出ることが決まってからは雨音の方も練習が忙しく、おまけにクラスも違うので晴太が雨音と顔を合わせる機会はほぼなかったと言っていい。そのため晴太は、時間以上に久しぶりな気がしていた。
「ついさっきよ。港で解散だったのだけど、ちょっと学校に用があったから先にこっちに来たの」
雨音はいつものすました調子でそう答えた。大会が終わって、真っ直ぐ家に帰って休みたいはずだが、そこまでの用事だったのだろうかと少し疑問に思ったが、晴太は何となく納得して返事をする。
「あ、そうだったんだ」
「ええ」
「って!そうじゃないでしょ!!!」
それまであんぐり口を開けていた水が、突然声を上げる。
「どうしたの?水」
分かってはいたが晴太は尋ねてみる。
「いやいや!晴太先輩さすがにそれは分かってますよね!?」
案の定怒られたので「ごめん、ちょっと言ってみたかっただけ」と謝った。
「まあ、それはいいですけど…………。それよりあの……雨音先輩は、いつからそこにいました……?」
水は恐る恐る尋ねる。晴太が教室に入ったときにはいなかったので、当然水と渚が来たときにもいなかったのだろう。理科室は普通の教室よりも少しだけ広いとは言え、いたらさすがに気付くはずである。つまり、雨音は最初からそこにいたが、何らかの要因で見えなかったということになる。
「透明化……?」
「それはないです!」
渚がぽつりと呟いた言葉に渚が大きく反応する。
「透明化の魔法は専門性の高いかなり高度な魔法です。さすがの雨音先輩でもそこまでは出来ないはず。透明マントもありますが……あれはあちきしか持っていません」
水の言うとおり、透明化の魔法はそれを扱う専門の職があるほど難易度が高い魔法である。第一、犯罪にも応用できるため使用には許可が必要である。水が発明した透明マントも現状世界に一つだけ、それを水が持っているため雨音が使うことは出来ない。
しかし晴太の中にはもう一つ選択肢が浮かんでいた。透明化の魔法や透明マントよりももっと単純で分かり安い答え。
「溶け込み……とか?」
晴太が何となく呟いたそれは、どうやら正解だったらしく、雨音はいたずらっぽくにやりと笑って頷いていた。
「溶け込み?」と首をかしげる水に、晴太は簡単に説明する。
「溶け込みっていうのは周囲の景色に溶け込む魔法のことだよ。少し難し言い方をすれば、相手の認識外に入ることが出来る魔法ってところかな?」
それを聞くと水は理解したようで、「なるほど……そういうことですか」と頷いた。しかし渚はまだ分かっていないようで、首をかしげている。
「透明化の魔法が発明される前はスパイなんかが使ってたらしいけど、今となってはちょっとしたいたずらぐらいにしか使えないよね」
「それは私に喧嘩を売っているのかしら?」
雨音が腕を組んで晴太を見る。口元は笑っているが、心なしか目が笑っていないような気がして、晴太はしどろもどろになる。
「あ、いや……そんなことないんだけど……」
「まあ私自身、ここまで上手く隠れることが出来るとは思っていなかったわ」
溶け込みの魔法は周囲の景色に溶け込むことで自分の姿を見えなくする。例えば本棚の本が一冊増えていても気付かないように、そこにいるのがあまりにも自然で人間の脳が勝手に注目しなくてよいものとして排除してしまう。そのため同じ部屋にいても、場合によっては目の前にいても認識できなくなる。
ただ、実際に姿が消えるわけではないので、温度や生体エネルギー等を計測する魔導機器にはばっちり引っかかるし、さらに言えば探している人には簡単に見つかる。自分の部屋の本棚なら本が増えたことが分かるのと同じだ。
今回の場合、雨音の技術と、晴太達の『ここに雨音がいるはずない』という思い込みによって完璧に隠れることが出来たというわけだ。
「まあ、そんなことより」
雨音が口を開く。
「水と海守さんが何やら連れ立って歩いていたから気になって着いてきたのだけど………、私のいない間に何だか面倒くさいことになっていたようね」
そう言って雨音は三人の顔を順番に見た。晴太はその様子を見て少し意外に思った。もちろん、怒ったり狼狽えたりするようなことはないだろうと思っていたが、ここまで冷静に流すのは予想外だったからだ。
「あの、雨音先輩……ごめんなさい」
ここで水が申し訳なさそうに、伏せていた顔を上げる。水が何に対して申し訳なく思っているのか正直晴太には分からなかったが、雨音には伝わったようで、水に向かって優しく微笑む。
「大丈夫よ、水。私のために、色々考えてくれたのよね?ありがとう。でも、もう大丈夫よ」
「それなら……よかったです」
そして横目で晴太の顔を見る。何のことか分からず晴太が言葉に詰まっていると、今度は雨音が晴太に向かって話しかけた。
「ところで……実は晴太くんに少し話しておきたいことがあって…………」
「僕に?」
「そう、本当は明日学校で話そうと思っていたのだけど、ちょうど会ったから……。この後、時間はあるかしら?」
話したいことということは何かの報告だろうかと首をかしげつつ、少なくとも悪いニュースではなさそうだと晴太は思った。
「うん、僕は大丈夫だけど……」
晴太は言いにくそうに言葉を濁すと、隣に立つ水と渚に目を向けた。晴太と雨音がこの場所を訪れたのも、もとはといえばこの二人のことが気になったからだ。しかし水の方はさっき雨音と話したときに解決したようだった。となると残るは渚。
すると渚はそれまでじっと閉じていた口を開き、雨音に向き直った。
「あの……傘咲さんに聞きたいことがあるんだけど……」
「何かしら?」
どこか緊張気味に尋ねる渚に対して、雨音は表情を変えずに聞き返す。それを見て渚は一瞬たじろいだが、意を決した様子で雨音に向き直った。
「二人は……晴太くんと傘咲さんは付き合ってるの?」
その瞬間、晴太の頭は真っ白になった。頭の中にあった思考が全て止まり、自分の心臓の音すら聞こえないほど静かになる。水も同様に、何か言いかけて口を開けたまま時間が止まったように固まっている。そしてこの場で唯一冷静さを保っている雨音は、「そうね……」と目を伏せて少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「半分正解……かしら」
ここまで読んで下さりありがとうございます。こんばんは。




